藤末議員と言う方の「最近の余りにも株主を重視しすぎた風潮」という言葉が、経済の専門家をはじめとする人たちの批判を浴びてる様子。
株主至上主義って?-経済学101
公開会社法が日本を滅ぼす-池田信夫blog part2
議員の表現の枝葉末節が批判されてるようだが、これはちょっと残念。
専門家を称する人は、「専門的にはこれが正しいんです。あなたは間違ってます」と言うのではなく、彼の感覚的な表現の、根本の問題意識に答えようとしてくれれば良いのに、と思った。
そもそも、彼の言う「最近の余りにも株主を重視しすぎた風潮」、そしてそれを問題だ、と思う感覚自体は、至極まっとうじゃないのか。
(問題は「会社公開法」はそれ必ずしもその解にならない、ということだと思うが)
まず「最近の余りにも株主を重視しすぎた風潮」というところだが、ここでは比較対象は、他の欧米諸国と比べてるんではなく、「日本の昔に比べて」ってことを言ってるのだと思う。
(流石に、アングロサクソンに比べて、日本企業が株主を重視してると言える人はいない)
歴史を見てみる。
例えば、1970~80年代には、日本では優良大手企業でさえ利益率5%以下が普通だったのが、現在の企業経営ではROEと利益率が神様みたいに崇められてる。
これは「株主を重視しすぎる風潮」と言わずしてどう説明するか。
当時の日本企業は「効率が悪かった」のだろうか?
極端な議論かもしれないが、良いものを安く売ることで消費者に還元していた、とはいえないか。
多少コストが高くなっても、簡単に従業員をクビにせず、たくさん雇っていたのは、従業員に還元していた、とはいえないか。
米国の「優良企業」のように30%も営業利益を取るかわりに、5%以下に抑えて、消費者や従業員のためにはなっていたのではないか。
そもそも企業の利益率が高くて、一体誰が喜ぶかをよく考えると、利益から法人税を取れる自治体以外は、そこから配当を得られる、もしくは株価向上が見込める株主だけじゃないのか?
(多少関係するのは、格付けによる社債など資金調達の容易さだけだが、メインバンクからの負債中心の当時の日本型企業にはほとんど関係なかった)
ROEが高くて誰が喜ぶのか?株主だけじゃないのか?
「株主価値の最大化」が現在、世界標準で、企業が当然目指すべき姿、とされてるのは確かだ。
日本企業はそれに向けて、株主価値の最大化を実現する方向にシフトしている。
もちろん日本の経営の「株主意識率」がアングロサクソンに比べまだまだ低いのは認めるが、以前に比べ極端に意識しなくてはならなくなったのは、、まず事実ではないか。
その結果、多くの企業の経営者が株価や株式総額を気にする余り、市場に説明できないような長期的な投資が出来ない、と悩んでる。
利益率のみ考慮する余り、大量のリストラをしなくてはならなくなったことを悩んでいる。
株主が専門家でも技術の目利きでもなく、多くが短期的な利益を享受することを目的とした投資家である場合、特に悩みは深い。
「日本の企業って、昔はもっと従業員やお客様を大事にしてたんじゃないのかなぁ・・・
それなのに、今は企業が短期的に利益を上げることだけ考えろって言われてる気がする。
それって得するの、株主だけだよね・・ これって本当に正しい方向なんだろうか?」
「株主価値経営が当然だっていうけど、本当に株主だけなのかなあ?
企業って従業員も取引先もお客様も大事だし、ひいては社会的な使命をもってるんじゃないのかなあ」
こういうぼやきが、今の世の中で、実際に企業経営に誠実に携わっている人の、率直な感想じゃないかと思う。
別に経済学や経営学の知識で武装しなくても。
多分、漠然と株主主権が問題、と思ってるのは藤末議員だけじゃない。
で、こういう直感的な疑問「会社は誰のものなの?」に、まさにドンピシャ答えてくれる本があるので、ご紹介したい。
(漸く本題・・)
会社はこれからどうなるのか (平凡社ライブラリー い 32-1) 岩井 克人 平凡社 このアイテムの詳細を見る |
MITで経済学博士号を取ったあと、東大経済学部で教鞭をとっている岩井克人先生の本。
岩井先生は、日本型の従業員を大切にする「会社」が、アメリカ型の株主主権論とは相容れない存在であることを、各国の資本主義の歴史と企業史を紐解きながら説明する。
日本企業は「株式会社」であっても、歴史的には株主のための会社では全く無かったのだ。
ところが、90年代に入ってから、アメリカ型の株主主権論を受け入れざるを得ない形になっている。
それから、別に「株式会社」は法的にも株主のモノでも何でもなく、「社会の公器」であることをわかりやすい法理論で解説する。
1980年代、日本企業が絶頂だったころは、学会でもアメリカ型の「株主主権」論が正しいのか、日本型の「会社共同体」が理想の会社の形態なのか、大論争があったという。
現在の学会では、絶対のように見られているアメリカ型の株主主権論(これは藤本議員の言う「株主至上主義」に対応していると言っても良い)が当たり前になったのは、実は90年代に入ってからのこと。
それすら、現在の米国では疑問視され始めている。
資本主義の歴史を紐解いた最後には、21世紀のポスト産業資本主義に最も適切な会社形態は、
少なくとも株主のものではなく、従来型の日本型経営と会社システムを改良した、より従業員を大切にするタイプのものではないか、と説いている。
簡単に書くと、ポスト産業資本主義で最も大切になるのは、新しい知識や情報を常に生み出せる人的資産である。
その人的資産を採用し、育て、つなぎとめ続けられる企業が、長期的に成長することが可能だ。
