ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

もえる!いきもののりくつ 中田 兼介 動物行動学者が内外の最新の成果をわかりやすく紹介

2022年11月20日 | 読書日記
もえる!いきもののりくつ 中田 兼介 動物はどうしたりくつで行動しているのか


 著者は京都女子大学教授の動物行動学者。専門は動物(主にクモ)の行動学や生態学。「ヒトの中では。社会性が低めでシャイで臆病な個性を持ち、形態的特徴としてはやや頭部が大きい」そうだ。地元の京都新聞に2020年4月から21年3月まで連載された「いきものたちのりくつ」と、その後の「みんなのミシマガジン」への連載がもとになっている。新聞連載が中心で1編が2~3頁と短く、表現も簡潔で読みやすい。

 りくつ・その1は「食うか、食われるか」。最初に登場するのはオタマジャクシ。オタマジャクシはサンショウウオが天敵だという。小さな水たまりで卵がかえり、オタマジャクシがあふれかえったときにサンショウウオの幼生がふ化 してくることがある。サンショウウオにとっては入れ食い状態だが、オタマジャクシは大ピンチだ。こんな状態に陥ったオタマジャクシは普通より頭が大きく膨れた形に育つという。「サンショウウオはオタマジャクシを頭から丸のみにするので、迫る口よりも頭を大きくすれば安全」というわけだ。こんな変化をエゾアカガエルで発見したのは北海道大学の岸田治さんたち。オタマジャクシは皮膚の一番内側の部分が分厚くなって頭を大きくしている。こういった成長の仕方の変化はオタマジャクシにどうプログラムされているのだろうか?  各編の末尾にはもととなった論文を示すQRコードがついている。試みに3、4編試してみたが、すべて英語の論文だった。専門の論文を読み解くのは簡単ではないが、関心のある人には親切な対応だ。

 2本目はテングシロアリ。シロアリは地球上で大繁栄しているいきもののひとつ。「すべて集めて重さを量ることができたなら、地上の動物のおよそ一割を占めると見積もられています」。このため、シロアリは他の動物からふんだんにあるエサとして狙われる。「仲間を天敵から守る兵隊役がいる」こともあるが、テングシロアリの兵隊アリは「頭の前方がテングの鼻のように細長く突き出しており、ここからネバネバする化学物質を飛ばす」「遠くからネバネバをかけられたアリはあわててこすり落とそうとしますが、そうすると、これがさらにからだにまとわりつき、触覚が動かなくなるわ、からだのあちこちにも開いた呼吸のための穴がふさがって息がしにくくなるわと、被害甚大です」。

 化学物質を使って自分の身体を犠牲にするアリもいる。「襲ってきた敵の近くで、兵隊自ら破裂して体内に蓄えた毒液をまき散らすのです」。こうなると自爆攻撃といいえる。精妙な生き残り戦略と見えるが、自爆する側の犠牲も大きい。「シロアリさんたち何をバカなことを? と一瞬思うのですが、振り返るに人間にも似た行いは見られるわけで。他のいきもののことはあまり言えないなと反省します」。

 シャチはアザラシの天敵だそうだ。からだが5~8メートルくらいまで成長する海生の肉食ほ乳類で、クジラやイルカの仲間だ。知能が高く社会性を示す。アザラシを狙うのはタイプBと呼ばれるシャチで、海氷のまわりでアザラシを探し、「首尾よく発見すれば、何頭かで連れだって氷から少し離れたところに移動します。距離としては五~五〇メートル。(中略)触れ合うほどの間隔で横一線に並び、アザラシのいる氷に向かって列を保って泳ぎ始めます」。氷に接近すると、「氷の下にもぐる直前に尾びれを上げ大波を起こします。これをアザラシにぶつけ、海に流し落とすのです」。これはアメリカ海洋大気庁のロバート・ピットマンさんたちの研究だ。あの大きなシャチにそこまで知恵があるというのは驚きだ。評者は以前、米国フロリダ州の水族館でシャチのショーを見たことがあるが、巨体をジャンプさせて着水するときの波しぶきで周辺はずぶぬれになった。あのしぶきではアザラシもたまったものではない。

 「コウモリとガの静かなる空中戦」も興味深い。コウモリが視覚に頼らず、飛んでいることはよく知られている。「口や鼻から超音波を放ち、跳ね返ってきた音を聞いて自分のまわりに何があるかを把握します。この超音波、高いところだと周波数は二〇万ヘルツに達しており、せいぜい一万~二万ヘルツまでの音しか聞こえない人間には、まったく聞こえません」。

