10万個の子宮 村中璃子 何が「子宮頸がんワクチン禍」の真の原因なのか
刺激的なタイトルの本だ。サブタイトルは「あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか」とあり、それが本書の内容を言いつくしているようだ。
著者は医師、ジャーナリスト。一橋大社会学部を卒業、修士課程終了後、北大医学部を卒業して医師になった。マニラにあるWHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局でも勤務した経験があり、英語が堪能で国際感覚もある医師なのだろう。
子宮頸がんは若い女性を中心に年間約3000人の命を奪い、約1万人の子宮が手術で摘出される病気だ。女性にとっては乳がんと並んで、恐ろしいがんの代表だ。近年の研究でヒト・パピローマ・ウイルス(HPV)への感染によって発症することがわかった。ウイルス感染が原因ならワクチンが作れるはずと、何種類かあるHPVのいくつかに対応するがん予防ワクチンが開発され、世界的に接種が進んでいる。日本でも2013年4月、思春期の女性が定期接種の対象となった。表題の「10万個の子宮」は毎年1万の子宮が手術で摘出され、それがあと10年は続くという推定からとられている。
HPVは一種の性行為感染症なので、性行為が始まる前の思春期に接種しておけば免疫ができ、子宮頸がんが予防できる。現在のワクチンだと発症率を3割以下にできるという(欧米の最新のワクチンだと1割)。ところがワクチン接種に対して猛烈な反対運動が起き、接種が原因で原因不明の全身のけいれんなどの副反応(副作用)が起きているという患者団体の告発で、厚労省は2013年6月、定期接種対象としてからわずか2ヶ月後、「積極的な接種勧奨の一時差し控え」を決定した。
評者は見ていないが、テレビニュースなどでは全身をはげしくけいれんさせたり、記者会見に車椅子で臨む少女たちの衝撃的な映像が繰り返し流されたという。テレビだけでなく、新聞でも記者会見の様子が詳しく報じられていたことは記憶している。
だが、不思議なことにこれほど子宮頸がんワクチンの副反応が問題にされ、接種率が1%程度に急減したのは日本だけのことだという。
本書を読むまで、評者が知っていたのはほぼこれだけだった。厚労省がこの問題で研究班をつくり、調査を進めたことも報道では知っていたが、「接種は中止すべき」とか「再開すべき」という明確な結論が出たという報道を見た記憶もない。現代の医学界では「一種のタブー」になってしまったこの問題に、真正面から取り組んだのが本書だ。
筆者が取材を開始し、その成果を「Wedge」という月刊誌に「子宮頸がんワクチン再開できず日本が世界に広げる薬害騒動」として発表、議論を巻き起こしたのは2015年10月。この記事はウェブ版では「あの激しいけいれんは本当に子宮頸がんワクチンの副反応なのか」というタイトルで発表された。
「科学的根拠に乏しいオルタナティブファクト(注:正統的でない事実)やフェイクニュースが、専門的な知識を持たない人たちの『不安』に寄り添うように広がっている、筆者は医師として、守れる命や助かるはずの命をいたずらに奪う言説を見過ごすことができない。書き手として、広く『真実』を伝えなければならない」という強い使命感が取材や執筆の動機になったという。
だが、反ワクチン論者からの抗議はきわめて激しいものだった。抗議は筆者の見解を掲載するメディアにも及ぶ。「トラブルを避けたいメディアからは距離を置かれるようになり、記事を発表する機会は失われていった」。その中で、筆者を励ましてくれたのは2017年11月、イギリスの科学誌「ネイチャー」などが主催するジョン・マドックス賞を受賞したことだった。
ジョン・マドックス氏は22年にわたり、ネイチャー編集長を務め、科学誌としての声価を大きく高めた人だ。お目にかかったことはないが、名前は評者もよく知っている。この賞は「困難や敵意に遭いながらも、公共の利益のためサイエンスを世に広めた人物に与えられる」ものだという。
