ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

ロシアから見える世界 駒木明義 ロシア専門家の記者による徹底的なプーチン体制批判

2024年10月18日 | 読書日記
ロシアから見える世界 駒木明義 ロシアや世界はなぜプーチンを止められないのか



 著者は朝日新聞のロシア・国際関係担当論説委員。モスクワ支局員や支局長が長く、通算して7年間、モスクワで勤務している。ロシアとの出会いは大学での第二外国語の選択だった。だが、学生時代の卒業旅行にもロシアを選び、この時には極東のハバロフスクまでアエロフロート機で飛び、そこからシベリア鉄道で約1週間かけてモスクワに向かっている。筋金入りのロシア通というべきだろう。特派員勤務の前には新聞社から派遣されて、モスクワで1年間の語学研修も受けている。

 本書は、ロシアのウクライナ侵攻から1年経った23年2月から、朝日新聞デジタルの会員向けに隔週で配信してきた「駒木明義と読むロシアから見える世界」という30本以上のニュースレターとアエラなど雑誌媒体への寄稿をを基にしたものだ。著者は前書きで、「ここ数年のロシアを見ていて痛切に感じるのは、取り返しが付かなくなるのは本当にあっという間だ」と率直な感想を述べている。

 第1章は「プーチンが作った世界」。「2024年5月7日、プーチン氏が5期目の任期をスタートさせた。00年に初めてロシアの大統領に就任したプーチン氏の今回の任期は30年まで。首相を務めていた08年からの4年間も含めれば、ソ連以降で最長の指導者だったスターリンを超える」。彼は00年に初めて大統領選に立候補する前のインタビューでこう述べている。「一人の指導者が16年も続けば、どんな国民でもうんざりする」。これは、ドイツで長期政権を率いたコール元首相が退任後にスキャンダルに見舞われたことについて聞かれたことに述べた感想だ。プーチン氏は今回の任期を務めあげれば、その倍近い期間、ロシアの最高指導者として君臨することになる。

 2024年の大統領選は3月15~17日に行われた。日本ではほとんど報じられなかった。評者も記憶していない。プーチン氏以外に3人が立候補したが、だれもプーチン氏を批判せず、彼を支持していることを隠そうともしなかった。著者は「正直言って、この茶番劇を『選挙』と呼ぶことに、ためらいを覚える」と憤る。2月末には候補者によるテレビ討論会が始まったが、これもロシア国内でさえ、ほとんど注目されなかった。なぜなら、プーチン氏が参加を拒んだからだ。大統領報道官はその理由について、「有権者は、あらゆる問題についてプーチン氏の見解を毎日のように知ることができる。また、国家元首としての日程が多忙を極めており、他の候補とはこの点でまったく異なる」。要は選挙にかまけている暇などない、と言っているわけだ。それならなぜ、わざわざ候補者のテレビ討論会までやるのだろう。正式な選挙戦という形式が重要なのに違いない。このテレビ討論の間に、プーチン氏による年次教書演説が行われた。あきれたことに、この演説会には3人の候補が出席し、彼の演説に盛大に拍手を送っていた。著者は生中継の動画で2人が出席していた事実を確認している。ロシアメディアによると、もう一人の候補も出席していたと国営通信社が報道している。「誰もが、この大統領選が壮大な茶番だと分かっているのだ」。

 なぜ、こんな茶番劇が必要なのか。著者は「ウクライナでの戦争を進めるためにも、プーチン氏が有無をいわせぬ圧勝を必要としていたからだ」と断じる。政権に批判的な独立系メディアは、立候補しようとしていたある有力候補が「旧知の大統領府高官と話し合い、立候補について了承を得ていたが、その後(この候補による)厳しいウクライナ侵攻批判が許容限度を超えたため、大統領府は立候補を認めない方針に転じた、という」。茶番劇とさえも言えない情けない展開だろう。

 著者がロシアで何人かの人に話を聞くと、「プーチンのことを好きなのは年寄りばかり。(中略)若者、特に20代は誰も支持していない。でも、みんな自分の人生で手いっぱい。抵抗したら危険だ。牢屋に入れられてすべてを失うことになる。誰もそんな危険は冒そうとしない」と話した。

 「すでに四半世紀に及んでいるプーチン氏による統治の深刻な帰結は、ロシアという国家の行為に対して、国民一人ひとりが責任を負っているという自覚の欠落だ」と著者は記す。22年12月、独立系の世論調査機関であるレバダセンターが「ウクライナで起きている一般住民の死や破壊について、あなたに道義的な責任があると思いますか」と尋ねたところ、「完全にある」と答えたのはわずか10%、「ある程度ある」も24%にとどまり、59%の人は「まったくない」と答えた。

 ウクライナ侵攻の行き詰まりで、統制はさらに強化されてきている。「外国の代理人」という非国民の認定が進んでいるのだ。もともとこれは外国から資金を受け取った者という意味で使われていたそうだが、2022年末の法改正で、外国から資金を受けとっていなくても政府が「外国の影響下にある」と認定すれば、「外国の代理人」に指定できるようになった。「24年時点で400人近い個人が『外国の代理人』に指定されている。著名なジャーナリスト、人権活動家、反体制政治家などが網羅されている」。中にはノーベル平和賞受賞者も含まれている。指定されると、法務省が公表するリストに掲載され、多くの制約が課せられ、不名誉な扱いを受ける。ロシアのメディアが対象となった人物や団体を取り上げるとき、名前の直後に、「ロシアで外国の代理人に指定」という但し書きが付記されることになる。

 プーチン氏が5選を決めた大統領選が終わって5日後の2024年3月22日、モスクワ郊外のコンサート会場を武装グループが襲撃し、140人以上が死亡した。ロシア国内で起きたテロとしては過去20年で最悪の惨事だった。これはIS(イスラム国)の起こしたテロという見方が濃厚で、IS自身が系列メディアに犯行声明を掲載している。しかし、ロシアは犯人たちの背後にはウクライナがいた、と主張し続けている。実はこの直前、在ロシア米国大使館は「モスクワのコンサートを含む大規模な催しを標的にした過激派による計画があるとして、注意を呼びかけた」。当然、ロシアの治安機関もこうした情報をつかんでいたはずだが、プーチン氏は情報を軽視し、「最近、ロシアでのテロ攻撃の可能性について、多くの西側の政府機関が挑発的な声明を出している。これらはすべて、あからさまな脅迫であり、私たちの社会を揺さぶって不安定化させる試みを思わせる」と述べていた。

 レバダセンターが、この事件から約1か月後に行った調査では、「テロの背後に誰がいたと思うか」という質問に、「ウクライナの特殊機関50%、西側の特殊機関37%、イスラム過激派11%、ロシアの特殊機関4%、その他1%、回答困難20%」となっている(重複回答で、合計は100%を超える)。著者は、「ウクライナの人々を殺戮するだけでなく、自国民まで欺いて、双方に互いへの敵意を植え付ける状況は、ロシアの侵略戦争の名状しがたい愚かさを浮き彫りにしている」と書いている。

 第2章は「プーチンが見ている世界」。「かつてのプーチン氏は、欧米を敵視して弱体化させることがロシアの国益だと考える情報機関や軍部と、欧米との関係を安定させることがロシアの繁栄のために重要だと考える経済エリートのバランスをとった政権運営をしてきた。しかし、ウクライナへの全面侵攻に踏み切って以降、プーチン氏は、完全に後者を切り捨ててしまったようだ」。これがウクライナ侵攻の第1の理由だ。第2の理由はプーチン氏が、ウクライナをロシアの一部だと考えて、ロシアから離れて主権を主張することは認められないという、プーチン氏独自の(とはいえ、ロシアでは多くの人々に共有されている)世界観だ」。それに加えて、第3の理由があることが開戦後にはっきりしてきたと指摘する。「それは、欧米のリベラルな価値観を退廃として敵視し、今回のウクライナ侵略を『伝統的な価値観を守るための正義の戦い』と位置づける考えだ」。「今のプーチン氏を思わせる価値観がはっきりと表れているのは、20年に改正されたロシア憲法だ。(中略)歴史観、家族観、倫理観について、多くの復古的な内容を含む条項が新設された。「ロシアは千年の歴史によって統一されており、理想と神への信仰を我々に継承させた祖先の記憶を保持する」「ロシアは祖国防衛者の記憶を尊重し、歴史の真実の保護を保証する」「国家は児童の愛国心、公民意識、年長者への敬意を育成するための条件を整備する」といった具合だ。復古主義を求める宗教保守の主張に沿った内容に違いない。

 2023年3月17日、国際刑事裁判所(ICC、本部=オランダ・ハーグ)が、プーチン大統領がロシアが侵略しているウクライナから子供を不法に移送したとして逮捕状を出した、と発表した。ロシアはICCに加盟していないので、プーチン氏が逮捕される可能性はほとんどないが、「国連安保理常任理事国で、世界秩序の保証人として核保有を認められている国の大統領が戦争犯罪の容疑者になったというのは、まさに歴史的な異常事態だ」。

 著者はICCの決定について画期的だが、副作用も否めないとかなり冷静に受け止める。「それは、プーチン氏が引退するというシナリオがほぼ閉ざされたということだ。大統領を辞めれば、実際に逮捕される可能性が飛躍的に高まる。(中略)プーチン氏が今後、死ぬまで大統領の座にしがみつこうとすることは、ほぼ間違いない」。

 評者にとって意外だったのは、プーチン氏が、ロシア革命を指導し、ソ連を建国したレーニンに対し、きわめて否定的な評価をしていることだ。その理由は2つある。「第1に、プーチン氏は今のウクライナを、レーニンが作り出した人工的な国家だと考えていること、第2に、レーニンが政権を奪取した革命という手法を、プーチン氏が忌み嫌っていることだ」。国の成り立ちからして革命を嫌うのは信じられない。

