新型コロナからいのちを守れ! 西浦博、聞き手・川端裕人 コロナ制圧に向けた「8割おじさん」の奮闘
新型コロナの厚生労働省クラスター対策班で理論疫学者として奮闘。感染を大きく減らすには人と人との接触を8割減らすことが重要だと説いて有名になった京大医学研究科西浦博教授の著書だ。サイエンス作家川端裕人氏が聞き手。西浦氏は数理モデルを使った感染症分析の第一人者だ。冒頭で、「2020年初頭からの半年がこのような激動の日々になるとは、一切想像していませんでした。(中略)ある日気付いたら、戦時状態のような緊張と責任に満ちた環境に放り込まれ、寝る間を惜しんで働くことになり、専門家会議に協力してデータ分析をして会見に出たところ、一時的にキムタクよりも露出が多い状態になってしまいました」と述懐する。新橋のビジネスホテルに泊まり込み、霞が関の厚労省まで歩くと「先生、頑張れよ」とサラリーマンから励まされた。その後、緊急事態宣言が出て社会経済活動に制限が課され、厳しい批判も受けた。殺害予告を受けて警官の護衛付きで歩いたこともある。
1977年生まれ。宮崎医大を卒業後、感染症疫学の重要性を痛感。数理的な応用モデルの使い手や指導ができる研究者が日本にいないため、イギリスのインペリアル・カレッジ・ロンドンで学位を取得。博士研究員時代にはドイツのチュービンゲン医系計量生物学研究所やオランダのユトレヒト大学で研鑽を重ねた。香港大などを経て16年に北大教授。新型コロナで多忙をきわめるなか、2020年8月、研究室ごと京大に移籍した。聞き手の川端氏は科学系ノンフィクション作家。2007年に上梓した感染症疫学小説執筆のため専門家を探していて西浦氏を紹介された。川端氏が詳しく話を聞いてまとめ、それだけではわかりにくい部分を川端氏がコラムで補足する。第1章は「はじまりの時」。2019年の大みそか。西浦氏は福岡県の妻の実家から猛烈なスピードでメールを打っていた。相手は国立感染症研究所の鈴木基・感染症疫学センター長。「話題になっていたのは、新興感染症の流行だった。中国・武漢の生鮮市場で新しい感染症が発生しているという。それも重症の肺炎を起こすウイルス性感染症で、未知のウイルスによるものらしい。(中略)この日、中国の武漢市衛生健康委員会がメディアに発表し、それをWHOの現地事務所が確認して報告したことから、世界が知るところとなった」「1月10日ごろにもなると、日本でも、疑い例とされる患者が、国立感染症研究所に隣接する国立国際医療研究センター病院に続々と診察を受けにやってきた」。1月16日、日本で最初の症例が確定された。「この時点で武漢にいるとされた感染者は41人のみ。一方、海外で診断されて報告された感染者はタイと日本に1人ずつ。武漢に41人しか感染者がいない状態で、海外にランダムに人が出て行ったとして、2人がすでに感染して見つかるというのは常識的に考えてもありえない」。
こうした状況でも「空間的逆計算」という手法を使うと「中国とタイ、日本との間を行き来する人たちの数のデータから考えて、今、武漢にはどの程度の感染者がいないと説明がつかないか、誤差の範囲も含めて推定できる」。推定では846人と出た。「ヒト・ヒト感染が起こって、流行が拡大している感染症が武漢にあるーーそういうことが、この時点で確実になってきた」「本当に流行になって、日本にも感染者が訪れるのは間違いなさそうです。北大の西浦研から、何人かの手練(てだれ)を出して。感染研に張り付かせてもらえませんか」。鈴木氏の依頼に、西浦氏は3人の大学院生とともに上京。西浦研は2015年の韓国でのMERS(中東呼吸器症候群)や16年のコンゴ民主共和国でのエボラ出血熱の流行時にも数理モデル構築に取り組んだ。
2月16日には加藤厚労相(当時)と面会しレクチャーする。感染症法に基づく個人情報に触れるためにも必要な手続きだった。2月17日からはダイヤモンド・プリンセス部屋と呼ばれる厚労省の小会議室で仕事をする。北大の4人を含め、12~13人のメンバー。ダイヤモンド・プリンセス号は2月3日に横浜に帰港、5日に陽性者10人が発見され、3711人の乗客・乗員全員が14日間の隔離を受ける。結局、感染者は712人、死者は13人となったが、下船後の2次感染はなかった。西浦氏は自ら東京にある運行会社を訪れ、乗員居室も含めた船内の詳細な見取り図を入手、感染をシミュレーションした。厚労相と会う機会も増えた。「下船時の検査では陰性でも、下船時に発症する人は何人くらいいるだろうか」と聞かれ、その場でカシャカシャ計算する場面もあった。時には大臣から直接の連絡も。「2月5日以降、実効再生産数がしっかり減って、新規感染が減っていますと伝えた時は、純粋に喜ばれていました」。数理モデルが実際に役立つことを評価され、氏は率直に喜んだ。
