ダイエーはユニクロよりすごかった…
「消滅」で蘇った鮮烈な記憶
2014.12.8 15:19コメント
【けいざい徒然草】

写真:東京のダイエー店舗で
消費税還元セールをPRする中内功氏=平成10年
故・中内功氏が創業し、一時は連結売上高3兆円超の流通帝国に成長したものの、
拡大主義が行き詰まって凋落(ちょうらく)したダイエー。
かつてのライバルだったイオンの傘下となったうえ、
赤字続きの経営状態から早期に脱却するため
平成27年1月1日付でイオンの完全子会社化となり、
食品特化の店舗として再生を目指すことを決めた。
約半世紀にわたって親しまれた店名も30年度をめどに
イオン系列のブランドに転換されるが、
その進取の気風にあふれた商魂は
消費者の記憶に刻まれている。
(栗川喜典)

写真:上場会社として最後となったダイエーの株主総会会場に向かう株主ら。
イオン主導で現在の店名もなくなることに不満も聞かれた
=11月26日、神戸市中央区
■ダイエーらしさ
「ダイエーのプライベートブランド(自主企画商品、PB)の『セービング』の食品が
イオン系列の別ブランドに代わってから、全然おいしくない」
イオンによるダイエーの完全子会社化に伴い、
ダイエー株とイオン株との株式交換契約の承認を得るため、
神戸市内で11月26日に開かれたダイエーの臨時株主総会。
株主680人が出席する中、質問に立った男性株主は
辛辣(しんらつ)な口調で、イオン主導によって
「総合食品小売業」に特化するという
ダイエーの行く末に懸念を示した。
また、別の女性株主は、今はなきダイエーグループの会員制ディスカウントストア
「Kou,S(コウズ)」のような店舗の復活を望み、
「ダイエーで買い物するのが好きだった」と懐かしんだ。
ただ、こうした株主らの発言を単にノスタルジーとは片付けられない。
メーカー既製品より安くておいしいPBの先(せん)鞭(べん)をつけた「セービング」も、
店舗のコストを極力抑えて卸に近い価格で販売した「コウズ」のような斬新な店舗も、
かつてのダイエーが消費者を引きつけた進取の気風を象徴しているからだ。
■飽くなき商魂
記者(栗川)が流通業界を取材していた
平成9~10年ごろ、ダイエーはバブル経済の崩壊と
7年に発生した阪神大震災以降の景気低迷に見舞われていたとはいえ、
傘下にホテルやプロ野球チーム、飲食チェーンなどを抱える流通帝国として君臨していた。
当時、中内氏は会長兼社長として多忙を極めていたにもかかわらず、
大阪での決算発表などに経営トップとして進んで姿を見せ、
大阪市内にオープンさせた傘下のインテリア専門店を誇らしげに視察に訪れた際なども、
われわれ取材陣は肉声を聞き逃すまいと群がったものだ。
規模拡大をテコに、大量仕入れと効率的な物流システムで
「いいものをどんどん安く」提供した中内氏。
高度成長期にはこれが奏功し、
ダイエーを小売業トップに押し上げた。
印象的な商品がある。
大手商社と共同開発し、国交のない北朝鮮で縫製した紳士用ビジネススーツだ。
国産の軽くてしわになりにくい生地を使いながら、
1万円未満の価格を実現した。
記者室に実物を持ち込んでPRする広報担当者は
流通ルートについては言葉を濁したが、
中国経由で生地を持ち込んだとみられる飽くなき商魂に驚かされた。
やがて、北朝鮮製のスーツは
他のスーパーや紳士服チェーンにも広がった。
ただ、そうした“サプライズ”は話題になったものの、
消費者から「安いが、欲しいものは何もない」との声も聞かれるようになり、
売り上げは次第に低迷。拡大主義によって膨らんだ2兆円超の負債も
経営を圧迫するようになった。
決算発表で業績低迷について「営業力に欠けていた」と漏らすようになった中内氏からは、
「売り上げは全てを癒やす」と拡大に突き進んだ手法が
通用しなくなった時代に戸惑う心境もうかがえた。

