道形記更新情報

日記の樣に綴る、自身のペイジの更新情報

主ニ大内川ニ架ル馬頭町ノ橋

2017-05-30 22:22:22 | 更新情報
  【馬頭町大内 中平橋】
  【馬頭町大内 瀧澤橋】
  【馬頭町大内 高那地橋】
  【馬頭町大内 木戸橋】
  【馬頭町大内 上木戸橋】
  【馬頭町大那地 大月橋】

 今囘は自動車で巡りました。

 まあ此方も面白い物件が散見され、特に銘板や主桁、仕上が特徴的な中平橋であります。
之は橋好きならば一見の價値は確實に有ると思はれます。
大東亞戰爭後十年以上經つてゐると云ふのに斯うかい、と云ひ度く成る、或る意味藝術的ですらある物件でありますから。

 他には、如何にも橋らしい橋木戸橋や、戰前物件の上木戸橋が好きであります。

 因に冩眞でありますが、瀧澤橋の傍に在つた石碑であります。
何が書かれてゐるのか、一寸判讀困難なのでありますが、多分明治期の物では無いかなと思ひ撮つて見ました。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。

矢又川ニ架ル馬頭町ノ橋

2017-05-23 23:23:23 | 更新情報
  【馬頭町矢又 靜橋】
  【馬頭町矢又 押野橋】
  【馬頭町矢又 名稱不明橋二本】

 いやあ、今回の探訪は辛かつたであります。

  馬頭町へは自轉車を持つて行き、交通量の少いであらう道を行かうと思ひ漕出した途端、手荒く登る道で息切し、倒れるのでは無いかと云ふ思ひを致しました。
自轉車に乘るのは一年少々振りだと云ふのに、道程の選定に失敗したと云ふ感じでありましたよ。

 まあ其な此なゝ道中で見た橋は斯う云ふ具合であります。
途中他に何本か結構、否、多分其也の年代の農用道橋も見掛度のでありますが、何共年代判定も微妙でありましたし、其処迄では無いと思ひ没に致しました。

 因に写真でありますが、多分名稱不明橋二本の近辺の国道二九三号の道端に並んでゐた馬頭観世音石碑群であります。
明治から昭和初期に掛ての物、と云つた處であります。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。

安積疏水界隈

2017-05-02 21:26:35 | 更新情報
  【福島縣郡山市 麓山ノ瀧ト電動揚水機等】
  【河東町八田-豬苗代町翁澤 十六橋】
  【福島縣河東町-豬苗代町 十六橋水門ト、フアン・ドオルン氏ノ銅像等】

 今囘は郡山在住の親友に案内して貰つて見て來ました。

 最初は和氣藹々と麓山ノ瀧を見てゐたのでありますが、自動車で國道四九號を進むに從ひ、何と無く空氣がぽやつと白く變化してゐる事に氣附、十六橋水門に着いた時には確實に何人も居るなと分つたのであります。

 さう、戊辰戰爭の戰地だつた處が其處彼處に在る譯であります。

 幸ひにも拙は元々幕府側の人々に好印象の樣でありますし、其御蔭で白虎隊の御靈何人かとは交流が御坐いますので好意的に迎へられて居りますが、冩眞の何枚かは今見ても總毛立致しますので、冩つては居りませんが、氣配は捉へてゐるのは間違無いと思ひます。

 して、歸路、磐梯熱海温泉に在つた水路橋の眼鏡橋を見る段階に成り、保存の願ひ不叶撤去の憂目に遭つたと拙が申しました處、親友が手荒く殘念がつて居りました。
其時に、つい政府側は未だ薩長閥が強い云々と拙が云つて仕舞つた物でありますから、其處からは自分の先祖は伊達藩や三春藩の侍に慘殺され度から始まり、戊辰戰爭の話、たつた百五十年程度では人の恨みは消える物では無い等と大變でありましたつけ。

 其でも郡山の人間は未だマシで、會津はもつと手が附られ無いと云はれたのでありますが、拙からしますれば何方も御手上と云ふ感じでありましたよ。

 まあ、其時に拙は伊達藩の人間の血を引いてゐるのだけれど如何するか尋ねた處、君は君だから關係無いと云つて呉れたのは嬉しかつた、と云ふか、何か時間軸が色々とアレな感じで面白くも有り複雜でも有つたと云ふのが正直な感想でありました。

 まあ其は措いとゐて、安積疏水、特に十六橋水門の方は敬虔な氣持で見に行つた方が良い物件であります。
冩眞を見ても何も無いとは思ひますが、若も氣分が惡く成る樣な事が御坐いましたら、早急に頁を閉じる事を御勸め致します。

 因に、冩眞は親友の役得で堂々と御邪魔出來た安積疏水土地改良區事務所であります。
此處の敷地内に結構重要な物が在るのであります。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。