2月22日には感染研の脇田隆字所長、鈴木基センター長、東北大学の押谷仁教授を交えた緊急対応センターが立ち上がったが、個人的に大変なことが起きる。北海道にいた妻が感染者の濃厚接触者とわかり、発熱して咳も出た。PCR検査では陰性だったが、感染が疑われた。子ども3人はまだ小さい。肉親の助けで乗り切ったが、押谷氏が心配し、妻に直接電話してくれた。西浦氏は庶民派の熱血漢で、研究室の誰かが健闘すると「餃子の王将」で食事する儀式があった。だが、コロナ下ではテイクアウトで我慢した。夜中まで仕事し餃子を食べて寝る西浦氏は、ロングステイできる宿を借りて自炊し、早朝に散歩を欠かさない健康生活の押谷氏に何度も生活態度をたしなめられた。研究者の人柄がにじみ出るエピソードが豊富なのは本書の大きな魅力だ。
第2章は「クラスターを追え!」。2月4日から11日の「さっぽろ雪まつり」で海外から多くの観光客が訪れた北海道では、札幌から道内全域に感染が広がり、2月28日には道独自の緊急事態宣言を出す。ここで「押谷仮説」が誕生する。札幌から感染が始まり、それが道内各地に放射状に広がっていくが、クラスター対策班が追っかけても、間をつなぐ感染者は見えない。押谷氏は「間をつなぐ感染者が見えていないのは、軽症で済んだだろう若者が札幌にいっぱいいて、それぞれの地域に広がったんじゃないか」と考えた。これを受けて、尾身茂氏が3月2日、「若者など軽症の人が気づかないうちに高齢者など重症化するリスクの高い人に感染を広める可能性があります」と若者の行動自粛を呼びかけた。
北海道での感染は下火になるが、東京、大阪など大都市圏での感染者は増え続ける。2月26日には安倍首相が大規模イベントの中止や延期の要請に踏み切る。海外からの入国は制限されたが、イギリス、フランスといった市中感染が広がる国からの入国者は待機要請だけで、感染者の入国が相次いでいた。3月27日までこの状況は続く。このころから専門家の間でも意見の違いが目立つようになる。節目になったのは3月19日の専門家会議。大規模イベントの自粛要請を解除する手はずで、西浦氏はもう少しがんばった方がいいと自粛要請延長を画策して厚労省から嫌がられた。「専門家には決定権限はありません。リスク評価として『ここは守らなければ』という範囲を必死にやる。あとは政策判断側に委ねるしかないので、リスク評価結果が政策に反映されない時にはぐっと唇を噛んで耐えることが必要です」。
西浦氏が行ったシミュレーション結果とその発表をめぐっても省内で悶着が起きた。必要病床数のシミュレーション、とくにICUが足りなくなるという結果をめぐっては課長、局長から「都道府県が混乱する」と強い発表自粛要請があった。審議官からは「西浦を止めろ」と尾身氏に直接電話があったそうだが、それを止めてくれたと尾身氏に感謝する。西浦氏はこうした自分の経験に基づいて、「今までの厚労省でのシナリオ分析は、常に父権主義的(パターナリスティック)な発想でやってきたということです。被害想定として何人重症化して死ぬみたいな話が出たとしても、それは密室で共有されて対策が決まるだけで、厚労省から地方に通知を打つときには、もう科学的概念の説明もなく、ただ冷たい事務連絡通知になっています。『これが想定だからこれだけの数のベッドを用意せよ』ときわめて行政的な上から目線のメッセージです」「厚労省側から地方に打つ通知の中では、仮に大変な流行にはなることがわかっていても、地方が手の届く範囲で設定するべき、ということなんです」「僕は厳しいシナリオを伝えた上でコミュニケーションしなければと強く感じていて、それを主張しました。現に武漢や北イタリアでは医療崩壊が起こったのですから。その現実と向き合って、それだけは避ける策を皆で考えないといけない。リスク・インフォームド・ディシジョンといって、きちんとしたリスクの認識の下に意思決定してもらう」。厚労省は各部局が地方自治体への通知や通達を連発し、受け取る側もその内容を把握できない状況がこれまでから強く批判されてきた。西浦氏は、役所や官僚の「発想の大転換」が不可欠だと強調する。