 もうひとつ意外だったのは、巷間、ささやかれるプーチン氏の影武者疑惑について、著者が肯定的に見ていることだ。本人はインタビューで直接聞かれたときにも「いないし、いたこともない」と強く否定している。影武者の計画についても「そういう話はあったが、私が断った」と断言している。ただ著者は2023年3月10日、プーチン氏がウクライナでの激戦地として知られる東部ドネツク州のマリウポリを訪問したという発表に強い疑問を抱いた。ロシア大統領府は、プーチン氏が自らハンドルを握ってマリウポリ中心部を運転している動画を公開した。これはロシア人の常識ではまったく考えられないことだ。動画のプーチン氏は自らトヨタ車のハンドルを握って対向車の行き交う道をゆっくり進んでいた。だが、首都モスクワでは、プーチン氏の車列が通る20分ほど前から両方向の交通を完全に遮断し、プーチン氏の車は警護の車列に囲まれて100キロ超の猛スピードで通り抜けてしまう。街頭での襲撃を避ける狙いからだろう。しかもマリウポリでは周りが高い建物に囲まれた集合住宅の中庭で、約10分にわたって説明を受けていた。「周囲に高い建物がある場所に長居をさせないことは、要人警護の鉄則だ」。アメリカ大統領はこうした場所には姿を現さない。写っていたのは影武者と考える方が自然だ。著者が時折、出演するBS-TBSの番組が行った専門家による顔認証や声紋の分析でも「他人の可能性が高い複数の例が見つかった」という。影武者疑惑はますます深まっていると言えそうだ。

 第3章は「ロシアから見える世界」。ロシアの民間軍事会社ワグネルによる反乱とそれを率いたプリゴジン氏の最期について考察されている。プーチン氏にとってプリゴジン氏は副市長を務めたサンクトペテルブルク時代からの古い知り合いだった。プリゴジン氏は搭乗していた小型自家用機が墜落して死亡したが、著者はワグネル幹部2人が同乗していたことに注目する。アメリカの有力紙ウォールストリートジャーナルは、西側の情報機関やロシアの元当局者の話として、バトルシェフ安全保障会議書記が指示した暗殺だったという見方を報じている。これもプーチン氏の承認なしに実行できるはずがない。

 第4章は「世界から見えるロシア」。評者にはこのくだりが非常に興味深かった。安倍元首相はプーチン氏と頻繁に出会ったことがよく知られている。日本とロシアの間には北方四島の帰属という領土問題がよこたわっている。安倍氏は何とかこの問題の前進を図りたいとプーチン氏との個人的関係構築に努めたが、著者は「安倍首相が北方領土問題の解決と平和条約の締結を求めて、プーチン氏に露骨にすり寄った」と厳しく批判する。2014年のロシアによるクリミア占領とウクライナ東部への軍事占領に対し、西側は経済制裁を発動したが、日本は「形だけの経済制裁を課す一方で、8項目の経済協力プランをロシア側に提案、16年にはロシアの経済協力を担当する大臣ポストまで新設した」。著者は安倍氏の死後、出版された「安倍晋三回顧録」をもとに交渉の内幕に迫る。回顧録にはトランプ氏の218回に次いでプーチン氏の名前が79回も登場する。著者は「(安倍氏の)一番の問題点は、2島(歯舞、色丹島)返還による北方領土問題解決が近づいていたと本気で考えていた」点だとみる。回顧録によると、安倍氏は18年11月、シンガポールで行ったプーチン氏との会談で、『日ソ共同宣言のプロセスを完成させるため』の交渉を始めるという合意文を提案した」。ところがこれをプーチン氏が拒否し、結局、「日ソ共同宣言を基礎に」交渉を始めるという表現に落ち着いた。安倍氏は提案が拒否されたので、通訳を務めていた外務省ロシア課の課長補佐に相談し、「共同宣言を基礎に」という表現ではどうかと提案され、それを採用したのだ」という。著者は「重要な合意についての表現ぶりは、外務省の国際法局長や条約課長を交えて慎重に検討するはずだ」と驚いている。「安倍氏自身は自覚していなかったようだが、プーチン氏に手玉に取られたと言わざるをえない」と批判する。ロシアはウクライナ侵攻後の2022年3月、日本との平和条約交渉を打ち切ると一方的に宣言した。評者は、この問題にはまったくの素人だが、以前から安倍氏が頻繁にプーチン氏と会い、個人的な関係を築こうとしていることには、「足元を見られないといいのだが」と強く懸念していた。

 本書にはロシアと北朝鮮の接近をめぐる最新のトピックスも盛り込まれている。2023年9月、北朝鮮の金正恩総書記はロシアを訪問した。「ウクライナ侵略を続けるために、北朝鮮から砲弾などの供与を受けたいロシア側と、人工衛星や潜水艦の技術を入手したい北朝鮮側が、軍事協力で合意したと見られている」。

 「24年3月28日、国連安保理は一連の北朝鮮制裁の実施状況を監視する『専門家パネル』の任期を1年延長する決議案を否決した。ロシアが拒否権を行使したのだ。理事国15カ国のうち13カ国が賛成、中国は棄権に回った。ロシアは中国以上に北朝鮮を擁護する姿勢を鮮明に打ち出したのだ」「プーチン氏は24年6月、24年ぶりに北朝鮮を訪問、金正恩総書記との首脳会談後に、『包括的戦略パートナーシップ条約』に署名した。この条約には、一方が武力侵攻を受けて戦争状態になった場合には、他方が『軍事的およびその他の援助を提供する』ことなどが明記されている」。さらにプーチン氏は記者発表で、北朝鮮制裁の撤廃まで主張した。著者は「ウクライナ侵略は近隣国の安全保障観を揺るがしただけでなく、ロシア自身の国のありようも、すっかり変えてしまった」と書く。ロシアの北朝鮮擁護は見苦しいというよりほかない。

 著者は2023年2月、ウクライナの首都キーウを訪れて市民の話を聞いている。トルコのイスタンブールからポーランドの首都ワルシャワに入り、そこから夜行列車でキーウを訪れた。ロシアのウクライナ侵攻前はモスクワから日帰りで行くこともできたそうだが、侵攻後は空路は閉ざされている。イスタンブールから2日がかりの旅行だった。ウクライナでは非ロシア化が進んでおり、著者もロシア語を使うことがはばかられたほどだった。

 プーチンの戦争は結局、どこに向かうのだろうか。何の正義もない戦争に駆り出されたロシアやウクライナの若者がきょうも死の恐怖にさらされ、傷つき命を落としている。一方で、兵士の死傷による深刻な兵士不足に悩むロシアは北朝鮮兵を前線に送っているとも伝えられている。まだ真相はわからないが、西側の専門家は十分あり得ることだと受け止めている。21世紀も4分の1近くが過ぎた今日、こんな無益な戦争が今も続いているとは評者も夢想だにしなかった。豊富なデータをもとに、プーチンの戦争をその根源からわかりやすく描き出した本書は多くの人に読まれるべきだ。思想や言論、報道の自由があることのありがたさを痛感する。だが、ロシアが見苦しいまでに北朝鮮にすり寄り、新たな「悪の枢軸」の形成が現実になるとは想像していなかった。この見通しの甘さ、いい加減さは深刻かつ徹底的に反省しなければならない。ウクライナは日本からは遠いが、他人事ですませるわけにはいかない。数年前、北海道東端の知床半島に行ったとき、北方四島のひとつ国後島が大きく眼前に見え、そのあまりの近さに驚いた。まぎれもなく、ロシアは日本の隣国でもあるのだ。


 














 

エビデンスを嫌う人たち リー・マッキンタイア 西尾義人訳 科学否定論者との誠実な向き合い方とは?

2024年10月11日 | 読書日記
エビデンスを嫌う人たち リー・マッキンタイア 西尾義人訳 科学否定論者の気持ちはどうすれば変えられるのか



 原題は「How to Talk to a Science Denier」。直訳すれば、「科学を否定する人とどう対話するのか」といった感じだろうか。エビデンスは証拠のこと、科学的な証拠という意味だろう。Science Denierというのは初耳だが、最近はかなり一般的に使われているようだ。本書には、「科学否定論者は何を考え、どう説得できるのか?」という副題がついている。著者は1962年生まれのアメリカの哲学者。東海岸にあるボストン大学で、科学哲学・科学史センター研究員をしている。「ポストトゥルース」や「『科学的に正しい』とは何か」といった著作がある。国書刊行会という出版社はこれが初めて。やや古めかしいテーマの本が中心かと思っていたので今日的な翻訳書を出していることは知らなかった。丁寧に訳されているし、本のつくりもしっかりしている。

 第一章が「潜入、フラットアース国際会議」。広いアメリカには強い信仰心から、いまだに現代文明を受け入れず、移動にも車の代わりに昔ながらの馬車を使うアーミッシュのような人々がいることは知っていた。だが、地球は平らだと主張するフラットアース説を頑迷に信じるフラットアース(地球平面説)派もいて国際会議まで開かれているとは知らなかった。著者が「潜入」したのはロッキー山脈に近いコロラド州のホテルでの「フラットアース国際会議2018」。広いアメリカでは出張や旅行に飛行機を使うことが一般的だ。そんな国で、フラットアースを信じる人が存在するというのも驚きだが、会議には大勢の人が集まっていた。最初に登壇したのはこの会議の主催者だ。彼は、かつては球体主義者(グローバリスト)だったが平面説を否定しようとするうちに、フラットアースに宗旨替えしてしまったという話だった。「彼は科学を嫌っているわけではなく、たんに『科学万能主義』に反対しているだけなのだという。『真実はあなたを自由にするのです!』と彼は言った」。この聖書の言葉を聞いて、隣の席の夫婦は勢いよく立ち上がり、「おお神よ!」と叫んだ。他の聴衆も拍手喝采した。黙々とメモを取る著者は会場では浮いた存在だったはずだ。

 会議は2日間にわたって行われ、フラットアース派(フラットアーサーと呼ばれる)が次々に登場する。著者は隣の席にいた夫婦に、この問題の背後には誰がいるのか、知っていたら教えてほしいと頼んでみた。夫は「敵だ」と返し、著者が聞き返すと「悪魔だよ」と答えた。「悪魔は権力中枢にいる者を支援している」「世界のすべての指導者もそこに含まれる。すべての国家元首、宇宙飛行士、科学者、教師、飛行機のパイロットといった人たちは、地球が平らなのを隠しとおすことで悪魔から報酬をもらっているというのだ。(中略)もし地球が丸かったとしたら水は流れ落ちていき、ノアの時代に洪水が起きたはずがないじゃないか、というのが彼の見解だった」。聖書のノアの洪水を持ち出すとは、筋金入りの宗教右派なのだろう。

