ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

人類の起源 篠田謙一 人類はどこで誕生し、世界にはどのように広がったのか

2023年03月25日 | 読書日記
人類の起源 篠田謙一 分子人類学の最新の成果をわかりやすく紹介する


 著者は分子人類学の第一人者で、国立科学博物館館長。2022年のノーベル生理学・医学賞をドイツ・マックスプランク人類学研究所のスバンテ・ペーボ博士が受賞するなど、この分野の進展は著しい。だが、21世紀に入ってこの分野の研究が猛スピードで進んだことを知って驚いた。ペーボ博士の「私たちはネアンデルタール人と交配した」は、2016年1月7日付け本ブログで紹介した(この本ではスヴァンテと表記)。その原動力となったのはDNA解析技術の急進展だ。人類学者というと、遺跡から発掘した人骨を分析し、形態から特徴を分析するイメージが強いが、ペーボ博士らは古い人骨からDNAを取り出すことに成功、その微量のDNAを現代の試料同様、詳細に分析した。現生人類がネアンデルタール人の遺伝子を受け継いだことや、ネアンデルタール人と現生人類の祖先が共に生きていた時代、両者の交雑が行われていたことを発見した。博士はそれだけでなく、その時代にシベリアにいたデニソワ人と呼ばれる、やはり絶滅した人類からも現生人類が遺伝子を受け継いでいることも発見した。絶滅した人類の遺伝子がわれわれの中に生きているのは、研究者さえ想像しなかった発見だ。その後、この手法を使って、世界的に古い人骨のDNA分析が進んだ。本書は時代や地域ごとに、最新の研究成果を紹介している。

 基盤になった解析技術はDNAシークエンサーという最新システムを使って、人骨から採取した微量のDNAから、その特徴をきわめて精密に分析することができる。扉にある地図(下図)が興味深い。ホモ・サピエンスが揺籃の地であるアフリカから、どういった経路で世界に広がっていったかを示している。アフリカを出たホモ・サピエンスは中東やヨーロッパなどで、ネアンデルタール人やデニソワ人と交雑する。そしてインドを経て東南アジア、中国へと進出していく。中東からユーラシア大陸に進出したグループは大陸を東に進み、約2万年前にはベーリング陸橋(当時は海面が低く、海が歩いて渡れた)を越えて新大陸に進出した。新大陸では、北のアラスカからどんどん南に進み、南アメリカにまで到達する。それとは別に東南アジアに進んだグループは、海沿いに大陸を北上する。これとは別に海を越えてオーストラリアや南太平洋のポリネシアにまで広がる。こうした現生人類の進出過程が人骨のDNA分析から客観的に裏付けられたわけだ。


 人類がチンパンジーと枝分かれしたのは約700万年前と考えられている。姿形からホモ属と認められるのは250万年から200万年前ごろ。このころ人類の特徴とされる直立歩行や脳容積の急激な拡大が確認されている。現生人類とされるホモ・サピエンスが誕生したのは30万年から20万年前のアフリカだ。ホモ・サピエンスは6万年前以降にアフリカから本格的に世界各地へ展開し始める。農耕が始まったのは約1万年前、文明の発達ということからいえば約5000年前になる。人類進化を猿人、原人、旧人、新人という段階で考えると、現生人類である新人の誕生は約20万年前ごろになる。

 「初期の猿人から現在の私たちに至るまでに脳容積はおよそ3倍に増加しました。ただし脳の容積は順調に増大したわけではありません。脳容積は新しい種が生まれたときに急激に増大し、やがて安定期を迎えるというパターンをとります」「440万年前のアルディピテクス属の脳容積は300~400ミリリットルほどで、チンパンジーやゴリラと大差がありません」「ネアンデルタール人の脳容積の平均は1450ミリリットル。中にはホモ・サピエンス(平均1490ミリリットル)を凌ぐものもいたことがわかっています。ただし、ネアンデルタール人の脳で発達するのは主として視覚に関わる後頭葉の分野で、これは日照の少ない高緯度地方の生活に適応した結果という可能性もあります。一方、ホモ・サピエンスで発達するのは、思考や創造性を担うと考えられる前頭葉で、このことは同じような容積を持ちながらも、(中略)社会生活や認知が異なっていたであろうということを示唆しています」。