大変困難な状況だが、メディアが味方してくれるわけでもない。NHKの「クローズアップ現代+」に出演、「みんなが行動を変えて対策すれば、大規模流行は防げる」と力説した。だが、番組ではその部分がばっさり削られた。「恐らく科学部は僕の意見に慎重になったんですね。強く言ってきているけれども、はたしてそのまま流していいものかと」。クラスター対策への風当たりも次第に強くなってくる。
このころ、毎週末にはコロナ専門家「有志の会」が開かれていた。港区にある東大医科研の武藤香織教授(公共政策研究)がセミナー室を提供し、専門家会議の全員やクラスター対策班メンバー、コロナ患者を受け入れている病院の医師や科学コミュニケーションの専門家など20人ほどが集まって肩書や立場に関係なく何時間も議論を交わした。「有志の会」はメディア向け勉強会も何度か開催している。
だが、大都市圏では感染者が急増し、4月7日には緊急事態宣言が出される。この直前、シミュレーションで必要な病床数を予測、東京都と大阪府に西浦氏らが直接説明に訪れた。大阪では大きな摩擦が起きる。「市長と府知事は、大阪から全国に散らばるということではなく、県境をまたぐ移動をとにかく止めないといけないと受け止めて、中でも、兵庫県だけをターゲットにしました」。その結果、兵庫との関係が険悪になったのは大きく報道された。同行した担当者が厚労省幹部から厳しく注意された。大阪府が公表した内容は「フォーマルには通知ですらなく、メモとして渡したものなんですが、こちらには連絡なく公開されることになりました。やっぱりコミュニケーションは難しかったということです」。西浦氏自身も府との間で調整役を担っていた阪大教授から叱責された。こうした経緯を通じて氏も問題の難しさや影響の大きさを痛感する。
都の対応は大阪とは異なった。非公開のデータを提供し、再分析を依頼されたり、都知事と直接会ったりする機会もあった。「夜間の外出自粛要請を含めて都民に呼びかけることは一つのオプションです」と伝えると、都知事は「よくぞ言ってくれました」と賛同しつつ、「知事や周りの人から『先生がこれを発表してくれますか?』と何度も聞かれるんです」。これを大臣に伝えると、「西浦さんの口からは言わないで」と口止めされた。西浦氏が言うと厚労省を代表して発言しているように伝わる、そうなると厚労省の責任になるということのようだった。このあと厚労省と都の間でバトルが始まる。「最終的には、3月30日の記者会見で知事が言うことになりました。バー、あるいは接待を伴うキャバレーやクラブ、というふうな言及をしてくれて」「当たり前のように使われている『夜の街』や『夜間の接待を伴う飲食業』という言葉も、この時から使われ始めました」。これも西浦氏たちが考え出した表現だ。
このあたりの動きは、それぞれの立場や打算が激しくぶつかり合って実に生々しい。緊急事態宣言が出る前の週、その調整の最後の頃、コロナ担当の西村経済再生相から接触削減目標の相談があった。「一日当たりの新規感染者数が50人から100人規模になっていたんですけど、それを10人から20人ぐらいまで下げるにはどうすればいいのかというのをシミュレーションしました。(中略)1カ月で下げるには、8割ぐらい接触が落ちていないといけないと分かりました。その時に、西村大臣からは、大臣室で即座に、『これはきついね』と言われました」。産業別などの細かいデータを計算し直すが結果は変わらない。8割という削減目標は有識者会議前日に、内閣官房のだれかが勝手に7割と書き換えていた。西村大臣と尾身氏、押谷氏らは毎日面会して説明したが、理解は得られなかった。「最低7割、極力8割」と安倍首相が発表したのは尾身氏が首相と会見場で手打ちして決まったという。「政府側は8割のみでは呑まないことをすでに決めていたので、尾身先生から『こういう表現ではどうか』と呼び掛けてもらったのです」。このあたりは、医学者ながら政治をよく知る尾身氏のしたたかさが興味深い。