スタッフのブログから
農的若衆宿2011春の感想の抜粋です。
先週に比べて、農園の草木のみどりがぐっと濃くなった気がする
5月は夏野菜の植え付け時
社会人女子区画にはかぼちゃのための棚がつくられ、苗が植えられた
お昼のあと農園をまわりながら
今植わっているものとこれから植えるもの、育っていくだろうものを確認
今年のサバイバルキャンプでは料理担当なので
この若衆は、それを意識しながら料理をした
夏野菜の収穫とそれで何を料理しようかって考えるのが、今のたのしみ
その合間に
カオスだった調味料の箱の中と、鍋・ボール・調理器具の整理をする
井戸場のスポンジを置くとこも、なめくじの這わないようにしたいな…
たぶんわたしがこの夏一番いる場所だから
自分の使いやすさに考えをめぐらす
いつだか先生が
「ボールやラケットが使い慣れてくると、自分の体の延長のように感じてくるように
自分にとって農園はそんな存在。」と言っていた
わたしにとっても、農園は随分と手さきつま先の延長になった気がしていたのだけど
細部にまで気がまわっていなくてまだまだ、と思う
http://nijiirosakana.jugem.jp/?eid=97
いつかの手さきつま先の話を思い出した
「農園て気づくとどこかしらが変わってるんだよね」
としずかが言ってた
農園も使う人によって、変わっていく
動的な場所なんだなあ、とあらためておもった
強くなる日差しとその前の日に降った雨とで
野菜がすくすく育つ 雑草もすくすく育つ
百姓先生の栗原さんと坂本さんが夏の雑草とのたたかいに備えて
刈払い機と三角鍬を教えてくれる
夜は夏のサバイバルキャンプに向けての勉強会
農園にかかわる人びとのなかで、作物を育てて、食べて
何かを感じて、語り合って、動く
そういうつながりのなかでどう生きていくのかをみんなで話した
“それぞれにとっての農園”は共感できる部分も、新しいと思う見方もあった
わたしは、3.11のあと農園が自分の「現場」だってことを
もっと意識するようになった
農園に通い、つたないながらも作物を育てていることで
震災の被害でも、原発事故でも、農業に関係することについて気になるし
知ろうとおもうし、見えてくるものがあった
そういう切り取り方がわたしはできたから
漠然と「被害があって可哀想」とか「よく分からないけどこわい」とか感じるのではなく
自分なりに調べたり考えられたことがあるなあと思った
3.11後の時間のなかで「サバイバルキャンプ」という名前のイベントをやる意味を考えつつ
サバイバルキャンプで深まること、ひろがることにわくわくしている
両角千尋
白いきりん