ハダカデバネズミのひみつ 岡ノ谷一夫・監修 アフリカ生まれの極め付きのかわいい珍獣
ハダカデバネズミという珍しい生き物のことを知ったのは「生物はなぜ死ぬのか」という新書を読んだときだ(本ブログ2021年9月7日付けで紹介)。アフリカの乾燥地帯の地下に生きる長寿命で、低酸素でも生きられる不思議なネズミとして紹介されていた。その時は奇妙なネズミがいるなと思っただけだったが、一冊丸ごとデバネズミに関する本があるというので、早速読んでみた。監修は生物心理学者で東大大学院総合文化研究科教授の岡ノ谷一夫氏。デバネズミに関する内外の論文を読み込んだライター立花律子さんの原稿を出版社の編集者がまとめ、それを岡ノ谷氏が監修するという体裁だ。デバネズミ愛にあふれた人たちの努力が結集した一冊というべきだろう。
デバネズミが生息しているのは東アフリカのケニア、エチオピア、ソマリアのサバンナ(草原)地域。といっても地上ではなく、地下に堀りめぐらしたトンネルの中が住みかだ。地上にはライオンやアフリカゾウ、キリン、サイなど大型の哺乳類が行き交う自然豊かな地域だ。その草原の地下に、平均して80匹、多い時には300匹が群れをつくっている。体長は10センチ足らず。体重は30~80グラムとかなり小さい。地下で暮らすのは天敵から身を守るのと、エサになる地下植物や植物の根やイモがとれるからだ。1980年代に行われた追跡調査によるとトンネルの全長は10キロにも及ぶという。乾燥した硬い土を生存のために「掘って・掘って・掘りまくる」。そのためにシャベル代わりになる大きな出っ歯が生えている。デバネズミはヘビが天敵だというが、狭いトンネルは侵入しにくいし、侵入されても反撃しやすい。トンネルの中は約7%という低酸素状態だが、デバネズミは酸欠に耐えられる強靭な生命力を持っている。地上の酸素濃度は約21%で、18%以下になると人間は酸欠死してしまう。
デバネズミは、哺乳類齧歯目のヤマアラシ亜目デバネズミ科デバネズミ属に分類される。齧歯目は哺乳類の約半数を占め、2000~3000種を擁して繫栄しているが、ネズミ、リス、ヤマアラシの3つの亜目に分類されている。ヤマアラシ亜目のデバネズミは種としてはネズミよりもヤマアラシに近いのだろう。
デバネズミ科には15種が知られていて、その祖先は2500万前からアフリカ大陸に生息していたらしい。ハダカデバネズミの化石も700万年から1万年前の地層から発見されている。「デバネズミ科に分類される種に共通するのは地下生活を送ることと、出っ歯化した門歯を有すること、行動生態は種により単独性と群居性とに分かれます」。デバネズミは哺乳類にはきわめて珍しい真社会性を持つことで注目されている。真社会性が知られているのは哺乳類ではハダカデバネズミとダマランドデバネズミだけ。しかも体毛がほぼないのはハダカデバネズミだけだ。真社会性というのは聞きなれないが、ハチやアリのように女王を頂点にした役割分担のある社会集団を形成する動物のことだ。ハチやアリは無脊椎動物で、脊椎動物で真社会性が知られているのはハダカデバネズミの種類だけ。この事実は1981年、アメリカの科学誌サイエンスに発表され、学界にセンセーションを巻き起こした。その後、急速に研究が進展したが、それまではまったく手つかずの分野だった。