 会議ではこれと似た話を多く聞かされたが、「その大半は、不適切な物理学の知識をキリスト教原理主義に結びつけてできた話だった。参加者の大多数は宗教的な世界観を強固にもっているように見えたが、面白いことに、地球が平面だという信念はそこには根ざしていないようだ。そのかわり彼らが主張したのは、自分の信念は証拠に基づいているということだった」。アメリカでは科学否定主義は宗教と密接に結びついている。宗教右派の多い南部の州では高校で、進化論が教えられていない学校も多い。地球上の生き物はみな、創造主である神が創造したという聖書の教えに反するというのが大きな反対の理由のようだ。

 第2章は「科学否定とはなにか?」。「フラットアーサー、反ワクチン派、知的設計論者(インテリジェントデザイナー)、気候変動否定論者といった人たちと関わっていると、彼らにはあるひとつのパターンがあることが次第にわかってくる。つまり、議論で用いる戦略がみな同じなのだ。科学を否定する人は、主張の内容は千差万別であっても、その根本には共通した推論の誤りがあるように思える」。こうした傾向はすでに何人かの研究者が議論し、分析している。本書ではこれらを科学否定論者の五つの類型と呼んでいる。①証拠のチェリーピッキング、②陰謀論への傾倒、③偽物の専門家への依存、④非論理的な推論、⑤科学への現実離れした期待の五つだ。

 「証拠のチェリーピッキング」とは証拠のいいとこどり、つまりつまみ食いだ。例を挙げると、気候変動否定論者は、1998年から2015年までの17年間、地球の気温は上昇しなかった、と主張することがある。これは「エルニーニョの影響で例外的に暑かった1998年を基準年に選んだからに過ぎない」。著者は、「ここで問題になるのは、不誠実さである。言い換えれば、自説を検証するためではなく、ただ正しいと主張するためだけに証拠をさがすことだ。これは科学的な態度とはとても言えない」。科学を否定しようとする人たちの議論のなかには、こうした極論が存在する。

 二番目は、「陰謀論への傾倒」。「陰謀論は、『なんらかの邪悪な目的を達成しようとする悪意をもった闇の勢力に関する言説』とでも定義できるかもしれない。加えて、『空論ばかりで証拠に基づいていない。どこまでも憶測であり現実に足場を置いていない』傾向があることも指摘しておくべきだろう。したがって、科学的推論の観点から見て陰謀論は危険だと論じるなら、私たちは陰謀論の非経験的な性質、そもそも検証する能力すらないという点に注目すべきだ」と指摘する。近年の調査によると、アメリカ人のおよそ50パーセントが少なくとも一つの陰謀論を信じているという。そこには「バラク・オバマ(元大統領)はアメリカ生まれではない。9.11には隠された真実がある。食品医薬品局(FDA)はがんの治療法をひた隠しにしている、(中略)などの陰謀論が含まれている」。アメリカ大統領になるにはアメリカ生まれでなければならない。そういえばドナルド・トランプが選挙戦で、オバマはアメリカ生まれではない、と執拗に主張していたことを思い出す。

 三番目は偽物の専門家への依存(本物の専門家への誹謗中傷)だ。「科学否定の特徴の一つとして、ある理論が100パーセント『証明』されるまでは(そんな理論はかつて存在したことがないわけだが)、あらゆる可能性が容認されうる」と考える点が挙げられる。こうした考えは、完全なコンセンサスがなければ、自分の好みの専門家の意見を受け入れていいという認識につながる」「たとえすべて(または大半)の科学者が、喫煙は肺がんの原因であるとか、気候変動は真実であるといったことに同意していたとしても、ちょっとしたことに疑いの種をまくことは常に可能だ。それを実現するには、荒唐無稽な理論や理論家を自分ででっちあげるのでもいいし、そうしたものを在野に見つけだすのでもいい。(中略)科学否定論者にとって重要なのは、科学者の意見を変えさせることではない。彼らが望んでいるのは、科学の情報を求めている人の注目を集めることであって、都合のよいことに、そうした人は普通、専門家と素人の区別がつかない。彼らは、論争の余地がないところに論争があるように見せかける」。今日、喫煙と肺がんの関係に疑問の余地はないが、いまだにこれに疑いを持ったり、異議を表明したりしようとする人がいる。

 四番目が非論理的な推論だ。「非論理的になるには無数の方法がある」。研究者は「藁人形論法、目くらまし、誤ったアナロジー、誤った二分法、飛躍した結論」などを挙げている。藁人形論法というのはどういった論法だろう。これに関する説明は見当たらなかった。

 最後が「科学への現実離れした期待」だ。「科学に完璧を求める人は、科学をまったく知らない人である。だが、私たちは、科学否定論者が科学に対して実現不可能な基準を求める場面によく遭遇する。たとえば、『ワクチンが100パーセント安全だと証明できるのか?』『気候変動について結論を下す前に、すべての証拠が出そろうのを待ってはどうか?』『喫煙と肺がんの因果関係が完全に立証されたことはない』といった具合だ。これはもはや懐疑ではない。イデオロギーに基づいた否定であり、証拠によって築かれた圧倒的なコンセンサスを信じたくない人が持ちだすものである」。ワクチンに関しては、日本でも反対派の執拗なキャンペーンで接種が一時中断に追い込まれた子宮頸がんワクチンがその代表例だろう。コロナワクチンをめぐっても世界的にいろいろな議論があった。知識が豊富なはずの医師の中にも、そうした疑念を逆なでしたり、助長したりするような発言をする人がいるのは残念なことだ。

 著者はここで、さらに一歩踏み込んでいる。こうした類型による科学否定がどうしてこれほど広がってしまっているのか。「科学否定の五つの類型は、組み合わさって、ある一つの戦略を構成する。その戦略とは、自身の主張の正当性を脅かす特定の科学的知見を世間に否定させることに関心があった人たちが意図的に作りだしたものだ。(中略)科学否定は過失ではなく、嘘である。虚偽の情報が意図的に作り出されたのだ」。

 本書にも実例が出ているが、評者は1990年代、科学記者としてワシントンに駐在したとき、喫煙と肺がんの関係について取材したことがあった。当時から、喫煙と肺がんには密接な関係があるとの科学的証拠がいくつも出ていたが、大手タバコ会社はあの手この手で反論を試みていた。タバコ各社に雇われた「広報担当は『科学と戦え』と助言した。疑惑を作り出せ、科学者は偏向していて、一方的な話しかしないと信じさせるための理由を思いつく限り考えよ、そのあとで自分の立場を説明せよ。専門家を雇って自分たちの『科学的』発見を提示せよ、大衆紙に全面広告を出して、科学者の見解に疑問を投げかけよ。喫煙と肺がんにつながりがあるという主張はすべて『証明』される必要があることを、繰り返し述べよ」。

 評者が取材したのは大手タバコ会社の戦略がほとんど敗北しかけていた時期だったが、タバコに害はないとするタバコロビーは資金が豊富で、取材を申し込むと、外国人記者に対しても丁寧な対応をするだけでなく、大量の資料を読んでほしいと渡されて辟易したことを思いだす。そのころ彼らは被害者が起こした巨額の集団訴訟を抱え、その対応にてんてこ舞いしていた。

 第3章は「どうすれば相手の意見を変えられるのか?」。本書が類書と異なるのは、科学否定論者を批判するだけでなく、彼らの言い分に耳を傾け、どうすれば建設的な対話が可能かを誠実に探ろうとすることにある。そうした対話や先行研究を通じて、著者はいくつかのアドバイスをする。そのひとつが「図表で提示する方が、文章で提示するより効果的だった」というものだ。理由ははっきりしないが、文書だけで提示するよりも図表で提示する方がはるかに効果的だったという。大切なのは「『常識』を思い出すことだ。どんなテーマであれ、相手に考えを再検討してもらいたいと思うならば、その相手を一人の人間として扱うことで、驚くほどの効果が得られるはずだ。(中略)こうした話し合いでは、威圧的でない態度で臨む方がずっと効果が得られる。信頼を築き、敬意を示し、話しを聞き、冷静でいるよう努めるべきなのだ。同意できないからと相手に敵意を向けてみても、反感を買うだけだ」。

 著者がフラットアースの会議に潜入して7カ月後、ネイチャー・ヒューマン・ビヘイビアという科学誌に「科学否定論者の意見が変えられることを直接示す経験的証拠を始めて提示した」という論文が掲載された。最初の戦略は「内容的反論」だ。これは被験者がいま聞いたばかりの誤ったメッセージに対し、それを訂正する情報を提示することだ。その次が技術的反論だ。たとえばワクチンが危険という人に、どんな医薬品であっても――アスピリンでさえ――100パーセント安全ではありえないのだから、そうした極端な基準をワクチンにあてはめるのは不合理だと指摘し反論する。被験者を使った実験の結果、「反論をしないのが最悪の選択肢だ」ということがわかった。「誤った情報をそのままにすると、被験者が誤った信念に向かう可能性が高くなったのだ」。

 「人々を説得するのは『物語』であって『議論』ではない」ともよく言われるそうだ。実際に「信頼できる相手との個人的な関係のなかで信念の変化が生じる」ことがある。科学否定にはグラデーションがある。つまり否定論者といってもその知識や傾倒ぶりは程度がそれぞれ異なる。「カナダのある研究では、筋金入りの反ワクチン派が人口に占める割合は1~3パーセントで、それ以外に『ワクチン慎重派』が約30パーセントいると見積もられている。説得しやすいのは明らかに後者の方だろう」。

 誤情報や偽情報はソーシャルメディアで、増幅、拡散される。アメリカには「陰謀論ハンドブック」という陰謀論者への対処法をまとめた本があるそうだが、そこには「陰謀論者はまた、その数の少なさにもかかわらず、圧倒的な影響力をもっている」とあるそうだ。ある掲示板サイトの「陰謀論のカテゴリーに投稿された200万以上のコメントを分析したところ、陰謀論的な考え方を示す投稿者は5パーセントにすぎないのに、コメント数は全体の64パーセントを占めることがわかった」。

