道形記更新情報

日記の樣に綴る、自身のペイジの更新情報

主ニ木須川、八反田川ニ架ル茂木町ノ橋等

2015-05-12 17:09:24 | 更新情報
  【茂木町馬門 渡戸橋】
  【茂木町後郷 名稱不明橋】
  【茂木町小井戸 名稱不明橋 【一】】
  【茂木町牧野-小深 白帆橋】
  【茂木町牧野-小深 合戸橋】
  【茂木町入郷 鹽澤橋】
  【茂木町入郷 中島橋】
  【茂木町山内 舊反所橋跡】
  【茂木町山内 木之元橋】
  【茂木町山内 明所橋】
  【茂木町山内 大橋】
  【茂木町山内 無名木橋】
  【茂木町山内 甲橋】
  【茂木町山内 名稱不明橋】
  【茂木町牧野-小深 木須川ノ洞門】

 今囘は自動車で廻りました。

 して、最初に考へてゐた依りも實際に現地に行つて見ますと、殊の外結構な年代の物件が多かつたと云ふ感じであります。
良い意味で云へば古き良き時代の風景、惡く云へば其時から餘變はつてゐ無いと云ふ事なのでありますが、交通量が増加し度り人口が増加する事だけが正義だとは到底思へませんので、安定した生活が持續してゐると云ふ點で良い事だと思ひます。

 扨、今囘見所としましては、矢張昭和十一年の鹽澤橋でせうか。
後、舊反所橋跡の豪快さも好きであります。

 因に冩眞でありますが、渡戸橋の傍に在りました馬頭尊の石碑三體であります。
二體しか寫つてゐ無いでは無いかと云はれさうでありますが、左端にほんの一寸だけ寫つてゐるのが三體目であります。

 して、右端のが文政十三年、西暦にしますと1830年、十九世紀物件でありました。
文政と云ひますと十一代將軍徳川家齊公の頃でありますね。
もう何と云ひますか、字體から何から素晴し過ぎます。
隣の物は缺損してゐ度り風化してゐ度りで判讀不能でありましたが、左端の物は昭和十年の物でありました。
之で土臺が混凝土では無く、後側の電柱を支へる鐡索が無ければ江戸當時と氣分的に同じ景色が樂しめたのかなと思ひましたが、其は仕方無い處でありますね。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。