このあと西浦氏は死亡想定に関する大騒動に巻き込まれる。「対策を全くとらなければ、国内で約85万人が重症化し、その半分が死亡する恐れがある」という想定が独り歩きしたのだ。想定そのものはすでに厚労省で内部調整されていたが、死者42万人という衝撃的な想定に「官邸からは『公式見解ではない』とのコメントが出て、メディアでは『西浦の乱』『クーデター』とまで呼ばれた」。川端氏は関連コラムで、「この表現は、メディアがセンセーショナルに政府批判を展開する風潮に巻き込まれた形だ」と受け止める。被害想定が外れたという批判には、「今回の問題はむしろ『最悪の被害想定』を共有するという発想そのものが理解されなかったことにあるように見える。日本ではこういった情報提供がこれまでなされてこなかったので、慣れの問題も大きい」と分析する。西浦氏は「イギリスにあるような科学顧問制度みたいなものがあれば、政府に任命された信頼できる主席科学顧問が、科学コミュニケーターやクライシス・コミュニケーションの専門家に助けられながら、国民にメッセージを発する仕組みが考えられます」と述べている。
第3章の「緊急事態と科学コミュニケーション」では「政治家が責任を取りたがらない」ことへの不満が噴出する。「本音を言うと、本当は政権に専門家の役割を支持する言葉の一つも言ってほしいわけです。専門家の科学的アドバイスをもとに、政府が責任をもって要請しているんだ、と」。NHKスペシャルに出演したとき、西浦氏が疫学的な説明をしたあと、中小企業が窮状に陥っていると日商会頭が話し、補償問題について問われた西村担当相は「西浦先生をはじめ専門家の判断で今後を決定していただく」と専門家に責任転嫁するような言い方を繰り返した。
こうした中で紹介された尾身氏のエピソードが興味深かった。内閣官房まで2人で歩く時、「西浦さん、あんたは太りすぎてきたね。私は今朝も200回、竹刀を素振りしてきたよ」「押谷先生や僕の願いを、のらりくらりとかなえてくれるような役割を、これまでも果たしてくださっています。政治家と話す時の落としどころの探り方は”尾身方式”みたいなものがあって、『極力8割』をめぐる攻防も、尾身先生の真骨頂といえるところです」と絶賛する。政治家とのやりとりを心得た医学者なのだろう。
6月以降、西浦氏は再び研究チームとしての活動を本格化させた。そんな中で特に優先すべきだと考えていることが4つある。①「夜間の繁華街」の制御だけで流行は止められるのか、②予防接種の優先順位、③一般社会での本格的な流行が起きた時にはどうなるのか、④ファクターXはあるのか、だ。ファクターXは京大の山中伸弥教授が、なぜ日本は欧米に比べ、感染者、死者ともに少ないのか、未知の要因をファクターXと呼んでいる。
最後に中央公論2020年12月号に掲載された西浦氏と川端氏の対談が収録されている。京大に移るのは2019年中に決まっていて、「将来のために質の高い次世代のリーダーとなりうる専門家を育成する」ことが目標という。川端氏はここで西浦氏に質問する。「ただでさえ薄い感染症疫学の人材の中で、数理モデルのアプローチをリアルタイムでできるのは西浦さんだけ」。その結果、「西浦さん以外に西浦さんの分析をチェックできる専門家がいなかった」。西浦氏は「海外でも同様にグラグラしていました。著名な専門家たちが集まったアメリカでさえ、意見が揺れていた。(中略)でも、僕以外の手練れがいないことによる科学コミュニケーションの混乱は真摯に受け止めないといけないことです」と応じている。
あとがきで川端氏は本書の目的を「流行の終息がまだ見えない中、最前線で感染症制御に奔走して『第一波』を乗り切った科学者が、その間、目の当たりにし、考え続けたことを共有する、ということにつきる。(中略)父権主義的な対策の決定ではなく、情報を公開した上での意思決定支援に向かおうとする模索の記録でもある」と書く。新型コロナ感染拡大のなか、激動の中心にいた当事者による貴重な記録だ。その奮闘や混乱がこうした形で記録されること自体意義深い。一連の対応を検証するうえで第一級の資料だ。コロナ問題に関心を持つ人すべてが読むべきだ。評者は、数学が得意な若者が本書に触発され感染症疫学の分野に進んでくれることを望みたい。