ハダカの東京都庁 澤 章 反小池知事とされ再就職を棒に振った元都庁官僚の告発
面白い表紙だ。西新宿にある超高層ビルの都庁を背景にポーズを決めているのは小池百合子都知事だろう。正義の騎士を気取ってか鎧のスカートと甲冑を身に着けている。その剣幕に逃げ惑うのは都庁の幹部職員たちだろう。
著者の澤章氏は元東京都職員。枢要ポストである総務局人事課長や知事本局計画調整部長、中央卸売市場次長や選挙管理委員会事務局長などを歴任した。定年退職後、東京都環境公社理事長に天下ったものの、2020年3月、築地市場の豊洲への移転の顛末を書いた「築地と豊洲 『市場移転問題』という名のブラックボックスを開封する」という告発本を出したことで理事長を解任された。まえがきによると、「この本によって自らの暗部をえぐりだされた小池百合子知事は激怒した。実際、都庁では発禁本のような扱いを受けた」。
評者は長年の都民だが、それほど都政に関心を持ったことはない。人気投票のような都知事選に投票に行き、その結果をテレビの速報で知る程度だ。当否に一喜一憂することもない。ただ歴代都知事の名前は知っている。マンモス自治体の東京都は職員が4万7000人もいるとか。巨大な都庁庁舎で執務するのはその一部らしい。
まえがきによると、筆者は告発本の出版直後の2020年7月初旬、突然、都庁に呼び出された。「幹部人事を取り仕切る副知事から『おまえは常識がない』と告げられたのである。正直、呆れた。都庁も狭量になったものだと憐れみさえ感じた。都庁村の掟を破った不届き者は村八分にされて当然ということらしい。加えて、小池都知事の行動原理の一つである『裏切者は絶対に許さない』という、あの氷のように冷たい姿勢が適用された結果でもあった」。
その意味で本書は小池知事に対する憤怒や告発の書である。言いたいことは山ほどあるだろうが、「悪態をついても始まらないので未練なく辞めた」。その代わり告発本や暴露本として本書を執筆したのだろう。ただ書かれている内容はそれほど赤裸々なものではない。役所だけでなくおそらくどこの組織にでもあるような類のことだ。その意味で、本書は読者の期待に十分応えているとはいいがたい。ただ評者は都庁についてほとんど知らないので、結構、興味深く読ませてもらった。
巨大組織だけあって都庁の外郭団体は数多い。政策連携団体と事業協力団体に分かれているが、前者は33、後者も33ある。「身近なところでは、世界6大マラソンにまで成長した東京マラソンを運営する東京マラソン財団、恩賜上野動物園などを管理する東京動物園協会、変わったところでは、はとバスや東京臨海高速鉄道(いわゆる、りんかい線)、多摩都市モノレールなども含まれる。こうした数多くの団体に都庁の仕事の一部を委託し実働部隊として活用することで、巨大な都庁ホールディングスが形成されている」。こうした外郭組織には局長や枢要部長の経験者が天下る。
さらに副知事経験者には別格の天下りポストが割り振られる。「副知事経験者の指定席の代表格は、東京都競馬と東京臨海ホールディングスである。前者は、地方競馬の雄・大井競馬場を特別区競馬組合に、伊勢崎オートレース場を伊勢崎市に賃貸する隠れた優良企業であり、東京サマーランドの経営もしている」。後者は関連5社を傘下におさめる臨海副都心のまとめ役だ、これほど大きな企業体なら、「利権」も相当なものだろう。
天下りが可能な枢要ポストに昇進するには内部の昇進競争を勝ち抜かねばならない。都庁の場合、主任試験と管理職試験の二つの試験がある。いずれも筆記試験と論文でふるいにかけられる。さらに管理職試験には面接が加わる。「第一関門である主任試験をパスしなければ、係長にも上がれずに一般職員のままで役人人生が終わってしまうのだ。主任試験の次は管理職試験だ。これには2種類あり、以前はAがエリートコース、Bがたたきあげコースと位置づけられていたが、現在ではその区別は薄れている。管理職試験をパスしなければ管理職には登用されないが、試験の人気は高いとはいえない。「都庁では年々、管理職への業務上の負担が増大しており、職責と処遇の間にアンバランスが生じ、とてもじゃないが割に合わないと感じている職員も少なからずいる」「こうした傾向は小池都政になって以降、確実に強まっている。ワーク・ライフ・バランスを強調する小池知事だが、その実態は真逆である。知事サイドからの生煮えの指示と矢の催促に、管理職たちは疲弊しきっている」。評者は反小池というほどでもないが、テレビで見る彼女の偽善的な姿や質問をはぐらかす態度に、本書の指摘は大部分が事実だろうと感じている。
