(大)です。
今日はある授業のまとめ的な発表会がありました。
この授業で『環境リスク学~不安の海の羅針盤~』という本を読んだのですが、
おもしろかったです。
なんか「へぇ~。そういう考え方もあるのね~。」
という感じでおもしろかったです。
今も汚染米や産地偽装など
特に食に関する問題が次から次へと出てきますが、
著者の言う「リスク評価」という概念が日本に浸透するのは
まだまだ先のような気がします。
リスクを正しく評価するということは、問題の本質を正しく捉えるということです。たぶん。
マスコミに扇動され、
正しい情報を得ていないのに漠然とした不安だけが先行し、
「とにかくリスク(不安)をゼロにしてくれ!」
というのが今の日本世論の現状のように思います。
そして「そのリスク(不安)をとりあえずゼロにしましょうか」
と動いているのが物事を決めるエライ人達なのでしょう。
このことは前農相の「やかましい」発言に端的に表れているのだと思いますが、
本来ここで議論されるべきは
リスク(不安)をゼロにするのではなく、
本来のリスク(問題の本質)は何なのか、どの程度の影響なのか、
ということをいかに正しく評価するかなのです。
ということを著者は言ってるのだと思いますが、
「なるほどなぁ。」と私も感じました。
ですがこの考え方が日本に受け入れられるのは簡単ではないと思います。
いくら「汚染米も洗えば食べれるのよ、害は無いのよ」と言われても、
そのリスク評価が正しいとしても、
「微少でもリスク(被害)を与えた」という事実に対して世論は厳しい態度をとるのだと思います。
もちろん「リスク(不安)はなかなか消えない」というのもあると思いますが。
日本でリスク評価が受け入れられていない背景として、
環境問題に対してもですが
食の問題に対して日本人が過剰な反応を示しますが、
それは環境と食に対するこだわりがとても強いからだと思うのです。
リスクという計算上の事実より、
日本人は環境と食を守ることを大切に考えているからなのだと思います。
ここがリスク評価が浸透している米国との違いだと思います。
リスク評価は現在の日本の環境対策における常識のアンチテーゼとして
大変センセーショナルな概念であり(少なくとも私にとっては)、
最小の費用で最大の効果を得られる施策を打ち出すためには重要な指針となりますが、
「環境問題が不安」
「食の問題が不安」という
日本人の性格(心)も大切なのではないのかなぁ、と思いました。
某企業のキャッチフレーズにもありますが、
日本人は世界一環境や食に対して臆病で慎重な国民であって良いと思います。
と、頑張ってみましたが、
Yさんみたいな知的な文章はなかなか書けません
梁川はすっかり秋の装いです。
今日はある授業のまとめ的な発表会がありました。
この授業で『環境リスク学~不安の海の羅針盤~』という本を読んだのですが、
おもしろかったです。
なんか「へぇ~。そういう考え方もあるのね~。」
という感じでおもしろかったです。
今も汚染米や産地偽装など
特に食に関する問題が次から次へと出てきますが、
著者の言う「リスク評価」という概念が日本に浸透するのは
まだまだ先のような気がします。
リスクを正しく評価するということは、問題の本質を正しく捉えるということです。たぶん。
マスコミに扇動され、
正しい情報を得ていないのに漠然とした不安だけが先行し、
「とにかくリスク(不安)をゼロにしてくれ!」
というのが今の日本世論の現状のように思います。
そして「そのリスク(不安)をとりあえずゼロにしましょうか」
と動いているのが物事を決めるエライ人達なのでしょう。
このことは前農相の「やかましい」発言に端的に表れているのだと思いますが、
本来ここで議論されるべきは
リスク(不安)をゼロにするのではなく、
本来のリスク(問題の本質)は何なのか、どの程度の影響なのか、
ということをいかに正しく評価するかなのです。
ということを著者は言ってるのだと思いますが、
「なるほどなぁ。」と私も感じました。
ですがこの考え方が日本に受け入れられるのは簡単ではないと思います。
いくら「汚染米も洗えば食べれるのよ、害は無いのよ」と言われても、
そのリスク評価が正しいとしても、
「微少でもリスク(被害)を与えた」という事実に対して世論は厳しい態度をとるのだと思います。
もちろん「リスク(不安)はなかなか消えない」というのもあると思いますが。
日本でリスク評価が受け入れられていない背景として、
環境問題に対してもですが
食の問題に対して日本人が過剰な反応を示しますが、
それは環境と食に対するこだわりがとても強いからだと思うのです。
リスクという計算上の事実より、
日本人は環境と食を守ることを大切に考えているからなのだと思います。
ここがリスク評価が浸透している米国との違いだと思います。
リスク評価は現在の日本の環境対策における常識のアンチテーゼとして
大変センセーショナルな概念であり(少なくとも私にとっては)、
最小の費用で最大の効果を得られる施策を打ち出すためには重要な指針となりますが、
「環境問題が不安」
「食の問題が不安」という
日本人の性格(心)も大切なのではないのかなぁ、と思いました。
某企業のキャッチフレーズにもありますが、
日本人は世界一環境や食に対して臆病で慎重な国民であって良いと思います。
と、頑張ってみましたが、
Yさんみたいな知的な文章はなかなか書けません
梁川はすっかり秋の装いです。