写真:隆盛を誇ったころのダイエーのロゴマーク。
現在は別のものだが、いずれ店名もなくなる運命だ
■名を捨て存続図れるか
ダイエーは元味の素社長の鳥羽董(ただす)氏を社長に迎えて再生計画に着手したが、
資産売却などのリストラを急ぎすぎた鳥羽氏は中内氏と対立。
グループ企業の株式売却益を得ていたことも問題となり、
平成12年に辞任した。
中内氏も後に経営責任を取って取締役を退任し、
17年9月に脳梗塞のため死去。
ダイエーは16年の産業再生機構入りを経てイオンの“軍門”に下った。
そのイオンはダイエー以外にも経営破綻したヤオハンやマイカルを傘下に収め、
26年2月期の連結売上高は国内流通業で初めて
6兆円を突破するまでになった。
拡大志向のビジネスがかつてのライバルだったイオンで結実した半面、
自ら築いた流通帝国を象徴する屋号がなくなることに、
泉下の中内氏の胸中はいかばかりだろうか。
臨時株主総会でダイエーの村井正平社長は、
衣料や家電なども扱う総合スーパーのままでは
インターネット通販やドラッグストア、
コンビニエンスストアなどとの競争に勝てないとして、
首都圏と京阪神を中心に食品への特化で再生させる考えを力説した。
しかし、総会の終了後、神戸市内の女性株主(67)は
自宅から徒歩10分圏内に10店もスーパーがひしめく現状を挙げ、
「価格に敏感な主婦から見ると、
ダイエーの商品には高いものもある」と厳しい目を向けた。
中内氏が飽くなき商魂で築いたかつての流通帝国を想起させる店名さえ一新し、
企業としての存続を図ろうとするダイエー。
その戦略の成否が見えるのは、そう遠くない。
通算20年近く大阪経済部で取材してきた記者(栗川)がつづる
「けいざい徒然草」。企業の栄枯盛衰や経済人の言動などから、
現在に通じる教訓などを探ります。
http://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/141208/ecn14120815190012-n1.html
「消滅」で蘇った鮮烈な記憶
2014.12.8 15:19コメント
【けいざい徒然草】

写真:東京のダイエー店舗で
消費税還元セールをPRする中内功氏=平成10年
故・中内功氏が創業し、一時は連結売上高3兆円超の流通帝国に成長したものの、
拡大主義が行き詰まって凋落(ちょうらく)したダイエー。
かつてのライバルだったイオンの傘下となったうえ、
赤字続きの経営状態から早期に脱却するため
平成27年1月1日付でイオンの完全子会社化となり、
食品特化の店舗として再生を目指すことを決めた。
約半世紀にわたって親しまれた店名も30年度をめどに
イオン系列のブランドに転換されるが、
その進取の気風にあふれた商魂は
消費者の記憶に刻まれている。
(栗川喜典)

