ロシアから見える世界 駒木明義 ロシアや世界はなぜプーチンを止められないのか
著者は朝日新聞のロシア・国際関係担当論説委員。モスクワ支局員や支局長が長く、通算して7年間、モスクワで勤務している。ロシアとの出会いは大学での第二外国語の選択だった。だが、学生時代の卒業旅行にもロシアを選び、この時には極東のハバロフスクまでアエロフロート機で飛び、そこからシベリア鉄道で約1週間かけてモスクワに向かっている。筋金入りのロシア通というべきだろう。特派員勤務の前には新聞社から派遣されて、モスクワで1年間の語学研修も受けている。
本書は、ロシアのウクライナ侵攻から1年経った23年2月から、朝日新聞デジタルの会員向けに隔週で配信してきた「駒木明義と読むロシアから見える世界」という30本以上のニュースレターとアエラなど雑誌媒体への寄稿をを基にしたものだ。著者は前書きで、「ここ数年のロシアを見ていて痛切に感じるのは、取り返しが付かなくなるのは本当にあっという間だ」と率直な感想を述べている。
第1章は「プーチンが作った世界」。「2024年5月7日、プーチン氏が5期目の任期をスタートさせた。00年に初めてロシアの大統領に就任したプーチン氏の今回の任期は30年まで。首相を務めていた08年からの4年間も含めれば、ソ連以降で最長の指導者だったスターリンを超える」。彼は00年に初めて大統領選に立候補する前のインタビューでこう述べている。「一人の指導者が16年も続けば、どんな国民でもうんざりする」。これは、ドイツで長期政権を率いたコール元首相が退任後にスキャンダルに見舞われたことについて聞かれたことに述べた感想だ。プーチン氏は今回の任期を務めあげれば、その倍近い期間、ロシアの最高指導者として君臨することになる。
2024年の大統領選は3月15~17日に行われた。日本ではほとんど報じられなかった。評者も記憶していない。プーチン氏以外に3人が立候補したが、だれもプーチン氏を批判せず、彼を支持していることを隠そうともしなかった。著者は「正直言って、この茶番劇を『選挙』と呼ぶことに、ためらいを覚える」と憤る。2月末には候補者によるテレビ討論会が始まったが、これもロシア国内でさえ、ほとんど注目されなかった。なぜなら、プーチン氏が参加を拒んだからだ。大統領報道官はその理由について、「有権者は、あらゆる問題についてプーチン氏の見解を毎日のように知ることができる。また、国家元首としての日程が多忙を極めており、他の候補とはこの点でまったく異なる」。要は選挙にかまけている暇などない、と言っているわけだ。それならなぜ、わざわざ候補者のテレビ討論会までやるのだろう。正式な選挙戦という形式が重要なのに違いない。このテレビ討論の間に、プーチン氏による年次教書演説が行われた。あきれたことに、この演説会には3人の候補が出席し、彼の演説に盛大に拍手を送っていた。著者は生中継の動画で2人が出席していた事実を確認している。ロシアメディアによると、もう一人の候補も出席していたと国営通信社が報道している。「誰もが、この大統領選が壮大な茶番だと分かっているのだ」。
なぜ、こんな茶番劇が必要なのか。著者は「ウクライナでの戦争を進めるためにも、プーチン氏が有無をいわせぬ圧勝を必要としていたからだ」と断じる。政権に批判的な独立系メディアは、立候補しようとしていたある有力候補が「旧知の大統領府高官と話し合い、立候補について了承を得ていたが、その後(この候補による)厳しいウクライナ侵攻批判が許容限度を超えたため、大統領府は立候補を認めない方針に転じた、という」。茶番劇とさえも言えない情けない展開だろう。
著者がロシアで何人かの人に話を聞くと、「プーチンのことを好きなのは年寄りばかり。(中略)若者、特に20代は誰も支持していない。でも、みんな自分の人生で手いっぱい。抵抗したら危険だ。牢屋に入れられてすべてを失うことになる。誰もそんな危険は冒そうとしない」と話した。
「すでに四半世紀に及んでいるプーチン氏による統治の深刻な帰結は、ロシアという国家の行為に対して、国民一人ひとりが責任を負っているという自覚の欠落だ」と著者は記す。22年12月、独立系の世論調査機関であるレバダセンターが「ウクライナで起きている一般住民の死や破壊について、あなたに道義的な責任があると思いますか」と尋ねたところ、「完全にある」と答えたのはわずか10%、「ある程度ある」も24%にとどまり、59%の人は「まったくない」と答えた。
