道形記更新情報

日記の樣に綴る、自身のペイジの更新情報

主ニ箒川ニ架ル鹽原町ノ拱橋等

2015-06-16 22:22:22 | 更新情報
  【矢板市平野 四郎兵衞橋】
  【鹽原町湯元鹽原 舊雄飛橋】
  【鹽原町鹽原 鹽湧橋】
  【鹽原町鹽原 遊園橋】

 今囘は八方箇原方面から廻つて鹽原入しました。
して、時間の關係で今囘は四本程しか囘る事が出來無かつたのであります。
も少し下調べをしてゐれば、もう一本バイパス側の橋も出來たのでせうが、此時は新しい橋だらうと思つて見向してゐなかつたと云ふ落ちであります。呵呵

 今囘の目玉は、矢張何と云つてもアヽチ橋でありますかね。
舊橋の痕跡が在る事や、肝心の竣功年を調べて居りましたら拱橋と表現すると云ふのが分つたのも收穫でありましたし、流石觀光地、繪葉書として手荒く古い時代の物が殘つてゐるのも流石と云ひますか、驚きでありました。

 後、其にしましても元の温泉街の廢れ方は時代、と云ふ處でありますかね。
廢墟、と云つては失禮かな、廢業してゐる處多數と云つた感じでありまして、冩眞は何點か撮つたのでありますが、使ふのは憚れましたのでそつと仕舞つて措く事に致しました。

 して、冩眞でありますが、栃木縣道五六號線の鹽原側、短い廢道部分であります。
距離的にも二百米程度でありますので、ほぼ此冩眞だけで濟んで仕舞樣な處でありますので、此所で使ふ事に致しました。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。

宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道等

2015-06-02 19:34:11 | 更新情報
  【宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【其一】】
  【宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【其二】】
  【宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【其三】】
  【宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【其四】】
  【宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【其五】】
  【宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【其六】】
  【宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【其七】】
  【宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【其八】】
  【宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【其九】】
  【宇都宮市鐺山町-市貝町赤羽 國道一ニ三號(水戸北街道)舊、舊々道 【最終囘】】
  【芳賀町與能 大橋】
  【芳賀町與能 名稱不明橋】
  【芳賀町祖母井 穴川橋】
  【2675年 6月 2日 御負】

 以前に宇都宮驛近邊や鬼怒橋界隈で遣りました水戸北街道の續きであります。
此時は續き、茂木町の端迄次は遣らうと思つて居りましたが、一寸今は橋中心に考へが變はつて來ましたので、此續きは遣るか如何かは氣分次第に成つて仕舞ました。呵呵

 して、冩眞でありますが、今囘の始點に向ふ道すがらに見附た農機具の看板であります。
間違無く戰前物だと思ふのでありますが、手荒く状態が良い儘に殘つて居りました事が驚きであります。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。

主ニ鹽田川、鮎田川ニ架ル茂木町ノ橋等

2015-06-01 17:49:14 | 更新情報
  【茂木町鹽田 稻屋橋】
  【茂木町鹽田 木橋二本】
  【茂木町鹽田 人母地橋】
  【茂木町小井戸 名稱不明橋 【二】】
  【茂木町鮎田 鮎田橋】
  【茂木町福手 福手橋】
  【茂木町福手 藤谷津橋】
  【茂木福手 福手下橋】
  【茂木町鮎田 掛澤橋】
  【茂木町鮎田 餘洲橋】
  【茂木町鮎田 仲根橋】
  【茂木町鮎田 廢可動堰】

 今囘は基本的に鮎田川方面を輕く廻る積りでありました。
が、蓋を開けて見れば御覽の有樣であります。呵呵

 併し昭和卅年代、と云ひますか西暦1960年代の物件が多いでありますね。
多分之は全國的にもさうなのでせうが、高度經濟成長期に改修されてゐる處が多い樣な氣が致します。
して、舊橋の痕跡が何かしら殘つてゐる處は面白いでありますね、わくわく致します。
で以て、個人的には廢可動堰が素晴しい姿で大好きであります。

 因に冩眞でありますが、藤谷津橋の袂に在つた標識、と云ふのか何と云つて良いのか、何の、何處の意圖で設置されてゐるのか不明な標識であります。


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