ウクライナ戦争 小泉 悠 プーチンの狙いは? 21世紀に起きた古典的な戦争
小泉悠氏の著書について書くのは、これで5冊目。2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は一年近くになる。戦争ではなく、「特別軍事作戦」というロシアの言い方は変わらないが、両国が真正面からぶつかりあい、多くのウクライナ市民を犠牲にしている凄絶な戦争だ。春になれば東部ドンバス地方で、本格的な地上戦が開始されると見こし、ウクライナの強い要求に、ドイツがレオパルト2、アメリカがエイブラムス、イギリスがチャレンジャー2という主力戦車の供与に踏み切った。戦況がますます激化することは避けられない。そうしたなか、2023年のG7議長国である日本は岸田首相が早い時期のキーウ訪問に前向きと伝えられる。本書は日々揺れ動くウクライナ戦争をロシア軍事研究の第一人者が戦争の背景を含め、最新の知見をもとに解説している。発売を知り、アマゾンに申し込んだが、あっという間に売り切れていた。22年12月10日の発売だが、1月下旬に届いたのは4刷り。その人気に驚いた。帯には「数多くのメディアに出演し、抜群の人気と信頼を誇る軍事研究者が、世界を一変させた歴史的事件の全貌を伝える書下ろし」とある。
著者は今回の戦争を第二次ロシア・ウクライナ戦争と呼んでいる。「2014年に発生したロシアによるクリミア半島の強制『併合』と東部ドンバス地方での紛争が第一次ロシア・ウクライナ戦争であったという位置付けである」。
第一章は「2021年春の軍事的危機」。第一節は「バイデン政権成立後の米露関係」。「今回の事態に直接繋がる展開は、2021年春頃に生じた。同年初頭以降、ロシア軍が『演習』の名目でウクライナ国境周辺に集結し始めた」。その数は10万人前後とされる。この中には西部軍管区や中央軍管区といったウクライナから離れたロシア軍の主力部隊が含まれていたため、緊張は一挙に高まった。これに対応してウクライナ側も部隊を増強し始める。だが、4月22日、ロシアのショイグ国防相が突然、部隊に駐屯地に戻るよう命じたことで、緊張の糸は途切れる。
2021年春の「ロシア側の緊張演出」について、著者は米国の政権交代を意識したものではないかと推測している。2020年の大統領選でトランプが敗北したことに、ロシアは少なからぬ懸念を抱いていた。「2016年の選挙戦中から、トランプはウクライナに対して冷淡だった。ウクライナ問題でより大きな影響を受けるのは我々よりも欧州ではないか。なぜドイツはもっとウクライナ問題に真剣に取り組まないのか。なぜウクライナの周辺諸国が対処しないのか」など。「これがロシアにとっても極めて都合の良い政治的主張であったことは言うまでもない」。トランプ自身、ロシアにひどく甘い態度を取り続けていた。ところが、バイデンの態度はまったく異なっていた。彼は2014年のクリミア併合当時、副大統領で当時からロシアに厳しい姿勢を見せていた。著者は、「このようにしてみると、ロシアが演出した2021年春の軍事的危機は、バイデン政権に対して『ウクライナに肩入れするな』というメッセージであったという解釈が成り立ちそうである」。
2021年6月にはバイデンとプーチンの初めての対面での会談が実現している。これは4月の軍事的危機のさいに、米側が打診したものとされる。9月にはバイデンとウクライナ大統領ゼレンスキーとの会談も行われている。ここでバイデンはウクライナのNATO加盟に言質を与えず、武器援助のささやかな増額を発表しただけで、ウクライナ側をかなり失望させた。
このころのゼレンスキーの政治的基盤は強いものではなかった。大統領当選当初はロシアとの対話を模索していた。本書は「コメディアンvsスパイ」と二人の対照的な出自を対比している。プーチンが秘密警察のKGB出身というのは広く知られている。「結論から言えば、第二次ロシア・ウクライナ戦争の開戦に至るまでの期間、終始主導権を握ったのはプーチンの側であった」。このころ、ゼレンスキーの政敵と目された元ウクライナ大統領府長官のメドヴェチュークがウクライナ政界に復帰し、力をつけ始めていた。彼はプーチンと親しく頻繁に出会っていたと言われる。一方で、ゼレンスキーはプーチンとの接触を望んだものの、その希望はかなえられなかった。国内での支持率低下に悩むゼレンスキーは口実を設けてメドヴェチュークの排除に乗り出す。彼が実質的な所有者である親露派テレビ局3局をロシアのプロパガンダを流しているという理由で閉鎖し、資産凍結など一連の制裁措置を取ったうえで、最終的に、彼は国家反逆罪で起訴された。こうしたことから、「ロシアの軍事的圧力がメドヴェチューク弾圧に対する政治的報復であった可能性は少なくないであろう」。こうした複雑な背景は本書で初めて知った。ロシアやウクライナ・メディアの現地報道に通暁した著者ならではの分析だと思う。