デバネズミの群れは「女王」1匹と1~3匹の「王」で構成され、女王と王が繁殖を担う。それ以外の群れの数十匹は繁殖にはかかわらず、小型の個体は穴掘り、食料調達、子育てなどの「雑用係」(働きデパ)を担当する。大型の個体は巣を防衛する兵隊だ。出っ歯は上だけでなく、下からも生えていて2本が一対になっている。特徴的な歯は口(口唇)の外側。「つまり門歯は口唇に収められることなく常に外に飛び出した状態というわけで、常に出っ歯が目に入るのはそのためです。(中略)ちなみにデバの口腔には左右3対、計12本の臼歯が並んでいます」。目は直径1ミリ程度と小さく、地下にいるために退化し、ほとんど視力はない。だが、彼らはかなり素早く真っ暗なトンネルの中を走り回ることができる。これは体の要所に生えた感覚毛と呼ばれるセンサーの情報と仲間との音声を通じたコミュニケーションによるものだ。ほとんど無毛の皮膚はシワシワに覆われている。これも暗いトンネルをかなりのスピードで移動するので、木の根など障害物にひっかかっても皮膚が破れにくい構造だという。無毛だとノミやダニなど寄生虫がつきにくい利点もある。真社会性で注目されるデバネズミだが、固定した役割分担だけでなく、あえて群れから旅立つ個体があることも知られている。これは種の保存を目的とした「遺伝子の拡散を目指す」ための行動なのかもしれない。
それでは地下での生活はどうなのだろうか。巣穴に入るのは直径2.5センチ程度の細いトンネル。これが地下50センチほどの深さにある直径4、5センチのメインのトンネルとつながっている。その太いトンネルはメンバーの居室、トイレ、細いトンネルの中で方向転換をするための小部屋につながっている。「女王は妊娠・出産を行う唯一の雌で、ほとんどの場合コロニー内でいちばん体が大きく強い個体です。その子どもたちは成長すると雑用係や兵隊となり、女王を率いるコロニーを盛り立てるべく働きます」「雑用係がふとんと化して温める巣の中心に陣取り、同じく雑用係たちが運んでくる餌を食べて子を産み、授乳、子育てと並行して巣穴をパトロールして回り、雑用係がさぼっていると威嚇します」。妊娠期間は同サイズのねずみより長く、約80日。一度に10~20匹を出産する。野生下では食べ物の豊富な雨季に出産するが、飼育下では最大年4回出産することも。オスの王はコロニーに1~3匹存在する。「最初は丸々としたオスが王になると徐々にやせ衰えていくという観察事例が数多く報告されています」「女王には交尾を要求する鳴き声があり、王はこれを聞くと女王にマウントして交尾しなければなりません」。王と言ってもなかなかストレスがあるようだ。
「女王の産んだすべての子どもたちはオス・メスともに生後1か月ほどで離乳し、何かに組み込まれたプログラムのようなものに突き動かされるように働きはじめます」。体格のいい個体が兵隊になり、兵隊は他のコロニーから来た個体が侵入してきたときは出っ歯を駆使して戦うが、天敵のへびが侵入してきたときはまっさきに向かっていく。戦わずに身を挺する「捨て身戦法」でコロニーを救う。群れのために身を犠牲にする厳しい役割だ。
雑用係の大事な役目は気温が下がったときなど、文字通りの「肉ふとん」(写真下)と化して女王の産んだ子どもたちを温めることだ。デバネズミは毛のない変温動物なので、こうしないと生まれたばかりの弱い赤ちゃんを守ることができない。肉ふとんはデバネズミの特徴のひとつとして知られるようになった。幾重にも積み重なるふとんの下は息が詰まりそうだがが、「低酸素・高二酸化炭素耐性」なのでまったく平気らしい。
次に紹介されているデバネズミクイズが面白かった。デバネズミは普通のネズミの10倍近い約30年も生きるといわれている。その個体が若いか、そうでないかを見分ける方法がある。個体の体色の変化で、「背中側が黒っぽく、腹側にかけて徐々に白くなっているのが若い個体。6歳くらいになると背中側も白っぽくなっていく」。「歳をとるにつれ、皮膚はさらに薄く白く、見た目はよりシワシワに」「兵隊になるか雑用係になるかは生まれたときには決まっていない」「ハダカデバネズミは生後1カ月ほどで離乳しますが、実はそこでいったん全員が雑用係に、その後、体の大きさや巣内の役割分担状況により、一部が兵隊化していくのです」。
