ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

「大脱出」 貧困からの脱出のカギは? 現場を知る経済学者による的確な分析

2016年08月23日 | 読書日記
「大脱出」健康、お金、格差の起源 A・ディートン、松本裕訳



 A・ディートン氏はアメリカ東部にある名門プリンストン大の経済学部教授。2009年には米経済学会会長を務めた高名な経済学者だ。もともとはイギリス北部のスコットランドで育ち、現在は米英の市民権を持っている。

 「大脱出」というのは聞いたような言葉だと思ったが、今から半世紀前以上の1963年に公開されたアメリカ映画の「大脱走」をもとにしてつけたという。「大脱走」はスティーブ・マックイーンやリチャード・アッテンボローが主演したハリウッド映画。この映画を見ていないが、題名を覚えているので、当時かなり話題になったのだと思う。第2次大戦中にドイツ領内で撃墜された英国空軍のパイロットが何度も捕虜収容所からの脱走を企てたという実話を元にしている。映画で描かれた3度目の脱走では、捕虜250人が3本のトンネルを掘って脱走を試みた。しかし、3人を除いて全員がつかまり、脱走の首謀者はヒトラーの直接の命令で処刑された、という悲劇でもある。

 ディートン氏はこの大脱走がほとんど成果を上げなかった点ではなく、人間が想像を絶するほど厳しい状況にあっても自由を求める、その飽くなき欲求に注目している。序章で、「本書で言う自由とは豊かに暮らす自由、生きがいのある人生を送るための活動を行う自由だ。自由の欠如とは貧困、欠乏、病気を意味する。人類の大半は長きにわたって自由の欠如に苦しめられ、今でも世界中であまりに多くの人々が苦しみ続けている。本書ではこの牢獄からの度重なる脱走、それがなぜどのようにして起こったか、その後どうなったかという経緯を語りたい」と述べる。この問題意識に評者は全面的に共感する。

 こうした問題意識を持つに至った理由なのだろうが、筆者は自分の生い立ちを詳しく語る。今は先進国となった国もそのころはほとんどがそうだったと思うが、1918年、貧しい炭鉱の村に生まれた父親は夜間学校に通って測量技術を勉強し、徴兵から戻った後、1942年にスコットランドのエジンバラで土木技師の会社の雑用係として雇われた。彼はこの幸運を生かし、自分も土木技師になろうと一大決心をし、ほぼ知識ゼロのところから10年間必死で勉強してその資格を得た。正規の教育を受けていない若者に技師の資格試験の勉強は難しく、数学と物理学にはとくに苦労したようだ。父親の育った境遇に強い関心を持つ筆者は父親が通った学校に連絡し、当時の成績まで取り寄せている。

 その後、父親はその当時の伝統にならって(日本もまったくそうだった)、息子や娘が自分よりいい人生を送れるように、と懸命に努力した。息子が通っていた学校の教師を家庭教師に頼み、地元のパブリックスクール(私立学校)の奨学生試験の準備をした。筆者は見事、無償奨学生の2人の狭い枠に入ることに成功した。私立学校の学費は父親の1年分の給与より、はるかに高かったという。

 パブリックスクールで優秀な成績をおさめた筆者はケンブリッジ大に進学して数学を専攻し、イギリス、アメリカの大学で経済学部教授として教鞭をとる。筆者の妹もスコットランドの大学に進学、教職についたという。

 全部で12人もいた、いとこのうち大学に行ったのは筆者と妹の2人だけだった。上の世代で大学に行った子どもは一人もいなかった。教育が上位階層への脱出を実現させた見事な成功例というべきだろう。

 戦勝国と敗戦国の差はあるにせよ、筆者とほぼ同世代のはずの小生が日本の地方都市で育った環境も似たようなものだった。上の世代で大学に行った人はほとんどおらず、逆にやや下の世代や子どもの世代になると大学教育を受けるのがかなり当たり前になっていった。

 「大脱出」でもうひとつ評者が共感したのがお金の格差、いわゆる経済格差だけでなく、健康の格差といえるものにも筆者が注目している点だ。評者のような科学記者には大変うれしい。



 「世界と幸福」と名付けられた第1章では、その国の平均余命を縦軸、一人当たりGDP(国民総生産)を横軸にとった上のグラフ(2010年のデータ、51㌻)が出てくる。グラフは初め、インド、中国が縦軸方向に鋭く立ち上がり、ついでグラフはやや傾きをゆるやかにして上方に伸びていく。日本はGDP3万ドル台でグラフ右のやや上方に登場し、アメリカはさらにその右側の4万ドル台に登場する。グラフの一番右端(一人当たりGDPが一番多く、余命も一番長い)に登場するのはノルウェー。なるほどこうしたグラフがあるのか、と感心させられた。グラフが鋭く立ち上がるところ(平均余命が途上国から中進国並みに伸びていく)からカーブの傾斜が緩くなる「転換点」にちょうど位置しているのが中国だ。

