三宅研の長い日々

ひとつなぎの景観を求めて海に出た、三宅一味のロマンと感動あふれる冒険の物語

No more War.

2008-12-10 | 課外活動
お久しぶりです、更新をサボっておりましたY人です。
最近は…
来る12月17日に修士研究の報告をポスターで発表するとのことで、
その準備に追われています。
しかも…英語でのポスター発表が求められております(泣)
他の学生は卒論を英語にして発表するそうです…
私の場合、修論と卒論は別のテーマですので、
修士の研究の経過を発表することになります。
非常に…何と言うか…
歴史系の研究を英語でかつ発表するのは気が引けますが、
必修科目ですので、やむを得ません。

いつも以上に英語に触れているため、
タイトルも英語にしました。
また前置きが長くなりました。

先日、戦中・戦後を題材にしたある映画(邦画)を見ました。
内容は…
軍事裁判によってB・C級戦犯がどのような処罰を受けたのか。
また、その戦犯の周辺ではどのような状況だったのか、を描いたものでした。
もう少し詳しく説明すると…
戦中に一般兵が上官命令によって、
アメリカ軍兵士を処罰しました。

戦後になり、
その案件が軍事裁判にかけられ、
命令を下した将校、上官、一般兵に絞首刑が言い渡されます。
戦時中は上官の命令は絶対で、
一般兵はその命令に従い、
アメリカ兵を処罰したのですが、
極刑が言い渡されます。

その後、
減刑を求めて戦犯になった家族が動くのですが…
(結論は映画館にてご覧下さい)

当時、日本は戦争に向かっていくにつれて、
「ぜいたくは敵だ」などと言った
「言葉」が先行し、国民が隣組などを通じて末端まで統制されていきます。
私は、こうした世の中が「形式」の世の中であると考えております。

うわさ、スローガンによって中身を精査しないまま動く…
つまり「形式」だと思うのです。
こうした世の中では、いわゆる理屈は通りません。
「欲しがりません勝つまでは…」であっても、
今考えると本当におかしなことです。
しかし、いくら理屈をこねても罷り通らないのです。

話がだいぶそれました、
今回見た映画も理屈が通らない世界だったのです。
軍事裁判においても、
アメリカ側には、
「上官の命令は天皇陛下の命令であり、絶対である」という概念が通じなかったのです。
(←あくまで当時の日本の話ですが…)
この理屈もおかしいですが、
アメリカ軍が軍事裁判の裁定に従って、刑を執行するという決定も、
法により定められた処置ということで、
減刑は認められません。(結論いかんに関わらず)

こうした「形式」が通る世の中が今日なりかけていないでしょうか?
具体的なものは、ご想像にお任せいたしますが…
「形式」を言うのは楽です。
其の通り生活するものある意味では楽です。
しかし、それに対して常に考えるのは大変ですし、
言論が許されないこともあるかもしれません。

それが、戦時体制を生みだした。
我々は今一度その意味を問い直すときが来ているのかもしれません。