狭いトンネルの中で進行方向の違う2匹が出くわしたら、どうなるのだろうか? これは弱肉強食のおきて通り、「大きな個体が小さな個体の上を通る」。ちなみにふとん係は「かなりの個体を乗せた状態でも、苦しむどころか熟睡できるのだとか」。さすがというほかはない。
その次の章が「ハダカデバネズミの研究のあゆみ」だ。実はハダカデバネズミは19世紀にドイツの探検家によって一度「発見」されていた。博物学者のエドゥアルト・リッペルがエチオピアで調査し、1842年に記録を出している。1830年に調査していた。現地ではその存在は知られていたが、行動や生態など詳細は不明だった。学名はこのとき付けられている。リッペルは風貌のうかがえる博物画とともに報告したが、彼自身は毛のないネズミを「病気や老衰で毛が抜けた個体か、逆に鳥のヒナのように毛が生えそろう前の若い個体と考えていた」ようだ。
真社会性の発見は20世紀後半になってからだ。ジェニファー・デービスというケニア・ナイロビ大の女性研究者がハダカデバネズミが大きな規模の群れをつくり、協力して地下生活を送っていることを発見した。彼女はその後、南アのケープタウン大学に移ってデバネズミの飼育研究に取り組む。一方、アメリカ・ミシガン州立大学教授の進化生物学者リチャード・アレクサンダーは真社会性の研究をし、シロアリの研究から、仮に真社会性の哺乳類がいるとすれば、地下に住むネズミの仲間で、「熱帯乾燥地帯の硬い土壌の地下に、捕食者が侵入することができないトンネルを掘って生息している」「食性は生息地近くでとることのできる植物の根など」という仮説を立てていた。アメリカ・北アリゾナ大で彼が講義したとき偶然、ジャービスの研究を知る人がいて、アレキサンダーに彼女の研究の内容を伝えた。二人は手紙で連絡をとりあい、アレクサンダーもアフリカを訪問して、1981年のサイエンスでの論文発表につながった。ナイロビ大で学位を取得したジャービスはケープタウン大の動物学教授となって、世界のハダカデバネズミ研究をリードしたが、世界各地の研究者のサポートにも努めた。岡ノ谷氏は千葉大助教授時代に、ハダカデバネズミの研究に取り組んでいたが、研究室のネズミの大部分はジャービス氏から提供されたものだった。その後の研究で、デバネズミは17種類の鳴き声を使い分けていることが知られるようになった。トンネルで仲間と会った時のあいさつや、仲間同士の小競り合いの騒がしい声、外敵と会った時の声、女王や王の交尾、排尿の際の声など多様な声が識別されている。これほど多様な声を識別するネズミはほかに知られていない。音が聞こえる範囲は65ヘルツから13キロヘルツで、人間にも聞こえる音域だ。ハダカデバネズミは長寿動物としても有名だ。普通のネズミの10倍の約30年も生きるという。生理学的な研究ではヒアルロン酸の分泌量が多いことがわかっている。ヒアルロン酸は細胞の結合が主な役割で、ヒアルロン酸が多いことが皮膚の弾力性を増し、トンネルで暮らす適性を高めているという。またヒアルロン酸は細胞の数の制御にも関係していて、細胞が無限に増殖するがん化を防ぐ役割をしているとも考えられている。
日本ではハダカデバネズミの細胞から、iPS細胞がつくられている。2016年5月に北大遺伝子研究所と慶応大生理学研究室のグループがiPS細胞の作製に成功している。2017年にはアメリカ・イリノイ大のグループが、ハダカデバネズミはまったくの無酸素状態でも18分間も耐えられることを明らかにした。もちろんほかのネズミはすぐに死んでしまう。無酸素状態になると、一種の仮死状態に陥って生命を維持する能力があるらしい。こうした能力を持つ哺乳類は知られていない。