都庁だけでなく、官僚の出世レース、出世競争はきわめて激しい。上級ポストにつけば退職後も有利な天下り先が得られるという実利があるが、それだけでは説明できない何かがある。評者も一時期中央省庁の担当記者をしたが、人事の季節になると、幹部職員は一様に落ち着かなくなる。懇意になった幹部から人事権者である事務次官のハラをひそかに探ってくれないかといった依頼(?)が来て、驚いたこともある。今は内閣人事局が幹部人事を仕切るので、かなり様変わりしたのだろう。それだけ官邸の威光が強くなって、衆目、優秀な人材と認められながらも官邸サイドに快く思われず、冷や飯を食わされている人も少なくないのだろう。
都の人事課長を務めただけに、人事の話には熱が入る。筆者が快く思わないのは抜擢人事だ。「目立ちたがり知事は、人事でも目立ちたがろうとするので厄介である。抜擢人事は、発表直後こそ耳目を集めて拍手喝采を浴びるが、その後の経緯をたどると、必ずと言っていいほど失敗する。知事以外にも人事部自らが人事異動の目玉として抜擢を仕掛けることがたまにある。それでも必ず失敗する」。失敗の理由は二つ。「まず、引き上げられた人物に相応の能力が備わっていないからだ」。もうひとつが「人間集団が持つ無意識の嫉妬感情である。民間企業であれば、嫉妬渦巻く中でも業績を上げれば誰も否定できないが、公務員の場合、仕事の出来不出来に明確な物差しがないため、足を引っ張ろうと思えばいくらでもできてしまうのである」。
次の話題は「記者会見場の人間模様」だ。「知事の定例記者会見は原則週1回、第一本庁舎6階の会見場で行われる。小池知事は毎週金曜午後2時スタートを旨としている。ネット中継を通じて誰もがリアルタイムで視聴できる」。都庁記者クラブは新聞社を中心とする「有楽クラブ」とテレビ局などで構成される「鍛冶橋クラブ」が合併した。「近年はネット系の新興メディアが存在感を示している」「ネットメディアは小池知事のお気に入りである。既存のメディアは知事に批判的なところが多い。それを嫌ってあえてネットメディアにすり寄ったのだ。ネットメディアも存在感を増したいがゆえに、権力者におもねる態度を隠そうとしない」。
「会見場で小池知事が懇意の記者しか指名しないことは業界筋ならずとも有名な話である。会見が始まると、担当職員から知事にこっそり手書きのペーパーが渡される。そこには記者席のどこに、どの社の誰が座っているかが記されている。知事はこのペーパーを手元に置き、自分が贔屓にする記者を指名する。(中略)誰がどこの記者なのかを把握した上で、完全に計算ずくで指名しているのである。だから、批判的な記事を書く記者は最初からマークされ、たとえ手を挙げても質問する機会を与えられることはほとんどない。(中略)昵懇の記者は毎回のように質問を許され、そのたびに知事から微笑みを返される」。都庁に限らず、こうしたやらせ会見は結構多いと思うが、その内情を書いた記事をあまり目にしないのはどうしたことなのだろう。
都庁クラブには各社とも若手の記者を配置することが多い。若い女性記者も目立つ。「知事は機会を見つけて不慣れな女性記者たちに声をかけ味方に引き入れた。報道番組のMCあがりの知事にとっては朝飯前、自らが女性であることを武器に女性の味方を演出する典型例である」。評者も何年か前、某公共放送のローカルニュースで、女性アナが知事へのインタビューの際、「私もこれを着けています」と知事が着けるシンボルバッジを示したのには仰天した。報道の中立性や客観性は死語になったのだろうか?