 第4章は「気候変動を否定する人たち」との対話。第5章は「炭鉱のカナリヤ」というタイトルで、石炭を掘る炭鉱労働者との対話についてだ。著者は事前に知り合いを通じて冷静な議論が可能な相手を慎重に選んでいる。その結果、炭鉱労働者を炭鉱に縛り付けているのは急進的なイデオロギーでもなければ、はっきりした信念でもない。家族を飢えさせるわけにいかないという切実な経済的事情だとわかった。著者は「政治の変化を実現したいのであれば、投票に行って否定論者を議会から追い出すだけでいい」と指摘する。もちろん、これは簡単なことではない。だが、目標がわかれば道筋は見えてくる。「説得すること、投票すること、信念を変えること、価値観を変えること、事実を共有すると同時に、関心の輪を広げていくこと。こうした挑戦が、いま求められている」と結論づけている。

 第6章は「リベラルによる科学否定?」。著者はリベラル派の代表的存在だと思うが、身内だからといって容赦はしない。その一例としてGMO(遺伝子組み換え作物)へのリベラル派による反対や懐疑を取り上げる。アメリカでは遺伝子組み換え作物への懸念はあるものの、広く流通している。だがその安全性に関してはリベラル派の間にも強い疑念があるという。だが、権威ある科学団体のAAAS(米国科学振興協会)は、「バイオテクノロジーの分子技術を用いた作物の改良は安全である――世界保健機構、米国医師会、米国科学アカデミー、英国王立協会など、証拠を調査した権威ある組織は、例外なく同じ結論に達している」という声明を出した。ただこうした科学団体のお墨付きを得てもGMOへの警戒感はそれほど変わっていない。2015年の世論調査ではGMOを食べても安全だと考える人はAAASの会員(科学専門家)では88パーセントと高かったが、一般人では37パーセントと低かった。二分化の傾向は今でも、それほど大きくは変わっていない。アメリカではGMO食品は普通に流通しているが、日本では安全性が確認されたものは市販が認められているものの、一定の表示義務を課すなど諸外国に比べると厳しい規制が課されている。国民性の違いもあるが、もっとも大きいのは規制当局の考え方の違いのはずだ。

 最終章の第8章は「新型コロナウイルスと私たちのこれから」と題されている。本書はコロナウイルスが世界的に蔓延し、経済活動を大きく制限していた時期に書かれた。著者も外出して取材をすることに大きな制限を受けていた。著者は新型コロナについても五つの類型を考える。まず証拠のチェリーピッキング。新型コロナ否定論者は「インフルエンザと変わらない」「ほとんどの人は回復する」「必要以上に騒ぎすぎ」などと語った。だが重篤な例が続発し、社会に深刻な影響をもたらしてこうした楽観論は消えた。新型コロナへの陰謀論も蔓延した。「本当の原因は別にある」「そこから利益を得ている人がいる」などさまざまだった。偽物の専門家への依存も深刻だった。2020年4月23日、当時のトランプ大統領は「新型コロナは『体の内部』に光か熱をあてるか、漂白剤や消毒剤を注射することでおそらく治療できるだろう」と述べた。トランプは20年2月27日、「(新型コロナが)消えつつある。ある日、奇跡のように消えてしまうだろう」とも述べた。著者はこれを非論理的な推論の代表例とみる。さらに、一般にも科学への現実離れした期待があった、とも指摘する。

 確かにコロナウイルスによる危機は有効なワクチンや治療薬の登場によってかなり落ち着いたが、完全におさまったとまでは言えない。コロナ禍が落ち着いた時期に、本格的な検証に着手するのは正しい態度だと言えるだろう。

 著者はエピローグで、本書を書いている間にアメリカの大統領がトランプからバイデンに変わったことにほっとしたという感想を書いている。「大統領は代わったが、トランプ主義はいまだ燻り続けている。2021年1月6日に起きた議事堂襲撃事件は、『事実不在』のイデオロギーがどれほど深くこの国に浸透しているのか、それによってどんな悲惨な結果が生じうるかを示す象徴的な事例となった」。忘れてはならないことは、「科学否定はアメリカだけでなく、世界中に存在しているということだ。トランプが大統領でなくなったとはいえ、イデオロギーに基づく科学の拒絶は他国にも見られ、それぞれ独自の問題に苦しんでいる」。

 これはまったくその通りだ。日本では、日本なりの事情で科学否定が広がっている。先に上げた子宮頸がんワクチンへの強い拒絶もその一例だといえる。評者もさまざまな理由からコロナワクチンへの拒否感を示す人を個人的に知っている。第三者から見て十分に納得できる理由がある人もいるだろうが、そうではない場合も少なくない。そうした人にどういう態度をとるかは、結局、個々人に任される。簡単には答えの出ない問題だという気もする。本書は本文が370ページ余りで相当ボリュームがあるが、訳はこなれていて、内容も明快で読みやすい。この問題に関心のある人の必読書だと思う。多くの人に一読をお勧めしたい。













 



















認知バイアス 鈴木宏昭 認知心理学の最先端をわかりやすく解説

2024年09月27日 | 読書日記
認知バイアス 鈴木宏昭 人はなぜよく間違うのか、人間はAIに勝てるのか



 著者は認知科学の専門家、青山学院大学教育人間科学部教育学科の教授だ。認知心理学は経済学の分野で注目され、とくにアメリカで研究が進んでいるが、著者は教育学の立場からこの問題を研究している。本書が強調したいのは、「人は賢いからバカであり、バカだから賢い」ということだという。認知バイアスとは、通常の人が持つ認知という心の働きの偏りや歪みを指す。精神疾患などに見られる心の働きを指しているわけではない。

 本書は第1章の「注意と記憶のバイアス」から第9章「『認知バイアス』というバイアス」まで9章からなっている。1章が20~30頁と短く、しかも各章に具体例が出ている。章末には関連内容のブックガイドも出ているので、門外漢にも読みやすい。最初に出てくるのがチェンジ・ブラインドネスだ。まずこれをテーマにした動画の説明が出てくる。「白いシャツを着た3人の男女と黒いシャツを着た3人の男女が、同じ色のシャツの人同士でボールをパスし合っている。実験参加者の課題は、白いシャツのチームが何回パスをしたかを数えることである。一所懸命というほどではないが、ほどほどに注意していないと数え間違えてしまう」。このテーマではかなり有名なビデオらしいが、評者は見たことがなかった。チェンジ・ブラインドネスで検索してみるとすぐに動画が出てくる。白のチームと黒のチームのメンバーが互いに動き回りながらバスケットボールをパスし合っている。確かによく注意していないと正確なカウントができない。だが、カウントに集中していると、途中に登場するゴリラのぬいぐるみに気づけない。ゴリラは悠然と歩き、パスをしている人の輪の中に入り、通り過ぎていく。輪の中では正面を見て立ち止まり、胸をドラミングする。このビデオを見終わった後、すぐに正解(15回)が明かされるが、次に「ゴリラはいましたか」と尋ねられるのでびっくりするという仕掛けだ。評者は本書を読んでいたので、見落とすことはなかったが、パスを数えるのに集中していると、「半数から3分の2くらいの人が気づけない」。これは非注意によるチェンジ・ブラインドネスと呼ばれているそうだ。これには新しいバージョンの動画もある、ゴリラが登場するところは同じだが、背後にあるカーテンの色が変わったり、黒チームのメンバーが一人減ったりしている。ゴリラは一瞬登場するのではなく、画面の右から左まで10秒以上かけてゆっくり歩いている。かなりの数の人がこれに気づけないことに正直、びっくりする。

 注意を向けていないものに見落としが生じるのなら、注意を向けていれば見落としは起きないのだろうか。これがそうでもない。本書では、2枚の写真が提示される。


 違いは明らかで左の写真には翼の下にエンジンが見えるが、右の写真にはない。だが、この2枚が交互に提示されると、2つの違いを見分けるのはかなり困難になるという。著者の大学の講義では、10秒以内に分かるのは5パーセント内外で、30秒見せても半数くらいの学生は違いに気づけない。「つまり私たちは明白な変化=チェンジがあるにもかかわらず、それに気がつかない=ブラインドなのだ。あまりに速く変化するため、細部まで見ることができないからではないかと思う人もいるかもしれない。しかし事態は逆で、すごく速く切り替えると、ほとんど瞬時に違いに気づいてしまう」。

 「上記のことが示すのは、ほとんどの人の目が節穴ということだ。節穴になる理由は数多くある。まず私たちの視覚情報処理でだいじな働きを持つ、視覚情報を貯蔵する場所(視空間スケッチパッドと言う)の容量がとても少ないことが挙げられる。だいたい3~5程度の情報しか保持できないとされている。たとえば、目の前にこの本、マグカップ、マーカー、鍵が置かれていたとすると、それらがあったことを覚えておくだけでこの貯蔵庫は満杯になる」。これには目の構造も関係している。人間の視野は約200度程度と言われているが、文字を読むなどはっきりと認識できる範囲はたった数度の角度内だけ。約60センチ先だと数センチの範囲だ。「だからチェンジ・ブラインドネスのような課題では、目を頻繁に動かし、場面のどこが違うかを精査しようとする」。これはサッケードと呼ばれる目の動きだが、サッケードの最中は視覚情報の処理はまったく行われないという。これは認知科学の常識なのかもしれないが、評者には知らないことばかりだった。章末にはブックガイドも出ている。入門書を中心に4冊紹介されていて、さらに専門書のガイドもあって、なかなか親切だ。

 第2章は「リスク認知に潜むバイアス」。人は起こりやすさをどう推定するか、から始まる。最初に問題が出てくる。「最初がkで始まる英単語と3文字目がkの英単語はどちらの方が多いだろうか」。これはアメリカで実際に使われた問題だ。感覚的にはkで始まる方が多そうだが、これは間違い。実際には3文字目がkの方が、最初がkの3倍もあるという。「このように思いつきやすさ、思い出しやすさで、発生頻度を判断するクセのことを『利用可能性ヒューリスティック』と呼ぶ。つまり人は思いつきやすければ、また思い出しやすければ、その事柄はよく起きていると考えるのである」。

