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めいすいの写真日記

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京都 観光地めぐり(6) ・・・ 金閣寺

2010-06-06 | 旅の写真




 久しぶりに世界遺産となっている金閣寺を訪れて、とても懐かしく金閣寺を見ることが出来ました。
 ところで、私の若いときによく読んだ三島由紀夫の小説「金閣寺」。その中には、金閣寺を描いた美しい文体が散りばめられ、実物の金閣寺と同じように、あるいはそれ以上に「金閣寺の美」に感動したものでした。その一部をここ載せることにします。

 夜空の月のように、金閣は暗黒時代の象徴として作られたのだった。そこで私の夢想の金閣は、その周囲に押し寄せている闇の背景を必要とした。闇の中に、美しい細身の柱の構造が、内から微光を放って、じっと物静かに座っていた。人がこの建物にどんな言葉で語りかけても、美しい金閣は、無言で、繊細な構造をあらわにして、周囲の闇に耐えていなければならぬ。
 私はまた、その屋根の頂に、長い歳月を風雨にさらされてきた金銅の鳳凰を思った。この神秘的な金色の鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることを忘れてしまっているにちがいなかった。しかしそれが飛ばないようにみえるのはまちがいだ。ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に時間の中を飛んでいるのだ。時間がその翼を打つ。翼を打って、後方に流れていく。飛んでいるためには、鳳凰はただ不動の姿で、眼を怒らせ、翼を高くかかげ、尾羽をひるがえし、いかめしい金色の雙の脚を、しっかと踏んばっていればよかったのだ。
 そうして考えると、私には金閣そのものも、時間の海をわたってきた美しい船のように思われた。美術書の語っている「壁の少ない、吹き抜けの建築」は、船の構造を空想させ、この複雑な三層の屋形船が臨んでいる池は、海の象徴を思わせた。金閣はおびただしい夜を渡ってきた。いつ果てるともしれぬ航海。そして、昼の間というもの、この不思議な船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見物するのに任せ、夜が来ると周囲の闇に勢いを得て、その屋根を帆のようにふくらませて出帆したのである。
                                                    ・・・・・ 三島由紀夫 「金閣寺」

 小説「金閣寺」は、日本文学を代表する傑作の一つ。金閣寺は1950年(昭和25年)7月に放火により消失しましたが、その犯人、金閣寺の美にとりつかれた「私」こと林養賢を描いています。「三島の美学」と賞賛された三島由紀夫の数多くの作品群の中でも、この部分はとりわけ美しいと思います。

 なお、現在の金閣は、1904年(明治37年)から1906年(明治39年)の解体修理の際に作成された旧建物の詳細な図面や写真・古文書・焼損材等の資料を基に再建されました。ただ、消失前の金閣寺は、国宝でしたが、金箔がほとんど剥げ落ちた質素な風情で、今のように光り輝く姿ではなかったとのことです。



 帰り際に金閣寺の鐘楼に立ち寄り、鐘突き料を払って鐘を突き、煩悩を払って出ることにしました。

  PENTAX K7 + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC で撮影

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