審査委員会は「子宮頸がんワクチンをめぐるパブリックな議論の中に、一般人が理解可能な形でサイエンスを持ち込み、この問題が日本人女性の健康だけでなく、世界の公衆衛生にとって深刻な問題であることを明るみにしたことを評価する。その努力は、個人攻撃が行われ、言論を封じるために法的手段が用いられ、メディアが萎縮する中でも続けられた」という講評をしたという。本書にはマドックス賞発表のウェブ画像が掲載され、筆者がほほえむ写真が添えられている。
本書は「子宮頸がんワクチン禍」に対する筆者の粘り強い取材、執筆とそれに対する「迫害」の物語である。
2016年7月、子宮頸がんのワクチン禍を訴える市民団体は国を相手取り、被害に対する国家賠償を求める民事訴訟を起こした。筆者によると、これはこの問題での世界初の国家賠償請求訴訟だという。
この問題で取材、執筆を続けてきた筆者自身も厚労省研究班で班長を務めた信州大元医学部長の池田修一氏から名誉毀損による損害賠償請求の訴訟を起こされている。国家賠償、個人の名誉毀損という二つの民事裁判が継続中の「子宮頸がんワクチン禍」とはいったいどういったものなのだろうか。(弁護士ドットコムによると記事を掲載したWedge誌と当時の編集長も訴えられている)
「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会(被害者の会)」ら患者団体とそれを支援する団体が作成した「被害報告集」には「繰り返し起きる手足や全身のけいれん、『自分の意思と無関係に起きる』という不随意運動、歩けない、階段が上れない、時計が読めない、計算ができない」といった「特に神経疾患を思わせる症状の記述はどれも強烈だ」という。そうした患者の映像や記述を「『ワクチンのせいだ』と思って読めば、読者は絶句し、ワクチンへの恐怖心を募らせるに違いない」。
本書によると、2015年9月17日、専門家らによる厚生労働省の予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会が開かれ、子宮頸がんワクチンについて1年2カ月ぶりに議論した。「この時も『ワクチンによる重篤な副反応の多くは心的なものが引き起こす身体の症状」との見解は覆さなかったが、『積極的な接種勧奨の一時差し控え』という奇妙な判断も継続するとした」。つまりワクチンと身体的な症状とのはっきりした因果関係を認めるのは難しいが、接種には強い異論があるので、それに配慮し接種の勧奨は見合わせるという、いわば玉虫色の結論だろう。
筆者は専門医を訪ねて意見を聴いてまわる。実名は出ていないが、筆者が取材した多くの医師はこうした症状について、「偽発作」や身体的な異常はないのに起きる身体の症状「身体表現性障害」とみているようだ。ワクチン禍で起きたとされる患者の多くは「さまざまな検査でも異常が見つかっていない」という。筆者は「医者が患者にワクチンや薬の説明をする場合には必ず『どんな薬にも必ず副反応はありますが』という前置きをしなければならない。そのため、どんな身体表現性障害を疑う例であっても、『やっぱり子宮頸がんワクチンのせいではないんですか?』と患者が納得しない場合、医師は黙るしかないのだ」という。
「状況をさらに難しくさせたのは、新しい病名までつけて子宮頸がんワクチンの危険性を訴える医師たちが登場したことだ」とも指摘する。2014年にHANS「子宮頸がんワクチン関連神経免疫特異症候群」という新たな病名を提唱したのは東京医大医学総合研究所の西岡久寿樹氏。氏は一般社団法人日本線維筋痛症学会の理事長でもある。「HANSを主張する医師は片手で数えるほどだ」が、日本小児科学会の元会長や日本自律神経学会の元理事長など有力医師も含まれているという。
西岡氏によれば、HANSは「ワクチン接種で狂った免疫系が引き起こす自己免疫による『脳障害』」という。「診断の基準となる検査所見も科学的エビデンス(証拠)もないが、『多彩な臨床症状からそうとしか考えられない』」と主張する。「世界の医学界が科学的エビデンスに基づく医療を原則とする中、この議論を鵜呑みにする専門家は少ない」「しかも、HANSの特徴は『接種から経過した時間は問わない』ことだといい、(中略)『一度なってもまたなる』」「『症状が出ては消え、新しい症状が出てくる』」『数多くの症状があり、それが出たり入ったりする』ことが特徴」だという。