写真:上場会社として最後となったダイエーの株主総会会場に向かう株主ら。
イオン主導で現在の店名もなくなることに不満も聞かれた
=11月26日、神戸市中央区
■ダイエーらしさ
「ダイエーのプライベートブランド(自主企画商品、PB)の『セービング』の食品が
イオン系列の別ブランドに代わってから、全然おいしくない」
イオンによるダイエーの完全子会社化に伴い、
ダイエー株とイオン株との株式交換契約の承認を得るため、
神戸市内で11月26日に開かれたダイエーの臨時株主総会。
株主680人が出席する中、質問に立った男性株主は
辛辣(しんらつ)な口調で、イオン主導によって
「総合食品小売業」に特化するという
ダイエーの行く末に懸念を示した。
また、別の女性株主は、今はなきダイエーグループの会員制ディスカウントストア
「Kou,S(コウズ)」のような店舗の復活を望み、
「ダイエーで買い物するのが好きだった」と懐かしんだ。
ただ、こうした株主らの発言を単にノスタルジーとは片付けられない。
メーカー既製品より安くておいしいPBの先(せん)鞭(べん)をつけた「セービング」も、
店舗のコストを極力抑えて卸に近い価格で販売した「コウズ」のような斬新な店舗も、
かつてのダイエーが消費者を引きつけた進取の気風を象徴しているからだ。
■飽くなき商魂
記者(栗川)が流通業界を取材していた
平成9~10年ごろ、ダイエーはバブル経済の崩壊と
7年に発生した阪神大震災以降の景気低迷に見舞われていたとはいえ、
傘下にホテルやプロ野球チーム、飲食チェーンなどを抱える流通帝国として君臨していた。
当時、中内氏は会長兼社長として多忙を極めていたにもかかわらず、
大阪での決算発表などに経営トップとして進んで姿を見せ、
大阪市内にオープンさせた傘下のインテリア専門店を誇らしげに視察に訪れた際なども、
われわれ取材陣は肉声を聞き逃すまいと群がったものだ。
規模拡大をテコに、大量仕入れと効率的な物流システムで
「いいものをどんどん安く」提供した中内氏。
高度成長期にはこれが奏功し、
ダイエーを小売業トップに押し上げた。
印象的な商品がある。
大手商社と共同開発し、国交のない北朝鮮で縫製した紳士用ビジネススーツだ。
国産の軽くてしわになりにくい生地を使いながら、
1万円未満の価格を実現した。
記者室に実物を持ち込んでPRする広報担当者は
流通ルートについては言葉を濁したが、
中国経由で生地を持ち込んだとみられる飽くなき商魂に驚かされた。
やがて、北朝鮮製のスーツは
他のスーパーや紳士服チェーンにも広がった。
ただ、そうした“サプライズ”は話題になったものの、
消費者から「安いが、欲しいものは何もない」との声も聞かれるようになり、
売り上げは次第に低迷。拡大主義によって膨らんだ2兆円超の負債も
経営を圧迫するようになった。
決算発表で業績低迷について「営業力に欠けていた」と漏らすようになった中内氏からは、
「売り上げは全てを癒やす」と拡大に突き進んだ手法が
通用しなくなった時代に戸惑う心境もうかがえた。

写真:隆盛を誇ったころのダイエーのロゴマーク。
現在は別のものだが、いずれ店名もなくなる運命だ
■名を捨て存続図れるか
ダイエーは元味の素社長の鳥羽董(ただす)氏を社長に迎えて再生計画に着手したが、
資産売却などのリストラを急ぎすぎた鳥羽氏は中内氏と対立。
グループ企業の株式売却益を得ていたことも問題となり、
平成12年に辞任した。
中内氏も後に経営責任を取って取締役を退任し、
17年9月に脳梗塞のため死去。
ダイエーは16年の産業再生機構入りを経てイオンの“軍門”に下った。
そのイオンはダイエー以外にも経営破綻したヤオハンやマイカルを傘下に収め、
26年2月期の連結売上高は国内流通業で初めて
6兆円を突破するまでになった。
拡大志向のビジネスがかつてのライバルだったイオンで結実した半面、
自ら築いた流通帝国を象徴する屋号がなくなることに、
泉下の中内氏の胸中はいかばかりだろうか。
臨時株主総会でダイエーの村井正平社長は、
衣料や家電なども扱う総合スーパーのままでは
インターネット通販やドラッグストア、
コンビニエンスストアなどとの競争に勝てないとして、
首都圏と京阪神を中心に食品への特化で再生させる考えを力説した。
しかし、総会の終了後、神戸市内の女性株主(67)は
自宅から徒歩10分圏内に10店もスーパーがひしめく現状を挙げ、
「価格に敏感な主婦から見ると、
ダイエーの商品には高いものもある」と厳しい目を向けた。
中内氏が飽くなき商魂で築いたかつての流通帝国を想起させる店名さえ一新し、
企業としての存続を図ろうとするダイエー。
その戦略の成否が見えるのは、そう遠くない。
通算20年近く大阪経済部で取材してきた記者(栗川)がつづる
「けいざい徒然草」。企業の栄枯盛衰や経済人の言動などから、
現在に通じる教訓などを探ります。
http://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/141208/ecn14120815190012-n1.html