ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

AIが職場にやってきた ケビン・ルース 田沢恭子訳 NYタイムズ ITコラムニストの実践的AI論

2023年05月18日 | 読書日記
AIが職場にやってきた ケビン・ルース 田沢恭子訳 AIという「魔物」と付き合う9つのルール


 著者はニューヨーク・タイムズのテクノロジー担当コラムニスト。シリコンバレーにほど近い西海岸のオークランドに住んでいる。テレビ番組やネット上のポッドキャストでホストやレギュラーとして出演し、自動化とAI、ソーシャルメディア、偽情報とサイバーセキュリティなどITがらみの話題について活発に発信している。

 副題が「機械まかせにならないための9つのルール」とあり、中身はこちらのほうがぴったりする。IT全盛のなかで、その流れに翻弄されない職場や家庭での実用的、実践的なAIとの付き合い方が解説されている。評者は40年ほど前、当時、「人工知能」と呼ばれていたAI研究の創始者たちにインタビューしたことがある。MITのマービン・ミンスキー教授、スタンフォード大のジョン・マッカーシー教授などこの分野のビッグネームだ。だが、創始者たちも当時、現在のようなAI研究の全盛時代がくることは予想していなかった。近年のAI研究は、目覚ましいという段階を通り越し、恐怖感を感じるほどの進み具合だ。chatGPTなど最新の「生成AI」の登場や進化が驚きの念をもって語られ、新技術への期待と同時に、時代がどういう方向に進むのだろうか、という不安が社会 を覆う。

 著者は、ITなどの先進テクノロジーを高く評価し、社会や生活に積極的に活かしていきたいと考えている。その一方で、まだ方向の定まらないAIの先行きにも深い懸念を抱いている。これは評者の考え方とも近く、深く共感して読了した。AIに、興味や関心、拒否感や反発など、ないまぜの感情を持つ多くの人に勧められる内容だ。

 「はじめに」で印象的な挿話が紹介されている。サンフランシスコでパーティに顔を出したとき、AIスタートアップの創業者が、NYタイムズのテクノロジー担当記者と知って、熱心に売り込んできた。この人物は工場で、最も生産効率の良い作業順序をAIで決められるシステムを開発した。彼はこのAIを「ブーマーリムーバー(老害除去装置)と呼んでいる。「うちのお客さんの会社には、年齢が行って給料をたっぷりもらっているけれど、じつはもう必要ではない中間管理職がやたらといます。うちのプラットフォームを使えば、そういう人たちの仕事を代わりにやってくれるんです」と話した。実際、ある企業で長年、解雇しようとして果たせなかった自動化担当者のポストを導入後、即座に廃止できたという。

 テクノロジーを深く愛してきた著者は、こうした経験をもとにAIへの楽観論を考え直す気持ちになった。第一に、「テクノロジストが好んで語る物語、例えばテクノロジーは奪うよりも多くの職を常に生み出してきたとか、人間とAIは互いに競うのではなく協力するようになるといった話のなかには、偽りではないにせよ少なくともひどく不完全なものがあることに気づいた」、第二に「AIと自動化が世界に及ぼす影響について記事を書くうちに、これらの技術を生み出した人たちの示した展望と、それを利用する人が現実の世界で実際に得る経験とのあいだには、著しいギャップがあることに気づいた」。第三に、「AIと自動化の未来を間近で見守ってきた彼らは、(中略)幅広い仕事や活動で人間を機械に置き換えることが可能だということを、あるいは近々そうなるであろうことを理解していた。(中略)犠牲者が生じるのは避けられないということは誰の目にも明らかだった」(太字は原文の強調)。

 上司に命じられ、スイスのダボスで世界のエリートが集う世界経済フォーラム(ダボス会議)に出席した。「そこでは有力な企業役員たちが、企業と労働者の双方を益する『人間中心のAI』を築こうと誓い合っていた」「ところが公式のイベントが終わって、夜になると、参加者は人道主義者の仮面を外し、真の目的を果たすための行動を開始した。(中略)彼らはAIを使って自社を洗練された自働収益マシンに変える方法を教えてくれとテクノロジー専門家に詰め寄る」。そこで大企業の業務自動化を支援するインドのコンサルティング会社の代表と出会う。彼は、「ダボスに来るエリートたちは、仕事を自動化する仕事をやっている自分が予想していた以上に自動化を求めていると教えてくれた」。以前は社員の95%を維持して徐々に自動化を進めたいと言っていた顧客が、「最近では、『人員を今の1パーセントまで減らせないか』と言ってくるんです」。ショックを受けた著者は、研究者や業界関係者など多くの人にインタビューし、会合や発表会にも精力的に顔を出す。関連する本も百冊ほど読んだ。