医師ではない門外漢に理解出来ないことはもちろんだが、専門家でもこうしたあいまいな診断基準には首をひねる人が多いことだろう。
筆者の取材に、日本小児科学会のある理事の医師は「患者さんたちは本当に気の毒だと思います。けれど、HANSはワクチンを打った後に起きたというだけで、接種からどんなに時間が経っていても、脈絡のないすべての症状をひっくるめてひとつの病気だというんでしょ? それなら便秘でも発熱でも、ワクチンを打った後で起きたら何でもHANSだということになってしまう。しかも、エビデンスはないけどワクチンのせいだと言われたら、ただ黙っているしかないですよ。ワクチンのせいではないことを証明する『悪魔の証明』はできませんからね」と話したという。
専門家の間でも、きちんとした議論が成立しない状況ははなはだ残念だ。
その中で、注目される動きがあった。名古屋市が市内の中3から大学3年相当の若い女性約7万人を対象に行なった大がかりな「子宮頸がん予防接種調査」だ。名古屋市立大の公衆衛生学研究室が調査を担当し、接種群と非摂接種群に分け、それぞれ25項目からなる質問を行った。回答率は全体で43.4%。この種の調査としてはかなり高い数字だ。
2015年12月に速報(中間解析)が発表された。「年齢で補正した調査結果は、月経不順、関節や体の痛み、光過敏、簡単な計算ができない、簡単な漢字が書けない、身体が自分の意思に反して動くなど、メディアでも繰り返し報道されてきた症状が、ワクチン接種群に多く発生しているわけではなく、『むしろ15症状で少ない』という驚きの内容だった」という。
河村たかし市長はこの調査結果について、「結果は『症状とワクチン接種との関連性は認められない』というものだが、ワクチンとの因果関係を疑って症状に悩む人がいることは重く受け止め、年明けから相談窓口も設置し、『最終報告は1月中を目途に出す』とした」と述べたという。
ところが、2016年6月18日午前0時に「『事件』が起きた」。ウェブ上に公開されていた調査結果の速報が、市のウェブサイトから削除されてしまったのだ。中間解析の公表直後の記者会見で、患者支援団体である薬害オンブズパーソン会議は「明らかに不自然な結果で、被害実態をとらえる解析もなされていない」と強く批判していたという。
筆者は中間解析結果や情報開示請求して入手した最終解析結果をもとに、「名古屋市の大規模調査は、子宮頸がんワクチンが、日本人の間で『薬害』というレベルの副反応を引き起こしている可能性がないことを科学的・疫学的に証明している。薬害を主張する団体の要望に添った解析を行っても、薬害は立証されていない」と結論づけている。
長年、科学記者をしてきた評者にとって、強い自戒を込めて読まざるを得なかったのは第3章の「子宮頸がんワクチン問題の社会学」だ。
ここではメディアが「子宮頸がんワクチン」に関する情報をありのままに伝えていない実情が厳しく批判されている。
2015年9月、厚労省は厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会での調査結果をもとに、「これまでに子宮頸がんワクチンを接種した人は約338万人。そのうち副反応の疑いがあったが回復したことが確認できているのは1739名、症状が残っている患者は186名である」と発表した。厚労省の結核感染症課長が、「『追跡できた人の9割は治っている』と発言したのを、メディアは『1割は治っていない』とその部分だけつまんで謳った。本文を読めばきちんと書いてある記事もあるが、タイトルだけ見ればまるで全ワクチン接種者の約1割が今でも副反応に苦しんでいるように聞こえる。しかし、ワクチンを接種した人は約338万人であるから、実際の未回復者はこれを分母にとって、『338万分の186』、『すなわち約0.005%』だ。子宮頸がんワクチン問題に限ったことではないが、物差しとなる情報を読者に与えず、一見論理的に見える数字を示して、誤った印象を与える報道があとを絶たない」。
