峠の常連さんの中に、小松さんの片腕とも見えたTさんがいました。
もちろんお仕事をされていたので、毎回峠で会うと云うのでは
ありませんでしたが、かなりの確率で、お会いする事が多かったです。
その頃はマイカー規制もなくて、上高地の駐車場に車を置けた時代でした。
峠へ行く日が合致したり、帰りが一緒だったりした時に幾度かTさんの
車に乗せていただいたことがありました。
ある行きがけの時は、明神の辺りで、舞い散る柳絮を手に受けながら
「初夏の雪だなあ」と云っていました。
峠への道に入ってしばらく沢に沿って歩いている時、缶ジュースを取り出し、
「ここに冷やしておいて、帰りに飲もうや」と、
沢の淀んだ場所に沈めておいてくれたり・・・。
峠での事はたくさん思い出となって残っています。
そうそう、帰りの車の中で、坂巻温泉の近くの隧道をぬけた頃、右手の
山の木々の間に見える滝も教えていただきました。
「雲間の滝って云ってさ~、秩父宮様が“雲間から落つる滝だ”
と云って名付けたそうだぞ」と。
私の結婚が決まった秋、今の主人と乗鞍へ登ったのです。
その頃Tさんは、ある山荘をまかされていたので、お寄りしました。
たしか、スパゲティーのナポリタンを作ってくださったのを記憶しています。
その後、乗鞍に山荘を持たれて営業されている旨の年賀状を
いただいたりしていましたが、この20年ほどは、すっかり疎遠になっていました。
でも、柳絮の舞う頃になると、“初夏の雪”を東京で思い浮かべ、
上高地を訪れる時などは、必ず雲間の滝に目を移していました。
楽しかった峠での日を思い出す時、きっと小松さんとTさんが心に出て来るのです。
今回、乗鞍だわ~、Tさんの所どこかなぁ~?と思いつつ歩いている時、
ある山荘で、私の目が一人の人をとらえていました。登山靴を履いて、
庭を歩いている男の方です。でもTさんではありませんでした。
たまたま目が合ってしまったので、
「すみません、こちらTさんの山荘ではないでしょうか?」と、
声をかけてみました。
すると、その方がそうだ、とうなずかれるのです。
一瞬、ええ~!こんな偶然てあるのかしら~!と思いつつ
「Tさんいらっしゃいますか~?」と聞いてみました。
すると下にいると云うのです!!
下へはどこから行けば・・・などとためらっていると、建物の中から
一人の女性が出てみえました。
「Tですが・・・」とおっしゃるので、
「ご主人いらっしゃいますか?」とおききすると、
「私が主人ですが・・・」と云う答え。
今度は姓でなく名を尋ねてみました。
「峠でお世話になった○○と云いますが、Nさんはいらっしゃいませんか?」と。
すると、斜面を上がって来られたその女性が、
「○○さんのお名前は存じておりますよ。主人は10年前に亡くなりました」とおっしゃるのです。
「えっ、えー!」一瞬私は言葉を失いかけました。
「ご病気だったのですか?」と、立ち入った事をお尋ねしましたら、
「事故でした。原因不明の事故だったんですよ」とのこと。
その後、事故の事など奥様が話して下さいました。Tさんにとって
不本意な亡くなり方であったであろうと思いつつお聞きしておりました。
帰りのバスの時間がせまっていて、落ち着いてお話ができず、Tさんに
お線香もあげられないままに、心残りなお別れをして来てしまいました。
奥様は他県の方で、絵画の方に秀でた方。峠の常連のお一人で、お噂は
よく伺っていたのですが、峠でお会いすることはありませんでした。
ここで再び『邂逅の山』を開き、手塚さんの文章をお借りする事に・・・。
~私たちは生まれながらにして、すでに限られた星霜を生きている者
でしかない、ならば今日そして明日、明後日のいくつかの偶然、
さまざまな奇遇を意味深く胸に留め、おろそかにすることは決して
できないと思うのだ。~
Tさん10年も知らずにいて本当にごめんなさい。
もう、決してお顔を見ることはできないのですね。
お酒を酌み交わしながら、ああだった、こうだった・・・と