 近年、出版された「ロボットの脅威」や「ザ・セカンド・マシン・エイジ」といった書物は、「どちらもAIが社会を根本から変えて世界経済を変容させると訴えていた。仕事の未来に関する学術的研究としては、たとえばオックスフォード大学が、アメリカでは今後20年以内に雇用の47パーセントが自動化によって失われる『リスクが高い』と予想し、危機感をあおった。2017年にはアメリカの成人の4人に1人が、AIと自動化によって生み出される職よりも失われる職のほうが多いと考え、半数以上がテクノロジーによって富裕者と貧困者の格差が広がると予想していた」。

 「AIや自動化が人類にとって歓迎すべきものか、それとも忌むべきものか、どちらの見方をするにしても、これらの用途があたかも運命のように定められているのではないことを忘れてはならない。人間の労働者を排除するのかどうか決めるのは、アルゴリズムではなく企業役員だ。(中略)新しい形態のAIを作るエンジニアはその設計について発言する権限があり、ユーザーはこれらのツールが道徳的に許容可能かどうかを判断することができる」。評者もこのスタンスに全面的に同意する。AIがどんなに複雑なシステムであっても、人間が仕様を決めて設計し、膨大な人手をかけて制作したものだ。現在の技術ではAI自身が仕様を決め、システムを作り上げることはない。ただ、もし悪意の人間が自己の欲望を満たすためにシステムを設計すれば、社会にとって危険なシステムが登場する可能性も出てくる。

 第1章は「サブオプティミストの誕生」。情報科学の巨人ノーバート・ウィーナーの言葉が冒頭に出ている。「機械が社会にもたらす危険は、機械そのものではなく、機械の使い方によって生じる」。ここでは楽観論者の言い分が紹介されている。「AIと自動化に関する本を書いていると言うと、反応は2つに分かれる。テクノロジーに懐疑的な友人や同僚は、おおむね好意的だった。仕事を奪うロボットに関する暗い予想を耳にして、不安を覚えていたからだ」。一方、シリコンバレーでの反応は少し異なる。あるCEOは、「へえ、『ロボットが仕事をすべて奪う』とか訴える本を書いて、みんなを恐怖や憂鬱に陥れているんじゃないだろうね?」「不安をあおるメディアによるAI新技術の報道には不満で、私たちの不安は取り越し苦労だと思っている」。

 楽観論者は次のように考えている。①以前にも同じこと(AIへの強い批判)があったが、最終的にはよい結果に至った、②AIは退屈な作業を人間の代わりにやってくれるので、人間の仕事はもっとよいものになる、③人間とAIは競うのではなく協力する、④人間には無限の需要があるので、AIが大量失業を引き起こすことはない。著者はこうした言い分を検証する。その結果、「私は全面的な楽観ではなく全面的な悲観でもない立場に至った。私の立場は『サブオプティズム』(楽観未満)と呼ぶべきものだ」。これは著者の造語だ。「AIや自動化に対する最大の恐れは現実とならないかもしれないが、注意を向けるべき差し迫った現実の脅威は存在する」という見方を示す。不安スケールという指標を提示し、1(何も問題を起こさない)から10(あらゆるものを破壊する)まで考えた場合、自分は7あたりに位置するという。

 第2章は「ロボットに奪われない仕事という神話」。数年前、大勢の企業役員が集まる夕食会に招かれ、「ロボットに奪われない仕事はどんなものか?」と聞かれた。専門家が次々に発言したが、自分の番になって言葉に詰まった。ロボットに奪われない仕事が存在することは間違いないが、そうした仕事の自動化を目指すスタートアップ企業も存在する。仕方なく、「想像力と高度な問題解決能力を必要とする職業は機械で代替するのが難しい」という「出まかせ」を述べた。著者は「ロボットに奪われ得ない仕事などないのだ」と気づく。AIについての予測は専門家さえあてにならない。オックスフォード大の研究者による2014年の研究では、AIの進歩について、過去60年間に専門家が出した予想と一般人が出した予想を比較したところ、「両者のあいだに大きな違いはないことがわかった。専門家でもお手上げということだろうか。

 第3章は、「実際にはどのように機械が仕事を奪うのか」。想像も含めた具体例が紹介されている。「大企業並みの業務を中小企業の人数で」とか「フルタイムの仕事をフリーランスに」といった見出しが並ぶ。「自分の仕事はこれからも本当に大丈夫なのだろうか」と不安を感じ始める人が多いだろう。