 脳はエネルギーを大量に消費し、身体全体の約20%のエネルギーが脳で使われている。「脳容積の増加は生物に大きな負担を強いることになります。脳容積が増大するについれて、必要なエネルギーを賄うために、行動や食性、社会構造などを大きく変えなければならなかったはずです」「複雑な社会をつくることが、効率的にエネルギーを摂取することを可能にしたのでしょう。ヒトの行動の複雑さや社会の複雑さや社会の規模と、大脳の新皮質の大きさのあいだには強い関係があります。共同体の規模が、大脳の新皮質に比例すると考えると、猿人の社会はチンパンジーと同程度の50人、原人段階では100人、そしてホモ・サピエンスでは150人程度になります。実際にホモ・サピエンスは、狩猟採集民から現代人の社会まで、150人をひとつの社会構造の単位としていることがわかっています」「この数字は、提唱者であるオックスフォード大学の教授の名を取ってダンパー数と呼ばれています。150人は社会を構成する基本となる数字なのです。私たちが年賀状をやりとりする人数や、携帯電話のアドレス帳、学校の一学年の数など、平均をとるとおおむねこの程度であることもわかっています」「ホモ・サピエンスの脳容積は、誕生してこのかた増加していませんから、その後の歴史は、基本的にダンパー数程度の理解力しかないハードウェアを使ってなんとか編み上げられたといえます」。

 第二章は「私たちの『隠れた祖先』--ネアンデルタール人とデニソワ人」。「今のところ、もっとも古い人類化石の遺伝情報は、スペインの43万年前のシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟出土の人骨です。1976年以降の発掘で28体分の人骨が発見されているのですが、特に近年ではDNA分析を意識した調査が注意深く行われています。古代試料にはごくわずかなDNAしか残されておらず、しかもそれは非常に短い断片となっています。PCR法を使って、それらの試料を増幅して分析を行うのですが、この際に問題になるのが外在性DNAの混入、いわゆるコンタミネーションです」。コンタミネーションは、研究者が一番気をつけているきわめて微妙な問題だ。古代人骨のDNAを分析しているはずが、現代人のものが混じっていてはお話にならない。

 「姿形から典型的なネアンデルタール人と考えられる化石は、ヨーロッパや西アジアの遺跡から数多く発見されており、それらはおよそ14万~13万年前のものと考えられています。成人の推定身長は150~175センチメートル、がっちりとした体格で体重は64~82キログラムと見積もられています。脳容積は1200~1750ミリリットルで、頭骨は前後に長く、眉の部分がひさしのように飛び出し、顔面全体が前方に突き出ているなど、私たちとは異なる独特の風貌をしています」「2010年の研究で、クロアチアのヴィンデジャ洞窟から発見された3体のネアンデルタール人女性人骨から採取したDNAが分析されました。(中略)DNA配列の解読が行われた結果、サハラ以南のアフリカ人を除く、アジア人とヨーロッパ人にはおよそ2.5パーセントの割合でネアンデルタール人のDNAが混入していることが明らかとなったのです」。

 デニソワ人というのはなじみがないが、シベリア西部にある洞窟から発見された未知の人類だ。ネアンデルタール人ともホモ・サピエンスとも異なることがDNA分析から確認されている。「この未知の人類は、形態的な特徴が不明なまま、DNAの証拠だけで新種とされた最初の人類です」「デニソワ洞窟からはネアンデルタール人だけではなく、ホモ・サピエンスがつくった遺物も見つかっており、少なくとも異なる三種の人類に利用されていたことがわかっています」「洞窟堆積物や人骨の測定によって、この洞窟にデニソワ人が居住していたのがおよそ19万3000~9万7000年前と推定されています。この洞窟から出土した人骨について特筆すべきは、そのDNAの保存状態がずば抜けてよいということです。デニソワ洞窟の平均気温は〇度以下といわれており、非常に低温で安定していたことが、DNAの長期間にわたる保存にとってプラスだったと考えられています」「2018年にさらに驚くべき発見が報告されています。この洞窟で発見された9万年前のものとされる1センチメートルほどの長幹骨の破片から抽出されたDNAが分析され、この人物がネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親から生まれた混血であることが判明したのです。骨の厚さからは13歳前後と推定されており、ゲノム解析の結果、女性であることもわかりました」。デニソワ人の研究は進んでいるものの、人骨の発見は少なく、「指の骨や臼歯、長幹骨の骨など、ごく限られた小さな骨や歯しか残っていません」。姿形も不明で、まだ謎の人類というしかない段階だ。ホモ・サピエンスとDNAの共通部分を探す研究も行われている。その結果、パプアニューギニアの人のDNAの3~6パーセントはデニソワ人に由来していた。しかもデニソワ人だけではなく、ネアンデルタール人のゲノムも2パーセントほど受け継いでいることが判明している。デニソワ人は高地に適応していたと考えられていて、チベット高原からも16万年前のデニソワ人の化石が見つかっている。

