CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見 ジェニファー・ダウドナ、サミュエル・スターンバーグ 櫻井祐子訳 革命的な遺伝子編集技術はわれわれをどういった世界に連れて行くのか!?
CRISPR(クリスパー)については何の知識もなかったが、読了して本当に驚いた。2012年、アメリカの科学誌「サイエンス」に発表され、またたくまに世界を席巻した革命的な遺伝子編集技術。その発見とこの技術がもたらす光と影への考察だ。ダウドナ氏はこの技術を開発したカリフォルニア大バークレー校の生化学専攻の教授。実際に本書を書いたのは研究室にいる若手のサミュエル・スターンバーグ氏だ。
CRISPRというのはClustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeatsの頭文字をとったもの。日本語でもクリスパーと呼ばれている。細菌のゲノムにはところどころに回文(Palindrome、上から読んでも下から読んでも同じ言葉)のような同一配列とそれをはさむ短いスペーサー配列と呼ばれる行列の繰り返しでできている。発見当初、こうした構造の役割は不明だったが、この配列は細菌の免疫の仕組みに深く関わっていることがわかった。実は、細菌が一度ウイルスに感染すると、ウイルスのDNAの一部を保存しておき、次に感染したときには保存したDNAを使ってウイルスDNAをばらばらにする酵素を作り出す仕組みがある。酵素の働きでウイルスDNAはばらばらにされ、働かなくなる。細胞自身が備えている精巧な免疫システムだった。
この仕組みをうまく利用すると目的のDNAを任意の場所で切断することができ、別のDNAを入れてつなぐこともできるという。DNAを任意の場所で切り出し、新たなDNAをつなぐ。これがダウドナ博士らが発見した革命的な遺伝子編集技術「クリスパー・キャス」法だ。
著者はもともと動物の感染防御にかかわるRNA(リボ核酸)の研究が専門だった。それがある日、プエルトリコで開かれた学会で、フランス生まれの微生物学者エマニュエル・シャルパンティエ博士からクリスパーの共同研究をしないかと誘いを受け、この研究に踏み込んだ。ともに女性研究者の共同研究はノーベル賞間違いなしといわれる素晴らしい成果を上げた。2012年6月、サイエンスに発表された論文は投稿からわずか20日で掲載という異例のスピードだった。いかにこの研究が衝撃的だったかを象徴している。
本書の第一部はこの技術の開発の歴史。後半の第二部はこの技術の光と影の問題だ。
本書の課題はプロローグ「まったく新しい遺伝子編集技術の誕生」に要約されている。「生命は過去数十億年間、ダーウィンの理論通りの形で進化してきた。ランダムな遺伝的変異が生存や競争、生殖に有利な形質を与え、多種多様な生物を生み出した。人類を今に至るまで形成してきたのもこのプロセスだ。(中略)だが遺伝的バリエーションを生むランダムなDNA変異という『原料』は、まだ自然発生的かつ偶発的に生じていたため、自然をつくり変えようとする人間の取り組みには限界があり、目立った成果は得られなかった」。
「今日、事情は様変わりしている。科学者はこの原始以来のプロセスを、人間の完全なコントロール下におくことに成功したのだ。いまや生体細胞のDNAを操作するバイオテクノロジーの強力なツールを用いて、人類を含む地球上のすべての生物を生物たらしめている遺伝子コードを操作し、合理的に変更することができる。そして最新の、またおそらく最も有効な遺伝子編集ツールである『CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス9)』を使えば、ゲノム(全遺伝子を含むDNAの総体)を、まるでワープロで文章を編集するように、簡単に書き換えられるのだ」。
まったく驚くべき発見だ。筆者は応用の実例として、「科学者はCRISPRを用いて、筋肉発生を制御する遺伝子の塩基配列をたった一文字変えるだけで、シュワルツネッガーのような筋肉むきむきの遺伝子強化ビーグル犬をつくり出した。別のチームは、ブタゲノムの成長ホルモンに反応する遺伝子を不活性化することにより、大型ネコほどの大きさのマイクロピッグをつくり、ペットとして売り出そうとしている。(中略)CRISPRを使ってアジアゾウのDNAをケナガマンモスのDNAに近づけ、この絶滅種を復活させる計画までが進行中である」。
読んでいて、めまいがしてくるような気がする。この究極の遺伝子編集技術を手にした人類は、いずれ「進化の神」の役割を演じることになるのだろうか?
