三宅研の長い日々

ひとつなぎの景観を求めて海に出た、三宅一味のロマンと感動あふれる冒険の物語

歴史重視とは何か?

2009-03-05 | 三宅研究室
ご無沙汰しております、H田Y人です。
2009年2月28日(土)の朝日新聞33面に面白い記事がありましたので、要約してご紹介します。

「建築家対談『歴史重視』の危うさ指摘」
対談者
ドミニク・ペロー(建築家、パリの国立図書館などを設計)
大野秀敏(東京大学教授)

内容
 D・ペロー氏は「『歴史』は、都市に対して何もしないことへの言い訳に使われる。あるいは、管理可能な範囲にとどめておく理由に使われる可能性がある」と指摘し、大野氏もこれに賛成。そして大野氏は、景観面から厄介者扱いされがちな首都高速道路を例に挙げ、「明治、江戸は注目されるが、30~40年前の歴史は軽視されがち」と指摘し、「自己否定より、人工物も地形の一部として活用した方がいい」と主張している。今の社会では、比較的新しいモダニズム建築の保存が、進みにくい現状を指摘している。また、D・ペロー氏は、「建築家の役割は建物を造るというより、建物を通じて都市を変化させる手段を発見すること」と話している。最近の風潮についても「エコロジーに否定的なことを言うと、牢屋に入れられかねない」と言及している。二人の主張は、世間受けのよいことを言っているうちに、「現在」に対する「建築家の責任」を見失いかねないという危険を感じているということであった。


確かに、日本では多くが造っては壊しを繰り返してきた建築物ですが、30~40年前の建築物は、最近では全面的な改修or作り直しが行われるケースが目立ちます。私は、建築家ではないので、構造的なものなどについては主張できませんが、やはり「現在」を見失わないようにするには、きちんとした叙述が必要ではないかと思います。その建築物がどういった経緯で造られ、どういった人々の思いが詰まっているのか?それをきちんと伝えていく必要があります。そのことによって「現在」の建築物がどのくらい重要性を持つかが自明となってくるのではないでしょうか?D・ペロー氏と「『歴史』は管理可能な範囲にとどめておく理由に使われる可能性がある」主張していました。これはその通りだと思います。ただ、管理可能な範囲にとどめておくようにしたのも、現在の建築、特に都市計画の成果だと思います。これを管理可能な範囲を超えたものにするかどうか?または、管理というものではない新たな枠組みを造れるかどうか、今後の課題であるかと思います。付け加えておきたいのは、江戸や明治時代の建築物に比べて、「現在」(30~40年前)の建築物(特に公共物)は、社会の発展とともに加速度的に出来たものが多く、その労力や議論が十分に伝わっていない可能性があります。江戸や明治の建築物は、多くの人がその意味を語ることが出来るかもしれませんが、「現在」の建築物はそれがなかなか難しいかと思います。この叙述をどのようにしていくか?これが建築家ではない、我々に求められていることかもしれませんね。

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