宝島 真藤順丈 本土復帰前の沖縄を駆け抜けた破天荒な青春群像

小説はふだん、あまり読まない。昨年はじめ、直木賞を受賞して話題になった本書も、1年以上積ん読の状態だった。作者には申し訳ない。しかし、540頁に及ぶ長編ながら読み始めると滅法面白く、1日半で読み終えてしまった。時代は沖縄が「鉄の暴風」と呼ばれる太平洋戦争最後の日米決戦の悲惨な舞台となり、県民の4人に1人が犠牲になった敗戦後、サンフランシスコ講和条約の成立で、米軍の直接軍政から琉球政府の民政へと移行した1952年から本土復帰直前の72年まで。米軍の苛烈な支配と基地の重圧の中で、したたかにそして懸命に生き抜いた若者たちの物語だ。それが亜熱帯の美しい自然と青く澄んだ海の描写を織り交ぜ、傷つきながらもたくましく生きる若者たちの青春が鮮やかに描き出される。
全体は3部構成だ。第一部は1952年から54年の「リュウキュウの青」。第二部は1958年から63年の「悪霊の踊るシマ」。第三部は1965年から72年にかけての「センカアギヤーの帰還」。群像劇だが、主要な登場人物は戦果アギヤーのリーダー・オンちゃん20歳。その親友グスク19歳、オンちゃんの弟レイ17歳。そこにオンちゃんを慕う18歳のヤマコが加わる。戦果アギヤーとは敗戦後、島の至る所にある米軍基地に侵入し、食料や医薬品など倉庫内の物資を盗み出したグループのことだ。米軍の手を焼かせたが、地元警察は取り締まりに消極的だったようで、中には奪った品物を貧しい人々に配る義賊のようなグループもあり、島では強大な支配者の米軍に歯向かう痛快な存在として英雄視されることもあった。
1952年のある日、戦果アギヤーがこの日の目標に定めたのは極東最大の嘉手納空軍基地だった。基地の倉庫に忍び込み、さまざまな物資を奪い取ってこようとする大胆きわまりない企てだった。広大な基地だけに近隣のグループからも応援を得て10人あまりの集団で襲撃を試みる。だが、相手は世界最強の米軍。近隣の基地で同様の被害が相次いだことから、警備を強化していた。侵入者たちはすぐMP(憲兵)や警備兵に見つかり、広い基地内を懸命に逃げ惑う。その混乱の中で、メンバーはちりじりになってしまう。グスクは米軍に捕まり、警察に送られ、実刑判決を受ける。レイも捕まって刑務所生活に。肝心のオンちゃんだが、基地内で所在不明になってしまう。「生還こそがいちばんの戦果」を口癖にしていたリーダーの帰還を願って、基地の鉄条網の外で待ち続けたヤマコだが、オンちゃんはついに姿を現さなかった。米軍や警察に捕まったという情報もなく、どこかに潜んでいるという噂もなかった。「宝島」は戦果アギヤーのリーダーのオンちゃん不在のなか、彼を慕い続ける仲間が何年にもわたって探し続ける苦闘を通奏低音に物語が進行していく。
グスクは刑務所での1年半の服役のあと、いくつかの偶然を経て、琉警と呼ばれる琉球警察の刑事になる。レイは3年の服役後、長く消息不明になっていたが、復活した戦果アギヤーの一員として活動していた。ヤマコは基地の町コザの特飲街で働くが、一念発起して教員試験を受験し、小学校の教師になる。折から高揚期を迎える教職員組合や本土復帰協議会の活動家として頭角を現していく。
このあたりの沖縄や若者の描写は真に迫っている。評者も沖縄は大好きな土地で、これまでに何度か訪問している。街といい、人といい、自然といい、いつも新鮮な驚きや発見がある。小説冒頭の舞台となった嘉手納空軍基地も数年前、レンタカーを借りて見に行った。高い鉄条網で囲まれて中に入ることはできないが、その広大さは外からでもよくわかる。時折、ジェット戦闘機や大型輸送機が長い滑走路を飛び立って、いずこかに消えていく。朝鮮戦争やベトナム戦争当時はここから大型爆撃機や戦闘機が爆音を響かせて飛び立っていったのだろうと思うと何ともいえない気分になった。
