今朝見た夢が、ちょっと異質だった。
あれはどこの世界なんだろ?と言うような、変な世界(笑)
どちらかと言うと私が望まない世界観で、所謂「犠牲」とか「間引き」みたいな。
そんな世界が目の前で繰り広げられてて、それを見せられていた。
私が「間引きかー・・・」と呟いたら、近くにいた老婆さんがそれを肯定していた。
そうしないと強く育たないみたいな?
私はその言葉に「でも納得いかない」と言っていて、それで目が覚めた。
起きて考えた。
納得できないなら、そこから私が去ればいいだけの話なのだけど。
その老婆さんに対して、夢の中でやはり私は何か言いたげだった。
ここが自由への介入になるのか。。。
その老婆さんの現実でそれが起きているだけであって、私はそれを見ている側。
それは私の現実ではないのだからと、そこから去ればいいだけなのだ。
それに巻き込まれいる人たちは自分の現実が別にあるのだけど、それに気付かずに巻き込まれいる。
その人たちが老婆さんの世界に入り込んでいるに過ぎないのだ。
老婆さんが作ったゲームの世界にログインして体験しているみたいな。
老婆さんのゲームは辛いからとログアウトして別の世界に行けるのに、その世界しかないと思い込んでいる。
私が老婆さんに自分の考えを押し付けようとしたのも、この辛い世界を変えたいと思ったから。
でも、それは老婆さんの作った世界だから、変えられるのは老婆さんだけなのだ。
ここに大きな原因があると思う。
私たちはこの世界が一つの世界で、この世界しかないと思い込んでいる。
みんなが繋がりあって一緒に存在してるから、人に迷惑をかけちゃいけないよと善悪論が出来る。
そして「そんなのおかしいよ!」と相手を非難したりする。
相手は相手で自分の考えがあるから対立が発生する。
一つの世界をみんながどうにかしようとしているけど、それは変な話なのだ。
人の数だけ考えがあるのだから、一つの世界をどうにか出来るものでもない。
一つの世界しか知らないと言う事に問題があると思った。
別の世界が存在するなんて教えて貰っていないと言うのが正しいかも。
本当は人の数だけ世界が存在するし、選択の度に増えていく。
一人の人生でいろんな選択があって、その分岐点で別れた道たち。
それがパラレルワールド。
自分が歩いている本線は一本だけど、選ばなかった道も別の世界で存在している。
それが人の数だけある。
そう言う風に今は解釈している。
だから夢の中の私が「そこから離れる」を選んだら別の道が本線になるし、選ばないで相手と言い合ったら相手の世界にいる私が本線になるのかな。
でもいつでもそこから離れることは出来るし、自分の現実は自分が作っている。
そこを忘れなければどこに居ても自分の現実は変えられるから大丈夫なんだろう。
いや、今朝の夢は深いな。。。(笑)
例え話でいうと、レストラン。
老婆さんがやってる「とびっきり辛い料理で有名なお店」に私が行った。
そこで出された料理が私は苦手だったので、普通はお店を変えればいいだけの話。
夢の中で私はその料理に「これはちょっと・・・」と店主に言いががりをつけようとしていた。
それが自由への介入でもあるんだね。
「とびっきり辛い料理で有名なお店」と謳っていたのに私が入ったのだから。
私は自分の好みの店を別に探して、そこに行って楽しめばいいだけだ。
老婆さんのお店で同じように「辛いの苦手」と涙ぐんでいる人も、その店しか知らないから辛いの苦手だけどお腹空くからと言って泣きながら食べるんだよね。
私が出て行ったら、他にも店があるの?出れるんだ?って、そうやって気づくのかもしれないね。
みな、自分の現実を自分で作れるというイメージがどんどん広がったら、世界は一つじゃない(TVで見ている世界と自分の現実は違う)と気づいていくのかもしれないね。
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