 筆者によると、「転換点」は疫学的な(死亡原因の)推移を示したもので、転換点の左側では感染症が死亡の主要な原因となる。こうした国では死者の多くは子どもで、とくに最貧国では5歳以下の子どもが死者の半数におよぶ。一方、転換点を過ぎた富裕国では子どもの死亡は珍しいものになり、死者のほとんどが高齢者になる。その多くは感染症ではなく、がんや心臓疾患など慢性的な疾患で死ぬ。

 一方で、筆者は「悪政」が寿命に影響をおよぼす大惨事の実例も紹介している。具体的に取り上げられているのは中国で、1958年~1961年にかけて毛沢東指導部が推進した農業生産に関する無謀な試み「大躍進政策」による大混乱で、全土で約3500万人ほどが餓死し、約4000万人の新たな命が生まれないままに終わったという。複数の報告によれば、1958年の段階で50歳近かった中国の平均余命は1960年には30歳未満にまで落ち込んだという。5年後、毛沢東が大躍進政策を断念したことで、平均余命は一気に55歳近くまで上昇した。大躍進政策の壊滅的な誤りを筆者は厳しい口調で糾弾する。

 本書は最新の研究で得られたさまざまなデータを興味深い形で示してくれる。なるほどと思ったのは平均余命の歴史のデータだ。イギリスの場合、地域の教区ごとの資料をもとに、1550年頃から市民の平均余命を推定することが可能だという。これによると、感染症の流行などによる変動はあるが、一般市民の平均余命は1550年頃から300年後の1850年頃まではほぼ40歳前後で推移している。これを貴族名鑑に生没年が記載されている貴族階級と比較すると、1750年頃までは市民と貴族の間に目立った差がないのが、1750年ごろからは貴族の平均余命が次第に伸びて、1850年頃には60歳近くになり、市民に20歳近い差をつけるようになる。

 貴族の方が市民にくらべ、はるかに栄養的に優れた食生活を送っていたことは疑いないから、平均余命を左右していたのは栄養の差というより、病気だったはずと筆者は推定している。そのうえで、当時の貴族階級が時には高価な医学の治療法や健康知識を先ず入手できる立場で、人痘と呼ばれる天然痘への新たな対応(天然痘患者のうみを取り出し、感染していない人の腕にすり込んで免疫をつくる)など健康に関する優れた知見が普及し始めた1750年ごろから平均余命の急速な伸長につながった、とみている。証明は難しいが説得力のある仮説だと思う。

 この仮説を延長することで、筆者は国別平均余命のばらつきが経済的な豊かさだけでなく、医学知識の普及や健康を支える環境インフラなどに大きく左右される、と考えている。

 アメリカの物質的幸福についても豊富なデータをもとに詳しく論じている。フランスのピケティ教授が世界的なベストセラー「21世紀の資本」で紹介し、世界的に反響を呼んだ所得の最上位層がますます豊かになっているという傾向は確かにそのとおりのようだ。だが、「政治と格差」と題する節で、近年、米国では投票権を持たない合法移民が増えているというデータを見て、少し考えさせられた。

 1972年~2002年の間に、投票年齢人口に対する市民権を持たない人の比率は4倍に増えたという。市民権がないと投票資格はないので、投票権を持たない合法移民の意見が反映されない。その結果、彼らの多くが低賃金にあえぐのに、最低賃金の適切な引き上げが行われず、移民がより貧しくなったと指摘している。

 アメリカでは合法的に選挙権を剥奪されている人がきわめて多いことにも驚いた。重犯罪者に投票を認めているのはバーモント州とメーン州だけで、いったん重犯罪者と認定されると、刑期や保釈期間を終えても一生選挙権を剥奪される州が10州あるという(南部やテキサス州などだろうか?)。少し古いが1998年のNGOの統計では投票年齢人口の2%が現在または生涯にわたって投票権を剥奪され、この比率はアフリカ系アメリカ人(黒人)男性の13%に達するという。一方で選挙における高齢者の力は増し(「ベビーブーマー」という「団塊の世代」の影響力が強まっている)、これは日本と似通った傾向かもしれない。