筆者は石原知事の2期目の4年間(2003年ー07年)、知事のスピーチライターをしていた。これは都庁では俗に「のりと」担当と呼ばれる。石原氏は小説家だから、言葉にうるさいはずだ。「私は就任早々、過去の作品を読みあさり、本人になり切ることから始めた。ある程度、信頼を得ると、知事執務室の裏口から単身入室して知事と1対1で文面の調整を行うことも許された」。本書が全体として石原氏に手ぬるく、小池氏に手厳しいと読めるのもそうした経緯があるのかもしれない。一橋大出身の石原氏は澤氏が後輩(一橋大経済学部卒)と知って重用したのかもしれない。これももちろん本書では触れられていない。「慣れるまでは地獄、慣れれば天国の4年間だったが、石原知事からは『君は石原慎太郎よりも慎太郎らしいな』とのお褒めの言葉をいただいて有頂天になった。しかし、後でよく聞けば、歴代のりと担当課長は全員、知事から同じことを言われたというではないか」。
筆者は都議会との関係も熟知している。公明党が4年に一度の都議選を国政選挙並みに重視していることはよく知られているが、国会も含め、行政と議会との関係はなかなか微妙なところがある。「ある会派の古参議員はこんなことを口癖のように言っていたのを鮮明に記憶している。『知事は4年か、せいぜい8年でいなくなるんだよ。だが、都政は永遠だ。都民のために働かなければならない』」。だが、筆者はその真意はこうだという。「だからこそ、すぐにいなくなる知事に左右されてはいけないんだ。我々とともに都政を推進していこうではないか」。さらに、本当の真意は「人気投票のような選挙で選ばれた知事にあまり振り回されるのはどうかと思うよ。地元にしっかり根付き、街の人たちの声を常に吸いあげている我々こそが本当の民意なのだから、君たちもそこのところを見誤ってはいけない」。
筆者は一時、ある都立病院の医事課長をしていたことがある。本来はレセプト請求や患者サービスにかかる医療事務の責任者だが、裏ミッションは都議からの入院依頼のさばきだ。「この手の入院依頼は特定の会派によるものではない。与党野党問わずどの会派からも、年中行事のように持ち込まれるのである。コロナ禍の東京で、まさか同じようなことが繰り返されていないだろうが、個人的な現世利益のために都議会議員がいるのではないことだけは再確認しておきたい」。コロナ禍で病床がひっ迫する今は、事態はさらに深刻だろう。評者も科学部のデスクや部長だったとき、社内からかなり無理な入院依頼をされ、窮したことがある。
親切な筆者は都庁のトリビアや都庁だけで通じる業界用語の解説もしてくれる。面白いと思ったのは入社や入省の代わりに使われる「入都」という言葉。同期入都は「入都〇年組」と呼ばれる。外部ではまったく使われないのはGやVという隠語。Gはガバナー(Governor)の頭文字だから都知事、Vは副を意味するViceの頭文字で副知事を意味する。SSというのはスペシャル・セクレタリーで知事の特別秘書。副知事は議会の同意が必要だが、SSは同意が不要。「知事の友達筋がつくことが常で、過去を見ても筋悪の人物が多かったように感じる」。
巻末付録の「歴代都知事の斜め切り寸評」が面白かった。
鈴木俊一(1979年4月~95年4月 4期)
86年入都の筆者には「雲の上の人」。「現職の都庁幹部職員にとってもほぼ歴史上の人物と化しているはずだが、歴代都知事の中で、なぜか今でも高い評価を受けている。これはひとえに、実務派で堅実な仕事ぶりや、温厚な人柄によるところが大きい」。
青島幸男(1995年4月~99年4月 1期)
「思いがけなく都知事になってしまった人である。そのことは当の本人が一番痛切に感じていたはずである」。青島都政4年目のある日、居酒屋のテレビに彼の顔が映し出された。「知事選に出馬いたさぬことといたしました」「全身から力が抜けた。一瞬は裏切られたとさえ感じた。それでもなお、歴代知事の中で最も人柄がよかったことだけは確かである」。
石原慎太郎(1999年4月~2012年10月 4期)
「どれをとってもサラブレッド感満載のこの人物を、評論家江藤淳が『無意識過剰』と評したエピソードは有名である。(中略)私の印象はちょっと違っている。『マッチョを演じ続けることを自らに課した神経質な小心者』といったところだ」「石原都政の後世に誇れる業績とは何かと問われたらどうこたえるか。ディーゼル車の排ガス規制? 東京マラソンの開催? 私なら、羽田空港の国際化と三環状道路の整備の二つを挙げる。最大の悪政は、言うまでもない。新銀行東京の創設である。(中略)赤字補填に400億円もの公的資金がつぎこまれた事実を忘れることはできない」。