 第5章までが、第1部の現実編。第2部からはAIと付き合うためのルールだ。ルール1は「意外性、社会性、稀少性をもつ」。専門家へのインタビューで、「現時点で最も高度なAIよりも人間のほうがはるかにうまくできることは何か?」を聞いてまわる。その答えがルール1だ。「明確に定義された静的なルールと一貫したインプットをもつ安定した環境で働く限り、AIは全体として人間よりよく働く」。反対に「想定外の事態に対処したり、ギャップを埋めたり、明確に定義されたルールや完全な情報の欠如した環境で働く場合には、人間のほうが格段にうまくやれる」「スケールの大きな仕事、(中略)世界規模のシステムなどが関与する仕事については、AIのほうが人間よりもずっと得意だ」「その一方で、ありきたりでないスキルの組み合わせや、波乱に富んだ状況、または尋常でない才能がかかわる仕事となると、AIより人間のほうがはるかにうまくこなせる」。

 ルール2は「機械まかせに抗う」。「私は長年にわたり、情けないくらい自分の生活を機械に委ねてきた」。ロボット掃除機を使い、Wi-fi接続サーモスタットを買って、自宅の温度管理に利用してきた。メールの返信もGメールで自動生成される応答文(「了解」「それでお願いします」)を使って時間を節約してきた。こうした行動を「機械まかせ」と呼ぶ。これに気づいたのは数年前のことだ。「自分の考えや好みのうち、真に自分のものと言えるのはどのくらいで、機械がもたらしたのはどのくらいなのだろう。私はそんなことを考えるようになった」。アマゾンなどネットショッピングのサイトで買い物をすると、お勧めが表示される。これは「レコメンド」と呼ばれる機能だ。「今やレコメンドエンジンが世界を動かしている」「アルゴリズムによる『おすすめ』が現代の生活のあらゆる部分に入り込んでいるという事実は、今のところほとんど認識されていない」「自分がどんな人であるか、何を望むか、どんな人になりたいか、こうした事柄をレコメンドエンジンが決定する度合いがどんどん高まっている」。この分野に関する著作のあるMIT研究者の言葉だ。

 著者は、「過去のレコメンドシステムは時間の節約を目的としていたのに対し、最近のレコメンドシステムは多くが人から時間を奪うことを目的としている」と指摘する。「この種のアルゴリズムは驚くほどの効果をもつ。ユーチューブは、ユーザーがユーチューブに費やす時間の70パーセント以上をおすすめ動画に費やすと発表している」。「機械まかせに抗う第一歩として私が勧めるのは、自分の好みを総点検することだ。1日のうちに自分が下した選択をすべて把握し、それらのうち真に自分で下したのはどれで、機械の指示や誘導に従ったのはどれか判断する。(中略)このリストをいつも手近に置いておこう」。

 ルール3は「デバイスの地位を下げる」。著者がスマホへの嫌悪を自覚したのは2018年12月のクリスマスの直前。ニューヨーク・マンハッタンの劇場で妻や友人とダンスシアターの公演を楽しんでいるとき、呼び出し音が聞こえた。いったん無視したが、また聞こえてくる。仕方なく、妻に「トイレ」と伝えて外に出たが、チェックすると意味のないメールやメッセージばかり。ダンスを見損ねたばかりか、心に残る経験をする機会だったはずなのに、と気づいて自分が嫌になった。

 著者はこうして「スマホ断ちプログラム」をスタートする。このやり方が実にアメリカ的だ。「スマホを断つ方法」という著書があり、著者にメールを送ってきていた科学ジャーナリストの女性に連絡をとる。それまで、1日5時間から6時間をスマホに費やし、100回から150回もスマホを手に取っていた。「率直に言って、まともではないですね。死にたい気分です」とメールすると、「確かにちょっとすごいですね」と返信がきた。彼女のアドバイスはスマホに輪ゴムをはめること。これには2つの意味がある。輪ゴムは指の動きを妨げる障害になるが、スマホを使うこと自体を妨げない。2つ目は「大事なこと(今、使う必要はあるのか?)を思い出させてくれる」。

 ルール4は「痕跡を残す」。ここでひとりの日本人が紹介される。河合満氏。1966年、18歳のとき、トヨタの技能者養成所を経て、愛知県の工場で勤務する若手工員だった。養成所では神様と呼ばれる「熟練工員」のもとで指導を受けていた。そのころ世界最大の自動車メーカーGMでは大型の産業用ロボットの導入が始まっていた。これはジャパンタイムズに紹介された記事だが、彼はロボットとの付き合い方について、反発したり、迎合したりではなく、「機械の支配者となるには、機械に教えてやれる知識と技能を備えている必要があります」と答えている。技能者養成所出身から役員まで上り詰めたのは彼ただ一人だった。ここでは、機械に頼らず、人間性を生かした米国での成功例もいくつか紹介されている。