 「超音波は食事の時にも使います。(中略)多くの種類が超音波で昆虫を見つけて食べています。昆虫の中でも夜行性の種類が多いガの仲間は、よく狙われるエサの一つです」「ガには超音波が聞こえる種類がたくさんいます。中にはコウモリが発した音をとらえた瞬間、急旋回や急降下をして逃げようとするものも。スズメガやヒトリガの仲間のように、逆に超音波を鳴らし返し、見つからないようコウモリの邪魔をする種類もいます。レーダー電波の妨害をジャミングといいますが、これを音でやっているのです」。びっくりするような話だ。コウモリとガが人間には聞こえない超音波で、電子戦を戦っているわけだ。

 りくつ・その2は「オスメスって何だろう?」。いきものの世界の性の話だ。クマノミというのは性転換する魚だ。「クマノミでは一番からだの大きい個体がメス、二番目がオスとして繁殖しますが、このペアに加えて、まだオスにもメスにもなっていない子どものクマノミが集団で同居しています。この状態でメスが死ぬと、二番目にからだの大きかったオスが一番に繰り上がり、もっともからだの大きい子どもが二番目となります。そして、この子が大人の魚として成熟します」。「魚は普通、メスのからだが大きいほど、たくさんの卵をおなかに抱えることができ、それだけ多くの子を残せます」。つまり二匹の魚のうち、からだの大きな方がメスになる方が子をたくさん残せるわけで、こちらの方が生物学的に有利というわけだ。

 タツノオトシゴはオスが子育て用の袋をおなかに持っている。メスはこの袋に卵を産みつける。「オスは受け取った卵を袋の中で守り酸素と栄養を与え成長させます。もうこれは『オスの妊娠』といってもおかしくありません。(中略)子が独り立ちできるまでには数週間かかります。この期間が過ぎると、父は袋を収縮させて、小さなタツノオトシゴを次々とおなかから噴き出すのです」。メスはこの間、オスの近くにいて、「オスが出産し袋に空きができるのを待ち、また卵を産みつけようというのです」。タツノオトシゴにとってはこうしたやり方が合理的なのだろう。

 りくつ・その4は「それでもみんなと暮らしたい」。アリ、ハチ、シロアリはたくさんの個体が集まって生活する社会性昆虫だ。こうした集団で、菌やバクテリアが繁殖すると一大事なので、湿度の高い土の中で巣をつくる種類のアリは、「自ら抗生物質を分泌し、自分や巣仲間のからだに塗りたくって身を守ります」「ある種では、菌に感染した働きアリは幼虫の世話をしなくなり、他の種では菌の増殖が進んで働きアリが弱ってくると、巣の外に出て仲間から離れた場所で死ぬことが観察されています」。集団の生存第一とプログラムされているのだろうが、何と健気かと感心する。

 つられあくびというのは人間の世界ではよく見られるが、いきものの世界にも共通しているらしい。「霊長類やイヌやゾウ、ブタさんだって、つられあくびをします」。実は野生のライオンもつられあくびをする。イタリア・ピサ大学のグラツィア・カセッタさんたちはアフリカのサバンナで何カ月にもわたって野生のライオンの群れを観察し、合計二五二回のあくびを見ることができた。「わかったのはライオンが寝ようとしたときや逆に動き始めたときのように、リラックスした状態であくびが起きることでした」。また、群れの他のライオンがあくびしているところを見ると、あくび発生率がなんと一三九倍に高まったのだとか。これはどう見てもうつっています」。さらに、「うつした側のライオンが動き出したら自分も動き出し、逆に相手が寝そべると自分も寝そべることが多かったことです。つまり、うつるのはあくびだけではなく、どういう行動をするのかもまた伝染していたのです」。

 これはどういうことなのだろうか。ライオンが群れで狩りをするいきものだということがヒントになりそうだ。著者は、ライオンの社会をうまく回すために、「あくびはそんなライオンたちの振る舞いを整え、群れで同じような動きをさせる働きがあるのかもしれません」と推測している。

