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小説・鉄槌のスナイパー・一章・NOー(6)CG

2008-07-10 13:38:23 | 小説・鉄槌のスナイパー(第一章)
小説・鉄槌のスナイパー・一章・NOー(6)CG

その日も同じだった、まるで味の無い番組になってNHKの特色がなくなっていた。テレビを消してビデオを観ていた。
すると、何処からか除夜の鐘が聞こえて来た。時計に視線を向けると、もうこんな時間か、零時を過ぎていた。
私は思い出しように受話器を持った、そして実家に電話を入れた。
すると、母が出て怒っていた。何の相談もなく連絡もせずに転勤した事に腹を立てていたのだ。
私は黙って聞いて謝った。断れば首を切られるとはとても言えなかったからだ。
母は言うだけ言うとスッキリしたのか、ご飯はちゃんと食べているのか、寒くないのかと、後は私の体の事を心配していた。
一人っ子の私には三十を過ぎたとて子供扱いだった。そして父は「頑張れ」と一言いうと電話を切った。
そして一月五日、寝正月もあっと言うまに過ぎて六日の朝を迎えた。
歩いて十分の支社へ向かった。何度も出張で来て社員の顔は覚えていた。そしてドアを開けた。「お早ようございます、所長」。
既に全員が揃って次々に挨拶を交わし、奥のデスクに着いた。社員と言っても本社の部課の半分以下の人数だった。
「近藤所長、随分急な転勤でしたね、住まいは決まったんですか」と次長の向坂保が少し戸惑ったような顔をしていた。
「ああ、知り合いの不動産に無理言って頼んだら、敷地にあるハイツ・ライフと言うアパートの101号室を借りられたよ。
若い夫婦が入る事になっていたらしいんだけど、急にキァンセルになったらしくてね。歩いて十分だよ」。
「そうですか、そこなら自分も知ってイます。前任の長谷川さんが会社に抗議して社宅を出でくれなくて自分も困っていたんです」。
「そう、詳しい事は知らないけど、長谷川さんに何かあったの」?

「ええ、たいした額じゃないんですが、使い込みがあったらしいんです。長谷川さんは否定しているそうですがね。あんなに実直そうな人なのに、自分達も驚いているんです。それで解雇する代わりに平に格下げですからね、上の女の子は今年大学受験です、下の女の子は今年高校ですから困っているでしょう」。
「まあ額が大きい小さいはともかく、流用した事には違いない。懲戒解雇にならなかっただけでも儲けものだと思わないとね」。
こうして朝礼をして社員は事務員の二人を残して八人の営業社員は年始回りを兼ねて仕事に出て行った。
私は引き継ぎもなく、座った支社長の席で二人の事務員に話を聞きながら仕事の引き継ぎを行っていた。
そして十時を過ぎたころ、前任の長谷川支社長が髪をセットして普段着姿で顔を出した。そして私を呼んだ。そして外に出た。
「近藤さん、私は嵌められましたよ。忠告しておきます、次長の向坂には気を付けて下さい。奴は専務のスパイですからね」。

「まさか、そうなんですか?・・・」
「ええ、確かです。こうなったのは私の定期預金が十一月一杯で満期になんですが、その前に娘の受験でどうしても金が必要になりましてね、満期になったら返済すれば良いと言う事を向坂が言い出しましてね、私は彼を信用して百万程流用してしまったんです。
そうしたら、その事を満期になる一月前に専務にチクったんです。確かに会社から借りれば良かったんだが、会社に弱みを握られるのも何だと思いましてね。
今更平から出来ません。先程会社と話したら退職金はちゃんと降りると言われまして退社する事にしました」。
「そうでしたか、そんな事情があったんですか。私もいつ寝首を欠かれるか分かりませんね、用心しますよ」。
「ええ、それだけ伝えておきたかったもので。近藤さんには迷惑をかけました。明日にも引っ越しますから」。
長谷川は腹をくくったのか、以外とサバサバしていた。そして窓から心配そうに見ていた事務員に手を振って帰っていった。
私は聞きたくなかった、此れで次長の向坂を信じられなくなったと言う事だ。そう思うと途端に気が重くなった。
こうして十日、二十日と過ぎ、私は大事な取引の商談事は向坂に相談して決められなくなっていた。
そして一月二月と過ぎ、支社長としての役職にも慣れ、営業成績も横這いから上昇し初めていた。
NO-6-12