 ではこうした傾向はリスクの認知にどう影響を及ぼすのだろうか。アメリカで1970年代後半にアメリカ人が何によって死亡するか、その頻度を推定させる実験が行われた。この実験ではまず交通事故による死者は年間5万人という基準情報が与えられた。事故死と病死はほぼ同じと推定されたが、実際には病死は事故死の15倍ある。殺人と脳卒中は同程度と判断されたが、実際には脳卒中が11倍も多い。

 リハーサル効果というのもある。単語のリストを読み上げたとき、最初と最後は記憶されやすい。最初の部分の再生率が高くなるのは初頭効果というそうだ。いくつかの単語を覚えないといけないとき、最初の単語は何度も反復されるので記憶にとどまりやすい。これは当然のことだろう。

 だが、利用可能性ヒューリスティックにはメディアの影響も大きい。メディアは滅多にしか起こらないことを大きく、また繰り返し報道するので、強く印象づけられる。メディアの特性とリハーサル効果にもとづく利用可能性ヒューリスティックを考えると、非常におかしなことが起きる。「それは、メディア社会に生きる私たちは、めったに起こらないことほど、よく起きると考える、というものだ」。これは長年、メディアの現場で報道に当たってきた評者も自戒しなくてはならない。評者自身は気をつけてきたつもりだが、同僚や後輩の中には記事をわざとセンセーショナルな内容にしたり、記事の過大な扱いを要求したりしようとする輩もいた。

 第3章は「概念に潜むバイアス」。これは代表性ヒューリスティックと呼ばれる。得られた情報をもとに代表例との比較を行い、類似度を判断し、カテゴリー化する。こうした思考の仕組みだが、これは人種、国籍などに関係する社会的ステレオタイプにつながっていきやすい。「黒人というとリズム感、運動能力があると考える一方で粗暴とか、イタリア人というと陽気だけれども軽いとか、そういうステレオタイプが日本人の中にある。(中略)そしてそれは差別や偏見のベースとなる。さらにメディアはそれに合致させる人たちを登場させる。根暗なイタリア人、運動音痴の黒人がテレビでに出ることはまずないだろう。すると私たちのとても偏見に満ちたステレオタイプはさらに強化されることになる」。

 むろんこれは性についても存在する。男らしさ、女らしさといったステレオタイプの存在だ。著者は大学のイメージについてもこうしたステレオタイプは厳然と存在する、と指摘する。中国人の留学者や留学希望者へのある調査では、「早稲田=権力」「慶応=金」というだ大学のイメージが即座に出てきたという。われわれも気をつけなければならないが、そうしたステレオタイプから完全に自由になるのも簡単ではなさそうだ。

 第4章は「思考に潜むバイアス」。確証バイアスと呼ばれるものだ。最初に問題が提示される。「4枚カード問題」と呼ばれる問題だ。いずれのカードも片面にはアルファベット、もう片面には数字が書かれている。「このカードは表が母音ならば裏は偶数」という規則のもとに書かれている。4枚のカードは左からA、C、3、8と並んでいる。この規則が守られていることを確かめるにはどのカード(複数可)を裏返してみればいいのだろうか。正解はAと3だ。評者はAと8を選びそうになったがこれではダメ。だが、多くの人はこの組み合わせを選ぶという。Aのカードは裏が偶数になっているはずだが、これは裏返さないとわからない。3は奇数なので、裏返して規則通り母音ではなく子音であることも確かめる必要がある。これはピーター・ウェイソンという心理学者が考案した課題で、どの心理学の教科書にも載っているほど有名なものらしい。もうひとつウェイソンが考案した別の課題が紹介されている。2‐4‐6課題と呼ばれるものだ。「ある規則に従った数列がある。これの最初は2‐4‐6で、これがどんな数列かについての仮説を考えて、それをテストする例を出してみてださい」と言われる。実験参加者の出した例に対し、実験者はyes、noの答えを出す。こうした課題にほとんどの実験参加者は8、10、12とか20、22、24というテスト例を出す。これにはyesという答えが返されるので、実験参加者はすぐに「連続した2の倍数の数列だ」と結論づける。だが、それを実験者に報告すると答えにはnoが返ってくる。実際には前の数よりも数字が大きい数字の単なる上昇数列が答えだからだ。

 2‐4‐6という数列は2の倍数の系列、あるいは単なる上昇系列以外にも2個ずつ増える系列(1‐3‐5でも可)、前の数に2の倍数を加えた系列(1‐3‐7でも可)、3つ目が前の2つの和になっている系列(9‐5‐14でも可)などさまざまな規則に合致する可能性がある。そのためには、他の仮説の可能性をつぶさないといけない。だが。そうしたことをする人はあまりいないという。

 これは確証バイアスと呼ばれる。第一印象にひきずられるバイアスということも可能かもしれない。約半世紀前に提案された思考実験で、その後この分野の研究は飛躍的に進んでいる。関連の論文も数多く発表されている。

 第5章は「自己決定というバイアス」。第6章は「言語がもたらすバイアス」。第7章は「創造(について)のバイアス」。これにも興味深い例が紹介されている。



 説明にあるようなヒントがあると簡単だが、独力でやろうと思うとかなり困難だ。著者は「15分以内で解決できる人はとても少なく、なんのヒントもない場合には10パーセント未満である。ちなみに私は40~50分程度もかかった」。もうひとつ例を挙げたうえで、「これらの問題が難しくなるのは問題の捉え方を間違えるからである」。

 「Tパズルでいえば、各ピースは安定した形に置くし、接続については接続後の形がきれいな、デコボコのない形になるように置く。こうした人間の自然な傾向性を制約と呼ぶ。つまり制約は『常識的な』ものの捉え方に対応している」「制約はふつうは認知を効率的に行うことに寄与するが、洞察問題ではこの制約が障害となり、解決が妨げられる」。

 これはチームによる研究にも役立つ。たとえばノーベル医学生理学賞を受賞した京大の山中伸弥博士の研究室には医学や生物学の専門家のほか、工学部出身で生物学のことは初心者だった研究者や動物管理が得意な研究者が加わって、山中博士らとの議論を通じて画期的な発見につながったという。

 この章でもうひとつ面白いと思ったのは「突然のひらめき」と創造の関係だ。歌人の俵万智さんの「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」という短歌は歌集のタイトルにもなったが、最初は「カレー味のからあげ君がおいしいと言った記念日六月七日」だったそうだ。熟考の末に「カレー味」が却下され、「しお味」を経て「この味」になった。からあげの必要がなくなってサラダが浮上した。「そしてなぜサラダであり、なぜ六月七日ではなくそして七月六日かというと、サ行の持つ響き、爽快感からだそうだ」。俵さんはこれを岩波新書の「短歌をよむ」という著書で明らかにしているそうだ。この章はフランスの偉大な細菌学者パスツールの「チャンスは準備された心に訪れる」という言葉で締めくくられている。

 最後の第9章は「『認知バイアス』というバイアス」だ。締めくくりの章なので、本書の内容が簡潔にまとめられ、最終節では「人の知性、そしてAI、チンパンジー」が比較される。確かにAIは人間の知性を追い越すのかという議論はかまびすしい。だが、著者は「以上のことから考えると、こうした問い自体が馬鹿げたものであることがわかると思う」と断言する。「AIは食事の心配をする必要がない、恋人を探す必要もない、社会との調和を考える必要もない環境で作り出されている。だいたい洗練されたAIがやることは一つの課題だけだ。またその処理に用いられる計算資源は膨大で、人間とは容量、スピードともに桁が数十以上違っている。こうしたものが見せる知性が、人とはまったく似ていないものになることは想像に難くない」「そういうまったく別種のものを比較すること自体がナンセンスだろう。コンパスと傘はどちらがより便利かという問いがナンセンスなのと同じだ。AIがうまく働く環境を用意すれば、AIが人間を凌駕するのはその計算パワーからして当然だ。AIが想定していない状況を与えれば、それはうまく働かないし、人間以下になることも確実だ」。

 またチンパンジーが人間に勝つ見込みもないという。だが、彼らが暮らす生息環境に人間が素っ裸にされ、何も持たずに放り込まれれば、人間が勝つ見込みはまずない。著者はこう結論づける。「どうも人はなんでも一次元上に並べたくなるような傾向を持っていると思う。これを認知バイアスという人はあまりいないが、そういう傾向はやめたほうがよい。ああ、あと受験偏差値も忘れずに」。

 この考え方には評者も全面的に賛成する。ただ著者が本書を書いたのは2020年9月。その後、空前の生成AIブームが到来し、今はそのまっただ中にいる。生成AIを否定したり、過小評価する必要はないが、過大評価するのは危険だろう。現実をよく見極めたうえで、冷静な議論を続けていくしかない。本書は認知科学の入門書として非常によくできている。この分野に関心を持つすべての人に勧められると思う。人間の知覚や判断は多くのバイアスにさらされている。それでAIに勝てるのかという気もしなくはないが、これは勝つか負けるかではなくて、こうした道具をいかに使いこなしていくかだろう。また、そのためにもっとも重要なのは、AIの開発を加速することより、それを使うためのまっとうで常識的な倫理規範を確立し、実践に移していくことだろう。今日の新聞には混迷を深める中東情勢の分析で、イスラエルが、レバノンに本拠を置き、激しく対立しているヒズボラ武装勢力の攻撃に、AIを使っているのではないかという記事がでていた。AIを戦争に利用するなどというのは限りなくおぞましいことだ。技術は人間の生活を豊かに使われるべきものであって、戦争を有利に進めるために悪用するなどといったことはあってはならない。AIの判断で、イスラエル機から無差別の空爆を受けるレバノンの市街地には多くの生身の人間が住んでいるのだ。









 











 