 りくつ・その5は「相手や道具を利用する」。カラスの仲間のカレドニアガラスは「木に開いた穴の奥のように、くちばしが届かないところにエサを見つけると、小枝などを自分でカギ状に曲げたものを使い、ほじくり出して食べるのです」「米国ハーバード大のダコタ・マッコイさんたちは、テーブルの片方にエサのたくさん入った箱を、もう片方の端に少ししかエサの入っていない箱を置いてカラスを遊ばせ、箱の場所とエサの量に関係があることを覚えさせました。その後、カラスはテーブルのちょうど真ん中に箱があるのを見せられます。このとき、カラスはどうするでしょう?」「このテストを道具を使ってエサをとったあとのカラスにしてみたところ、道具を使わなかったときより、『楽観的』になっていたそうです。道具を使ったあとのカラスは、きっと楽しくよい気分だったのでしょう」。カレドニアガラスはニューカレドニアに住むのでこの名前がついた。最近はハワイガラスも道具を使うことがわかってきたそうだ。

 トビが火を利用しているらしいという話もある。オーストラリアでは毎年のように森林火災が起きて甚大な被害が出ている。このうちの一部はトビに関係があるかもしれない。トビやチャイロハヤブサなどの猛禽類は自然に発生した森林火災の周辺を飛び回るという。火や煙から逃れようとする小動物を狙っているわけだ。それだけでなく、トビたちは意図して火を広げているという。これは米国ペンシルベニア大学のマーク・ポンタさんたちの研究で、オーストラリア北部で「『猛禽類が火のついた小枝をくちばしでくわえたり爪で持ったりして、まだ燃えていない場所に運んで落とす』という目撃証言をたくさん集めました。多くの目撃者は、『鳥たちは意図して火を運んでいた』と述べています」。

 りくつ・その6は「からだのつくりには意味がある」。タコは「実は、頭のように見えている部分は胴体で、胃やその他の内臓が詰まっているのです」「じゃあ脳はどこ? というと目と目の間にあり、その下に口が開いています。つまりタコは上から下に、胃があって、脳があって、口があって、という順にそれぞれが並んでいます」。食べたエサを脳が邪魔するのではという気もするが、「タコの脳はその真ん中を食道が貫通していて、エサはドーナツ状の脳の穴をくぐり抜けて胃へと流れていきます」。さらに驚くのは、「タコの持つ神経細胞のうち頭にあるのは全体の三分の一で、残りの三分の二が腕一本一本に広がっています。八本の腕それぞれが独自の脳を持っているようなものです」「おかげで、腕は頭から指令を受けなくても、自力で周囲の様子を探り、動くことができますし、本体から切り落とされてもしばらく生きて、エサがあると捕まえて存在しない口に持っていこうとさえするのだそうです」。脳を分散させるタコの身体にはどういうメリットがあるのだろうか?

 評者はウニが好きだが、ウニの目がどこにあるかは知らなかった。「海底の海藻を食べて暮らすウニの口はからだの下側にあります」。アメリカムラサキウニを調べたドイツ・ボン大学のエスター・ウルリッヒルターさんたちの研究でこんな事実がわかった。「ウニのからだには管足(かんそく)という細い管が生えていますが、なんとそこで光を感じていたのです。管足は体中にたくさん生えています。つまり、ウニはからだ全体で物を見ている、いわば全身が一つの目の動物なのです」。

 ウニといえば評者は今年、面白い経験をした。ツアーで青森・下北半島を旅行したとき、仏ケ浦という奇岩景勝の観光地を訪ねた。遊覧船のスタッフが上陸時にウニがいるのを見つけ、食べさせてくれた。パクッと割ると黄色いウニの身が出てくる。海水の塩味がしておいしかった。

 評者の家にはときどきかわいいヤモリが出てくる。すみかにしているのかもしれない。昆虫やヤモリは壁に器用に張りつくが、「一部の昆虫やカエルは足先から液体を分泌し壁との間の隙間に広げ、そこから生じる粘着力を使い、ヤモリは指にたくさんある細い毛の先端に生じる、分子同士が引き合う力を使います」。実際にヤモリをまねた接着技術の開発が進んでいる。「米国スタンフォード大学のエリオット・ホークスさんたちは、すべての毛が等しくくっつくよう工夫した接着シートを開発しました。そして、手足だけでツルツルの壁を登ることに成功しています」。

 りくつ・その7は「実は、いろいろ考えています」。花の蜜を探して飛び回るミツバチは視力が悪いのだという。「ミツバチの視力といえば、人間にたとえると〇・〇一より悪いくらい。よくまわりにぶつからずに飛べるものです」「鍵となるのは、視界に映るものの速さ。ミツバチが飛んでいるとき、左右の眼には、まわりのものが前から後ろに流れていくところが映っていて、その形はわからなくても、流れの速さはわかります。(中略)流れの速さが左右で同じになるよう飛行ルートを調整すれば、自分の両側にある二つのものの、ちょうど真ん中を通り抜けることができるのです」。これはドイツ・ヴュルツブルク大学のウォルフガング・キルヒナーさんたちの研究で確かめられた。

