旧粕谷邸(県指定文化財)
数年前に来たかな?今日はぜひ見学したいというお友達にくっついて参加しました。“吉良あないびとの会”
のボランティアガイドさんがこの地の歴史とロマンを案内してくれます。
ジョークも入れながら元校長先生だったガイドさんは、かなりお話上手。
粕谷家は江戸時代を通じて、この地方の大地主として、また地場産業であった木綿の江戸送りの総問屋として
栄えた旧家である。代々縫右衛門を名乗り、領主大河内松平家の御用達頭取として苗字帯刀を許されていた。
明治4年に13代当主となった重徳は、地域の実業家として、明治27年に銀行の頭取となったほか、鉄道にも大株主
として出資を行っている。
当時生産量が増大した鰊粕を北海道から買い付けて肥料商としても生長し、合資会社粕谷肥料部を設立して財界
人としても活躍した。後には山林を購入し、山林経営も行っている。
金蓮寺弥陀堂
建築の特徴からは鎌倉時代中期の築造とかんがえられている。深い軒と緩やかな屋根の曲線が美しい。
*昭和30年国宝指定 御朱印が独創的である。
幡頭神社の鳥居
本殿は天正8年(1580)の建築で桃山時代の様式を伝える。
華蔵寺のお庭
吉良義央公の木像は華蔵寺御影堂に先祖義安,義定像と並んで祀られている。忠臣蔵で有名な吉良
上野介義央50歳の姿を刻んだものといわれ、自ら彩色を施したと伝えられている。
*シルバーウイークの一日をゆっくり散策した後“私の庭”で、お茶の一時を過ごしました。
数年前に来たかな?今日はぜひ見学したいというお友達にくっついて参加しました。“吉良あないびとの会”
のボランティアガイドさんがこの地の歴史とロマンを案内してくれます。
ジョークも入れながら元校長先生だったガイドさんは、かなりお話上手。
粕谷家は江戸時代を通じて、この地方の大地主として、また地場産業であった木綿の江戸送りの総問屋として
栄えた旧家である。代々縫右衛門を名乗り、領主大河内松平家の御用達頭取として苗字帯刀を許されていた。
明治4年に13代当主となった重徳は、地域の実業家として、明治27年に銀行の頭取となったほか、鉄道にも大株主
として出資を行っている。
当時生産量が増大した鰊粕を北海道から買い付けて肥料商としても生長し、合資会社粕谷肥料部を設立して財界
人としても活躍した。後には山林を購入し、山林経営も行っている。
金蓮寺弥陀堂
建築の特徴からは鎌倉時代中期の築造とかんがえられている。深い軒と緩やかな屋根の曲線が美しい。
*昭和30年国宝指定 御朱印が独創的である。
幡頭神社の鳥居
本殿は天正8年(1580)の建築で桃山時代の様式を伝える。
華蔵寺のお庭
吉良義央公の木像は華蔵寺御影堂に先祖義安,義定像と並んで祀られている。忠臣蔵で有名な吉良
上野介義央50歳の姿を刻んだものといわれ、自ら彩色を施したと伝えられている。
*シルバーウイークの一日をゆっくり散策した後“私の庭”で、お茶の一時を過ごしました。