「オッペンハイマー」映画&原作 原爆を開発し投下したアメリカが78年後につくった計画の全貌を伝える映画

2024年09月11日 | 読書日記
「オッペンハイマー」映画&原作 原爆投下から78年を経て制作された映画とその原作





 上の写真は映画「オッペンハイマー」の一場面。アメリカでの公開は2023年だ。作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞などこの年のアカデミー賞7部門を総なめした。日本では2024年に公開された。評者は封切館ではなく、自宅近くの名画座で見た。上映時間は約3時間。アメリカが第二次大戦中にナチスドイツの原爆開発計画に対抗して開始したマンハッタン計画のリーダー、原子物理学者オッペンハイマーの栄光と苦悩、挫折を描いたものだ。評者がアメリカに科学記者として駐在していた1995年は第二次大戦終結から50年の節目の年で、さまざまな記念行事が計画されていた。首都ワシントンにある国立スミソニアン航空宇宙博物館では館長のマーティン・ハーウィット氏が大掛かりで野心的な原爆展を計画していた。その中心になったのは原爆投下機であるB29 エノラ・ゲイの実物とマンハッタン計画の全貌の詳細な展示だった。原爆の惨禍をつぶさに知る日本から見ると、にわかに信じられないことだが、戦争終結から50年を経ても、アメリカでは「悲惨な戦争を終わらせたのは広島と長崎に落とされた二発の原爆だ」という投下正当化の「神話」が強く信じられていた。スミソニアンの原爆展はマンハッタン計画だけでなく、アメリカではそれほど知られていない投下後の被災地の惨状を被災地から借り受けた展示品も含め、つぶさに描き出すことが含まれていた。だが、その内容を知って、第二次大戦がアメリカを中心とした連合軍がナチスドイツはじめ、日本など軍国主義を打倒した「聖戦」であることに疑念が生じることを恐れ、強力な反対運動を展開したのが空軍軍人を中心とした在郷軍人会だった。博物館の展示は死闘を勝利に導いた軍人の名誉を傷つけるばかりか、内容も大きく偏向していると政治家や政府に強力な圧力をかけ、アメリカ社会を揺るがす大きな政治問題になった。元軍人の怒りを恐れた博物館やその上部組織のスミソニアン協会の判断で、展示内容は大幅に変更され、惨禍の部分はほとんどが割愛され、原爆投下が第二次大戦終結を早め、戦争に終止符を打ったという在郷軍人会の主張に沿ったものになった。ハーウィット館長は在郷軍人会やそれを支持する勢力の圧力で、辞任せざるを得なかった。評者はこの問題が急浮上した94年秋から95年初めにかけて原爆展問題の取材にかかりっきりになった。3年の勤務を終えてワシントンから日本に戻ったのは95年5月のことだ。内容が換骨奪胎され、規模も大幅に縮小された原爆展を見ることはなかった。ハーウィット館長はじめ、原爆展実現に最後まで全力を尽くしていた館員たちの無念を考えると、彼らにかける言葉も見あたらなかった。

 アメリカでの勤務中、当事者への取材で初めて知ったのは「原爆投下正当化神話」の強烈さだった。太平洋戦争末期、サイパンやグアム、硫黄島、沖縄など日米両軍が文字通りの死闘を繰り広げた戦争の激しさ、悲惨さはアメリカでもよく知られている。それだけに二発の原爆投下が広島、長崎という二つの都市を破壊しつくし、膨大な犠牲者を出したこともよく知られている。ゼロ戦による特攻攻撃(アメリカでは自殺攻撃と呼ばれる)も広く知られている。「邪悪きわまる軍国主義の日本」が最後に屈服したのは原爆の成果だとみる人が多いのも、ある意味では仕方のないことかもしれないという気もする。

 ただ戦争の実相や衰退し疲弊し切っていた当時の日本の実際の力を知る人からすると、もともとナチスドイツに対抗して始まった原爆の開発計画がナチスドイツの降伏後も、勝利への成算のない盲目的な戦いを続けていた日本に使用することが本当に必要で適切だったのか、という強い疑問がふくらんでいたことも確かだ。評者は広島への原爆投下機エノラ・ゲイのナンバー2である航海士や長崎に原爆を投下したボックス・カーの機長にも取材したが、二人とも投下は「正しい判断だった」と擁護しつつ、地上での被害の甚大さには苦悩を深めていた。エノラ・ゲイの航海士は戦後、日本からの女子留学生をホームステイさせている。直接言及することはなかったが、投下に対する深い悔恨の気持ちがあったことは間違いない。ボックス・カーの機長は投下の惨害を知って、精神障害を発症したといううわさが広まっていた。会ってみると、控えめな元軍人で、反省こそ口にはしなかったものの、原爆投下が日本でどう受け止められているかをしきりに気にしていた。軍人として与えられた任務を遂行したまでだとしつつ、口には出さないものの、贖罪や悔恨の気持ちがあったことは間違いない。

 映画「オッペンハイマー」の原作になったのは2005年4月に発行された「アメリカのプロメテウス J・ロバート・オッペンハイマーの勝利と悲劇」と題する単行本だ(下の表紙写真)。700頁にのぼる大著で、日本では2024年に早川書房から文庫本3冊の形で全訳が刊行されている。原著の刊行から時間があいているのは映画の公開に合わせたのかもしれない。評者はたまたま原著が発売された時期にNYの書店で購入している。帽子をかぶって紙たばこをくわえたオッペンハイマーの写真が表紙になっている。これはその当時、雑誌タイムの表紙になって話題になった写真だろう。カメラをにらみつけるような鋭い眼光は天才科学者と言われた彼の素顔をしのばせている。原著には30頁におよぶ写真の頁があり、生い立ちから晩年までの彼の姿を確かめることができる。直撃を受けた広島市の原爆ドームの風景や日本ではよく知られている長崎で被爆した母と子の写真も収録されている。1960年、彼が初めて東京を訪ねた際の写真もある。このときには記者の質問に、「原爆の技術的な成功についてなし遂げたことを後悔する気持ちはない」と答えている。1904年生まれのオッペンハイマーはマンハッタン計画終了後、1947年に東海岸ニュージャージー州の名門プリンストン大学構内にあるプリンストン高等研究所の所長に就任している。43歳の若さだった。その直後、アメリカとソ連との激しい対立から世界は冷戦時代に突入し、そうした世相を背景に、1953年ごろからはアメリカ国内でマッカーシー上院議員が主導した赤狩り旋風(マッカーシー旋風)が吹き荒れ、54年にはソ連のスパイという嫌疑をかけられ、共産主義者と認定されている。当時のアイゼンハワー政権はオッペンハイマーを政府の公職から完全追放することを決定し、機密情報へのアクセスも拒否された。だが、61年にケネディ政権が発足すると復権が進み、63年にはアメリカ原子力委員会から最高の賞であるフェルミ賞を受賞している。しかし、65年に喉頭がんが見つかり、66年には所長を辞任、67年にプリンストンの自宅で死去している。62年の生涯だった。

 映画が描きだしているのはマンハッタン計画の初期から原爆開発の成功に至るまでと赤狩り旋風に巻き込まれて委員会で長時間の厳しい査問を受け、公職から追放されるまでだ。マンハッタン計画だけでなく、妻や愛人を含む交友関係についても詳しく描き出されている。実際、彼は共産党員と交流があり、FBIから尾行を含め、綿密な行動調査を受けていた。聴聞会にはその詳しい資料も提出され、公職追放の決め手となったようだ。

 映画の原作になった「オッペンハイマー」はともに歴史家のカイ・バード氏とタフツ大教授マーティン・シャーウィン氏の共著になっている。二人とも現代史が専門だ。評者は原爆展をめぐる議論が沸騰していた1995年にカイ・バード氏にインタビューしたことがある。原爆投下の評価をめぐって歴史家の意見を聞くのが目的で、ワシントンDCのレストランで長時間インタビューした。彼は戦争に疲弊しきっていた当時の日本に原爆投下は必要なかったという立場で、戦争終結にはソ連参戦のほうが実質的な効果があったという意見だった。これは当時のアメリカ歴史学会の主流に近い考え方でもあった。日本は当時、ソ連との間で日ソ中立条約を結んでいて、ソ連参戦をまったく予想していなかった。逆にソ連を連合国との講和の仲介役としてあてこんでいたほどだ。8月9日の突然のソ連参戦は日本には寝耳に水で、戦車など重武装の兵器を中心にしたソ連軍に、満洲駐留の関東軍はなすすべもなかった。日本兵士の多くはソ連軍の捕虜になり、シベリアに抑留され、長く強制労働を余儀なくされた。在留邦人は突然の戦火に逃げまどうほかなく、多くの市民が犠牲になったほか、家族と生き別れになった子どもが中国人家庭に引き取られ、戦争孤児となる悲劇も生まれた。第二次大戦の戦後処理を話し合う1945年2月のヤルタ会談では、アメリカのルーズベルト大統領とソ連のスターリン書記長との間で、ドイツ降伏から2カ月か3カ月後、ソ連が日本に参戦するという密約が結ばれている。その後、太平洋戦線での優勢から、アメリカはソ連の影響力をそごうと、あえて原爆を投下し、日本の敗北を早めようとしたという見方もある。ソ連はナチスドイツとの戦争に勝利した直後から、シベリア鉄道を通じて重火器や大量の兵員を対日戦に備えて欧州から輸送し始めていた。だが、日本はほとんどこれに気づいていなかった。 

 カイ・バード氏とのインタビューは評者が取材していた多くの事実とも合致し、闊達な意見交換ができたことはうれしかった。だがインタビューを終えて、氏が退席し、評者も席を立とうとしたところ、いきなり隣のテーブルにいた中年の夫婦に呼び止められた。夫が「君はあいつの言うことを信じるのか」と真剣な表情で評者を問い質した。この夫婦は隣のテーブルでじっと聞き耳を立てていたわけだ。取材に夢中だった評者は、その事実にまったく気づいていなかった。日本人の新聞記者がアメリカの歴史家に原爆投下について意見を聞いていたので、興味を持ったのだろう。印象的だったのはその夫が、「君はあいつの言ういい加減な話を本当に信じるのか」とびっくりしたような表情で問い詰めてきたことだった。その瞬間、この人にとって原爆投下の正当化はまったく疑う余地のない事実で、それに疑いを持つなど狂人のたぐいだという強烈な思い込みがあることだった。長話はせず、自分はこの問題を取材している日本の新聞記者だと説明して引き取ってもらった。それ以上、議論を続ける気持ちは先方にもなかった。