 りくつ・その11は「奇想天外ないきものたち」。「ヘビ、空を飛ぶ」にはちょっとぎょっとさせられる。東南アジアの森に住むトビヘビは滑空することができる。滑空する動物としてはムササビがよく知られている。ムササビはからだの横に広げた皮膜を翼代わりにして飛んでいる。トビヘビは木の枝から枝に飛ぶことができるが、「空中に飛び出す時、枝の上でS字状に縮めたからだを、さっと伸ばします。そのときに普通は円い断面を持つからだが、横に広がって平べったい形になるのです。もうひとつの理由が空中での動き方です。トビヘビは枝から飛び出したあと、空中を泳ぐかのようにからだをくねらせて進みます」。これは米国バージニア工科大のアイザック・イートンさんたちの研究だ。彼はヘビのからだにマーカーをたくさん張り付け、高速ビデオで測定した。「からだのくねりがなければ、空中でからだが回転してしまい、前にうまく進めずすぐに落ちてしまうことがわかりました。つまりトビヘビは、翼の代わりにからだ全体を使って、落ちるまでの時間稼ぎをし、飛行中の姿勢を安定させているのです」。飛ぶヘビがいるというのは知らなかった。

 ミツバチがアルコールを好むこともまったく知らなかった。自然に咲いた花の蜜の糖分を酵母が発酵させ、ビール並みのアルコール度数になることもあるそうだ。「花の蜜をエサにする動物は、まるでお酒を飲んだような状態になってしまうことがあります」「実際ミツバチにアルコール入りの液体を与えると、嫌がることなく飲んでくれます。そのため最近は、アルコールの影響を調べるための実験動物として重宝されていて、アルコールが入るとパフォーマンスが落ちることが知られるようになりました」。ポーランド・ヤギュウォ大学のモニカ・オスタップチュクさんたちはミツバチに三週間アルコール入りのエサを与え続け、その後三日間アルコール断ちをさせた。「するとハチは、アルコールをまったく与えられていなかった場合や、逆にずっとアルコールをとってきた場合よりも、激しく砂糖水に食いつきました。アルコール断ちが強い渇望を生んだといえるでしょう。これは一種の禁断症状です」。

 りくつは全部で11あるのでここに紹介できたのは半分程度にすぎない。それぞれのいきものの生き方の精妙さに驚くとともに、よくぞそこまで観察できたものだと感心する。逆に、観察されたいきものからみれば、ヒトの知的好奇心と忍耐力の強さに感嘆してしまうことだろう。今回は原著論文はまったく読んでいないが、いずれ面白そうなテーマをチェックしてみたいところだ。それだけに、こうやって専門的な論文のさわりをわかりやすく紹介してもらえるのは大変ありがたい。おそらく論文をそのまま読んでも、門外漢には面白さや研究の意味がよくわからないはずだ。著者には、今後もこうした啓蒙書を書き続けてもらいたい。欲をいえばもう少し研究内容を詳しく紹介してもらえると、さらに興味が増すのではないか。続編にも期待したい。





 










ウクライナ戦争の200日 小泉 悠 ウクライナ戦争をさまざまな論者と振りかえる

2022年11月09日 | 読書日記
ウクライナ戦争の200日 小泉 悠 ウクライナ戦争の200日に何が起きていたのか、そして今後は?



 ロシアの軍事・安全保障が専門の東大先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠氏による対談集。相手は批評家の東浩紀、元陸上自衛隊ヘリコプターパイロットで芥川賞作家の砂川文次、防衛省防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄、アニメーション映画監督の片渕須直、漫画家のヤマザキマリの各氏。最後にドイツ人で翻訳者のマライ・メントライン、ルポライターで中国が専門の安田峰俊の二氏との鼎談がおさめられている。発行は9月20日付けで、開戦から7カ月足らずだ。