峠での事をなつかしくお話しできる日は、もう来ないのですね。
もちろんお仕事をされていたので、毎回峠で会うと云うのでは
ありませんでしたが、かなりの確率で、お会いする事が多かったです。
その頃はマイカー規制もなくて、上高地の駐車場に車を置けた時代でした。
峠へ行く日が合致したり、帰りが一緒だったりした時に幾度かTさんの
車に乗せていただいたことがありました。
ある行きがけの時は、明神の辺りで、舞い散る柳絮を手に受けながら
「初夏の雪だなあ」と云っていました。
峠への道に入ってしばらく沢に沿って歩いている時、缶ジュースを取り出し、
「ここに冷やしておいて、帰りに飲もうや」と、
沢の淀んだ場所に沈めておいてくれたり・・・。
峠での事はたくさん思い出となって残っています。
そうそう、帰りの車の中で、坂巻温泉の近くの隧道をぬけた頃、右手の
山の木々の間に見える滝も教えていただきました。
「雲間の滝って云ってさ~、秩父宮様が“雲間から落つる滝だ”
と云って名付けたそうだぞ」と。
私の結婚が決まった秋、今の主人と乗鞍へ登ったのです。
その頃Tさんは、ある山荘をまかされていたので、お寄りしました。
たしか、スパゲティーのナポリタンを作ってくださったのを記憶しています。
その後、乗鞍に山荘を持たれて営業されている旨の年賀状を
いただいたりしていましたが、この20年ほどは、すっかり疎遠になっていました。
でも、柳絮の舞う頃になると、“初夏の雪”を東京で思い浮かべ、
上高地を訪れる時などは、必ず雲間の滝に目を移していました。
楽しかった峠での日を思い出す時、きっと小松さんとTさんが心に出て来るのです。
今回、乗鞍だわ~、Tさんの所どこかなぁ~?と思いつつ歩いている時、
ある山荘で、私の目が一人の人をとらえていました。登山靴を履いて、
庭を歩いている男の方です。でもTさんではありませんでした。
たまたま目が合ってしまったので、
「すみません、こちらTさんの山荘ではないでしょうか?」と、
声をかけてみました。
すると、その方がそうだ、とうなずかれるのです。
一瞬、ええ~!こんな偶然てあるのかしら~!と思いつつ
「Tさんいらっしゃいますか~?」と聞いてみました。
すると下にいると云うのです!!
下へはどこから行けば・・・などとためらっていると、建物の中から
一人の女性が出てみえました。
「Tですが・・・」とおっしゃるので、
「ご主人いらっしゃいますか?」とおききすると、
「私が主人ですが・・・」と云う答え。
今度は姓でなく名を尋ねてみました。
「峠でお世話になった○○と云いますが、Nさんはいらっしゃいませんか?」と。
すると、斜面を上がって来られたその女性が、
「○○さんのお名前は存じておりますよ。主人は10年前に亡くなりました」とおっしゃるのです。
「えっ、えー!」一瞬私は言葉を失いかけました。
「ご病気だったのですか?」と、立ち入った事をお尋ねしましたら、
「事故でした。原因不明の事故だったんですよ」とのこと。
その後、事故の事など奥様が話して下さいました。Tさんにとって
不本意な亡くなり方であったであろうと思いつつお聞きしておりました。
帰りのバスの時間がせまっていて、落ち着いてお話ができず、Tさんに
お線香もあげられないままに、心残りなお別れをして来てしまいました。
奥様は他県の方で、絵画の方に秀でた方。峠の常連のお一人で、お噂は
よく伺っていたのですが、峠でお会いすることはありませんでした。
ここで再び『邂逅の山』を開き、手塚さんの文章をお借りする事に・・・。
~私たちは生まれながらにして、すでに限られた星霜を生きている者
でしかない、ならば今日そして明日、明後日のいくつかの偶然、
さまざまな奇遇を意味深く胸に留め、おろそかにすることは決して
できないと思うのだ。~
Tさん10年も知らずにいて本当にごめんなさい。
もう、決してお顔を見ることはできないのですね。
お酒を酌み交わしながら、ああだった、こうだった・・・と
峠での事をなつかしくお話しできる日は、もう来ないのですね。