 ルール5は「エンドポイントにならない」。少しわかりにくいが、機械から指示を受けたり、複数の機械をつないだりする仕事が主な役割の人を著者はエンドポイントだという。ビルの警備員が来訪者をセキュリティシステムに登録し、回転ゲートを通過させる仕事、検診で看護師が医療機器の数字を読み取ったりするのはエンドポイントだ。部分的に自動化された仕事の場合、「機械の支援を受ける仕事」と「機械に管理される仕事」の2種類がある。機械に管理される仕事では、仕事の指示や監督のほとんどを機械が行い、人間は機械にはできない仕事をして隙間を埋めるだけだ」。顕著な例として、ウーバーなど業務請負の仕事、アマゾンの倉庫作業員の仕事などを挙げる。最近、大きく増えているこうした仕事は「AIシステムとともに働くというよりも、システムのために働くことが求められる」「実際、機械に管理される従業員を抱える組織はみな、その仕事をいずれ機械に移行したいと考えている可能性がきわめて高い。ということは、機械に管理される従業員は、世界のエンドポイントとして大いに警戒する必要がある」。

 エンドポイントの仕事についている人には、「可能なら脱け出す」ことを勧める。それが無理なら「今の仕事をもっと人間味のあるものにして、ツールをもっとコントロールさせてもらえる変更を提案しよう」。これも無理なら「逃げ出す計画を立てるしかない」。

 ルール6は「AIをチンパンジーの群れのように扱う」。「今のところ、ほとんどのAIはチンパンジーの群れと似たようなものだ。頭はいいが、人間ほどではない。適切な訓練と監視を受けていれば指示に従うことはできるが、訓練も監視も受けていなければおかしなふるまいをして、破壊的な行動を示すこともあり得る」。「欠陥のあるAIは、社会の主流から外れた人たちに過度の影響をもたらすことが多い。これはアルゴリズムのトレーニングに使う過去のデータソースにしばしばバイアスが含まれていて、そのバイアスがアルゴリズムに取り込まれてしまうからだ」。深層学習のパイオニアの、あるコンピューター・サイエンティストは「有罪判決を受けた重罪犯人の刑期など、人の一生にかかわる重大な判断を下すのにAIを使うことには強く反対する姿勢を表明した」「現在のAIは、そしてさほど遠くない未来に予見されるAIは善悪を判断できるような道徳観念や道徳理解をもたず、この先ももつことはないでしょう。人々はそのことを理解する必要があります」と述べている。

 ルール7は「ビッグネットとスモールウェブを用意する」。ビッグネットとは「不意に職を失って打撃を受けた場合に、その衝撃をやわらげることのできる大規模なプログラムや政策」だ。セーフティネットと呼ばれているものだろう。スモールウェブは困難なときに当事者を支援するインフォーマルなネットワーだク。これも著者の造語らしい。

 ルール8は「機械時代の人間性を理解する」。大手コンサルタント・アクセンチュア社のテクノロジー責任者の言葉が引用されている。「われわれは人間に機械の仕事をやらせる訓練をしている。しかし、そんなことをするべきではない。人間だけがもつ能力を伸ばす訓練をするべきだ」。AIと自動化の専門家として著者は不安にかられた親たちから「将来に備えるには子どもにどの科目を勉強させたらいいか」と聞かれることが多い。意外性と社会性と稀少性だと確信しているが、いわゆる人文科学がその能力の手立てになるかは自信が持てないと正直に話す。

 最後のルール9は「反逆者を武装する」。隠遁生活を好んだアメリカの詩人ソローと、同じ19世紀半ばに生きた組合活動家のバグリーの生き方を対比する。バグリーは労働者の権利擁護のために闘ったが、当時、開発が進み始めていた最先端の電信装置の訓練にも取り組み、新たな職を得た。電信の未来はだれにもわからなかったが、彼女はその可能性にかけ、職を得た。労働運動活動家として名声を得ていたにもかかわらずだ。これが本書の最後のエピソードになっている。

 巻末に付録としてルールとその関連リストが掲載されている。ルール3の「デバイスの地位を下げる」では、「一日のスマホの使用時間を1時間半以下にする」。ルール4の「痕跡を残す」では、「毎週1通、手書きの手紙を出す」。ルール8の「機械時代の人間性を理解する」では、「もっと人をほめる」「週に最低一回は昼寝をする」などとなっている。もっと人間性を取り戻そうということなのだろう。最後に参考となる図書リストが掲載されている。全部で17冊。邦訳があるのは約半数。読了してAIの未来に期待し、それを知りつくしていながらも、影の面を深く懸念する著者は非常にまともで誠実な人だという気がする。自分の経験を終始、一人称で書くのにも好感を持った。AIや自動化、労働の未来に関心を持つすべての人に強く一読を勧めたい。



 