猪瀬直樹(2012年12月〜2013年12月 1期)
「都知事だったのはわずか1年に過ぎないが、ずいぶん長い間、都庁が振り回されたように感じるのは、彼が石原知事に見出されて副知事を5年近くやっていたからである」「しかし、都庁のような巨大な組織の頂点に立つべき人物だとは到底思えない。怒鳴る、すぐ切れる、人を見下す、ふんぞり返る。(中略)ひとたび行政という名の実務の世界に入れば、わがま放題やり放題というわけにはいかないのである」。
舛添要一(2014年2月〜2016年6月 1期)
「舛添氏が都知事に就任した当初、都庁には安堵の空気が流れた。やっとまともな知事が来た。これで仕事ができる。(中略)ところが数か月も経たないうちに雰囲気は再び変わる。(中略)舛添知事のそばにいたある都庁幹部職員は、舛添知事を『頭の良い猪瀬直樹』と評していた。(中略)一匹狼的な国会議員としての立ち振る舞いが、そのまま自治体の長になっても通用するとは限らない典型例とも言えよう」。
小池百合子(2016年8月~ 現在2期目)
「まず、小池知事の本性を見てしまった者として、なぜ未だに都民の人気を保っているのかが理解できないのだ。市場移転問題の最中、いくら小池知事の悪行を妻に愚痴っても、『あらそうなの? でも案外、頑張ってるじゃない』とつれなくされた経験がある」「これは小池知事独特のイメージ操作に依るところが大きい。彼女の本質は『テレビのレポーター』であり、『報道番組のメインキャスター』である。(中略)駆け出しの頃、世に見出された時から不変の、彼女の天職と言ってもいい。この技術とノウハウが政治家・小池百合子を男社会の中で際立たせてきたのだ」「言い換えれば、カメラが回っていない時の顔は別人なのである。だからみんなコロッとだまされる」「もう一つ、小池知事には特異な能力がある。これまで彼女が政界で生き延びられたのは、地雷を察知する嗅覚に優れ、決して地雷を踏まなかったからである」。
小池評の最後は「七つの大罪」だ。⓵粛清人事と情実人事を操る恐怖政治、②「女の敵は女」を地で行くジェンダー操作、③密告を奨励し職員を分断する「ご意見箱」の設置、④日常的に繰り返される情報操作、⑤都財政の貯金を使い果たした隠れ浪費、⑥都市基盤整備に関心がないのは決定的にダメ、⑦この世を敵か味方かの二つに分ける思考パターンが不幸を招く。
「情報操作」というのは「小池知事の会見や発言はよほど眉に唾して受け取らないと、コロッとだまされる。例えば軽症のコロナ感染者のためのホテル借り上げに関して、小池知事があたかも十分な部屋数を確保したかのように発表した数字は、実際には6掛けでしか使用できなかった。それも2度までも平気な顔をして水増しの数字を公言した。情報操作の常習者と言ってもいい」「一方で、自分を批判する者には容赦ない。TV局だろうが、タレントだろうが、抗議文を送りつけ、謝罪を要求してくる」。
メディアのからくりを熟知するだけに大手メディアにもきわめて手ごわい相手のようだ。メディアの記者もサラリーマンだから脅しに弱い。たとえば社長や局長あてに知事名義の抗議文が送られてくれば無視することはできない。いくら正しい報道をしていると確信していても腰がひける。本書の最後には「以上、七つのポイントだけでも、稀代のポピュリストの一断面をご理解いただけたのではないだろうか」とある。
完全に同意するわけではないが、大筋では正しいと感じる。情けないのは巨大な都庁でこうした批判をする幹部や職員がほとんどいないことだ。都庁クラブやその周辺のメディアも見て見ぬふりをしているのだろうか。それこそが民主主義の危機だと思うのだが……。筆者が筆の限りを尽くして批判する当の小池知事は最近、少しおとなしくなっているようだ。今は出番ではないと感じているのか、それとも後ろ盾とみられる自民党の二階幹事長が実権を奪われたことの影響だろうか? 小池信者にはとても勧められないが、知事の言動に不信感や不満を抱いている人には、考えるヒントが詰まっていそうだ。都庁村を村八分にされた筆者には今後も書き続けてもらいたい。筆者は最近、You Tube(都庁watchTV)も始めたようだ。こちらも見てみたい。