ウクライナ侵攻の行き詰まりで、統制はさらに強化されてきている。「外国の代理人」という非国民の認定が進んでいるのだ。もともとこれは外国から資金を受け取った者という意味で使われていたそうだが、2022年末の法改正で、外国から資金を受けとっていなくても政府が「外国の影響下にある」と認定すれば、「外国の代理人」に指定できるようになった。「24年時点で400人近い個人が『外国の代理人』に指定されている。著名なジャーナリスト、人権活動家、反体制政治家などが網羅されている」。中にはノーベル平和賞受賞者も含まれている。指定されると、法務省が公表するリストに掲載され、多くの制約が課せられ、不名誉な扱いを受ける。ロシアのメディアが対象となった人物や団体を取り上げるとき、名前の直後に、「ロシアで外国の代理人に指定」という但し書きが付記されることになる。
プーチン氏が5選を決めた大統領選が終わって5日後の2024年3月22日、モスクワ郊外のコンサート会場を武装グループが襲撃し、140人以上が死亡した。ロシア国内で起きたテロとしては過去20年で最悪の惨事だった。これはIS(イスラム国)の起こしたテロという見方が濃厚で、IS自身が系列メディアに犯行声明を掲載している。しかし、ロシアは犯人たちの背後にはウクライナがいた、と主張し続けている。実はこの直前、在ロシア米国大使館は「モスクワのコンサートを含む大規模な催しを標的にした過激派による計画があるとして、注意を呼びかけた」。当然、ロシアの治安機関もこうした情報をつかんでいたはずだが、プーチン氏は情報を軽視し、「最近、ロシアでのテロ攻撃の可能性について、多くの西側の政府機関が挑発的な声明を出している。これらはすべて、あからさまな脅迫であり、私たちの社会を揺さぶって不安定化させる試みを思わせる」と述べていた。
レバダセンターが、この事件から約1か月後に行った調査では、「テロの背後に誰がいたと思うか」という質問に、「ウクライナの特殊機関50%、西側の特殊機関37%、イスラム過激派11%、ロシアの特殊機関4%、その他1%、回答困難20%」となっている(重複回答で、合計は100%を超える)。著者は、「ウクライナの人々を殺戮するだけでなく、自国民まで欺いて、双方に互いへの敵意を植え付ける状況は、ロシアの侵略戦争の名状しがたい愚かさを浮き彫りにしている」と書いている。
第2章は「プーチンが見ている世界」。「かつてのプーチン氏は、欧米を敵視して弱体化させることがロシアの国益だと考える情報機関や軍部と、欧米との関係を安定させることがロシアの繁栄のために重要だと考える経済エリートのバランスをとった政権運営をしてきた。しかし、ウクライナへの全面侵攻に踏み切って以降、プーチン氏は、完全に後者を切り捨ててしまったようだ」。これがウクライナ侵攻の第1の理由だ。第2の理由はプーチン氏が、ウクライナをロシアの一部だと考えて、ロシアから離れて主権を主張することは認められないという、プーチン氏独自の(とはいえ、ロシアでは多くの人々に共有されている)世界観だ」。それに加えて、第3の理由があることが開戦後にはっきりしてきたと指摘する。「それは、欧米のリベラルな価値観を退廃として敵視し、今回のウクライナ侵略を『伝統的な価値観を守るための正義の戦い』と位置づける考えだ」。「今のプーチン氏を思わせる価値観がはっきりと表れているのは、20年に改正されたロシア憲法だ。(中略)歴史観、家族観、倫理観について、多くの復古的な内容を含む条項が新設された。「ロシアは千年の歴史によって統一されており、理想と神への信仰を我々に継承させた祖先の記憶を保持する」「ロシアは祖国防衛者の記憶を尊重し、歴史の真実の保護を保証する」「国家は児童の愛国心、公民意識、年長者への敬意を育成するための条件を整備する」といった具合だ。復古主義を求める宗教保守の主張に沿った内容に違いない。
