三宅研の長い日々

ひとつなぎの景観を求めて海に出た、三宅一味のロマンと感動あふれる冒険の物語

三宅研究室の皆様へ、

2009-03-28 | お知らせ・仕事
おばんです、Ohしだ です。

中途半端にちゅうぶらりんのまま明日旅立ちます。




3年生の皆さん、こんな先輩でごめーんね
Y人さんにたくさんいじめられ、
先生にたくさんしごかれて、
太くたくましく成長してください。




Y人さん、       ・・・。笑




M先生、本当にありがとうございました。
少しずつ形にして提出しに来ます。
まずは集計結果を・・・
・・・今年度もどうかよろしくお願いします




ではまた!





追伸、

寝る子は育つと言いますが、どうやら寝過ぎは良くないようです。

目に焼き付けておくとよいこと

2009-03-17 | ゼミ報告
最近更新が盛んになっている三宅研ブログの住人、H田Y人です。
あまり肩を張らずにゆっくりと脈々と続けていきたいものです。

今回の話題は、都市の変化を目に焼き付けて置くことです。

今、私は、盛岡の某所のある時代の都市形成過程について、
調べているのですが、本日その時代に生きていらっしゃった方に、
お話を聞くことができました。
今私が、調べている所の近くで働いていらっしゃったそうです。

時代が時代ですので、
非常に高齢の方だったのですが、
お話をしていただけました。
本当にありがとうございます。

その中で、私が暖めていた質問をしました。

「おばあさんがお仕事をしていた付近は、その時代に大きな開発があって、
大きく変わったと本に書いてありましたが、実際どうでしたか?」

「う~ん、あまり見てなかったからオラわがねのす(わからない)」

とのことでした。
私は、これを聞いたとき「そりゃあそうだよな~」と思いました。
実際かなり昔のことですし…
そこに生活しているだけで、
都市が変わっても「あー変わったなー」と思うくらいかもしれませんしね。
それは人それぞれだと思います。

ただ実際、この質問をして、
つくづく都市形成史の蓄積が少ないことを実感しました。
都市がどう造られてきたのか、やはり掴みづらい…
これをほんのほんの少しでも、道筋を立てることができたらいいですね。
それは、私が生きている間の課題になるかもしれません。

現実に戻ってみると、
今の盛岡も盛南開発によって、本当に都市内部は変わっています。
私自身、毎日変わるな~というくらいの感覚しかもっていませんでした。
やはり、どこがどう変わったのか?
それはなぜか?
現実に生きている間に少しでも蓄積して、
後世の方に何らかの分析をしてほしいですね。
私もその一助になれたらと思い、
今の盛南付近を目に焼きつけ、記録したいな~(希望ですが…)
と思いました。

年度末で、いろいろあると思いますが、頑張っていきましょい!!


住田企画『第二のふるさとできちゃいます』

2009-03-16 | 三宅研地域づくりの活動について
昼寝をして、とても元気なTはりです。


さる3月8~9日、住田町でグリーンツーリズムの企画を行いました

昨年5月くらいから暖めてきた企画です。
住田で何ができるか・したいかというところから考えてきました。
(実は、途中投げ出したくなることもありました。)
はじまりは住田町の人たちとの出会いでした。
行けば行くほど、いろんな方と出会えました。
本当にやさしい町だと思います。


今日は、2年生から私のもとへアンケートやレポートが届きました。
どうしても見たくてうずうずして、見てしまいました!
すみません。

本当に「うれしい!」の一言です!
住田の企画を引き続きやってみたいと言ってくれる子、
住田を絵で表現してくれた子・・・・・
あと、他の課程からも参加してくれた子にいたっては、
「自分の専攻していることを地域とリンクさせて考えられるようになりたい」
と言っていました。

私はこれはすごいことだと思います。
農学部には、いろんな専攻をしている人たちがいます。
(昆虫やら食品やら植物やら・・・いっぱーい)
そういう専攻の学生が地域と結びついていけたら変わっていくと思います。
そして学生も専攻を「地域とリンク」させていけたらより有意義な研究ができると思います。

こんな感想がでたこの企画に
私は花まるをつけたい気分です


料理もおいしくできたし、
蔵もきれいになりました!

個人的には住田の朝がすきだと感じました。
晴れてよかったー!

来週はお布団干しなどの片付けにいってきます

お知らせ!!

2009-03-10 | 三宅研地域づくりの活動について
おはようございます、H田Y人です。
本日の岩手日報の14面地域欄に三宅先生と三宅研の三年生が行なった、
住田での活動が記事になっておりましたので、
ぜひともチェックをよろしくお願いします!

三年生は、いろいろと忙しい中、地域によく出て行ってすばらしいです。
私も口ばかり動かさずに動く、三宅研の基本ですね。
そんな三年生には、我々(特に私)も見習うところ多しです。
今回は研究室のプチ自慢でした~★

歴史重視とは何か?

2009-03-05 | 三宅研究室
ご無沙汰しております、H田Y人です。
2009年2月28日(土)の朝日新聞33面に面白い記事がありましたので、要約してご紹介します。

「建築家対談『歴史重視』の危うさ指摘」
対談者
ドミニク・ペロー(建築家、パリの国立図書館などを設計)
大野秀敏(東京大学教授)

内容
 D・ペロー氏は「『歴史』は、都市に対して何もしないことへの言い訳に使われる。あるいは、管理可能な範囲にとどめておく理由に使われる可能性がある」と指摘し、大野氏もこれに賛成。そして大野氏は、景観面から厄介者扱いされがちな首都高速道路を例に挙げ、「明治、江戸は注目されるが、30~40年前の歴史は軽視されがち」と指摘し、「自己否定より、人工物も地形の一部として活用した方がいい」と主張している。今の社会では、比較的新しいモダニズム建築の保存が、進みにくい現状を指摘している。また、D・ペロー氏は、「建築家の役割は建物を造るというより、建物を通じて都市を変化させる手段を発見すること」と話している。最近の風潮についても「エコロジーに否定的なことを言うと、牢屋に入れられかねない」と言及している。二人の主張は、世間受けのよいことを言っているうちに、「現在」に対する「建築家の責任」を見失いかねないという危険を感じているということであった。


確かに、日本では多くが造っては壊しを繰り返してきた建築物ですが、30~40年前の建築物は、最近では全面的な改修or作り直しが行われるケースが目立ちます。私は、建築家ではないので、構造的なものなどについては主張できませんが、やはり「現在」を見失わないようにするには、きちんとした叙述が必要ではないかと思います。その建築物がどういった経緯で造られ、どういった人々の思いが詰まっているのか?それをきちんと伝えていく必要があります。そのことによって「現在」の建築物がどのくらい重要性を持つかが自明となってくるのではないでしょうか?D・ペロー氏と「『歴史』は管理可能な範囲にとどめておく理由に使われる可能性がある」主張していました。これはその通りだと思います。ただ、管理可能な範囲にとどめておくようにしたのも、現在の建築、特に都市計画の成果だと思います。これを管理可能な範囲を超えたものにするかどうか?または、管理というものではない新たな枠組みを造れるかどうか、今後の課題であるかと思います。付け加えておきたいのは、江戸や明治時代の建築物に比べて、「現在」(30~40年前)の建築物(特に公共物)は、社会の発展とともに加速度的に出来たものが多く、その労力や議論が十分に伝わっていない可能性があります。江戸や明治の建築物は、多くの人がその意味を語ることが出来るかもしれませんが、「現在」の建築物はそれがなかなか難しいかと思います。この叙述をどのようにしていくか?これが建築家ではない、我々に求められていることかもしれませんね。