 ホモ・サピエンスはアフリカで誕生したと考えられている。ホモ・サピエンスの化石が30万年ほど前のアフリカの地層で発見されているからだ。だが、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人やデニソワ人の共通祖先から分岐したのは60万年ほど前で、その間の進化の様子ははっきりしていない。ゲノム解析から見たアフリカ大陸でのホモ・サピエンスの初期拡散は下図のとおりだ。最初にアフリカ中央部で誕生し、狩猟民として東アフリカに移動、その後アフリカを出たと推定されている。


  第4章以降はヨーロッパやアジアなど各地への進出の様子だ。およそ6万年前ごろ、アフリカを出たホモ・サピエンスの集団はユーラシア大陸全域に広がり、約4万3000年前にはヨーロッパに、約4万年前には中国やインドネシアに到達している。約3万年前には東シベリアに。その一部が2万年前以降、ベーリング海峡(地橋)を通ってアメリカ大陸に到達したと考えられている。

 第4章の章末に、「最古のイギリス人の肖像」というコラムが出ている。イギリスのブリテン島でもっとも古い人骨のひとつは約1万年前のものだ。チェダーチーズで有名な南西部のチェダー地方で発見された。2018年に大英自然史博物館によってDNAが分析され、そのデータをもとに顔面の復元像もつくられた。現代のイギリス人とは異なり、肌の色は褐色で、目の色はブルーと推定された。旧石器時代のヨーロッパ全域、中石器時代の西ヨーロッパに住んでいた人々は、皮膚を暗褐色にする遺伝子を持っていた。これに対し、現在のトルコのアジア部分にあたるアナトリアの農耕民は皮膚を明るくする遺伝子を高頻度で持っていた。現在の多くのヨーロッパ人は皮膚を明るくする遺伝子を持っている人が多い。5000年前以降、ヨーロッパ人の皮膚の色は次第に白くなっていったと考えられている。また、われわれが抱く青い目というヨーロッパ人の特徴は特定の遺伝子に起きた変異が原因と考えられ、1万4000年から1万3000年前のイタリアとジョージアで見つかった人骨から確認されている。この変異は8000年前までにヨーロッパでは普遍的に見られるようになった。白い肌と青い目というヨーロッパの人の特徴は、「自然選択と集団の交雑などが複雑に絡み合って、現在の状況が生まれたと考えられており、それらの特徴をセットで持つことは偶然によるものなのです」。

 日本列島の集団については二重構造モデルが定説とされてきた。日本列島には、北海道のアイヌ集団、琉球列島集団、そして本州・四国・九州を中心とした、いわゆる本土日本人と形質の異なる集団が存在する。「二重構造モデルでは、旧石器時代に東南アジアなどから北上した集団が日本列島に進入して基層集団を形成し、彼らが列島全域で均一な形質を持つ縄文人となったと仮定しています。一方、列島に入ることなく大陸を北上した集団は、やがて寒冷地適応を受けて形質を変化させ、北東アジアの新石器人となったと考えています。弥生時代の開始期になると、この集団の中から朝鮮半島を経由して、北部九州に稲作をもたらす集団が現れたとされ、それが渡来系弥生人と呼ばれる人びとになります。つまり、縄文人と渡来系弥生人の姿形の違いは、集団の由来が異なることに起因すると説明しているのです」。むろん、このモデルには単純化しすぎという批判もある。