2023年3月17日、国際刑事裁判所(ICC、本部=オランダ・ハーグ)が、プーチン大統領がロシアが侵略しているウクライナから子供を不法に移送したとして逮捕状を出した、と発表した。ロシアはICCに加盟していないので、プーチン氏が逮捕される可能性はほとんどないが、「国連安保理常任理事国で、世界秩序の保証人として核保有を認められている国の大統領が戦争犯罪の容疑者になったというのは、まさに歴史的な異常事態だ」。
著者はICCの決定について画期的だが、副作用も否めないとかなり冷静に受け止める。「それは、プーチン氏が引退するというシナリオがほぼ閉ざされたということだ。大統領を辞めれば、実際に逮捕される可能性が飛躍的に高まる。(中略)プーチン氏が今後、死ぬまで大統領の座にしがみつこうとすることは、ほぼ間違いない」。
評者にとって意外だったのは、プーチン氏が、ロシア革命を指導し、ソ連を建国したレーニンに対し、きわめて否定的な評価をしていることだ。その理由は2つある。「第1に、プーチン氏は今のウクライナを、レーニンが作り出した人工的な国家だと考えていること、第2に、レーニンが政権を奪取した革命という手法を、プーチン氏が忌み嫌っていることだ」。国の成り立ちからして革命を嫌うのは信じられない。
もうひとつ意外だったのは、巷間、ささやかれるプーチン氏の影武者疑惑について、著者が肯定的に見ていることだ。本人はインタビューで直接聞かれたときにも「いないし、いたこともない」と強く否定している。影武者の計画についても「そういう話はあったが、私が断った」と断言している。ただ著者は2023年3月10日、プーチン氏がウクライナでの激戦地として知られる東部ドネツク州のマリウポリを訪問したという発表に強い疑問を抱いた。ロシア大統領府は、プーチン氏が自らハンドルを握ってマリウポリ中心部を運転している動画を公開した。これはロシア人の常識ではまったく考えられないことだ。動画のプーチン氏は自らトヨタ車のハンドルを握って対向車の行き交う道をゆっくり進んでいた。だが、首都モスクワでは、プーチン氏の車列が通る20分ほど前から両方向の交通を完全に遮断し、プーチン氏の車は警護の車列に囲まれて100キロ超の猛スピードで通り抜けてしまう。街頭での襲撃を避ける狙いからだろう。しかもマリウポリでは周りが高い建物に囲まれた集合住宅の中庭で、約10分にわたって説明を受けていた。「周囲に高い建物がある場所に長居をさせないことは、要人警護の鉄則だ」。アメリカ大統領はこうした場所には姿を現さない。写っていたのは影武者と考える方が自然だ。著者が時折、出演するBS-TBSの番組が行った専門家による顔認証や声紋の分析でも「他人の可能性が高い複数の例が見つかった」という。影武者疑惑はますます深まっていると言えそうだ。
第3章は「ロシアから見える世界」。ロシアの民間軍事会社ワグネルによる反乱とそれを率いたプリゴジン氏の最期について考察されている。プーチン氏にとってプリゴジン氏は副市長を務めたサンクトペテルブルク時代からの古い知り合いだった。プリゴジン氏は搭乗していた小型自家用機が墜落して死亡したが、著者はワグネル幹部2人が同乗していたことに注目する。アメリカの有力紙ウォールストリートジャーナルは、西側の情報機関やロシアの元当局者の話として、バトルシェフ安全保障会議書記が指示した暗殺だったという見方を報じている。これもプーチン氏の承認なしに実行できるはずがない。
第4章は「世界から見えるロシア」。評者にはこのくだりが非常に興味深かった。安倍元首相はプーチン氏と頻繁に出会ったことがよく知られている。日本とロシアの間には北方四島の帰属という領土問題がよこたわっている。安倍氏は何とかこの問題の前進を図りたいとプーチン氏との個人的関係構築に努めたが、著者は「安倍首相が北方領土問題の解決と平和条約の締結を求めて、プーチン氏に露骨にすり寄った」と厳しく批判する。2014年のロシアによるクリミア占領とウクライナ東部への軍事占領に対し、西側は経済制裁を発動したが、日本は「形だけの経済制裁を課す一方で、8項目の経済協力プランをロシア側に提案、16年にはロシアの経済協力を担当する大臣ポストまで新設した」。著者は安倍氏の死後、出版された「安倍晋三回顧録」をもとに交渉の内幕に迫る。