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【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

俳句の表現法 ~切字「かな」の転換的用法~

2025年03月25日 23時58分49秒 | 俳句論

俳句の表現法 ~切字「かな」の転換的用法~

     永田満徳

「連体形+名詞かな」という表現は、比喩や擬人などと同じく、レトリックの一つと考えられるが、しかし、これまで何ら明確な名称を付けられていない。

「連体形+名詞かな」という句形には以下の俳句がある。

  田一枚植ゑて立ち去る柳かな     松尾 芭蕉

  さまざまの事おもひ出す桜かな    松尾 芭蕉

  遠山に日の当たりたる枯野かな    高浜 虚子

       武蔵野の空まさおなる落葉かな    水原秋桜子

  傘もつ手つめたくなりし牡丹かな      富安 風生

       道づれの一人はぐれしとんぼかな      久保田万太郎

  さしいれて手足つめたき花野かな   赤尾 兜子

  後ろにも髪脱け落つる山河かな    永田 耕衣

  生涯を恋にかけたる桜かな      鈴木真砂女

松尾芭蕉や高浜虚子の有名な句を知っている私にとって、「連体形+名詞かな」の句形は特に違和感なく、むしろ好んで使う句形である。

例えば、私の『肥後の城』という一句集の中で、

  象の鼻地に垂れてゐる残暑かな

  ペンギンのつんのめりゆく寒さかな

  ひたひたと闇の満ちくる螢かな

  じんわりと夜の迫り来る蜥蜴かな

  ペンシルの芯折れやすき夜学かな

なお、この句集は「文學の森大賞」を受賞したので、選考委員の方もこの句形に親しんでいたと言っても過言でない。

特に「阿蘇見ゆる丘まで歩く師走かな」は、坪内稔典氏も「李語刻々」(毎日新聞2021/12/14 東京朝刊)で普通に取り上げているので、何ら疑問を持つ句形ではない。

永田耕衣の句には「連体形+名詞」という別バージョンがある。

  近海に鯛睦み居る涅槃像

「涅槃像」は「涅槃かな」という表現も成り立つ。

現に中西亮太の「足振つてスリッパ脱ぎし涅槃かな」という俳句がある。

「連体形+名詞かな」は「二物仕立て」であっても「一句一章」である。

  みづうみの水のつめたき花野かな   日野 草城

  みづうみの水のつめたし

  花野

という二物の取合わせに対して、切字「かな」終助詞(やや強調)を持って来た場合は、「かな」は体言・連体形に付くので、

  みづうみの水のつめたき花野かな 

のように、「一句一章」の俳句になる。

さらに言えば、連用形で二物を繋げるやり方では、

  北斎の波の逆巻き寒戻る  満徳

があり、同じく「一句一章」の俳句となる。

ちなみに、普通は「二物仕立て」と言えば「二句一章」である。しかし、「二物仕立て」で「一句一章」という俳句は意外とある。

  夏草に機罐車の車輪来て止る 山口誓子

山口誓子の俳句は、「夏草」と「機罐車の車輪」という二つの言葉から成り立っていて、「一句一章」と言っても、「二物仕立て」である。

もちろん、「一物仕立て」の「連体形+名詞かな」の句形は本来の句形である。

  狙ひうちしたるやうなる夕立かな 

            「夕立」が狙ひうちする

  一点を見つめてゐたる案山子かな

            「案山子」が一点を見つめる

  首もたげ太古をのぞく蜥蜴かな 

            「蜥蜴」が首もたげ太古をのぞく

いずれも、『肥後の城』から抜き出した句であるが、「かな」が主語に付く「一物仕立て」の「一句一章」の句形は特に意味のずれはなく、特に問題はない。

今、問題にしているのは「二物仕立て」で「連体形+名詞かな」という句形である。

「二物仕立て」の「連体形+名詞かな」は、二物の言葉を繋げ、「切れ」を最後に持って来るとともに、感動の中心を表す切字「かな」を使いたい時にこの句形になるのである。

「二物仕立て」の「連体形+名詞かな」という句形を意識的に使っているのは岸本尚毅である。『舜』(花神社、1992年)から「連体形+名詞かな」の用法を拾ってみる。

  本あけて文字の少なき木槿かな  「文字」と「槿」

  久々に青空を見し秋刀魚かな   「青空」と「秋刀魚」

  避雷針高々とある海鼠かな    「羅針盤」と「海鼠」

「連体形+名詞かな」という句形は、一見無関係に思える、大胆な二物の言葉を取合せて、「切れ」を最後に持って来るため、または感動の中心を置きたいための切字「かな」を使う俳句表現法と言ってよい。

  手をつけて海のつめたき桜かな 岸本尚毅  『舜』所収

    「海」と「桜」という二物の取合せ

「手をつけて海のつめたき」と「桜かな」の関係を述べようとすると、例えば、若杉朋哉が「手をつけてみた春の海の冷たさと、そこから少し高いところに見える桜のひややかな美しさ」と鑑賞したように、二つの要素の対比、対照の効果として読み取るしかない。

しかし、両者の関係を敢えて意味として取ろうとすれば、別の言葉に言い換えるときに用いる「〜というところの〜」という言葉を補って読むと幾分理解出来る。 つまり、「 手をつけて海のつめたいというところの桜だな」という意味になる。

いずれにしても、「連体形+名詞かな」という句形は、「省略」というよりも、「転換」に近く、「句切れ」がなく、切字の「かな」で言い切ってしまう句法である。

従って、「切字『かな』の転換的用法」と名付け、下記のように定義する。

「かな」の転換的用法とは、二つの異なった二物仕立ての言葉を連体形によって繋ぎ、「かな」で言い切ってしまう俳句表現法である。

なお、攝津幸彦に

   路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 

という俳句あるが、「露地裏」、「夜汽車」、「金魚」というふうに、三つの物を取合せて、「一句一章」としている。

「路地裏を」の句もまた、「連体形+名詞かな」という句形を取っていて、切字「かな」の転換的用法の一つと数えていいだろう。


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