 途上国の貧困と健康の関係に強い関心を持つ筆者は、われわれが通説として信じていることにも具体的な例をあげて反証する。人口爆発に関して言えば、途上国に多い小児死亡率を下げることの受益者は死ぬ運命だった子どもだけでなく、「親(とくに母親)も、人生が変わるほどの恩恵を受ける」のだという。世界人口の年間増加率は1960年には2.2%に達していたが、2011年にはその半分になった。こうした人口増加率の急減についてははまったく知らなかった。筆者はそれを小児死亡率の減少が最大の原因だと考えている。

 「取り残された者をどうやって助けるか」と題した最終章で、筆者はわれわれが持つ発想の根本的な間違いを鋭く指摘する。

 よく言われる「富裕層や富裕国が貧困層や貧困国にもっとお金を渡せば世界の貧困はなくなるはずだという信念」は、実は「援助の錯覚」だという。

 「ほとんどの場合、援助は被援助国のニーズではなく、援助国の内外的関心に基づいておこなわれている」「援助は流用可能なので、政府が戦車や飛行機を購入するつもりだった軍事的援助でさえも、場合によっては学校や病院のための資金として流用することができる」。学校や病院のための流用なら歓迎すべきだろうが、被援助国の政府の一部を潤すだけの援助がずいぶん多いようだ。

 筆者は国連が富裕国に国民所得の0.7%を援助として提供するよう促していることに対してもきわめて懐疑的だ。0.7%という数字はこれが一番出してもらいやすい数字というだけで、はっきりした根拠はないのだという。世界銀行の統計によると2010年に国民一人当たりの援助額が一番多かったのはサモア(802ドル)、トンガ(677ドル)、カーボベルデ(664ドル)だった。一方で、貧しい人が多く住むインドと中国が受け取った歴代最高額はインドが一人当たり1991年の3.10ドル、中国は1995年の2.90ドルだった。2008年の統計でも世界の貧困者の半数(48%)がインドか中国に住むのに、2010年の段階で中国とインドが受け取った政府開発援助(ODA)の合計額は35億ドル。世界の援助総額の2.6%にしかならないという。

 「世界の貧困層の半数が世界の援助資金の40分の1しか受け取っていないという事実は間違いなく、格差に関する世界でもっとも奇妙な統計の一つだろう」と批判する。

 「援助は、政府間援助もNGOの人道的援助も含め、自国民を助ける気もなければ記録を取る気もないような政権に与えられる場合が多い。援助国は政治的目的のためにこうした援助をおこなっている場合があり、(中略)フランスも旧植民地を援助しているが、その多くが独裁体制の腐敗した政府に支配されている国だ」という。

 筆者が最終章で取り上げている実例は読むだけでうんざりする。ウガンダでよく聞く冗談で、「太るエイズ」と「痩せるエイズ」があるのだという。痩せるエイズはどんどんやせ細っていってついには消えてしまう。太るエイズは開発機関の官僚や海外コンサルタント、医療関係者がかかる病気で、リゾート地での豪華な学会やワークショップに出席し、高給を稼ぎ、どんどん太っていくという。これではまったく笑えない。

 援助の現状や将来にきわめて悲観的な筆者が希望を託すのは、教育の成果や若者の将来に対してだ。終章で筆者は「一時的な移民で有益なのは、特にアフリカの大学生や大学院生が欧米へ留学するための奨学金を出すことだろう。うまくいけば、そうした留学生たちが援助機関や故郷の政権に関係なく経済発展をつづけていってくれる。仮に彼らが故郷へみんな揃って戻らなかったとしても、アフリカ人の海外移住は故郷の開発プロジェクトにとっての肥沃な資金源となるのだ」。

 きわめて慎重な言い方に終始しているが、筆者は決して希望を捨ててはいない。あとがきで、「(貧困から)脱出したいという欲求は人々の心に深く根ざしていて、そう簡単に挫折させられるものではない。脱出の手段は累積的だ。(中略)先に脱出した人々が(自分が脱出に使った)背後のトンネルを埋めてしまうかもしれないが、トンネルがどうやって掘られたかという知識まで埋めてしまうことはできない」。

 楽観ではないが決して悲観でもない。諦観ともいうべき境地がそこにはある。評者も今まで、途上国への援助は基本的にいいもので、援助の金額もきわめて大事なことだと信じこんでいた。そうした思い込みが重大な間違いという筆者の厳しい指摘はすぐに受け止めきれるものではないが、折りに触れて反芻していかなければならない内容だと痛感した。

 細かい活字がぎっしりと詰まり、約350ページとボリュームもあるが、関心のある方には最終章だけでも読んでほしい。訳文は比較的読みやすい。