NPO法人 くまもと文化振興会
2016年3月15日発行
はじめての蓮田善明『有心』
~阿蘇で掴んだ「純粋な生」~
永田満徳
一 略歴
蓮田善明は、明治三十七年七月二十八日、熊本県鹿本郡植木町一四金蓮寺に、住職慈善の三男として生まれる。地元の植木尋常小学校から県立中学校済々黌に進学すると、級友の丸山学(元熊本商科大学学長)等と回覧雑誌を作って、短歌・俳句・詩を発表し、文芸に親しむようになる。広島高等師範学校時代には、生涯の師斎藤清衛教授から強い感化を受け、国文学研究の指針を見出し、新たに校内会雑誌に評論を書き始める。岐阜二中学校・諏訪中学校の各校で教えたのち、昭和八年四月、広島文理科大学(現、広島大学)国語国文学科に再入学、研究紀要『国文学試論』を創刊して、池田勉の言葉(「文芸文化」創刊の辞)を借りれば、〈古典精神〉への信従・顕彰に努力する。それは、台中商業学校から成城高等学校に転任したとき、『文芸文化』を創刊することによって本格的な活動となる。このときからわずか五年ほどの間に刊行された著書は、『鴎外の方法』『予言と回想』『本居宣長』『鴨長明』『神韻の文学』『古事紀学抄』『忠誠心とみやび』『花のひもとき』などがあり、死後には『有心』『陣中日記・をらびうた』などがある。これらの著書はいずれも、蓮田が成城高校在職のまま二度にわたって〈応召のさなか、肉体と血汐で探り当てた〉(小高根二郎)軍人にして文学者の思索の跡をとどめているものばかりである。
二 『有心』―純粋な生―
『有心』は、阿蘇の湯治場である宿に数日間宿泊したのち、阿蘇の火口を見るために登山を試み、火口の噴煙を目にしたところで終わる小説である。昭和十六年一月二十九日より一週間、阿蘇の中腹にある垂玉温泉に滞在した経験を踏まえている。
① 現実と自分との《ずれ》
阿蘇の温泉に赴くのは、「現実と自分との二枚の像が一寸ずれてゐてぴつたりと密着しない感じ」、つまり現実との違和感を覚え、静養をすることによって「体を作り直」すためである。蓮田善明が第一次応召で一年八カ月ぶりに帰還し、日本に上陸したとたんに、波止場で昏倒したという話からも類推できるが、〈死は文化だ〉と確認した戦場で培われた緊張の糸が内地の「もの倦い生活」によって断ち切られたことによる精神の変調だと考えられる。
② 『有心』の課題
ともあれ、この現実と自分との《ずれ》をどのように修復するかが『有心』の課題である。
その課題を解決するのに、散歩することもままならない狭い崖の上の宿は格好の場所だった。「火鉢に寄りついて、鉄瓶を眺めてゐるよりほかはなかつた」ところでの思索はもちろん自己の内部と向き合うこととなるが、しかしこの小説の「自分」はむしろ外部をよく観察し、精緻に分析する。この科学者的な眼差しに捉えられた物は徐々に現実と自分の関係を明らかにしていく。その一つが「障子」である。障子というものが外界と内界を隔てるものでありながら、内外の均衡を微妙に保っていることに気付く。それは「無」という概念にあやうく達するもので、現実と自分との関係について一つのヒントを得ることとなる。もう一つが浴客達の裸である。いうまでもなく、「皮膚」は障子における内と外との変奏である。浴客達の発育した肉体が「技巧の及び難い、天の作品であり、最も生きてゐる」のは、「天から与へられたものを純粋にはたらかせてゐる」からである。肉体それ自身が「純粋な生」そのものを謳歌しているようにみえる。この内と外を巡る思索の深化を手助けしているのが手遊びのために持ち込んだ鴨長明の「方丈記」やリルケの「ロダン」である。「方丈記」における隠遁が外界と関係を意識的に絶つことで、また「ロダン」における観察が外界の実体を浮かび上がらせることで、「純粋な生」といったものが導き出される。障子にしても、裸にしても、内と外を超越したところに、この「純粋な生の充ち溢れる」世界が現出することの暗喩である。
③ 「純粋な生」
要するに、「純粋な生」とは技巧を加えない、本然のままに生きる生を指す言葉である。「末梢的な感覚」におびやかされる〈都会〉から抜け出してこそ可能になる世界で、阿蘇という〈田舎〉にのみ見出される世界である。『有心』が〈田舎〉の発見というテーマを持った作品であることは注目していい。その〈田舎〉を体現しているのはあの若い女である。湯船の中で誰に気兼ねすることなく遊ぶこの娘はまことに天真爛漫という他はない。まもなくのこと、許婚の戦死の報を聞いて、誰憚ることなく嗚咽する娘の姿に、「不思議な調和」を感じるのはこの娘が「純粋な生」を生きることの手本を示してくれているからである。その泣声を聞いて、「布団を頭からかぶると、ぶるぶるふるへる唇を噛んで咽び泣いた」のはまさしく娘の「純粋な生」に促されたことによる。そして、その「涙を拭つた」あと、「何か大きな軽さをふと覚えた」のも当然といえば当然である。
④ 阿蘇登山―《ずれ》の修復
自分の内部に取り込まれた「純粋な生」が涙となってほとばしり出たときに、阿蘇登山を思い付くのである。「純粋な生」を受け付ける場所として、阿蘇の荒涼たる風景と「激しい」噴煙ほどふさわしいところはなかった。この〈激しさ〉は自分と呼応するものであり、ここに至って、完全に現実と自分との《ずれ》は修復されるのである。
⑤ 阿蘇登山と戦場の一致
とするならば、現実と自分との《ずれ》は「末梢的な感覚」を持ち込まないかたちで、戦場の緊張をそのまま内地に持ち込むことによって解決したことになる。阿蘇登山の途中で戦場での感慨に耽ることからも理解できる。第二次応召の慌ただしい車掌室の中で推敲し、筆を置いたこともこの小説で掴んだ「純粋な生」が戦場と直結していることの何よりの証拠である。こう考えて初めて、保田輿重郎の「この作品を読めば、彼の自殺は当然とも考えられる」という直感の鋭さに思い至ることができる。
⑥ 『有心』のユニークさ
従って、「観念小説とはまつたく別の発想において、抽象とか思想とかいふものがどういふ状態で生まれるかを描かうとしてゐる」という桶谷秀昭の指摘を参考にするならば、『有心』という小説は〈田舎〉に見出される「純粋の生」を思惟的に追求し、思想にまで高めた作品だといえる。そこに『有心』のユニークさがある。
(ながた みつのり/熊本近代文学研究会)