【日光市宮小來川 鍛冶屋橋】
【日光市宮小來川 小沢橋】
【日光市宮小來川 鹽ノ原橋】
【日光市東小來川 中界地橋】
【日光市東小來川 新谷高橋】
【日光市東小來川 名稱不明橋】
【日光市東小來川 峠下橋】
雨が降るかも知れ無いので輕く下見の積りが、しつかりと遣つて來ました。
何と無く出掛度いと思ひ、だつたらと東黒川界隈の下見だけでもと思ひ出掛ました。
現地に着く頃から輕く降出したのでありますが、最後の頃には本降に成つて仕舞ました。
が、偶には雨天時の冩眞も良いだらうと思ひ、豫定してゐた處は全て巡りました。
嗚呼、因に記事的には巡つた逆順から書きました。
其方が黒川關連として見易いかなと思ひまして。
して今囘の一番は矢張鹽ノ原橋でして、次いで鍛冶屋橋であります。
他も大好きな昭和卅年代物件勢揃ひと云ふ感じなのでありますが、戰前物件と色々と不思議な組合はせの物件には惹かれる物が御坐います。
扠、冩眞でありますが、新谷高橋から四百米程栃木縣道十四號線を今市方面へ進んだ所の、多分地名から黒下橋と云ふのだと思ふのでありますが、其橋であります。
如何にも昭和四十年前半頃でせうと云ふ初期のガアドレイル高欄、區別のし方はガアドレイル及袖ビイムの形状、柱への取附方法等、なのでありますが、調べました處昭和四七年竣功の橋でありましたので、頁の方では沒にした橋であります。
同じく二の澤橋と云ふ物が近邊に在るのでありますが、其方も同年の竣功でありましたので沒と相成ました。
まあ、其な事は何時もの事なのでアレでありますが、此方の更新記録で使へる素材としては有難い物であります。呵呵
本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。
【日光市宮小來川 小沢橋】
【日光市宮小來川 鹽ノ原橋】
【日光市東小來川 中界地橋】
【日光市東小來川 新谷高橋】
【日光市東小來川 名稱不明橋】
【日光市東小來川 峠下橋】
雨が降るかも知れ無いので輕く下見の積りが、しつかりと遣つて來ました。
何と無く出掛度いと思ひ、だつたらと東黒川界隈の下見だけでもと思ひ出掛ました。
現地に着く頃から輕く降出したのでありますが、最後の頃には本降に成つて仕舞ました。
が、偶には雨天時の冩眞も良いだらうと思ひ、豫定してゐた處は全て巡りました。
嗚呼、因に記事的には巡つた逆順から書きました。
其方が黒川關連として見易いかなと思ひまして。
して今囘の一番は矢張鹽ノ原橋でして、次いで鍛冶屋橋であります。
他も大好きな昭和卅年代物件勢揃ひと云ふ感じなのでありますが、戰前物件と色々と不思議な組合はせの物件には惹かれる物が御坐います。
扠、冩眞でありますが、新谷高橋から四百米程栃木縣道十四號線を今市方面へ進んだ所の、多分地名から黒下橋と云ふのだと思ふのでありますが、其橋であります。
如何にも昭和四十年前半頃でせうと云ふ初期のガアドレイル高欄、區別のし方はガアドレイル及袖ビイムの形状、柱への取附方法等、なのでありますが、調べました處昭和四七年竣功の橋でありましたので、頁の方では沒にした橋であります。
同じく二の澤橋と云ふ物が近邊に在るのでありますが、其方も同年の竣功でありましたので沒と相成ました。
まあ、其な事は何時もの事なのでアレでありますが、此方の更新記録で使へる素材としては有難い物であります。呵呵
本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。