 対談の最初に年表がついている。これが一連の動きを把握するうえでありがたい。たとえば東氏との対談では、「1989年12月2日 米ソ両国のマルタ会談により東西冷戦が終結」「1991年7月1日 ワルシャワ条約機構解体」「1991年12月25日 ソビエト連邦大統領ゴルバチョフ氏が辞任し、ソビエト連邦が消滅」といった具合だ。「2022年2月21日 ロシアのプーチン大統領が、ウクライナ東部で『ドネツク人民共和国』と『ルガンスク人民共和国』の独立承認の大統領令に署名」、そしてその3日後の2月24日、「プーチン氏がウクライナ東部での『特別軍事作戦』の実施を発表。首都キーウ(キエフ)などへのミサイル攻撃や空爆が始まる」。今に至るウクライナ戦争の始まりだ。ロシア軍はキーウを包囲するなど、各地で攻勢を強めたが、ウクライナ軍の反攻も激しく、キーウ占領を断念。首都周辺から部隊を撤収した。キーウ近郊のブチャなどでは4月3日、多数の民間人が殺害されていることが判明、国際社会に大きな衝撃を与える。ゼレンスキー大統領は「ジェノサイド」と厳しく非難、直後の4月7日には国連総会がロシアの人権理事会理事国の資格停止決議を採択する。

 東氏との対談はこの直後の4月11日に行われている。小泉氏は「第二次世界大戦の際の地上戦を彷彿とさせる現状を前に少なからぬショックを受けています。ブチャでは、地下室に男たちのつながれた遺体がたくさん転がっているとか、後ろ手に縛られた遺体が土管の中に放置されているとか、道端に裸にされて、たぶんレイプされた女性の遺体があるとか、このような陰惨な戦争を人類が克服したのではなかったかと思ってしまいます」と切り出す。東氏も「ウクライナ戦争は非常に古いタイプの戦争という印象がありますよね。戦車がやって来て、都市が攻撃に遭い、人びとは拷問・強姦され、虐殺されている。百年前、千年前とまったく変わらない戦いの光景が広がっています」と応じる。

 小泉氏は「ショックを受ける一方で、その悔恨は先進国に生きる我々の驕りににすぎないのだという醒めた感覚もあります。例えば一九九〇年代に起こったチェチェン紛争におけるロシア軍の行為は今回とさほど変わらないわけです。(中略)以前から変わらずにある忌々しい戦禍を、馴染みのあるヨーロッパの都市で目撃しただけとも言える」。東氏は「僕はウクライナ戦争とコロナ禍が同時期に現れたことも重要だと感じています」「医学もコミュニケーション技術も進歩しているのに、実際に感染症対策に役立ったのはビッグデータ分析を活かした接触履歴アプリではなく、マスクや手洗い、都市封鎖といった数世紀以上も前からある方法でした。戦争についても同様です。軍事技術は進んだかもしれませんが、結局、戦争は人間が起こすものです。憎悪や欲望をいかにコントロールするかということについては、人類は大して進歩していないことを認めなくてはいけません」。

 東氏はブチャの虐殺以降、プーチン体制を倒すまでは終わらないという雰囲気が強くなり、国際世論がますます強硬になっていることを懸念している。小泉氏はプーチンという強力なリーダーを失ったとき、ロシアがさらに混迷の度を深めるのではないかと危惧している。「私はプーチンが国家元首の座に就いている間に、はっきりと彼の責任として落とし前をつけさせる方がいいと思っています」。東氏は「ウクライナ戦争による世界秩序の不安定化については、日本も他人事ではありません。日本の安全保障は米国を信頼することで成立してきたわけですが、米国は本当に助けてくれるのか、という疑問も出てきました」。

 対談はロシアの保守主義へと進んでいく。小泉氏によると。一昨年のロシア連邦憲法の改正で、「結婚は男女の営みである」という文言が入った。つまり同性愛やLGBTの人たちの権利は認めないというわけだ。「ロシアの過半数の人たちが持つ保守的な家族観を、プーチンが全面肯定して生まれた。おそらくロシアはいま、国内のみならず、国外でも西欧の規範への反発をすくいあげる器になっている。ヨーロッパの極右の人たちにロシアが人気なのも、日本でも右派の人たちにプーチン人気が高いのも、背景にはこのねじれたソフトパワーがあるのではないかと思います」。東氏は「ブチャの虐殺は許しがたいことですが、日本もまた第二次大戦では加害者の側で似たような過ちを犯した。現代の日本人は自分たちを文明化され、教育の行き届いた先進国だと思っていますが、他の国から見たらどうか。戦争からおよそ八十年経った今も中国、北朝鮮や韓国は日本を信用していない」「プーチン政権が崩壊したとしてもロシアという国はあるのであり、僕たちはロシア人たちと付き合っていかなければならない」。小泉氏も「ロシアの言い分を認めたくないという声は、今後国際社会の中でずっと残るでしょう。(中略)好むと好まざるとにかかわらず、ロシアを私たちが共存できる存在にもう一回していくしかないのだと思います」と受け止める。