この会見の内容を具体的に知らないので、コメントは控えたいが、メディアの報道でそうした批判を受ける傾向は確かにある。医療関係の報道で、「安全」というより、「危険」という方が大きく扱われることは事実だし、「患者やその家族の発言は丁寧に扱うべきだ」という強い合意があるのも事実だ。しかし、それは事実関係を曲げてもとか、患者にバイアスのかかった記事を書くことでは決してない。だが、医療や医学の取材経験が少ない記者が、何が問題なのか、何が本質なのかを見極めないまま、センセーショナルな記事を書いてミスリードしてしまうことも少なくない。
筆者は「被害者の会」を支援する人たちの中にはメディアが医療記事をつくる過程を熟知し、時には担当の筆者や部局に圧力を加えるような場合もあると指摘する。今回の場合がそうだとは言えないが、評者の経験でも、記事を書いた当事者やその責任者だけでなく、その上部組織に、圧力をかけるような対応をしてくる人や組織も残念ながらあった。メディアもかなりのところ、「事なかれ主義」に陥っているので、「この記事はまったく何の問題もないですよ」と説明しても、一見理解しにくい問題では、「当事者がこう言っているのだから納得させないと」とか「訂正しないと大変なことになるんじゃないか」と及び腰になり、その対応に窮したことも幾度かある。メディアの構造を熟知していれば、どこが弱点かを突くのは簡単なことだ。だが、それでメディアが動かされるのでは、あまりに情けない。
「子宮頸がんワクチンは、現在、世界約130カ国で承認され、71カ国で女子に定期接種、11カ国で男子も定期接種となっている(2017年3月31日現在、WHOによる)。男子にも接種するのは子宮頸がんワクチンは、肛門がんや咽頭がん、陰茎がんなど男性に多いがんも予防し、女性の多くが男性のパートナーから感染するからである。国内でも子宮頸がんワクチンの安全性に関するデータが蓄積する中、なぜ日本政府だけが接種再開の判断を何年も保留し、守れる病気から国民を守るという世界の常識に抗いつ続けるのか」。
「新聞は両論併記を原則とする。(中略)しかし、メディアは両論併記の狭い枠からもっと自由であってもよい。報じるべき情報と報じるべきではない情報をサイエンスとファクトに基づく評価をして社会に伝えるのがメディア本来の責務である」。
筆者の鋭い舌鋒はアカデミア(注:医学界)にも向けられる。「守秘義務や患者への配慮、研究の自由などを理由に、アカデミアはHANSという概念との正面対決を避けてきた。学会で接種再開を求める声明を出しては、自分たちのウェブサイトにそれを掲載することはしている。しかし、そのインパクトは極めて限定的」だという。
「日本小児科学会や日本産科婦人科学会は、2013年6月の積極的接種勧奨停止の決定直後から接種再開の声明や要望書を何度となく出していた。2016年4月になると、しびれを切らした同2学会を含む17の主要学術団体が『これ以上の勧奨の中止は極めて憂慮すべき事態』とする見解を発表した」。しかし、この声明には患者を支援する「薬害オンブズパーソン会議」が「科学的に不正確な記載がある」として声明の取り消しを求め、その記者会見はよく報道されたという。これに対し、筆者は17団体を束ねる医師たちに、「声明は取り消さない」という趣旨の会見をするよう求めたが、「話の通じない人たちと話をする必要はない」「自分は表に出たくない」という消極論が出て、会見は開かれなかったという。
第3章の最後に、評者に興味深い記述があったので紹介したい。開沼博氏は福島原発の風評被害問題などで、地についた言説を発表している若手の社会学者だが、Wedgeでの筆者との対談(2016年5月号)で不安を利用して活動する「支援者」の存在について次のように発言している。