車が激しく行きかう国道58号から基地内を見ると、高い鉄条網と国道の間の細長い土地が畑として耕されている。近隣の人たちが野菜を作っているようだ。もとは農地だったが敗戦で、米軍に強制収用され、ブルドーザーで一気に押しつぶされ、滑走路や格納庫や軍事施設になったわけだ。基地外での耕作はささやかな抵抗の証といえるのかもしれない。
基地内に侵入した戦果アギヤーはライフル銃やカービン銃を持った米兵に追いまわされ、広大な基地内を必死に逃げ惑う。自分の土地を米軍に強制収用された人々はどんな思いで、この小説を読むのだろうかと思った。嘉手納基地は沖縄本島中部の嘉手納町にあり、その8割以上の面積を占めている。一方で、「世界でもっとも危険な米軍基地」と言われる普天間基地はそれより少し南の宜野湾市にある。こちらは空軍ではなく、海兵隊の飛行場で、嘉手納に比べると面積はかなり狭い。だが、普天間基地は四方を市街地に囲まれて、基地南端の小高くなった公園の展望台に上がると基地の滑走路や駐機している垂直離発着機オスプレイが一望できる。数多くの住宅ばかりか、高校や大学など教育施設も隣接していて、もし事故が起きれば住民を巻き込んだ大惨事になることはまちがいない。
小説はグスクやヤマコの生活を通して沖縄に暮らす人々の日常に迫っていく。琉警と呼ばれる琉球警察の非力さや無力さも余すところなく描き出される。しかし、それは個々の警察官の問題ではなく、米兵の犯罪が現行犯でない限り警察には逮捕権がなく、たとえ逮捕したとしても身柄が米軍に移ってしまうと琉警では手も足も出ない治外法権の問題なのだ。その結果、強姦や暴行、ひき逃げなど米兵の犯罪は後を絶たず、住民の米軍に対する怨瑳の気持ちは沸騰寸前になっている。
小説は復帰前の沖縄の雰囲気を優れたノンフィクションを読み進んでいくかのように当時の熱気を感じさせてくれる。小説といいながら、実際に起きた米軍機の小学校への墜落事件など実話も織り込んで、現実と小説との境界も次第に判然としなくなってくる。
評者が驚いたのは瀬長亀次郎や屋良朝苗といった実在の著名な人物も登場させ、さらに臨場感を高めている点だ。瀬長氏は基地反対運動を指導した沖縄人民党党首という反体制のカリスマ指導者で、復帰後は共産党国会議員として活躍した。屋良氏は沖縄県教職員組合の活動を主導し、復帰前に民選の行政主席、復帰後は県知事を務めた。どちらも沖縄では、知らない人はいないほどの有名人だ。
そうした有名人を登場させながら、真藤氏は東京出身で沖縄とは直接のゆかりがないというのにも驚いた。構想に7年、執筆に3年かけたといい、資料も渉猟したはずだが、取材費の都合もあってか、沖縄への取材旅行は3度だったということにも驚かされる。よほど鋭敏な感覚を持ち、想像力の豊かな小説家なのだろう。沖縄の人々がどう感じるかはわからないが、評者は沖縄の持つ高温多湿の亜熱帯の風土の雰囲気が実によく表現されている、と思った。沖縄ことばも随所に使われていて、その雰囲気を強めるためか、本文にも仲間(ドゥシ)、魚(イユ)、お守り(フーフラ)など、沖縄ことばのルビが振られている徹底ぶりだ。こうした沖縄ことばを調べていくだけでも、相当な苦労だったに違いない。
戦果アギヤーのメンバーの躍動を活写したり、要約したりする力量は残念ながら評者にはない。興味を持たれる方は是非、本書を手に取ってじっくりと小説の醍醐味を味わってもらいたい。期待を裏切られることがないことは断言できる。それとともに沖縄の人々が歩んできた苦闘と苦悩の歴史にただ圧倒される。
この小説は、青春小説としてもヒーロー小説としてもミステリー小説としても読むことが可能だろう。著者はそれらを合わせた「総合小説」と呼んでいるようだ。困難きわまる沖縄の問題を真正面に扱いながら、同時に一級のエンタテインメントでもある。直木賞が満場一致で決まったというのもうなずける。