2021年9月~2022年2月21日までが第二章の「開戦前夜」だ。撤退命令が出されたあとも、ロシア軍はウクライナ周辺に10万人近い兵力が集結していた。米国の情報機関は21年10月、バイデン大統領に「ロシアが本気でウクライナ侵攻を考えている」と報告している。これは衛星画像、通信傍受、人的情報源、資金の流れを総合的に判断したうえでの結論だったという。
12月には米露外相会談がストックホルムで行われた。ブリンケン国務長官はこの会談後、「ロシアがウクライナを侵略すれば『インパクトの大きな』経済制裁に直面するだろうと警告している。外相会談の翌日、ワシントン・ポストは「2022年早々にもロシア軍が17万5000人の兵力でウクライナに侵攻する可能性がある」と報じている。著者は、これが米政権によるリークで、一種の情報攻勢だったと見ている。
このころ、2021年7月12日に公表されたプーチン論文が改めて注目されていた。約8000ワードに及ぶ長大なもので、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」と名づけられている。大部分が歴史観に関するもので、「ロシア人とウクライナ人(そしてベラルーシ人)は9世紀に興った古代ルーシの後継民族なのであって、そもそも分かちがたいものである」と述べている。こうした歴史観はロシアではかなり一般的だが、「いかにもロシア人中心主義的な歴史観を国家の長であるプーチンが論文として公表する、しかも大統領府の公式サイトに署名入りで発表するというのは、ナショナリズムを満足させるための内輪のお喋りとはわけが違う。(中略)これは一体どういうことなのか――当時の筆者を悩ませたのは、この点であった」。一国の最高指導者が隣国をないがしろにする言説を発表すること自体が極めて異常だ。その異常さが隣国の侵略に直結していく。著者は「この時点で侵攻は既定路線になっていた可能性が高い」とみている。
2022年に入ると、兵力増強の動きはますます激しくなった。バイデンが述べたところによると、「この時点でウクライナ周辺に集結したロシア軍の兵力はおよそ15万人とされ、治安部隊や親露派武装勢力も合わせると16万9000人から19万人程度であったという」。ロシアが侵攻準備を完了した可能性は非常に高かった。これは筆者が契約している米民間企業の衛星画像からも確認できた。このころ著者は、開戦とそれがぎりぎりのところで回避されるのではないかという二つの判断の中で迷い続けていた。「軍事屋」としての著者は「開戦」に「ロシア屋」としての著者は「ぎりぎりでの回避」に傾いていた。日々、悪化する状況に頭を悩ませていたことがわかる。
戦争が始まったのは2022年2月24日午前5時。この直前、プーチンは2つのビデオ演説を公開している。現在のウクライナはソ連時代に人工的に作られた、ロシアはウクライナを独立国家として承認したが、現在のウクライナ政府は西側の手先、彼らは非常に腐敗し、ネオネチ思想に毒され、ロシア系住民のアイデンティティを否定している、ウクライナは核兵器を開発しようとし、NATOはウクライナに軍事プレゼンスを展開しようとしている、といった一方的な内容だった。
侵攻は米国が事前に予想していた通りに展開した。開戦と同時にウクライナの北部、東部、南部へと侵攻し、軍事施設を各種のミサイルで攻撃した。と同時に激しいサイバー攻撃を仕掛けた。もうひとつウクライナ指導部の無力化を図るという見通しも正しかった。開戦と同時に、首都キーウから30キロのアントノウ空港に空挺部隊を送り込み、空港制圧を図った。空挺部隊や後続部隊はキーウの議会と官庁を占拠し、臨時議会を招集し、傀儡政権を樹立する計画だった。これは逮捕されたロシアのスパイの証言で裏付けられている。いわゆる「斬首作戦」だ。それと同時にロシアが張り巡らせたネットワークを通じ、内通者の手引きを通じてロシア軍が電撃的にウクライナ全土を占領し、支配する計画だったとみられる。著者は、「『特別軍事作戦』の意味するところとは、『軍隊は投入されるが、激しい戦闘を伴わない軍事作戦』といったものであったのではないかと思われる」と推測している。