筆者はこう続ける。「動植物界への応用も胸躍るが、人類の未来に対する最大の希望と、おそらく最大の脅威をはらんでいるのは、ヒトの遺伝子編集が与えるインパクトだろう」。
「最近ではCRISPRでブタの遺伝子を『ヒト化』する実験が行われていて、動物の臓器を人間に移植する、異種間移植の実現が期待されている。またCRISPRを蚊の細胞に注入して、新しい系統の蚊を作製する実験も行われている」。
医療への応用としては深刻な遺伝病がこの技術で治療できないか、研究が急ピッチで進められている。
「たとえば変異遺伝子の損傷部位だけを取り除き、それ以外の必要な部分を残すことによって、デュシエンヌ型筋ジストロフィーを引き起こすDNAの異常を修復する実験が成功している。また研究者は血友病Aの治療として、CRISPRを使って患者のゲノムの逆位した50万字以上の領域を修復することに成功している」。
こうしたブレークスルーを可能にしたのが、「ノーベル賞間違いなし」と言われる理由である。だが著者はこの遺伝子編集技術をさらに宣伝するために本書を書こうとするわけではない。
論文が発表されるやいなや、世界各地の大学や研究機関で応用の実例が次々に報告された。
「CRISPRをサルの胚に用いて作製した世界初の遺伝子編集サルが誕生すると、異端の科学者がヒトで同じことを試みるまで、あとどれくらいの猶予があるだろうと考えた。生化学者の私は、それまでモデル動物やヒト組織、人間の患者を扱ったことはなかった。(中略)そんな私が共同で生み出した技術が、今や人間や人間の暮らす世界を根底から変えうる方法で利用され始めていたのだ。この技術は社会格差や遺伝格差を期せずして広げたり、新たな優生学運動を招くのだろうか?」。
そんな疑問にとらわれた著者は、多忙な身でありながら、カリフォルニア大バークレー校の運営母体であるカリフォルニア州知事、大統領府科学技術政策局、CIAなどとCRISPRについて話し合い、連邦議会にも説明した。もちろん、出席したセミナーや会議では大勢の記者に聞かれるままに答えた。そしてCRISPRが生殖生物学や人類遺伝学、農業、環境、医療の分野について投げかける倫理的問題について話し合う、初めての会議を主催し、ヒトの遺伝子編集に関する国際サミットを共同開催した。
筆者が本書の執筆を決意したのは、この革命的な遺伝子編集技術について、発見の歴史や経緯だけでなく、その影響や影の部分を広く社会と共有したいと考えたからだ。そのために、開発の歴史を詳述した第一部に続き、ほぼ同じ分量の第二部ではこの技術の応用と課題について詳しく記されている。
評者が本書で見た白眉は、「核兵器の轍は踏まない」と題した第7章だ。この章の冒頭、本書を執筆した研究員のサム・スターンバーグ氏(共著だが氏が実質的に執筆したことは謝辞にきちんと書かれている)が起業家を名乗る女性から、「クリスパー・ベビー」とも言える遺伝子疾患の発症リスクがゼロになるデザイナー・ベビーの計画に手を貸すよう頼まれるところで始まる。高級メキシコ料理店で食事をしながらの提案だったが、「遺伝子組み換え人間」を作り出すフランケンシュタインのようなおぞましい計画につながることを懸念した氏は食事の途中で席を立つ。
そんなある日、ダウドナ教授は夢を見る。ひとつは津波の夢。教授はハワイ州の中でもとくに自然に恵まれたハワイ島育ち。きれいな海と緑豊かな自然が自慢だが、島はときに太平洋を襲う津波に襲われる。教授自身は津波の経験はないというが、津波が襲来すると、海岸に近い地域は浸水域になることを知っていた。夢で大津波に襲われ、目覚めると、そこはハワイ島から数千㌔も離れたカリフォルニア州バークレーの自宅の寝室だったという。
もうひとつの夢はまさに悪夢だった。同僚に遺伝子編集技術の仕組みを説明してほしいと頼まれ、ついていくと、そこにはブタの顔をしたアドルフ・ヒトラーが座っていた(そのころはCRISPRで編集されたブタゲノムのことばかり考えていたのでブタ顔だったのだろうと想像する)。夢の中のヒトラーはメモをとるためのペンと紙まで用意して、「君が開発したすばらしい技術の利用法や意義をぜひとも知りたいのだよ」と話しかけてきたという。