第三部では、戦果アギヤーのメンバーや街の人びとがあれほど敬愛していたオンちゃんが実は沖縄から離島に逃れ、そこでこの世を去っていたという悲しい事実が明かされる。それとともにオンちゃんを尊敬していた少年たちの痛ましすぎる死も。こうした物語がハッピーエンドで終わるはずはないが、いっとき空想の世界を泳いでいた読者は一気に苦々しい現実の世界に引き戻される。だが、読み終えると一種爽快な気分になってくるのが不思議だ。
作者の真藤氏がどんな作家かまったく知らなかったが、直木賞受賞決定の翌日、賞の勧進元である文藝春秋のインタビューに応じた内容が興味深かった。少し引用する。
戦果アギヤーに惹かれた理由の問いには、「『戦果アギヤー』に自分の置かれた状況や閉塞した時代感を突き破ってくれる強靭さを感じたんだと思います。これまで僕が小説で表現したいと思ってきたもの、青春の疾走感とか熱気とか、抑圧への抵抗とか、生きて還ってこそというスタンスとか、戦果をみんなに配ってどんちゃん騒ぎしようぜ、といった底抜けのたくましさとか、そういうものをあまさず体現しているように思えたんです」「正史や教科書からは確実にこぼれ落ちてしまう人々ではあるけど、時にはそういう存在こそがエモーショナルに世の真実を呼びさましてくれる、という思いもあって、そういう人たちの日々の営み、喜びも挫折もひっくるめた『声』をすくいあげるのが小説家の仕事ではないかと思いますし」。
戦後の沖縄を書くには、「生半可な態度では臨めないものだったんですよね」「だから途中で、2年間くらい執筆を中断してしまった」。真藤氏は、「戦後の時代、当事者がどんどんいなくなっていくなかで、僕たちの世代が語り継いでいくという意味でも、それ(その時代、その場所にいなかった人が取り組んで書いていくこと)をやらなやきゃいけないのかなと思います。(中略)小説家であれば、どの時代のどの土地の物語を、書いてもいいんだと思っています」と語っている。読者は、このインタビューも合わせて読むと作者の意図や苦闘がさらによくわかるはずだ。
「宝島」には米軍施政下で起きた、嘉手納幼女強姦殺人事件(1955年)、小学校への米軍機墜落事故(1959年、18人死亡)、基地の弾薬庫に貯蔵された毒ガスの漏洩事故(1969年)も沖縄人(ウチナンチュー)の視点から描き出される。復帰直前の「コザ暴動」と呼ばれる住民蜂起(1970年)も、人々の興奮や激高があますところなく活写されている。評者は幾度も沖縄を訪ね、その歴史や自然に関心を持っていたつもりだが、こうした忌まわしい事件を忘れかけていた自分に改めて気づかされた。
最初はエンターテインメント小説として読み始めたが、途中から作者の気迫、熱気に圧倒されてしまった。こんど沖縄を訪ねるときは「宝島」で描き出されたシーンが次々によみがえってくるに違いない。「鉄の暴風」が吹き荒れた悲惨な沖縄戦の歴史と、青く透き通った美ら海(ちゅらうみ)の豊かな自然とを、ともに描き切った傑作というほかない。沖縄の土俗的なウタキ(御嶽)信仰も随所に現れて、どこか不思議な雰囲気を感じさせてくれる。
次回は那覇市の国際通りに近い焼き物の「やちむん通り」や色鮮やかな亜熱帯の魚や豚の頭などが並んで少しぎょっとさせられる「牧志公設市場」も訪ねてみたい。そのころまでに、沖縄の人々の心のシンボルである首里城の復元工事が一部でも進んでいるといいのだが。そういえば戦果アギヤーの主要メンバーのグスクは沖縄ことばで「城」という意味だ。沖縄北部の今帰仁(なきじん)村にある今帰仁グスクは、本土の城の石垣とはまったく異なるグレーの石を積んだ石垣がヨーロッパ中世の城を思わせるたたずまいだ。こちらも是非、再訪してみたい。