  上の図を見てほしい。「この中で、現代日本人(中央左下)は大陸集団から離れた部分に位置しています。北京の中国人と現代日本人の中間には韓国人が位置しており、この三者を結んだ延長線上のはるか離れた(左上の)場所に縄文人がいます。現代日本人がこの位置にあるのは、大陸集団、特に北東アジアの集団が列島に進入し、在来の縄文系集団と混合したためであると考えると説明がつきます。興味深いのは、韓国の現代人がちょうど現代日本人と北京の中国人の中間に位置することでしょう。これは朝鮮半島の基層にも、縄文につながる人たちの遺伝子があることを意味しています」。

 弥生時代以降の日本列島への集団の進出は次のように考えられている。約6000年前、西遼河(中国東北部)にいた新石器時代の雑穀農耕民が朝鮮半島に進出した。約3300年ほど前には、中国の長江流域で稲作農耕をしていた集団に端を発する遼東半島と山東半島の稲作農耕民が朝鮮半島を経由して北部九州に進出した。両者は1000年以上かけて日本列島に稲作や農耕を伝えるとともに、従来の集団との混合が起きた。これとは別に、北方からはオホーツク文化を持った集団が北海道から流入した。

 北海道の縄文人とオホーツク文化人、アイヌの人たちのミトコンドリアDNAの分析の結果、「アイヌの人たちは単純に北海道の縄文人の子孫というわけではなく、オホーツク文化人の遺伝的な影響を強く受けているということが判明したのです。そのため現在では、アイヌ集団は北海道の縄文人を基盤として、オホーツク文化人の遺伝子を受け取ることで成立したと考えられるようになっています」「(アイヌ集団などの)研究では、2000年前には千島列島を経由してカムチャッカ半島集団の遺伝子が流入し、1500年前には沿海州からの遺伝子の流入があったと推定されました。この結果からも、アイヌ集団の成立にオホーツク文化人が関係していることはほぼ間違いないと考えられています」「現代のアイヌの人たちは縄文人のゲノムを70パーセントほど持っており、これは日本列島集団の中では群を抜いて大きな数字です。本土日本人を渡来人の末裔と考えるとしたら、アイヌの人たちは北海道の縄文人の末裔と捉えられます。他方で、大陸の北方系先住民のゲノムを引き継いでいるということも忘れてはならないでしょう」。

 終章は「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」。これはアメリカ・ボストン美術館にあるゴーギャンの名画のタイトルだ。この大作が描かれた19世紀の終わりごろはネアンデルタール人に続いてジャワ原人が発見され、ホモ・サピエンスに連なる化石の発見とその系統の研究の重要性が認識された時代だった。著者は、百年以上の人類史研究の進展を振り返りつつ、現代に常識となっている歴史や文化の見方への変容を強く迫る。たとえば、弥生時代のクニの成立。「弥生時代になって古代のクニが誕生した」という表現を耳にすると、「日本列島に居住していた人びとが、弥生時代になって自発的にクニをつくり始めたと考えがちです。けれども、これまでのゲノム研究の結果からは、おそらくその時代に大陸からクニという体制を持った集団が渡来してきたと考える方が正確だということがわかってきています。古代ゲノム解析は、これまで顧みられることがあまりなかった文化や政治体制の変遷と集団の遺伝的な移り変わりについて、新たに考える材料を提供していてくれるのです」。これは古代ゲノム研究が明らかにしたまったく新しい視点だ。古代人の集団は単に進出しただけでなく、その文化や習俗なども持ち込んだわけだ。

 著者は最後に、われわれが学ぶ歴史の教科書の内容についても、大きく欠けている視点があると指摘する。「教科書的記述に欠けているのは、『世界中に展開したホモ・サピエンスは、遺伝的にほとんど同一といってもいいほど均一な集団である』という視点や、『すべての文化は同じ起源から生まれたのであり、文明の姿の違いは、環境の違いや歴史的な経緯、そして人びとの選択の結果である』という認識です」「そうした基本的認識なしに多様な社会を正しく理解することはできないのにもかかわらず、教科書にそのことが書かれていないのです」。これは今も世界にはびこる人種差別やそのもととなる、理由のない人種的優越感、それにもとづくさまざまな偏見に対する根底的な批判だろう。今に至る多くの戦争がこうした思い込みや偏見によって始まり、続いていることへの怒りもあるのかもしれない。