 次の対談は元陸上自衛隊のヘリコプターパイロットで作家の砂川文次氏。この対談は5月16日に行われている。砂川氏はロシアが北海道に攻めてくるという設定の「小隊」で芥川賞を受賞した。自衛隊当時は北海道に駐屯し、対戦車ヘリAH-1Sコプラのパイロットをしていた。ふたりの対談は軍事オタク同士で盛り上がった。小泉氏は「自衛隊の人を見ていると、それぞれの所属先によって気質が違うように見えるんですよね。潜水艦乗りはロシアの潜水艦乗りにシンパシーがあるし、対潜哨戒機のP3C乗りは韓国のP3C乗りに共感を抱いている感じがします」。砂川氏は「自衛隊のリアルを挙げるなら、第一線の部隊の人間って、国際情勢とか、あんまり難しいことは考えていないんですよ。ロシアがどうだとか、北朝鮮がどうだとかは興味がない。私も『次の休みは何をするかな』ってことが、隊員生活において一番重要でした」。ウクライナ戦争については「火力点数や装甲戦闘車の車両点数に注目すると、ウクライナ軍とロシア軍には大きな差がある。開戦当初、組織的な防御行動をとるには不十分に思われたけれども、現状は、ロシアよりはるかに格下と思われていたウクライナが善戦していますよね。これは彼らが非対称戦法として有効な戦術、ゲリラ戦などを上手く活用しているからではないかと私は考えています」。

 砂川氏は「ロシアは国民の支持を取り付けることに失敗しています」と指摘する。小泉氏は「ロシアの場合は戦争の正当な目的がないため、『ロシア系の住民が虐殺されている』『ウクライナが核兵器を作っている』といった虚偽の言説をでっち上げて誤魔化し続けているわけです。プーチンが、これは戦争ではなく、『特別軍事作戦』だとしているのも方便です。(中略)一方でウクライナは、公然たるロシアの侵略に抵抗する政治目的が明確で、国民は祖国防衛戦争として戦争に協力している」。

 小泉氏は「それにしても、ロシア軍は闘い方の基本の”き”を踏み外しているように見えます。戦争を始めたのがプーチンで間違いなくとも、誰が戦争のグランドデザインを描いたのか、具体的な侵攻計画はどうやって作られたのか、(中略)知られざるドラマがあるはずです」と踏み込む。砂川氏も「ロシア軍がここまでの醜態をさらしたのは意外でした。二〇一四年のクリミア侵攻の際、通信や交通を遮断し情報操作をして、あっという間に半島を制圧したときには、その素早い攻略に驚いたものです。(中略)それが一転、現在戦況は膠着状態に陥っていて、長期化するのではないかという予測も出てきた」「ソ連は一九七九年にアフガン侵攻を行いましたが、十年近い泥沼の戦争を続けた末に撤退しています。今回のウクライナ侵攻も同じ道をあゆんでいるのではないかと思ってしまいます」。次の小泉氏の発言が興味深い。「ロシアの最も致命的な弱点は、国土が広すぎることなんです。地球でいちばんデカい国。面積にして約一千七百十万平方キロメートルですが、これは冥王星の表面積と同じくらいなんですよ。ドストエフスキーの時代からロシアでずっと言われてきたのは、『この国は広すぎるからうまくいかない』と」。

 三番目の対談は防衛研究所室長で現代軍事戦略論が専門の高橋彬雄氏だ。対談が行われたのは5月7日と27日。戦争が始まって70日余りの段階での中間総括だ。高橋氏が第一段階、第二段階でのフェーズで分けた場合の評価を聞くと、小泉氏は「(ロシアは)おそらくそういうものは考えておらず、短い簡単な戦争で終わると思って始めたようにしか見えない」と指摘する。「始まった空爆が数日間続くのかと思ったら地上部隊が越境してきた。しかも十五万くらいしかない兵力をかなり分散し、北部からも南部からも東部からも同時に攻めてきた。そのため大きな衝撃力を発揮できなかったように見えます」「ウクライナ軍がある程度大きな兵力を持っていること自体はロシアも知っていたわけですから、それにもかかわらずこのような作戦を取ったのだとすると、ウクライナ軍の抵抗があまり頑強ではないだろうという前提で始めて失敗したのが第一段階ではないか、それが僕の評価です」。