「あまりに恐ろしい容貌と気味の悪い要求に、ゾッとして飛び起きた。暗闇の中で動悸を抑えながら、悪夢が残した不吉な余韻をいつまでもぬぐえなかった。人間のゲノムを書き換える能力は、とてつもない力だけに、よからぬ者の手に渡れば大変なことになる。この頃になるとCRISPRは世界中の利用者に普及していたため、なおさら恐怖を感じた」。
「私たちは何をしてしまったのだろう? エマニュエル(シャルパンティエ博士)と私、研究仲間は、CRISPRの技術が遺伝性疾患の治療に用いられ、人の命を救うことを思い描いていた。でもいまや、私たちのこれまでの努力が悪用される事態ばかりが頭に浮かんだ。何もかもが猛烈な速さで進んでいて、いったん歯車が狂い出すと一気に大変な事態になりそうなことに圧倒され、自分がフランケンシュタイン博士になったような気さえした。私は怪物を生み出してしまったのだろうか?」。
「CRISPRに関していえば、公の議論は科学研究の猛烈なペースにまったくついてきていなかった。もしも遺伝子編集がオープンに検討されないままヒトでの実験が行われれば、激しい反発が起きかねない。そしてそのせいで遺伝子疾患に苦しむ成人患者の治療などの、より喫緊で異論の少ない応用が阻まれ、棚上げにされるおそれがあった。そんなことを考えるうちにさらに不安は募り、今後の指針となるものを求めて奔走した」。
「私がCRISPRの問題を核兵器になぞらえて考えるようになったのも、この頃である。原子力は、とくに第二次世界大戦中、科学が秘密裏に前進し、またその利用法に関する議論が十分に行われないまま研究が推進された分野だ」。元バークレー教授で、原爆の父と称された物理学者のオッペンハイマーがマンハッタン計画の責任者だったことも教授の危機感を強めたに違いない。
オッペンハイマーは第二次大戦後、安全保障に関する公聴会でこう述べたという。「(科学者は)技術的に甘美なものを見つけたら、まずやってみる。それをどう使うかなどということは、成功した後の議論だ、と考えるものです。原爆ではまさにそうだった。原爆の製造自体に反対した人は誰もいなかったように思います。つくられた後で、それをどう扱うかについての議論が多少なされただけです」。彼は核兵器開発競争の自制を呼びかけたが、逆に政治家の強い怒りを買った。
「オッペンハイマーの言葉を知って、さらに良心が痛んだ。私たちはいつかCRISPRと遺伝子組み換え人間について、同じことを述べるのだろうか。ヒトの遺伝子編集が、原爆投下ほど壊滅的な影響をおよぼさないのはほぼまちがいないが、研究を性急に進めることには弊害があるだろう。少なくとも、社会の信頼を失うことだけはたしかだ」。
強い危機感のもと、筆者が前例として参考にしたのは1970年代に開発された遺伝子組み換え技術(ジーン・スプライシング)をめぐる議論とその後の展開だった。遺伝子組み換えとは異種の生物から取り出した遺伝物質の断片を化学的に組み換え、まったく新しい合成DNAを作成することをいう。
この技術をつくりだしたのはスタンフォード大の生化学者ポール・バーグ博士。彼はこの研究が予測不能で重大な危険性をはらんでいることに気づくと研究を中断し、研究による利益と代償を検討する会議の開催を呼びかけた。カリフォルニア州にある開催地の名前をとって、アシロマ会議と呼ばれる1973年の議論にもとづき、アメリカ科学アカデミーは新技術を検討する委員会を設置した。議長に任命されたバーグ博士によって、委員会がもっとも危険とみなした実験の世界的モラトリアム(一時停止)を要請するという思い切った内容の報告書がまとまった。翌年、やはりアシロマで2回目の会議(アシロマⅡ)が開かれた。ここには科学者だけでなく、法律家や政府関係者、報道関係者も参加した。
「アシロマⅡは科学者と一般市民とのつながりを築いたという点でも意義深かった。会議に参加した報道関係者は、科学者の議論を読者や視聴者に広く伝えた。この透明性のおかげで、一部の科学者が恐れた猛烈な反対や大混乱、研究の足かせとなる制約を招くこともなく、最終的にコンセンサスが生まれ、研究は世論の支持のもとで継続されたのである」。