まんぷくモンゴル! 鈴木裕子 元公邸料理人の女性の痛快きわまるモンゴル暮らし

2023年05月02日 | 読書日記
まんぷくモンゴル! 鈴木裕子 何から何まで日本とは異なる驚きのモンゴル生活


 痛快な本があったものだ。著者はモンゴル日本大使館の元公邸料理人。1968年、東京都生まれ。18年の保育園の給食のおばちゃん時代に、料理を学び続け、専門調理師実務技能士という国家資格6種(日本、西洋、中国、すし、給食用特殊、めん類)を取得した。たまたま在外大使館の公邸料理人に応募したところ、空きのあったモンゴル大使館勤務を勧められた。公邸料理人は大使の私的な雇用で、任期は大使と同じく3年程度。仕事は、①公邸での昼食会や晩さん会の食事の用意、②天皇誕生日など公邸で開くパーティや祝賀会の宴席の準備、③大使や家族のための食事作りだ。住まいが公邸の厨房そばなので、通勤0分が大いに助かったという。国際交流サービス協会という一般社団法人が公邸料理人の募集や紹介事業をしている。評者もニューヨークにいたとき、国連代表部の常駐代表(大使)や総領事公邸での会食やパーティなどで時折、ごちそうになった。公邸料理人は大阪にある調理師専門学校の出身者が多いと聞いていたが、保育園の給食のおばちゃん出身の人もいるんだと少し驚いた。

 そのおばちゃんが赴任したモンゴルに惚れ込んで、書き上げたのが本書だ。だが、いわゆるグルメ本ではない。東京など大都市にはモンゴル料理のレストランもあるが、レストランやモンゴル料理の紹介本でもない。3年間のモンゴル生活のありのままをつづったモンゴル生活紹介本だ。モンゴルの生活は厳しい。真冬になると首都のウランバートルでも零下20度以下に下がる。しかも降水量はごくわずかで、雪もあまり降らない。海に囲まれた湿潤な気候で、日本海側の地域が毎年、大雪に悩まされる日本とは大違いだ。日本のほぼ4倍の広大な面積に人口は約340万人。人口密度は1平方キロに2.2人。日本は332人なので、約160分の1だ。東京出身の著者には何から何までが驚きだったに違いない。モンゴルというと馬を自在に操る騎馬民族のイメージが強いが、大平原に暮らす馬や牛、羊、らくだなど家畜の数は人間の20倍以上とか。評者は以前、オーストラリアを訪ねて、人間の数より、カンガルーの方が多いと聞いて仰天したが、モンゴルの20倍は、それよりはるかにすごい。

 著者の素晴らしいのは、何でも見てやろう、経験してみようという一種の突撃精神で、普通の日本人ならちょっと敬遠したくなるようなものまで見に行く、あくなき好奇心と、それを自分で整理しなおして、モンゴル人の気持ちになって柔らかく受け止める柔軟さだ。こうしたしなやかな気持ちがあってこそ、モンゴルの人と仲良くなり、仲間として受け入れられたのだろう。

 評者が本書を読んで驚いたのは、ウランバートルは海抜1350メートルの高地で、冬の寒さが想像を絶するところということだ。現地に駐在経験のある人に説明を受けたところ、「買い物は必ず車で行くようにね。あなたは凍らなくても買ったものが凍るから」とアドバイスを受けた。日本が大使館を置くなかで、もっとも低い気温を記録する大使館だという。

 だが、著者が一番驚き、感銘を受けたのはモンゴルの人たちの生命への深い慈しみだ。家畜は屠殺して肉をいただく。モンゴルに赴任して約半年後、モンゴルを離れる同僚のリクエストでキャンプに出掛けた。途中、生きた羊を買い、目的地に向かう。20数人の食欲を満たすため、羊は屠殺し、解体される。「モンゴルの人たちは羊の命を絶つ時に地面に血を一滴も流さない。このやり方が大切な大地を汚さず、羊を一番苦しませないという。(中略)仰向けに脚を掴まれた羊は、柔らかなお腹を晒し暴れない。羊の肋骨の間あたりにナイフが静かに浅く入る。(中略)穴から、手を差し込み指が動脈を目指す。目当てを見つけたらブチッ。そうして命は血の流れとともに失われ、ゆっくりと静かに消える」「羊の解体は、おどろおどろしいよりむしろ食べものに敬意を払う美しい仕事だった。お肉は牧場で見るようなミルク缶に詰めて焼き石で蒸し焼いた。食べきれない腿は木に吊るされ、牛糞を燃やしてその煙をまとわせた」。体内にたまっていた大量の血液はコップで汲みだし、腸に詰め、ソーセージとしていただく。

 著者はこの光景に感動する。「モンゴルの人たちは、生まれながらに殺し食べる生活の手練れだ。生きるいのちの重さと、うしなういのちのはかなさをよく知る人たちだ。彼らがいのちをとても大切に扱う理由がわかった。それを知ってモンゴルがもっと好きになった。わたしは自分が見たいのちの赤を忘れない。そう、ごちそうの色は忘れようがない」。ここまで言い切れる人は多くない。モンゴルの人たちはいのちの尊厳を知っているからこそ、いのちに敬意を払いつつ、大切にいただく。肉というと、スーパーに並ぶパック詰めの肉しか知らないわが身が恥ずかしくなった。