だが、「一見周到なロシアの戦略は、結果的に計画倒れに終わった」。とはいえ、完全に目論見が外れたわけでもなかった。一部の自治体ではロシア軍が侵攻すると、無血で占領地を差し出したり、地元の検察機関が占領に抵抗する首長を拘束する例もあった。チョルノビーリ(チェルノブイリ)原発は警備責任者が開戦と同時に姿を消し、ほぼ無抵抗でロシア軍に占拠されている。「攻め寄せてくるロシア軍を迎え撃ったのはウクライナ軍や内務省国家親衛軍といった軍事組織で、こちらからは顕著な寝返りや逃亡の話はあまり聞かれない」。
ロシアにとって誤算だったのはキーウの攻略に手間取ったことだ。空港を占拠しようとした空挺部隊は激しい反撃を受け、いったん制圧に成功したものの、夜には取り返された。最終的には部隊の増派で制圧したが、ウクライナ側は滑走路を破壊し、後続の輸送機が着陸できないようにした。軍事専門家の著者はロシア側の作戦に首を傾げ、ウクライナの戦力や戦意をみくびる「高慢と偏見」があったのではないかと見ている。同時にゼレンスキーがキーウから逃げずに、戦時の最高司令官として冷静に振る舞ったことが国民の抗戦意欲をかきたてたという。スマホの自撮り映像を駆使し、「有事のリーダーはこうあってほしいと皆が思う通りに彼は振る舞ってみせた」。
西側の専門家は、通常の戦争となれば、ウクライナ軍がNATOの支援を受けたとしてもロシア軍に対し、組織的な抵抗を行うことは難しいとみていた。だが、ウクライナ軍はキーウ、チェルニヒウ、スムィ、ハルキウといった拠点を開戦から1カ月後の時点まで守り切った。こうした諸都市に侵攻しようとしたのはロシア軍の主力部隊で、著者は「まさに驚嘆すべき粘りというほかない」と感心する。この理由について、①旧ソ連で第二位の軍事力を持つウクライナ軍は決して弱体ではなかった、②日本の約1.6倍の面積のウクライナは広大で、ウクライナは開戦と同時に、川のダムを決壊させ、300以上の橋を破壊して、戦車などロシア軍の重火器の進軍を妨げた。第3には米国や西側が供与した携行型対戦車ミサイル・ジャヴェリンが大きな威力を発揮した。キーウ北方の戦闘ではロシアの戦車師団が待ち伏せ攻撃を受け、師団長まで戦死する甚大な被害を出した。ウクライナの善戦を背景に、3月下旬ごろから西側の武器支援も拡大し始めた。
このころロシア軍が撤退したあとのキーウ近郊ブチャで明らかになった惨劇が世界に衝撃を与える。拷問された遺体、性的暴行を受けた女性の遺体などが多数発見され、集団墓地も見つかった。ロシア側はブチャの虐殺を「挑発」と呼び、全面否定しているが、「ロシア側の主張には全く信憑性がないことは明らか」。このくだりで、著者は日本の一部の親ロシア派の論調について、「ロシアにもウクライナにも同程度に非がある、と論じるならば、それは客観性を装った悪しき相対主義でしかないのではないか」と猛烈に批判する(太字は強調)。評者もまったく同感だ。もともとロシア寄りの政治家がロシア擁護の発言を繰り返す。これはまったく見当はずれで、自らの利権のためにロシア寄り発言をしているとみられるのは当然だろう。
22年8月からは戦争が転機を迎える。このころプーチンは戦況の悪化に軍への不信を強める。ゲラシモフ参謀総長の失脚説が流れるのもこのころだ。情報機関との軋轢も深まっていく。FSB(ロシア連邦保安庁)は多数のスパイをウクライナに送り込んでいたが、機能していなかった。しかも彼らはプーチンに楽観的な予想ばかり上げていたらしく、大量に罷免されたり逮捕されたりという情報が西側で伝えられている。
米国もようやく重い腰を上げて、ウクライナが切望していた高機動ロケット砲システム(HIMARS)の供与に踏み切る。射程の短いミサイルしか供与されなかったが、ウクライナ軍はロシア軍の弾薬や燃料の集積所などを破壊し、大きな戦果をあげた。だが、HIMARSも当初供与されたのは4両で、あまりに少ない数だった。「西側の対ウクライナ援助を思いとどまらせていたのは、(中略)ウクライナへの援助を戦争行為とみなしたロシアが戦争をNATO加盟国まで拡大させるとか、核戦争に踏み切る可能性であった。『ウクライナが勝てるだけの支援』と『第三次世界大戦の回避』という二つの相反する要求の間で、西側は板挟みになっていたのである」。このころからは現在進行している戦争に近づいてくる。著者は「2022年の夏以降、ウクライナが戦争の主導権を握り始めた」とみている。主導権をやや曖昧な言葉と言いつつ、「いつ、どこで、どのように戦うのかを決定する力」と定義している。ロシアに振り回されていた主導権をウクライナが取り戻し始めた時期というわけだ。