 両氏は開戦時のロシアの空爆について強い疑問を呈する。高橋氏は「私たちが中国の戦い方を考える時の基本的な発想は、ミサイルがまず飛行場とレーダーに飛んできて、日米の航空戦力を破壊し尽くすだろうと。その上で爆撃機による空爆が始まるのだろうと想定しています。(中略)ところが、ウクライナ戦争の開戦時は、都市攻撃と軍事目標攻撃が分散された形で、どちらも効果は中途半端だったように見える」。小泉氏も「開戦当初から現在に至っても、ロシアの航空作戦には不可解なところが非常に多い。(中略)これについては二つ考え方があります。一つは、本当に中途半端な軍事作戦しか考えていなかった可能性。何となくロシアのミサイルがたくさん飛んできて、あちこちに着弾すれば、ウクライナの継戦意思を砕けるだろうという発想でしかやっていなかった」。

 この後が二度目の対談になり、小泉氏がもう一度戦況を整理する。「ロシアは当初、攻勢側として主導権を持ってウクライナに入ってきましたが、次第にこれが失われ、戦争の完全勝利ができないことが誰の目にも明らかになったのが四月初頭。その後、ロシアは主導権を取り戻すべく、(中略)思い切った態勢の立て直しをはかって東部での集中攻勢に出た。けれど、主導権を取り戻せず、徐々にウクライナが押し戻してきたのが五月初頭の状況でした。しかし、やはりロシア軍は侮れなかった。(中略)つまり、ロシアもウクライナも完全な主導権を取れなかったなかで、最後の東部決戦でロシアが主導権を取り戻しつつある。今までのロシア軍は何だったのかと拍子抜けするほど、五月に入ってから突然、東部で普通の戦争ができるようになった。巷間言われているように、プーチンがマイクロマネジメントをしていたのではないか、そもそもプーチンの描いた戦争全体のグランドデザインが間違っていたのではないかという印象を持っています」。

 ロシアの「偽旗作戦」についても議論が交わされる。これは自分の工作を相手のものに偽装してすり替えようとする試みだ。ロシアはウクライナが化学兵器を使用する可能性があるとか、核兵器を開発しているとか根拠のないことを言い立ててきた。小泉氏は「ロシアが偽旗作戦として行ったことはすべてが見え透いていて、情報戦として稚拙でした。ロシアは昔から見え見えなことをやってきたので、いつもと変わらない平常モードなのでしょうけれど、我々がロシアを見る目が変わった」と指摘する。

 四番目は「この世界の片隅に」を監督した片淵須直氏。これは七十七年前の第二次大戦末期、戦争に翻弄されつつ、懸命に生きる庶民のありのままを描いたアニメーション映画の名作だ。

 取り合わせが面白かったのは、漫画家・ヤマザキマリ氏との対談だ。5月18日に行われた。冒頭、小泉氏が「『テルマエ・ロマエ』と『プリニウス』の熱心な愛読者です」と告白する。プリニウスは博物学者として有名だが、ローマ艦隊司令長官でもあり、軍事オタクとしては物語の展開に目が離せないという。ヤマザキ氏も「軍事とロシアに関する小泉さんの豊富で鋭い知見には多くの人が注目していますから、メディアに引っ張りだこですね」と応じる。小泉氏は「もともとただのオタクなんですが、二〇一四年にロシアが軍事力を行使してウクライナのクリミア半島をあまりに容易(たやす)く編入してしまったとき、仮想戦記のごとき出来事が現実に起きたことに衝撃を受けました」。

 話題はロシア発のフェイクニュースに移る。小泉氏は「ロシアでは三月に、『当局がフェイクニュースとみなした報道を禁じる法律』が成立しました。ニュースの真偽に関係なく、当局は都合の悪いニュースはすべて『嘘』ということができるようになったのです」。ヤマザキ氏はプーチン政権のきわめて高い支持率に言及、「メディア統制だけで支持率をここまで上げられるものなのか疑問に思っていました」といぶかしむ。小泉氏は「プーチンの権力構造にはマフィア的な側面があると思います。マフィアというのは、それが誕生したときは反社会勢力ではなく住民の互助システムでしたよね。(中略)緩やかに価値感や利益を共有する団体というニュアンスだと思います」。ヤマザキ氏は「現代のイタリアでも、利権と結び付いたファミリーがある一方で、クリーンなまま継承された血族主義の組織が、ビジネスや地域の互助システムとして、普通に散見されます」と応じる。小泉氏は「ロシアの社会もそれによく似たところがあると思います。ロシアの場合は昔から公的なシステムに対する国民の不信感が根強く、公に頼らず身内で助け合ってきました。こういう非公式の助け合いは『法』ではなくローカルな『掟』に基づいているので近代的な秩序には馴染まない。この『掟』に基づく互助組織の総元締めがプーチンなのだと思います」。