 「当たり前だけれど、からだは食べるもので作られ、命を繋いでいる。都市に暮らすと、摂取カロリーなどに目を奪われがちになるが、食べものの役割は消費や快楽、エネルギー源になるだけでなく、からだを作ること。命を受け渡すこと、それを実感する。私たちは命の器をいただいて日々自分のいのちを生んでいる」。

 「先進国といわれる国々で、環境に負荷をかけるからお肉は食べるべきではない、そんな考え方があるのもわかる。しかしそれを世界の尺度にするべきではない。それを草原の暮らしは教えてくれる。ここにあるのは、お肉じゃなくちゃ食べられない自然。正解は一つではないのだ」。

 「モンゴル五畜といわれる羊・山羊・牛・馬・ラクダ。遊牧民たちはそのお肉をからだで感じ分けてきた。そのお肉がからだを温めるか冷ますかなんて考えたことがなかった。(中略)ところがモンゴルではからだを冷やす肉がああり、それは山羊とラクダで夏に食べると良いという。(中略)逆にからだを温めるといわれるのは狼。どちらかといえば温める羊。どちらでもないのは牛だという。肉を食べ脈々とお肉に生かされてきた人たちが言うことは間違いない。ちなみに豚と鶏は食べられてこなかったから何のいわれもない」「雑食の日本で暮らす私たちはただ人のいう食の知識に頼るしかない。反対にモンゴルの食の特徴の一つは食材の幅の狭さだ。だからこそわかることがあある。厳しい気候の中で生きるためにからだが肉を欲するのだ。舌だけでなく、からだの感じることも味のうち。いやむしろ厳しい自然と対峙するから、おいしさがからだの声と強く連動している」。

 なぜ豚と鶏は食べられてこなかったのだろうか。次の説明で腑に落ちた。「それは遊牧に自分の足でついてこられず、モンゴルの厳しい環境下で飼育するには、住まいや餌を与えなければ死んでしまうということだ。鶏や豚を飼えば定住を余儀なくされる。それに餌代はお肉代に転嫁されるから割高になる」。はなはだ合理的な説明だ。鶏や豚を始終食べているわれわれには、まったく思いつかないことだ。

 「遊牧の家畜たちは、自分で餌を探し、野に眠ること、そして人の向かう方に歩くことができるものに限られる。飼われている羊、山羊、牛、馬、ラクダ、ヤク、北方のトナカイなどは立派にその条件を満たす。またこれらは子供をたくさん産まないから、増える分を食べていれば、大地の草が食べ尽くされるなんてことも起きない」。

 草原に生える草は、家畜たちが命を繋いでいくために不可欠なものだ。もし大地の草が食べ尽くされるようなことがあれば、家畜たちはたちまち餓死してしまう。きわめて厳しい自然の生態系のなかで、命の循環を回していくには、自然と対話する微妙なコントロールが必要になる。モンゴルの人たちはそれを熟知して暮らしている。

 馬乳酒というのは飲んだことはないが、モンゴルの人たちは愛飲しているようだ。ただこれは売りものではないという。「馬乳酒は仔馬がちゃんと育ってきたのを見届けてからお乳を必要としなくなるまでの短い間、人が馬から横取りする生乳を発酵させて作る。搾乳は牛なら朝夕二回すればいいが、巨乳の馬はいないのでおよそ二時間ごとに一回、いただけるお乳はわずかだ。大地に仔馬をつなぎ、授乳途中に仔馬を母馬から引き離して搾る。それを草原で見たが、搾り手と馬を離す人の阿吽の呼吸と、あっという間に搾り終わるのに驚いた。搾乳の終わった母馬は仔馬を置いてまた草原に戻っていく」。牛は二十一日周期で発情するそうだが、馬は年に一度しか発情期を迎えない。お乳も年一度の限定で、「馬乳酒は夏の三ケ月ほどの短い間しか作られない」「草原に詳しい人は馬乳酒をお酒というより草原の麦茶だと表現した。子供からお年寄りまでがみんな飲んできた。給水源・栄養源であり、食べもの寄りの飲料といったもの。そして乳酸菌などが生むビタミン類が野菜を摂らない草原の人たちの身体を守ってきた。健康の観点でみると腸内環境を整えてくれ、呼吸器に働きかけ結核や肺炎によく、コレステロールや中性脂肪も下げてくれる優れものだ」。