2015年1月に、カリフォルニアワインで有名なナパバレーで教授が主宰する会議が開かれた。アシロマ会議で重要な役割を果たしたバーグ博士やアシロマ会議でモラトリアムを呼びかけたカリフォルニア工科大教授のデイビッド・ボルティモア博士も出席した(2人はともにノーベル賞受賞者)。出席者は17人と少数だったが、生命倫理の専門家や映画プロデューサーなど多彩な顔ぶれの人々が参加した。教授は会議で得られたコンセンサスを今後の展望を見通す形の論文としてサイエンスに発表する。この論文はニューヨーク・タイムズの一面に取り上げられ、大きな反響を呼んだ。
だが、ほどなく教授が危惧していたことが起きる。2015年4月、中国の研究グループがオンライン学術誌上で、ヒト胚に対してCRISPR技術を使った論文を発表した。出産を目的としたものではなかったのがわずかな救いだった。
アメリカ政府の諜報機関は2016年2月、上院軍事委員会に提出した「世界の脅威に関する評価報告書」で、国家ぐるみで開発され、アメリカに脅威を与える恐れのある「第6の大量破壊兵器」として遺伝子編集技術を挙げた。ちなみに残る5つはロシアの巡航ミサイル、シリアとイラクの化学兵器、イラン、中国、北朝鮮の核兵器開発計画だった。この事実に教授はショックを覚えた。
教授はエピローグ「科学者よ、研究室を出て話をしよう」で、科学者と一般の人々との対話の重要性を強調する。
「CRISPRの物語は、画期的発見が思いもよらない場所から生まれることを、そして自然を理解したいという強い思いに導かれるまま歩むことの大切さを教えてくれる。だがそれだけではない。科学的プロセスとそれがおよぼす影響に対して、科学者と一般市民がともに大きな責任を負っていることも思い知らせてくれるのだ。(中略)歴史がはっきり示しているように、私たちが受け入れる準備ができていようがいまいが、科学的進歩はいやおうなしに起こる。自然の秘密を一つ解明するたび、一つの実験が終わり、そしてほかの多くの実験が始まるのだ」。
評者は、本書をいま、科学の世界にいる人、これから進もうとする人、科学に関心を持つ人すべてに強く勧めたい。科学者の華麗な成功物語として読むことはもちろん可能だが、それだけではなく、人類の未来に責任を感じる科学者の強い決意表明として読むことができる。また、現実には科学研究の世界でも見えない壁の存在に悩まされることが多い女性研究者の奮闘の物語として読むことも可能だ。この道に進もうとする女性に大きな勇気を与えてくれることは間違いない。教授と共同研究者のシャルパンティエ博士がともに女性というのも素晴らしい組み合わせだ。シャルパンティエ博士は現在、ベルリンにあるマックス・プランク微生物学研究所の所長を務めている。
教授はフェアな人で、CRISPR研究の発端になった細菌が奇妙な回文のつらなりを持つことを発表した1987年の日本人科学者の論文も巻末に参考文献として掲載している(この時は回文の意味は不明だった)。巻末の解説(毎日新聞科学環境部の須田桃子記者=STAP細胞事件を取り上げた『捏造の科学者』の著者)によるとこれは九州大学教授の石野良純博士の業績だという。教授とシャルパンティエ博士は日本版ノーベル賞といえる日本国際賞を2017年に受賞している。
もうひとつ感心したのは教授も博士も、自分の発見を事業化するためのベンチャー企業を立ち上げていることだ。最先端の研究は大学と企業という二項対立の図式では理解できないことがよくわかる。
訳者あとがきを読むとわずか2ヶ月という超特急で翻訳したそうだが、専門的な記述が多い(第一部はやや専門的内容)本書を文系出身の訳者がよくこなれた日本語に翻訳したものだと感心する。原著を発掘し、いち早く日本で出版した文藝春秋社と編集者の熱意にも深く敬意を表したい。
実質的な著者のスターンバーグ氏は研究を1年間中断して本書を執筆したという。これからという若手が日進月歩の研究を一休みし、執筆に専念するのには相当な勇気が必要だったはずだ。ダウドナ教授は謝辞で、「最後に共著者のサム(スターンバーグ氏)に、職業人生の貴重な一年間をこのプロジェクトに捧げてくれたことに本当に感謝している。サムの文才と科学的洞察、この革新的な技術の広範な影響に対する関心がなければ、プロジェクトは決して実現しなかった」と最大限の賛辞を贈っている。サイエンス・ノンフィクションの書き手としても大変な能力だ。アメリカの科学はどの部分をとっても、きわめて層が厚いことを改めて思い知らされる。