 ヤマザキ氏は「プーチンは、思惑通りの自分を象(かたど)ろうとして誇張しすぎた為に実態が消えてしまった人という印象があります。イソップ童話の身体を膨らませて大きく見せようとして破裂してしまうカエルを思い出します」。小泉氏は「二十二年間も彼なりの理想の権力者像を演じているうちに、演技力は徐々に落ちてきたんじゃないでしょうか。特にコロナ以降は引きこもりがちで、かつてのような派手なパフォーマンスは稀になっています」。次にもう一度、高橋彬雄氏が「徹底解説 ウクライナ戦争の戦略と戦術」に登場するが、これは軍事技術論なので割愛する。

 最後が「ドイツと中国から見るウクライナ戦争」の鼎談だ。7月6日に行われた。ドイツ人のマライ氏は「ドイツから見て中国は史劇的な(歴史的な?)因縁が希薄なだけに、経済・マーケット的な関心が、これといった制約もなく伸びた印象があります。一方、ロシアは近い国ですし、第二次世界大戦での歴史的な因縁もあるし、例のガスエネルギー依存問題もある」「ドイツの左派に関して言えば、貿易をそのまま続けていれば、中国だってロシアだって民主主義的な価値観を受け入れていくのではないかという発想があったように思います。というのもドイツには、東西に分かれたけれども貿易や国交を深めていく中で、壁も崩壊して統一できたという成功体験があるからです」。一方、中国についても、安田氏は「中国が改革開放により経済成長する中で、日本もそれに乗って美味しい思いをしてきた。ゆえに『日中友好』という言葉も生きてきた。日中友好というのはちっとも美しい話ではなくて、商業的な利益第一、また日中双方がまみれたもたれあいの関係ではあったわけですが、かなり最近まで美辞麗句としては成立していた」「しかし、中国についてその台頭を警戒したアメリカの対中姿勢が転換した二〇一八~一九年を決定的な境として、関与政策と、それが生んできた民主化への期待や友好的な理想は消し飛ぶことになります。これと同じ、実は無理があった理想の総決算が、ロシアの場合は今回の戦争で一気にはじまったのではないか」。

 中国はこの戦争をどう見ているのだろうか。安田氏は「基本的に中国はロシアに対して好意的です。もっとも、心からロシアが『好き』『信用している』というわけではなく、反米・反西側という目的を前提とした上で、共闘関係にあるから好意的に関わっているという感じだと思いますが」「中国のニュースサイトを見ると、ロシアのプロパガンダニュースサイトである『スプートニク』を中国語にどんどん訳して紹介しているので、結果的にはロシアのプロパガンダが広まりやすくなっています」。その一方で、ロシアが意図的に流すフェイクニュースも中国でかなり信じられている。「コロナウイルスも、アメリカが基地でつくったものだとさんざん言っていますし、おそらく六、七割の中国人はコロナの起源はアメリカだと信じているはずです」。

 小泉氏は「ロシア人の多くも、『コロナはアメリカが起源』で、『ウクライナはアメリカが裏から操っている傀儡国家である』と思っているでしょう。今、世界で言われていることの逆張りならなんでも信じてしまう空間が、ユーラシアのど真ん中に大きく広がっているのではないか。中ロがそうなのであれば、ユーラシアの半分はそうなるでしょう」。

 ちょっとびっくりするような話だが、これが今の世界の現実のひとつなのだろう。自由な報道と言論が保証されているこの国に生きる幸せをかみしめるべきだ。われわれは自由な報道や言論を空気のようなものに感じがちだが、厳しい言論統制や抑圧がある国では、そうした情報に接しようとするだけで逮捕されたり、処罰されたりする。まったく恐ろしい社会だと思わざるを得ない。

 このを考えることは自由や民主主義について考えることでもある。そうした言論や自由な報道を厳しく抑圧することで、かろうじて保たれている国家や体制があると思うと暗澹とした気分になる。小泉氏は軍事オタクを自称しているが、自由な言論や民主主義を強く支持している。その博識と明快な分析と歯切れのよい解説が今後も変わらず続くことを強く願う。ウクライナ戦争に関心のある人に一読を勧めたい。