 食べものや飲みものの温度の好みにも違いがある。「モンゴルではひと昔前まで生ぬるいビールしかなかったというが、サービスが悪い、冷蔵庫がないという事ではなかった。からだを温めるものが愛されるモンゴルでは『冷たいもの』を食べて無理やりからだを冷やすことが嫌われていたのだ。環境が変われば食材だけでなく、好みの温度帯までが変わる。きっと日本を訪れたモンゴル人は、水のグラスに氷が当たり前に入っていることに目を丸くしただろう」。以前、ツアーで中国を訪れ、地域によっては常温でビールを飲む人が多いと聞いて、びっくりした。もちろん、ツアー客は冷えたビールを飲んだのだが。今ではウランバートルでも冷たいビールを飲むそうだ。

 モンゴルは岩塩王国だ。海に囲まれた日本では海の塩も多いが、モンゴルではモンゴル産の岩塩一辺倒だ。硬い岩塩は料理に使うにも工夫が必要だ。著者はふるいを使って、岩塩の大きさを分け、料理に使う工夫をした。「ないものは作らなきゃという訳でわたしは鍛えられた。そして今どきの日本では役に立つことがないさまざまな加工品を作るスキルが身に付いた」。

 ここまでが第一章の「食べることは生きること」。第二章は「草原をゆく」。まず草原のトイレ事情が紹介されている。「田舎のトイレは地面にただ深く掘った穴で、そこに掘立て小屋を被せたようなものが一般的だ。しかしそれは湿度の高い日本から来た私たちの予想に反して、動物園のような匂いはしても、汲み取り式便所のような強烈な臭いはしない。排泄物の水分がまたたく間に乾いた地に吸われ失せれば、うるさい蠅などの虫も湧かない」。

 次が住まいのゲルだ。「ゲルは二~三人で二時間もあれば建ち、解体は更に短い時間で行われる。簡単に建て方を説明すると、まず地面に床材を敷き、壁は木製の折り畳みの格子状の骨組みを広げて、直径五~六メートルの円形をつくる。(中略)垂木を天窓から壁の格子に渡して天井を作る。内側から見ると、仕上がった天井はまるで傘のよう。骨組みができたら、そこにフェルトや防水布、厚手の白い布を被せ外側からロープで締め外壁を固定する」「ゲルは家畜の餌と水のある地を求め年に何度も移動する遊牧生活を前提に生み出された住まい。大地に平面さえあれば建てる場所は自由。かぶせる布を調整すれば気密性だって自在だ。ゲルの安定性と機能性は、わたしの建物の概念を大きく変えた。夏冬とまったく生活を変えるモンゴルの草原の暮らしをオールインワンに満たすゲルはこれ以上がない知恵の結晶なのだ」「土地を去る時は、何もなかったかのような平地を残して去る。(中略)ゲルは建物であると同時にモンゴル人の生き方なのだ」。

 「日本ではなかなか叶わず、モンゴルの田舎に少し出ればいとも簡単なことがある。それは地平線を見ることだ。(中略)そのどこまでも先へと誘うような薄い色合いの地平線を見ていると、その色に誘われて彼方へ移動するのがごくごく自然なことに思えてくる」「そんなモンゴルの地平線に夜が来る。(中略)ここでは地平線から天の川。地平線から宇宙が始まると、体感する世界が一変する。その存在感に圧倒される。自然と自分を隔てるものが何もない。まさに星空に包まれる。星降るような夜、草原に広がるあの景色は一度見たら忘れられない。それは星々の放つ光を隠す人の営みが大地にないからこそ味わえる絶景だ」。

 評者がモンゴルの生活に適応できるとは思えないが、この絶景の星空は是非、見てみたい。もう30年ほど前のことになるが、アメリカ・アリゾナ州の砂漠地帯を車で移動しているとき、ふと車を止めて夜空を見上げたときの感動が今も忘れられない。砂漠の中ほどか、あたりにまったく光はない。満点の星のキラキラした輝きと太く明るく流れる天の川。天の川がこんなに鮮明に見えるものかと、しばし見とれた。遠くに動物の吠え声が聞こえる。コヨーテだろうか。通りかかる車もまったくない。もしここでガス欠になったら、車が通る明朝まで一晩過ごすしかないだろうなと思った。

 第三章は「モンゴルで旅人」。ロシアと中国を結ぶモンゴル縦貫鉄道の旅だ。ロシアに入るとシベリア鉄道に直通する。ウランバートルから第二の都市ダルハンに向かう列車の旅だ。知り合いはみんなバス旅を勧めた。車なら四時間のところが列車は約七時間もかかる。でも著者は列車を選ぶ。黒いミンクの帽子にすてきな制服の美女が迎えてくれる。だが、旧ソ連製の客車は使い勝手がさんざんだ。個室のドアの開け方から、流しの蛇口の使い方まで、女性乗務員に教えてもらわないと何もできない。「この帝政ロシア時代を彷彿とさせる剛健な造りには面食らう。これならたとえ脱線しても車両はびくともしないだろう」と感心する。ダルハンでは養鶏家のお宅に泊まる。養鶏といっても採卵のためで鶏肉をとるのが目的ではない。著者は久しぶりに鶏肉を食べたかったというが、それはかなえられなかった。