本書はデバネズミ研究に取り組む研究者の様子も詳しく紹介していて、それがなかなか興味深い。そもそも日本でデバネズミ飼育が始まったのは1998年7月だ。埼玉県こども動物自然公園の飼育員だった日橋一昭氏が1987年、アメリカ・シンシナティ動物園の昆虫館でデバネズミを目にし、不思議な生き物に魅了された。その後、10年がかりでようやくニューヨークの野生生物保全協会(ブロンクス動物園)から10匹を迎えることができた。監修者の岡ノ谷氏は1999年10月から手探りで研究用の飼育を始めた。その後、ジャービス教授の好意で30匹を譲り受け、幾多の困難を乗り越えて飼育に成功した。岡ノ谷研究室はその後、理研へ移動したが、順次個体数は増え、2008年には約100匹になった。その後、岡ノ谷研究室が研究テーマを変更し、デバネズミの飼育研究をやめたため、今は熊本大学生命科学研究部老化・健康長寿学講座の三浦恭子准教授の研究室(通称・くまだいデバ研)が日本で飼育研究をする唯一の研究室となっている。三浦氏は京大iPS研究所でノーベル医学賞受賞者の山中伸弥教授に師事していた。本書は2020年8月の発行だが、その時点でデバネズミは600匹に増えている。三浦氏は京大iPS研にいた当時、アリやハチのような分業制集団生活、長寿、がん化耐性といった特徴を持つデバネズミに魅せられ、自分の研究テーマとして選んだ。最初に、理研から東大に移動した岡ノ谷氏から約30匹を譲り受け、熊大に正式に「デバ研」を立ち上げたのは2017年だった。デバネズミ飼育のノウハウは、埼玉県こども動物自然公園や、デバを飼育する上野動物園の協力を得たという。本書には三浦氏のロングインタビューが掲載されている。「デバはいろいろな行動があり、とにかく見ていて飽きないです。つぶらな目を閉じてリラックスして寝ながらキリキリと歯ぎしりしている姿は萌えます。他の研究室の研究者も時々、癒されに(?)眺めに来ることもありますね」と話している。デバネズミの本格的な研究はまだ始まったばかりだ。「ハダカデバネズミは比較的研究の歴史が浅く、まだ研究者人口も限られている、新しい分野です。老化耐性・がん化耐性・低酸素耐性・特異な社会性などのオモロイ現象のメカニズムは現在のところまだ多くが不明で、まさに研究の種の宝庫です」と大きな期待を寄せる。本書にはリーダーの三浦氏のほか、飼育担当の技術員、研究室の助教や博士研究員などへのアンケートも載っている。みんなデバ愛にあふれる人ばかりだ。
巻末にはどこでデバに会えるかも掲載されている。札幌市の円山動物園、埼玉県こども動物自然公園(東松山市)、上野動物園小獣館、静岡県河津町の体感型動物園iZOOの4施設だ。いずれも常設展示されている。
ひとつの珍しい動物をその生態、研究の歴史から研究者まで丸ごと紹介している本は見たことがない。登場する人々もデバ愛にあふれる人ばかりで読んでいて楽しい。遠いアフリカからやってきたデバたちには日本で楽しい時間を過ごしてほしい。本書を読んで、評者もデバファンになった。こんど、上野動物園に出かけたときには是非、出会ってみたい。自然にそういう気持ちにさせる一冊だ。一冊に仕上げた関係者に感謝するとともに、こうした奇特な書物を上梓した出版社(エクスナレッジ)にも感謝したい。カラー写真満載の本書を1400円(税別)で出して引き合うのか心配だが、建築関係の雑誌や専門書の出版社なので、大丈夫なのだろう。出版は文化だということを実感させる。表紙や本文中にに、ふんだんに紹介されているハダカデバネズミのかわいい写真はすべて「くまだいデバ研」の提供になるものだ。