 この時期、ワシントンは原爆投下の是非をめぐる論争に明け暮れていて、たまにパーティに出るとアメリカ人の参加者から、「君は原爆投下についてどう思うのか」と議論を挑まれることも少なくなかった。相手はむろん肯定派でこちらを打ち負かすためにしつように議論をふっかけてくる。それでなくても英語での議論は不利だが、2、3回こうした経験をすると相手の弱みもわかってくる。「あなたが原爆投下肯定論者というのは何とか理解できる。ただあなたに聞きたいのは広島だけでなく、わざわざ二発目の原爆を長崎に落とす必要があったと本当に思っているのか。長崎でも広島と同規模の人的被害が出て、いまだに放射線の後遺症に苦しんでいる人が多くいることを知っているのか」と問い返すと、答えに窮する人が思いのほか多かった。最初の原爆投下は戦争終結を早めたかもしれないが、それで十分で、二発目を落としたのはやりすぎだったと感じている人が意外に多かったようだ。

 二発の原爆を落とす必要があったのは広島に落とされた原爆が濃縮ウラン型、次いで長崎に落とされた原爆がプルトニウム型とまったく原爆の爆発様式が異なるため、両方の威力を実戦で確かめたかったからだと考える専門家が少なくない。世界で最初の核実験は1945年7月16日ニューメキシコ州のアラモゴルド実験場で行われ、この時はプルトニウム型が使用された。濃縮ウラン型は最初から成功が確実視されていたため、アラモゴルドではプルトニウム型を実験している。さらにその威力を確かめるため、プルトニウム型を実戦に使用したかったという見方が専門家の間には出ている。

 原爆展当時、いろいろ取材したなかで一番強く記憶に残っているのは、すでにMIT(マサチューセッツ工科大)の名誉教授になっていたフィリップ・モリソン博士のことだ。MITの研究室で取材に対応してくれた。マンハッタン計画の中では最若手の物理学者で、オッペンハイマーらベテラン研究者の指示のもとに動いていた。マンハッタン計画の研究者がもっとも気にしていたのは、自分たちに先駆けてナチスドイツが原爆開発に成功するかどうかだった。当時、ロンドンは連日、ナチスドイツのV2ロケットの猛攻にさらされていた。もしナチスが原爆開発に先に成功すれば、それでロンドンを攻撃するだろう。そうなればロンドンは灰塵に帰してしまう。若きモリソン氏は毎日、ロンドン発のBBCラジオに聞き耳を立てていた。いつものように放送が続いていればロンドンは無事のはずだ。毎日、放送を確認するたび安堵したと語る彼の表情は実に真剣だった。ある日、彼はドイツにほど近いフランスのストラスブールで、捕虜にしたドイツの物理学者を尋問するよう命じられた。ナチスの原爆開発計画を知っているか、知っていればどれほど進んでいるかを聞き出すのが目的だったが、何を聞いても要領を得ない。実験で大きな爆発が起きるのを見て驚いたという話もあったが、よく聞くと核兵器の爆発のような大規模のものではなかった。モリソン博士はナチスドイツの計画はそれほど進んでいないという心証を得た。

 第二次大戦末期、博士はマンハッタン計画の科学者の一人として南太平洋のテニアン島に派遣される。ここから原爆を搭載したB29が日本に向けて飛び立つことになっていた。何人かの科学者が派遣され、原爆の最終組み立てにも携わったという。専門家として原爆の猛烈な威力をよく知る博士は原爆搭載機の出発をどうか爆発しないでくれと祈るような気持ちで見送った。だが、その願いはかなわず、二発の原爆は過去に経験したこともないような惨禍を地上にもたらすことになる。マンハッタン計画の科学者チームの中では、東京湾で爆発させ、その威力を見せつけたほうがいいという意見もあったそうだが、採用されなかった。当時の国務長官が京都が爆撃目標のリストに入っているのを見て、京都は外すべきだと指示した話もよく知られている。

 戦争終結後、博士は原爆の威力調査のため、日本に派遣された。広島にも入っている。原爆の威力は事前の計算通りだったことを確認したという。広島から東京に向かう列車の帰路、京都で途中下車して母校の京大に戻っていた湯川秀樹博士を訪ねたこともある。駅頭に大きな人だかりができている何だろうとのぞいてみたところ、ただの白湯(さゆ)を求める人の列だった。「戦争に負けるというのは本当に悲惨なことだと感じた」と博士は思い返していた。戦後、モリソン博士は反核運動の熱心な推進者になる。だからこそ日本の新聞記者の取材にも快く応じてくれたのだろう。博士は本書の帯にも「当時、学生だった世代の記憶を深く呼び覚ましてくれる」と称賛を送っている。ウィキペディアによると、モリソン博士は2005年4月に89歳で亡くなっている。生前、本書の取材にも応じていたようだ。評者は博士の誠実な人柄と対応に今でも深く感謝している。

 映画「オッペンハイマー」を見たことで95年当時のさまざまな取材経験を改めて思い出した。アラモゴルドは最初に核実験が行われた砂漠の実験場だが、毎年一日だけは一般公開される。今も弱い残留放射能があり、その日以外は立ち入りが禁止されている。公開日には大勢の人が全米から集まって、実験場のなかほどにある世界初の核爆発を記した石碑のところで記念写真を撮っている。評者も写真を撮っていたところ、アメリカのテレビ局に日本人記者が来ているとわかって取材を受けた。型通りの質問だったが、アメリカのテレビ局にとっても日本人が原爆投下をどう感じているかは気になるところなのだろう。原爆投下を正しい判断だったと思わない。戦争終結を早めたとも思わない。ただこうした惨禍を二度と起こさないために平和を守ることがきわめて重要だ」といったことを話したと思う。どこのテレビ局かわからなかったので、映像を見る機会はなかった。だが、帰国した直後、あるデスクに、「君がアラモゴルドでインタビューを受けていた映像を見たよ」と言われて驚いた。日本でもドキュメンタリー番組として一部の映像が放送されていたようだ。アラモゴルドは取材した当時も軍の管理下におかれ、ミサイル実験などに使用されていた。今もそうなのだろう。映画「オッペンハイマー」にはアラモゴルド実験場で撮影した場面も使用されている。軍の許可を得て、実験場にセットを組み、核実験の場面を撮影したのだろう。映画とはいえ、本物に近づけたいというスタッフの執念が実ったのかもしれない。

 映画でオッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィーはこの映画でアカデミー賞の主演男優賞を獲得している。役作りに執念を燃やしていたようで、評者がオッペンハイマーに持つイメージそのままの姿だったと思った。映画にはプリンストン高等研究所もたびたび登場する。こちらも大学や研究所の撮影許可を取ったのだろう。

 最後に実際のオッペンハイマーについて貴重な証言をひとつ。原爆展取材の少し前、当時シカゴ大にいた物理学者の南部陽一郎博士に取材する機会があった。博士が日本からアメリカに来て、最初はプリンストン高等研究所に在籍していたと知っていたので、当時の所長だったオッペンハイマーの印象を聞くと、温厚な南部博士は、「ぼくとはあまりソリが合わなかったようですね」とぽつりと語った。オッペンハイマーは天才肌のカミソリ科学者で、博士が好感を持つタイプではなかったようだ。南部博士はプリンストン滞在を早めに切り上げ、誘いのあったシカゴ大物理学教室に移籍し、そこで晩年まで過ごした。失礼を承知で、「先生は毎年、ノーベル賞物理学賞の候補として名前が出ていますが、ご自身は受賞についてどう思われますか?」と聞くと、「ぼくは理論屋ですが、理論は実験の50年以上も進んでいるので、それはまったく無理だと思いますよ」と笑顔で答えられた。それなら残念だなと思っていたが、南部博士は2008年に87歳でノーベル物理学賞を受賞された。晩年は日本に帰国され、2015年に奥様の実家があった大阪府豊中市の自宅で永眠された。冬に極端に冷え込むシカゴの生活はやはり厳しかったのだろう。当然のことながらマンハッタン計画やオッペンハイマーを直に知る人は急激に減っている。モリソン博士が情熱を傾けた反核運動も一時に比べ、勢いがなくなっている。当時、原爆展を取材した記者の一人としては残念なことだ。原子物理学者としてのオッペンハイマーやマンハッタン計画に関心のある方は是非、この映画を見るようお勧めしたい。日本国内では被曝の実相をほとんど描いていないという批判があったが、巨大科学と政治、戦争について考えるうえで示唆に富んだ、なかなかよくできた映画だと思う。評者は原爆を生み出し、核戦争の脅威をも世界の現実のものにした国の78年後の責任の取り方かもしれない、とも思った。





 








 

タコの心身問題 ピーター・ゴドフリー=スミス 夏目大・訳 タコなど頭足類に意識や知性は存在するのか?