 次がお酒の話。モンゴル人は酒豪のイメージが強いようだが、「若者が家では飲まないと知ったのは、迂闊にもモンゴルに住んで二年を過ぎてのことだった。(中略)『特別な場合を除き、目上の人の前で飲むのは失礼に当たる。親の前で酒を飲むものではないし、酔うなんてとんでもない』と聞いて本当にびっくりしたが、何人かの若者に聞いても答えは同じだった」。酒の飲み方に関する習慣は、国によってずいぶん違う。韓国では目上の人と同席したら、目下や若者は隠すように飲むのが礼儀という話がある。ソウルに行ったが、それが実行されているかどうかはわからなかった。

 「人が少ないことは人を親切にする。逆に過密な環境ではその親切心を押し殺さなくては生きにくい」。これは著者の実感のようだ。「他人と家族のような気安さで助け合うモンゴルの暮らし」「世間さまに迷惑はかけられないという価値観の日本人。もちろん人の手を借りず、自分のことは自分でできたほうがいい。けれどそれが他人からの助けがないことが前提であったらさびしい。それが行き過ぎて自分のことしか視野になく、周りを見る余裕がなくなっていくとしたらおそろしい」。まったくその通りだ。

 「公邸料理人の任期の終わりが頭にちらつく頃、友人の智子さんが、任期が終わったら何をするつもりなのかと聞く」。まだ考えようがないと言いつつ、「でもいつかしてみたい仕事が三つあったんだ」と何気なく答える。それは「料理専門の家政婦、料理の家庭教師、それと『美味しいは人生を幸せにする魔法の杖みたいだ』って本を書くことがしてみたかったの」。そう話すと彼女から思いもかけない言葉が返ってきた。「それならモンゴルにいるんだからモンゴルで本を出せばいいんじゃない?」。実は、彼女の冬の仕事は本の編集と翻訳なのだという。著者はかねてモンゴルにとって必要だと思う本があった。それは野菜の本だ。親しく大切な存在になったモンゴルの人たちの健康には問題があった。平均寿命は日本より十数年短く、心筋梗塞、血栓、動脈硬化などの血液が絡む病気やがん、糖尿病に苦しんでいる人が少なくなかった。むかしは発酵食品を多く食べ、屋外で活動的な暮らしをしていた。だが、今では車に乗り、一年中、肉と脂の赤い食べ物を食べて暮らすようになった。「伝統的にモンゴル人の食べてきたナチュラルなお肉はからだの材料となり、エネルギーを生む。けれど肉には体中の不要物を追い出したり、有害なものを壊したりする力はない。それを発揮するのは野菜だ。これを伝えなければと思った。お肉もいいけれど野菜もね、なのだ」。だが、野菜は料理しなくては食べられない。野菜に親しむには、「野菜の選び方、使い方、保存法、効能が広く知れ渡る必要がある」。野菜好きの大使のもとで仕事をしてきた著者はそうしたノウハウをすべて心得ている。こうして翻訳と編集が冬の本業の友との二人三脚で、モンゴル語の野菜の本ができあがった。出版社の社長は旧知の人だった。

 モンゴル在任中に知り合った国立民族学博物館の小長谷有紀さんに、「離任後モンゴルについて書いてみたい」と相談すると、「書いていることは面白いわよ。一年続ければ本になるくらいの原稿量になるはずだから」という励ましもあって、日本語のこの本も日の目をみることになった。著者はそうした不思議な縁を引き寄せる力のある人なのだろう。元「保育園のおばちゃん」である公邸料理人のモンゴル体験記なのだが、著者の素直な目や感性がモンゴルのふだんの生活をよくとらえているのに感心した。日本とモンゴルとの比較文化論にもなっている。決してモンゴル料理紹介本ではないが、代表的な料理の作り方も丁寧に紹介されている。評者はモンゴルと聞くと、大相撲に力士を輩出していることと、数年前、国立劇場にホーミーの公演を聞きに行ったくらいしか思い浮かばない。ホーミーは、喉から甲高い音とうなり声のような低い音を出すモンゴル独特の歌唱法だ。聞いているとモンゴルの大草原を気持ちのよい風が通り抜けていくような気がした。日本とモンゴルは飛行機だと五時間ほどの距離というが、その文化や習慣について私たちはほとんど知らない。この痛快なモンゴル体験記を読んで少しモンゴルが身近になった気がした。本書はモンゴルで養蜂をしている日本人女性のことも紹介している。さまざまなところで、たくましく暮らしている人がいるものだ、と感心した。