膠着する戦況に業を煮やしたのか、プーチンはロシア下院の各派代表に、「我々はまだ何一つ本気を出していないと知るべきだ」と発言する。本気が何を意味するかははっきりしないが、著者は暴力の規模や烈度の拡大とみている。「特別軍事作戦」という建前を捨て、公式に戦争を宣言して大動員に踏み切るか、核兵器などの大量破壊兵器の使用に踏み切るということだろう。だが、著者はこれにも、夏以降、ウクライナに主導権を奪われたロシアがなぜ総動員をかけないのか、9月に東部で大損害を受けたロシアが核兵器使用に踏み切れなかったのはなぜか、と疑問を呈する。
プーチンが総動員を発令できないのは「国民の反発を恐れているから」という見方が強い。西側のロシア専門家によると、プーチン政権初期には「政府が国民の生活を保障する代わりに、国民は政府の方針に異を唱えない」という不可侵協定が存在していた。開戦後も「特別軍事作戦」である以上、戦うのは職業軍人に限定され、一般市民の動員や若者の徴兵は行われないという理解があったようだ。だが、プーチンがいったん「戦時体制」を宣言すれば、不可侵協定は崩壊し、「恐怖と怒りが社会に広がる」。著者は、こうした西側の見方に基本的には賛成している。一方、核兵器使用の可能性についてはどうだろう。「核兵器の使用にプーチンが踏み切れなかった理由は、西側が軍事援助を制限し続けてきたのとほぼ同様の構図で理解できる。つまりひとたび核兵器を使用したが最後、事態がどこまでエスカレートするかは誰にも予想できないということだ」「第二次ロシア・ウクライナ戦争は、大国間の戦略抑止が機能する状況下で行われる。核戦争に及ばない範囲であらゆる能力を駆使する戦争だということになる」。東西の核抑止は現実に効果を上げているというわけだ。
最終章「この戦争をどう理解するか」では、この戦争の性質について考える。「今回の戦争は『新型戦争』にも『新世代戦争』にも完全には当てはまらないようである」「むしろ、今回の戦争でプーチンが範としていたのは、ソ連やロシアが行ってきた周辺諸国への介入作戦ではなかったか、というのが筆者の考えである」。1968年の「プラハの春」への弾圧や1979年のアフガニスタンへの軍事侵攻では、「政治指導部の無力化(斬首作戦)と通常戦力による電撃的侵攻という共通のパターンがここに見出せよう」。2014年のクリミア侵攻も同様な手法で行われている。スパイ出身のプーチンは、「少数精鋭の工作員や彼らが張り巡らせた内通者ネットワークによって敵国を骨抜きにし、軍隊は戦わずして電撃的な占領劇を演じるーーというようなシナリオ」を夢見たのではないか」。評者も結構的を射た見方ではないかという気がする。
最後に著者はプーチンの主張を改めて振り返る。ウクライナはネオナチ、核兵器を開発しているといった一方的主張だが、それを裏付ける根拠はない。ウクライナがNATOへの加盟を希望しているのは事実だが、それが差し迫っていたかという点にも疑問を呈する。第二次ロシア・ウクライナ戦争前からドンバスは紛争地域で、加盟は困難だった。しかも第二次ロシア・ウクライナ戦争の開戦以降、スウェーデンとフィンランドが加盟の意向を表明し、6月に加盟が承認されている。ところが、この動きにロシアは形式的非難をしただけで、激しい非難を控えている。こうしたことから、ウクライナとの態度の差には、「『自分の代でルーシ民族の再統一を成し遂げるのだ』といった民族的野望のようなものを想定しないと(中略)プーチンの振る舞いにはうまく説明がつかないように思われる」と述べる。
確かにプーチンの開戦判断には専門家でも首を傾げざるを得ない深刻な疑問がいくつも存在するようだ。「いずれかの将来にロシアの体制が大きく変わったとき、歴史研究者たちがこの戦争について何を発掘してくるのか。今はそのような日の訪れを待つほかあるまい」。戦争終結はプーチン体制の終焉を待つしかないのだろうか。評者は一日も早い戦争終結とウクライナの平和を強く願う。ただそのあとに来るのはロシア現体制の崩壊と混乱、ウクライナと国際社会によるロシアの戦争責任、戦争犯罪への厳しい追及だろう。長い道のりはまだ始まってさえいない。