道形記更新情報

日記の樣に綴る、自身のペイジの更新情報

落穗拾ヒ的ニ氏家町、矢板市ノ橋

2015-10-20 18:18:18 | 更新情報
  【氏家町松島 松島橋】
  【矢板市荒井 中橋】
  【矢板市荒井 木戸嵜橋】

 今囘は丁度良い機會が無く見逃してゐた荒川に架る氏家町の松島橋と、見落してゐた内川に架る矢板市の橋二本であります。

 此時は自轉車で出掛度のでありますが、途中で變速機からチエンが内側に脱落して仕舞、其を一旦直すも何故か直に同樣の症状に見廻れ、結構時間を喰はれて仕舞つたので、後一本程豫定してゐたのでありますが、止む無く歸路に就きました。
でも不思議でありましたのは、其後歸路では同樣の操作をしても一切同樣の症状は出ませんでしたので、多分其儘行つてゐ度ら何かしら遭つたのかも知れません。

 さう思へば、神の御加護で大難を小難に變へて戴けたと云ふ事で、手荒く有難い事であります。

 冩眞でありますが、木戸嵜橋の先で見た水路橋であります。
十分理に適つて居りますが、修繕すると成つたら大變だらうなと、ふと思つて仕舞ました。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。

主ニ武茂川ニ架ル馬頭町、黒羽町ノ橋等

2015-10-19 20:20:20 | 更新情報
  【馬頭町大山田下郷 大河内橋】
  【馬頭町大山田下郷 丸山橋】
  【馬頭町大山田下郷 和田橋】
  【馬頭町大山田下郷 觀音堂橋】
  【馬頭町大山田上郷 舊原川橋跡】
  【馬頭町大山田上郷 舊西川橋跡】
  【馬頭町大山田上郷 反田橋】
  【馬頭町大山田上郷 阿津ヶ平橋】
  【黒羽町須佐木 舊池口橋跡】
  【黒羽町須佐木-雲岩寺 三和橋】
  【黒羽町雲岩寺 舊獨木橋】
  【黒羽町雲岩寺 瑞雲橋】
  【黒羽町雲岩寺 涅槃橋】
  【黒羽町雲岩寺 梅船橋】
  【黒羽町雲岩寺 加良美上橋】
  【黒羽町雲岩寺 名稱不明橋】
  【黒羽町南方 下蛇木橋】
  【黒羽町南方 上蛇木橋】
  【黒羽町南方 大橋】
  【黒羽町南方 山籟橋】
  【黒羽町南方 七代橋】
  【2675年 10月 19日 御負】

 今囘は武茂川沿を遡る樣な形で國道四六一號から栃木縣道三二一號線、同廿八號線の不通區間手前迄を見て來ました。

 いやあ、素敵な年代の橋が一杯御坐いますね。
之で全てを見たと云ふ譯では無く、未だ未だ見落しも在るとは思ひますが、不取敢今囘は此な感じであります。

 因に冩眞でありますが、雲巖寺の反對側、駐車場奧に在ります雲岩寺公民館に公衆便所から向へる道なのでありますが、若かして古道なのでは無いのかなと思ひ撮つて見た、と云ふ物であります。
まあ多分違ふとは思ひますが、若もさうで此所を松尾芭蕉が通つたかも知れ無いと思ふと中々に風情を感じられる樣な氣が致します。呵呵


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。

輕ク眞岡市内ノ橋探訪

2015-10-06 21:23:47 | 更新情報
  【眞岡市田町 靜風橋】
  【眞岡市荒町 妹内橋】
  【眞岡市八木岡 國鐡眞岡線跨線橋】

 今囘は三箇所だけであります。

 自轉車で自宅から眞岡市に行き、最初は縣境迄五行川を遣らうと思つたのでありますが、往路の途中から右膝が痛く成つて仕舞まして、無理は禁物と思ひ、之だけにて撤收した次第であります。

 まあ、向風だつたと云ふのも理由の一つでは御坐いました。
でも、御約束通り歸路に成つたら矢張向風に成つて仕舞つたのでありますがね。
御蔭で手荒く大變でありました。

 扨、冩眞でありますが、多分芳賀町で何處だつたかは失念致しましたが、五行川で見掛た謎の混凝土構造物であります。
多分何かの舊橋の橋脚跡だらうとは思ふのでありますが、周圍に橋が無かつた事から、さうだと斷定出來無いのが殘念であります。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。

主ニ武茂川、大内川、盛谷川ニ架ル馬頭町ノ橋

2015-10-05 20:21:22 | 更新情報
  【馬頭町馬頭 古館橋】
  【馬頭町馬頭 舊前山橋跡】
  【馬頭町健武 舊藤澤橋跡】
  【馬頭町健武 名稱不明橋】
  【馬頭町健武 大鳥橋】
  【馬頭町健武 舊新橋跡】
  【馬頭町大内 今平橋】
  【馬頭町大内 馬坂橋】
  【馬頭町大内 舊大内橋跡】
  【馬頭町大内-谷川 舊小金澤橋跡】
  【馬頭町盛泉 一二橋】
  【馬頭町盛泉 荒屋橋】
  【馬頭町盛泉 保之内橋】
  【馬頭町盛泉 大黒橋】

 今囘は馬頭町中心部から茨城縣の大子方面の縣境迄を自動車と自轉車で巡つて來ました。
廣い處に自動車を置いて、狹い處を自轉車で巡つたと云ふ感じであります。

 まあ良かつたであります。
戰前物件や其と思しき跡、昭和廿年代物件等目白押しでありましたから。
然し其で歩き過ぎ、と云ふ程でも無かつたとは思ふのでありますが、兩足小指が靴擦起しまして、氣附度らひりひりと痛んで居りました。

 餘長靴で歩き續ける物では御坐いませんね。呵呵

 冩眞でありますが、大鳥橋の舊橋へ向ふ道の袂に在る道祖神であります。
今は個人宅、私有地でありますので許可無く立入禁止、と云ふか嚴禁でありますが、色々と御話を伺つて居りました處、御好意で拜見させて戴きました。
ネツト上で公開する事も御了承戴いて居りますので、是非共思ひ載せた次第であります。
唯、建立された時代は文字が判讀困難な状態でありましたので不明でありますが、多分江戸時代、遲く共明治大正頃迄の物かと思はれます。

 御好意で見せて下さつた御近所の方、彼の時は大變御世話に成りました。
有難う御坐いました。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。