気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

責任と意志

2015-12-06 11:43:50 | 日記

先週職場で、仕込み用の切った肉を入れるビニール袋を捜していた時の事。
2キロの肉を入れるから大き目の袋がないかなーと捜していたら
「そんなビニール袋に入れないで、元の肉が入っていた袋に入れなさい」
といつものように横から注意された。
「肉を切って」と指示した人は別の若い女性で、「(衛生面で)ビニールに入れて」といつも注意されるし、
横から注意して来る女性は私よりも年配で「私が言わなくて誰が言う」といつも口をはさむ人。

言われた通りにビニールはやめて、元の袋に入れていたけど
前にも二人が同じ事で揉めていたのを目にしていたので
若い彼女にも事情を話したら「そうですよ!前からそうなってますよ!」と呆れた顔をされた。
私は「えー!!?前と話が違うよー!??」と思ったけど、彼女はもろ感情が顔に出る人で、
要領の悪い私の行動がいつもイライラさせるみたいなので、二人が同じ意見ならと従った。
多分彼女は在庫のしまい方と勘違いして言っていたのかもしれない。
入りたての頃、何も解らなくて言われるまま全部ビニールに入れなくちゃと勘違いして
在庫の肉もビニール袋に入れて冷凍していたから。
結局、これも私が何も考えずにやっていた結果が自分に返って来たに過ぎないのだろう。

でも元の袋は堅いし脂肪でぬるぬるして、終わった後の軽い結びが出来なくて
またそこで私はモタモタして「結び辛いよ~」と別の女性に言ってたら
「いいからビニールに入れ替えて結んだら(早くして)」とその人に言われた。
私は指示されたのと違った事をして、また彼女達を怒らせるのが嫌だったので
そのままモタツキながら元の袋に入れて仕出し用の冷蔵庫にしまった。
でもこのシーンが、何故か凄く気になっていた。

昨夜テレビで、ある女性の再現ドラマをやってた。
宗教に盲信して子宮筋腫になっても言われるまま切らずにいたら、
どんどん症状が酷くなり、その事を友人に言われて
初めて盲信してた宗教に疑問を抱く。
でもはっきりと確信が持てなくて、最後にこれでもダメならという気持ちで合宿に参加したら
病気が治るどころかノロウィルスにかかってしまい
大変な思いを経験して目が覚めた、という話。

昨夜見た時は気付かなかったけど、今朝起きて思った。
あれは、私の事でもあったんだなと納得出来た。

言われるまま何の疑問も抱かずに、言われた通りに指示に従う自分。
それは相手の嫌な顔を見たくないという弱い気持ちと、責任は取りたくないという逃げ。
それがノロウィルスでもあるんだなと思った。

実は、元の肉が入ってた袋では結び辛いなと思っていた時
輪ゴムで縛ろうかなとも思った。
でも切っている時に私の左手が長い時間肉に触れてて
もしそこで菌が発生してたら、密閉状態で菌やウイルスを増やしてしまう事になると思った。
それに「軽く結んで冷蔵庫へ」という決まりとは別ルートが出来てしまう。
多分いろんなことをやった結果が「軽く結んで冷蔵庫へ」という決まりになったのだろう。

そう考えたら、自分で考えて自分の意志で動くことが私には必要だったと振り返って解った。
食品を扱う上でこれからは特に気を付けないといけない時機でもある。
その処理をやったのは自分だと自信を持って言える「責任」が自分に欠けていたなと思った。
元の袋は私の知らない状態で入っているものだからこそ、それを再利用するのは避けたい。
もったいないからとビニール袋のお金を惜しんで営業停止にでもなったら、それこそ本末転倒だ。
そしてその責任は「それを行う自分」にあるからこそ、ちゃんと自分で考えて行動しなくてはいけないと思った。

「新人だから、何も知らないから、なんでも言われた通にやる」は、もうそろそろ卒業の時期で
短いけど積み重ねてきたこれまでの三ヶ月の経験がある。
それで見えてきたものもたくさんあるから、そこを考えながら
これからは自分のやり方を模索していこうと思った。

 

 

コメント
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