2024年08月13日 | 読書日記
タコの心身問題 ピーター・ゴドフリー=スミス 夏目大・訳 動物の意識の根源を探るユニークな試み


 著者はオーストラリア・シドニー大学の科学史・科学哲学スクール教授。ニューヨーク市立大学大学院センターの兼任教授でもある。1963年シドニー生まれで、アメリカのスタンフォード大准教授やハーバード大教授を務めたこともある。専門は生物哲学や心の哲学、科学哲学だ。評者は科学者だと思っていたが、本人は哲学者と自称している。練達のスキューバダイバーで、オーストラリア近郊のきれいな海に潜るのが大好きなようで、そこに生息するタコなどの頭足類を詳しく観察したり、生態を分析したことが本書に結実したようだ。原書の出版は2016年、日本語版も2018年に出ているが、評者は最近、本書が紹介されていた新聞記事を見て読もうと思った。そういえば数年前、本書がいくつかの新聞書評に取り上げられていたのをかすかに思い出した。

 250頁ほどだが、読んでみるとなかなか手ごわい。というのも類書がほとんど見当たらず、内容がすぐに頭には入ってこないからだ。哺乳類、とくに類人猿に知能や知性、意識があるという研究やそれを紹介する文献は数多あるが、タコやイカなどの頭足類に知能や知性、意識があるとはこれまで考えてもみなかった。それほど多くの人にとっては想像することさえない突拍子もない疑問だ。だが、一方で哺乳類や人間とはかけ離れた存在である頭足類に意識や知性があるとすれば、それは果たしてどんなものなのだろうか、とも思う。将来、人類が地球を離れて地球外の文明や異星人に遭遇したとき、その文明や異星人はどうした存在なのだろうかということは一考の価値がありそうだ。そういえばひと昔前、火星人や異星人はタコのような姿に描かれたことが多かった。そうした姿に描く根拠があったかどうかはわからないが、それほどに人間とはかけ離れた存在として想像されたのだろう。

 原題はOTHER MINDS。mindは心または知性と考えればいいようだ。OTHER MINDSとは人間とは別の心、知性という意味かもしれない。mindが複数形になっているところもミソで、人間とは違う別のmindを持った生物について書いた本という意味なのだろう。本書によると、進化の系統樹のなかで、人間と頭足類の共通の祖先が枝分かれしたのは5億年から6億年ほども前のエディアカラ紀だという。もちろん共通の祖先の時代の生き物に知能や知性があったとは考えにくいので、哺乳類や頭足類に知能や知性が芽生えたとすれば、枝分かれの時点から相当な期間を経過してからということになりそうだ。

 最初に記述されるのは「動物の歴史」だ。エディアカラ紀というのはあまりなじみがないが、これは南オーストラリアにあるエディアカラ丘陵が名前のもとになっているという。1946年、オーストラリアの地質学者が廃坑で地質調査をしていた。海岸から何百キロも離れた場所だったが、手近で見つけた石をひっくり返すと、クラゲのような形の生物の化石が見えた。化石について論文を書いたが、すぐには受理されず、発表後もほとんど注目を集めなかった。だが、10年ほど経って世界の他の地域でも似たような化石が見つかって、研究が大きく進んだ。この動物の生きた時代はカンブリア紀より前の6億3500万年から5億4200万年前の時代、化石はクラゲではないらしいことも分かった。最初にエディアカラ丘陵から見つかったことから、エディアカラ紀と名づけられた。エディアカラ紀の後にはカンブリア紀が続く。「カンブリア爆発」という言葉があるように、この時代には現在見られるほとんどの動物の基本型が登場している。人間や魚など脊椎動物と頭足類を含む軟体動物が枝分かれしたのはその直前で、約6億年前のエディアカラ紀と推定されている。神経系のような感覚器もこのころから進化していったのではないかと考えられている。

 第3章でタコの知性の謎の一端が明かされる。タコ(マダコ)には約5億個のニューロンがある。人間は約1000億個のニューロンがあるが、小型のほ乳類、たとえば犬のニューロンの数はタコにかなり近いという。これは長年、イヌを飼っている評者はやや疑問に思った。よくイヌは2歳の幼児程度の知能があると言われるように結構、頭がいいと思えるからだ。それはともかく、タコはなかなか頭がいいそうだ。実験室で調べてみると、簡単な迷路ならすぐに通り抜けられるようになり、瓶の蓋を回して開け、中の食べものを取り出すことも学習できるという。こうした研究は20世紀半ばの研究初期には、ほとんどがイタリア・ナポリにある海洋研究所で行われていた。ニューロンの数が多いといっても、タコと哺乳類には決定的な違いがある。哺乳類ではニューロンが脳に集中しているが、タコなど頭足類では脳にはその一部しかなく、大部分は腕に存在しているからだ。哺乳類のニューロンが中央集権的に存在しているのに比べ、分権的になっているということができる。腕にも感覚器と身体の制御機能が備わっている。仮に腕が物理的に切除されたとしても、腕を伸ばして物をつかむという動作は腕だけでもできるという。これはタコなどには合理的なのかもしれない。

 本書のなかほどに著者が海中で撮影したタコなど頭足類の鮮やかなカラー写真が8頁にわたって掲載されている(下の写真はその一部)。二匹のタコが足を絡み合わせて戦っている様子や、戦いに勝ったタコが水流を噴出してジェット推進で高速移動している様子、同じタコが数秒のうちにダークイエローから鮮やかな赤に表皮の色を変化させる様子、二匹のタコが交尾する様子などだ。毎日のように長時間にわたってオクトスポットというタコが多く生息する場所に潜水調査している著者だからこそ撮れた写真だろう。こうした光景を日々観察していると、頭足類にも知性があると信じる気持ちになることは間違いないのかもしれない。



 著者はよく見かけるタコに名前をつけて個体識別している。これは日本人の霊長類研究者が採用している手法だが、タコにもこの手法が用いられているのかと評者は少し驚いた。名前はむろん、カンディンスキーなど洋風の名前になっている。身体の色の変化はたとえば岩などに似せて身体を隠す擬態、仲間への信号伝達、捕食者から逃げる時に使う威嚇ディスプレイなどの意味があるという。威嚇ディスプレイはそれまでとは違う派手な色や模様に突然変身することで、敵を驚かしたり、困惑させたり、相手が捕食者であれば、それを断念させようという意図があるとみられる。頭足類には大昔は殻があったが、現在は身体を保護する硬い殻はなくなっているので、攻撃にはかなり脆弱だ。

 頭足類には全長約1メートル以上、体重数十キロにおよぶ大きな個体がある一方で寿命は2年程度とかなり短い。この寿命の短さも謎のようだ。哺乳類や鳥類はかなり長く生きるものがいる。イヌは10年を超えて生きるし、ハチドリは小さな鳥だが10年以上も生きる。魚の中にはメバルのように200年も生きるものもいる。著者は頭足類の短命について思いをめぐらしている。「イカは成長が非常に速く、繁殖できるようになるのも早い。そして、一度の繁殖期で一気に卵を大量に産み、すぐに死んでしまう」。その理由を著者はこう考える。頭足類は昔、殻にこもっていたが、殻を脱ぎ捨てたことで、自由に動き回れるようになった。捕食者として振る舞うことが容易になった半面、魚など頭足類に対する捕食者から狙われる運命にもなった。頭足類は「常に危険にさらされ、明日はどうなるかわからない」運命のもとで、「『すべきことをなるべく明日に延ばさない』という性質を身に付けるに至った」「その結果、頭足類は、非常に大規模な神経系を持ち、同時に非常に寿命が短い、という珍しい組み合わせの動物になった。神経系が大規模になったのは、制約の少ない身体を持っていたからでもあるし、また自分が被食者になる危険にさらされながら、捕食者としても活動する必要があったからだろう。そして、常に危険にさらされる環境が原因で、寿命は短くなった」。著者の推論が正しいのかどうか、評者には判断のしようがない。いろいろな研究を検討した結果、この結論が得られたはずだから、真実に近いのだろう。だが、現時点で知られていない別の要因があることも考えられなくはないという気もする。

 最後に著者が継続して観察を続けている、オクトポリスというタコが集中して居住する場所が紹介される。前掲の写真もオクトポリスで撮影したものだ。オーストラリアの東海岸で、海面から5メートルほどの場所だという。2009年に著者の友人の研究者が発見し、著者もすぐに観察に加わるようになった。「数の増減はあるが、行けばそこには必ずそこにはタコがいる。多い日には十数匹にもなる。それだけの数のタコたちが、うろうろと泳ぎ回ったり、取っ組み合いの喧嘩をしたりしている。中にはただ、じっと座っているだけのものもいる」。

 最初は潜水して観察していたが、その後、水中でも使えるビデオカメラを何台か購入して継続観察することにした。研究仲間も少しずつ増え、新たな研究知見も加わってきている。タコは通常巣穴にこもって、単独生活する動物なので、オクトポリスのような場所はほかではほとんどみられないようだ。著者の研究がさらに続き、新たな成果が報告されることを強く期待したい。

 だが、それについて著者が心配していることがある。魚の乱獲など海洋資源の浪費や海水の酸性化などによる海洋環境の大きな変化だ。化石燃料の使用で、大気中の二酸化炭素濃度が高まると、増えた二酸化炭素の一部が海水に溶ける。すると、海水のpHバランスが変化することになる。通常は弱アルカリ性の海が酸性化していく。海水が酸性化すると、頭足類を含めた多数の海洋生物の生理と代謝に大きな影響が及ぶ。

 著者は2007年ごろから、ミツバチのコロニーで世界的に突然起きた、ミツバチコロニー崩壊のような現象が海にも及ぶのではないかと危惧している。ミツバチの場合は原因は一つではなく、汚染物質の増加、有害な微生物の増加、生息できる場所の減少、ミツバチにとってのストレスの増加などいくつもの原因が重なってある日。突然、崩壊が起きしまったのではないかと考えられている。著者はこうしたことが海でも起きる可能性がある、と強く危惧している、ある段階までは持ち堪えられた海洋環境の悪化が、臨界点を超えると突然、「死の海域」になってしまうかもしれないという問題だろう。「私たちはこれからも海を大切に守っていかなくてはならない」。そうした著者の強い思いから、本書は「海を守るために働くすべての人へ」捧げられている。

 読了して頭足類だけでなく、海洋環境を守るために全力を挙げている著者の強い思いに共感した。それとともに、タコやイカなど頭足類に知性や知能、意識があるのではないか、と詳細な観察と分析を続ける著者の研究への持続力、探究心にも大いに感嘆した。ただ本書を読み終えて気になったことをひとつだけあげておきたい。精力的な著者は頭足類に関する内外の研究や文献を渉猟し、その多くを引用し、自分の研究に役立てているが、そうした参照研究に日本人をはじめ、東アジアの研究者の名前が見えないように思えることだ。評者はこの分野の研究に知識がないが、こうした分野の研究をする人材がいないのだろうか。あるいは文化的な背景からこうした研究に取り組もうとする研究者が出てこないのだろうか。それとも英語での適切な発信がなされていないのだろうか。この点は不思議に思った。日本人にとってタコやイカはなじみの食材だが、頭足類に知能や意識があるのではないかという発想はそもそもなじめないものだろうか。この問題は少しじっくり考えてみるべきテーマではないかとも感じた。難しいテーマながら、翻訳はこなれていて読みやすい。mindをどう訳すかにしても簡単なことではないはずだ。訳者の努力にも拍手を送りたい。著者は本書に続いて「メタゾアの心身問題」という続編も出している。機会があれば読んでみたい。出版社のホームページを見ると3番目の著作の翻訳も準備されているという。こちらも気になるところだ。