小説・鉄槌のスナイパー・一章・NOー(5)CG

2008-07-10 13:35:22 | 小説・鉄槌のスナイパー(第一章)
小説・鉄槌のスナイパー・一章・NOー(5)CG

そして玉をレーンに入れて打ち始めた。するとまたフィーバーして連ちゃんして時間を忘れるほど熱中していた。
そして気が付くと十箱も出していた、時計を見ると午後二時を回っていた。
「もうこんな時間か、オバサン残りは使って下さい」。下の皿に溜まった玉を出して残りはおばさんにやった。
「アリガトウね、じゃあ打たせてもらうよ」と嬉しそうに席を代わった。
そして台車を借りて景品交換所に向かった。すると、抱える程のバンドを交換所へ持っていった。計算すると、五百円で十万以上も稼いでいた。
店員に交換所を聞くとへ景品を抱えるように持って店をでた。
駐車場にある小屋、駐車場の片隅に小さなプレハブ小屋があった。
窓口一杯に景品を置くと、両手で数えながら金額を口で言い、十万円を先に渡すと一万五百円差し出した。
有難う御座いました。こんな事もあるのか、快感だった。
通りに出るとタクシーを拾ってアパートに向かった。
そして石田街沿いのコンビニに寄って暖かい飲み物とスナック菓子、弁当を買ってアパートに向かった。
すると、もう引っ越しセンターのトラックが到着していた。
タクシーがアパートの前で止まるとトラックから三人の男立ちが降りて来た。それは夕べ来た人達だった。「済みません、ご苦労様です」。
部屋を開けて何を何処へ降ろすか責任者と相談した。
次々と家具が降ろされて行った。すると責任者が粗品を持ってアパートに挨拶回りをしているのだった。
私はそれを見て驚いた。今時の引っ越しセンターでは挨拶回りまでしてくれるのか。私は部屋に入るとタンスから封筒を三枚取り出して五千円づつ入れた。
そして一服して貰うように話し、買って来たジュースとスナック菓子を出した。「少ないですけど気持ちです、タバコでも」と封筒を一人一人に渡した。
「済みません、では遠慮なく」もう少し多くても良かったかな、そう思いながら喜ぶ顔を見ていた。
そして午後五時には総ての家具が入った。
そして請求書が渡され、私は遠慮しないようにと大目に払い、残りは夕食代にしてくれと告げた。
「しかし、此れでは頂過ぎです」。
「此れは会社の経費ですから、自分の腹は痛くありませんので」。
すると責任者は勉強しない正規の額の領収書を別に切った。
「此れなら少しは近藤さんにもお小遣いが出来ます、有り難うございます。では遠慮なく頂戴します」。
私は買って来たジュースとスナック菓子を袋ごと渡した。すると、若い作業員は嬉しそうに抱えてトラックに乗り込んだ。
「有り難う御座いました、では失礼します」。
そして、パ~ン、とクラクションを鳴らすと長野に帰って行った。
誰もいなくなって静まり返った部屋、私は机に向かってバソコンで引っ越しに掛かった経費の計算をして本社の経理にメールを送った。
此れで年明けの五日まで何もする事がなくなった。
夕飯の材料でも買いに行くか、スーパーへ出掛けて材料を買い込んでアパートに戻った。そして米を研いで炊飯器にセットした。
するとチャイムが鳴った、出ると真っ白な髪をして年の多い新聞屋さんだった。
私は二つ返事で了解した。出された申し込み用紙に書き込んでいると、おじさんは出て行った。そして直ぐに戻って来た、
手には紙袋を下げて、「此れをどうぞ」。中には洗濯洗剤、ママレモンなどが入っていた。そして一月分はサービスすると言うのだ。そして今日の朝夕刊を置いて帰って行った。
私にも新聞屋のおじさんの気持ちは良く分かっていた。私も営業一本でやって来て営業の辛さは身に染みていた。
すると、ピッピッピッと炊飯器がご飯が炊けた事を知らせた。
冷蔵庫には引っ越し前に買った物がそのまま入っていた。適当におかずを作って夕食を済ませた。
こうして一人の寂しい年越しを向かえる事になった。
何もする事もなく、街に出でビデオを借りてアパートで観ている毎日だった。
そして三十一日、紅白も年事につまらなくなっていた。と言うより、歌手を知らないから観ても楽しくないのだ。この五~六年は観てはいなかった。
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