そのために必要なのは、株主の方を見た経営ではなく、従業員に目を向け、従業員が離れにくい文化と制度を有する経営。
それは、株主主権では実現できない、という話だ。
こういうことが、歴史的事例に補足されながら、次々と明らかにされていくのがとてもキモチの良い本だ。
「会社は誰のものであるべきなの?」「本当に株主のものなの?」という疑問を持ってるならオススメ。
「会社は誰のものか?」というのは自明な問いでもなんでもない。
「株主のものだ!」などと思考停止せず、かといって、かつての日本型経営を偲ぶ懐古主義にも陥らず、
岩井先生の本のように、これからの経済に適した企業経営のあり方は、誰を主体としたものか?と考えることで、日本企業の今後のあり方が見えてくるんじゃないか、と思っている。
私もLilacさんの意見に賛成です。
私の意見ですが、欧米では、株主至上主義と長期的な戦略を練ることのバランスがとれていると思います。
しかし、日本は、そのバランス感覚があまりにもなさ過ぎるように感じます。
理念などを吸収せずに、欧米などの戦略テクニックだけを利用するせいで、欧米スタイルになれないんだと思います。欧米スタイルが必ずしも良いとは限りませんが。
アジアでは、欧米スタイルは文化的に馴染みにくいと思います。(韓国などは除きますが)
私は80年代からサラリーマンをやってきており「日本型経営」の会社も外資系企業も見てきていますが、そも「従来型の日本型経営」なるものが、社員や消費者にとってよりよいものであったとは思っていません。
消費者への価格メリットはもちろん、消費者サービスも当時より現在の方法がずっと洗練され、改善されているように思います。コールセンターが各県に分散していたような時代のほうがサービスが良かったと本気で思っているのでしょうか。もしそうだとしたら、「その時代を知らなかっただけ」なのではないですか?
大体、銀行の株価が全部500円だった護送船団の時代に戻れるわけがありませんし、この種の世迷いごとを言っているのは企業活動の実態を知らない人に多いような気がするんですよね。
>アジアでは、欧米スタイルは文化的に馴染みにくい
実態を見ている立場から言わせてもらえば、中国人もインド人もかなり資本主義的だと思います。
この言い方自体が上から目線で、危機感の薄さを表している気がするんですよね。
しかしこういう視点で考えるのも面白いですね。ただ単に株主至上主義かどうかだけで考えるよりも深い議論ができて良いです。
この手の議論は論理的に正しいとかどうこうより感覚の問題だと思います.一人勝ちを推奨するのかみんなの幸せを優先するのか.
進化システムでは利他的行動を許容しませんが,やはり人間たるもの利他的に動くことがあっても良いじゃないですか.
まずはアメリカあたりからでしょうが・・
その人的資産を採用し、育て、つなぎとめ続けられる企業が、長期的に成長することが可能だ。
そのために必要なのは、株主の方を見た経営ではなく、従業員に目を向け、従業員が離れにくい文化と制度を有する経営」
まさに仰るとおりだと思います。
一方、組織・人事コンサルタントの立場から申し上げますと、「新しい知識や情報を常に生み出せる人的資産」に適切に報いようという姿勢に関しては、米国を中心とする欧米企業の方がよく考えられていると思います。
金銭的報酬、非金銭的報酬、福利厚生や柔軟な労働環境など"Total Reward"という概念は、欧米企業のほうが(はるかに)進んでいるといえるでしょう。
また、人材開発やサクセッションプランなどの育成プログラムも寄り専門的に行われていると思います。
すなわち、「従業員を大切にする」という方法論が、「人材の質に応じてメリハリをつける」というもの「概ねすべての人材を底上げする」という違いがあるだけで、欧米企業が決して「従業員を大切にしていない」というわけではないと考えます。
データの見方にもよると思いますが、労働分配率についても米国と日本でそれほど大きな違いがあるとは思えません。
日本総研「先進国における労働分配率の動向」
http://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/research/pdf/2525.pdf
※労働分配率の変動が大きいのは、業績の変動に対する人件費の連動性が低いためと思われます。
昔の日本の会社こそ、もっと従業員にリターンすべきだったはずです。
自明でしょう。起業家は、どういうインセンティブで起業するのでしょうか。起業家のインセンティブに対する考察が全く抜けてるよね。
起業家が苦労して起こした会社が従業員のものだと言われるなら、誰がリスクとってビジネスを始めるの。それぐらいのこと考えられないのかね、スローンに行っていて。
これからの会社は、従業員の人的資産がモノをいう時代?今までだってそうですよ。そして、従業員の力は手段。目的は、顧客の創造。従業員の給与は利益からの配分ではないですよね。だから、人的能力にふさわしい市場価値を払わないと来てくれないですよ。利益が出たら、自分と同じようにリスクを取ってくれている株主に配分するのは当然でしょう。
出来上がった企業を想定して話をしているが、重要なのは起業するところではないのかな。
日本のように、起業する人がいなくなっていることが衰微の一番の兆候ですよ。古い、賞味期限が来ているような企業ばかりの日本が、サステイナブルなはずがない。
しかも藤末とか言うノータリンが喚くように、企業を日本から追い出すことが労働者の為だと思い込んでいる。試験の偏差値等糞の役にも立たない適例ですね。