「これはトラウマを抱えた自主避難者などの不安当事者側ではなく支援者側に責任がある問題です。支援者といっても、事態を悪化させている、かぎかっこ付きの『支援者』です。NPO、法律家、自称ジャーナリスト、自称専門家など多様な主体で構成され、共通点は勉強していないことです」「言説を分析すると、放射線に関する知識をほとんど持っていない。にもかかわらず、『危ない福島』を前提にしながら、不安には寄り添わなければならない。自分たちは正義だと自己正当化する。原子力ムラならぬ、『不安寄り添いムラ』が形成されています」。
開沼氏のはっきりした発言に、筆者も強く共感しているように思える。
この発言を受けて筆者はこうしめくくる。「子宮頸がんワクチン接種後の少女の中には『心因性=情動に装飾された身体症状』という診断を受け入れることができず、ワクチンのせいだと不安を募らせて症状を悪化させるケースも多い。そんな少女たちは、大多数の『まっとうな医師』よりも、薬害だと断じ、一緒に戦ってくれる医師や弁護士、自称ジャーナリストなどのカギカッコ付き『支援者』が自分を救ってくれるものと信じる結果につながる。一方、ワクチン不安を抱えた少女は『薬害を見つけた』と主張することで利得を得る『支援者』にとって、欠くことのできない存在となっている」。
あとがきでは子宮頸がんワクチン禍に対するWHOの見解が引用されている。
「2017年7月14日、WHOの諮問委員会GACVSは、子宮頸がんワクチンの安全性に関する新たな声明を出し、日本の現状への懸念を示した。WHOが声明で日本への懸念を示したのはこれで3度めとなる。声明は『ワクチンを適切に導入した国では若い女性の前がん病変が約50%減少したのとは対照的に』という文章に続いて日本の名前を挙げ、『1995年から2005年で3.4%増加した日本の子宮頸がんの死亡率は2005年から2015年には5.9%増加し、増加傾向は今後15歳から44歳で顕著となるだろう』と具体的な数字を挙げた」という。
子宮頸がんについて科学的な議論が自由にできないという現在の状況はきわめて憂慮すべきことだ。ワクチンが科学的に一定の有効性を持つことは世界的に認められている。ワクチンに副反応があり、ときにそれが重篤なものになるというのであれば、それを科学的に検討し、検証することが急務だ。日本ではワクチン接種の勧奨が中止され、接種率はきわめて低いが、諸外国では接種が今も続いている。副反応の重大なリスクがあるのなら、諸外国での接種についてもリスク喚起するなど適切な情報提供をしなければならない。それは単なる症例報告ではなく、科学的なエビデンスをもとにした説得力のある報告でなければならない。また、WHOの批判には日本政府も誠意ある見解を示して対応する必要がある。科学や医学の世界で、「日本特殊論」に陥ることだけは絶対に避けなければならない。
村中氏の舌鋒はきわめて鋭く、読んでいてときにたじたじとなってしまう。科学的なデータが多く引用され、必ずしも読みやすいと言えない部分もあるが、論理は終始一貫してぶれがない。
筆者は月刊Wedgeでこの問題に関する主要な記事を書いてきたそうだが、子宮頸がん問題での国家賠償の提訴直前、出稿した記事が突然ボツになった経験もあるという。
筆者は言う。「子宮頸がんワクチン問題は医療問題ではない。子宮頸がんワクチン問題は日本社会の縮図だ。この問題を語る語彙は、思春期、性、母子関係、自己実現、妊娠出産、痛み、死といった女性のライフサイクル全般に関わるものはもとより、市民権と社会運動、権力と名誉と金、メディア・政治・アカデミアの機能不全、代替医療と宗教、科学と法廷といった社会全般を語る言葉であり、真実を幻へといざなう負の引力を帯びている」。
本書の記述の詳細について、評者にその当否を評価する十分な情報や知識がないのは残念だ。だが筆者が記述する外形的事実だけをみても、この問題があるべき姿で議論されていないことは疑いない。科学的、医学的な問題について、まっとうな議論を排除したり封殺したりするのは根本的に間違ったやり方だ。
評者は克明な事実を挙げて問題を明らかにしようとする村中医師の姿勢と勇気を強く支持する。出版についても曲折があったようだ。出版を決断した平凡社の判断も強く支持したい。