回顧録にはトランプ氏の218回に次いでプーチン氏の名前が79回も登場する。著者は「(安倍氏の)一番の問題点は、2島(歯舞、色丹島)返還による北方領土問題解決が近づいていたと本気で考えていた」点だとみる。回顧録によると、安倍氏は18年11月、シンガポールで行ったプーチン氏との会談で、『日ソ共同宣言のプロセスを完成させるため』の交渉を始めるという合意文を提案した」。ところがこれをプーチン氏が拒否し、結局、「日ソ共同宣言を基礎に」交渉を始めるという表現に落ち着いた。安倍氏は提案が拒否されたので、通訳を務めていた外務省ロシア課の課長補佐に相談し、「共同宣言を基礎に」という表現ではどうかと提案され、それを採用したのだ」という。著者は「重要な合意についての表現ぶりは、外務省の国際法局長や条約課長を交えて慎重に検討するはずだ」と驚いている。「安倍氏自身は自覚していなかったようだが、プーチン氏に手玉に取られたと言わざるをえない」と批判する。ロシアはウクライナ侵攻後の2022年3月、日本との平和条約交渉を打ち切ると一方的に宣言した。評者は、この問題にはまったくの素人だが、以前から安倍氏が頻繁にプーチン氏と会い、個人的な関係を築こうとしていることには、「足元を見られないといいのだが」と強く懸念していた。
本書にはロシアと北朝鮮の接近をめぐる最新のトピックスも盛り込まれている。2023年9月、北朝鮮の金正恩総書記はロシアを訪問した。「ウクライナ侵略を続けるために、北朝鮮から砲弾などの供与を受けたいロシア側と、人工衛星や潜水艦の技術を入手したい北朝鮮側が、軍事協力で合意したと見られている」。
「24年3月28日、国連安保理は一連の北朝鮮制裁の実施状況を監視する『専門家パネル』の任期を1年延長する決議案を否決した。ロシアが拒否権を行使したのだ。理事国15カ国のうち13カ国が賛成、中国は棄権に回った。ロシアは中国以上に北朝鮮を擁護する姿勢を鮮明に打ち出したのだ」「プーチン氏は24年6月、24年ぶりに北朝鮮を訪問、金正恩総書記との首脳会談後に、『包括的戦略パートナーシップ条約』に署名した。この条約には、一方が武力侵攻を受けて戦争状態になった場合には、他方が『軍事的およびその他の援助を提供する』ことなどが明記されている」。さらにプーチン氏は記者発表で、北朝鮮制裁の撤廃まで主張した。著者は「ウクライナ侵略は近隣国の安全保障観を揺るがしただけでなく、ロシア自身の国のありようも、すっかり変えてしまった」と書く。ロシアの北朝鮮擁護は見苦しいというよりほかない。
著者は2023年2月、ウクライナの首都キーウを訪れて市民の話を聞いている。トルコのイスタンブールからポーランドの首都ワルシャワに入り、そこから夜行列車でキーウを訪れた。ロシアのウクライナ侵攻前はモスクワから日帰りで行くこともできたそうだが、侵攻後は空路は閉ざされている。イスタンブールから2日がかりの旅行だった。ウクライナでは非ロシア化が進んでおり、著者もロシア語を使うことがはばかられたほどだった。
プーチンの戦争は結局、どこに向かうのだろうか。何の正義もない戦争に駆り出されたロシアやウクライナの若者がきょうも死の恐怖にさらされ、傷つき命を落としている。一方で、兵士の死傷による深刻な兵士不足に悩むロシアは北朝鮮兵を前線に送っているとも伝えられている。まだ真相はわからないが、西側の専門家は十分あり得ることだと受け止めている。21世紀も4分の1近くが過ぎた今日、こんな無益な戦争が今も続いているとは評者も夢想だにしなかった。豊富なデータをもとに、プーチンの戦争をその根源からわかりやすく描き出した本書は多くの人に読まれるべきだ。思想や言論、報道の自由があることのありがたさを痛感する。だが、ロシアが見苦しいまでに北朝鮮にすり寄り、新たな「悪の枢軸」の形成が現実になるとは想像していなかった。この見通しの甘さ、いい加減さは深刻かつ徹底的に反省しなければならない。ウクライナは日本からは遠いが、他人事ですませるわけにはいかない。数年前、北海道東端の知床半島に行ったとき、北方四島のひとつ国後島が大きく眼前に見え、そのあまりの近さに驚いた。まぎれもなく、ロシアは日本の隣国でもあるのだ。