 著者が力説する古代ゲノム研究の意義を評者は高く評価したい。それとともに、こうした知見がメディアでほとんど紹介されていないのを非常に残念に思った。それが著者に本書を書かせた最大の動機なのだろう。本書には、最新の研究成果に基づくデータが豊富に紹介され、地図も多用し、記述は丁寧なので、内容は全面的に納得できる。巻末には20頁わたって参考文献リストが出ているが、多くは専門誌に発表された英文の論文だ。急進展した分野だけに、日本語で読める啓蒙的な書物がほとんど存在しないのは残念だ。本書を是非、多くの人に読んでもらいたい。われわれの遠い祖先が大陸を徒歩で何千キロも旅し、小舟やいかだで大海原を越え、未知の世界に挑んだことを知って、先人の勇気と努力に感嘆する読者も多いのではないだろうか。






超圧縮 地球生物全史 ヘンリー・ジー 竹内薫訳 38億年の地球生物の歩みを300頁にまとめる大胆な試み

2023年03月16日 | 読書日記
超圧縮 地球生物全史 ヘンリー・ジー 竹内薫訳 地球生物はいつ絶滅するのか



 著者はイギリスの著名な科学誌・ネイチャーのシニアエディター。1962年ロンドン生まれで、87年からネイチャーの編集に参画している。専門は古生物学や進化生物学で、「羽毛恐竜や最初期の魚類など多数の古生物学的発見に貢献している」。訳者は科学関係の翻訳や執筆など幅広い分野で活躍し、物理学や数学など基礎科学を世に広める科学啓蒙の第一人者だ。本書を手にとって、「超圧縮」とはどういう意味か首をひねったが、読了して地球が誕生し、原初の生物が登場してからの38億年を一冊にまとめる壮大な試みと知って驚いた。

 近年の古生物学や進化生物学の進展は目覚ましい。評者も科学記者時代、最新の成果を紹介する作業に携わったが、それはきわめて断片的なものだった。論文を丁寧に読み込んだうえで、体系的に紹介しようとする著者の努力には圧倒される。いくつかの章の扉に年表が出ている。1章にある最初の年表は「宇宙のなかの地球」。宇宙誕生から太陽と太陽系誕生、地球での生命誕生、そしていずれ訪れる地球上の生命絶滅、太陽系の内側の惑星が太陽に呑み込まれる約50億年後までをひとつにした壮大な時間軸だ。

 「最古の生き物は、岩のあいだの微細な隙間にかぶさる汚い薄膜にすぎなかった。わきあがる海流がとぐろを巻き、乱れて大渦になり、エネルギーを失う。すると、流れとともに運ばれてきた、ミネラルを豊富に含んだ残滓が、岩石の隙間や気孔に取り残され、薄膜が形づくられていった」「真核生物は、18億5000万年前から8億5000万年前くらいのあいだに、ひっそりと誕生した。12億年前ごろから多様化がはじまり、藻類や菌類の初期の単細胞の親戚である、単細胞の原生生物、つまりかつて『原生動物(原虫)』と呼ばれていた形態になった」。

 2章は「生物、大集合」。「カンブリア紀の動物でもっともよく知られているのは三葉虫だろう。これは関節のある手足を備えた節足動物で、どちらかというとダンゴムシやワラジムシに似ていた。カンブリア紀がはじまった直後からデボン紀まで、海に多く生息していたが、その後衰退していった」。本書には見たことも聞いたこともない古生物が頻出する。訳者がネットで画像を検索し、写実的なイラストが得意の竹田嘉文氏にイラストを依頼した。



 イラストがないと、文中にわずかな説明があっても読者には見当がつかない。原著にはないので、竹内氏はイラストを入れる特別の許可を得たそうだ。

 次章からは生物の進化と発達の歴史だ。3章は「背骨のはじまり」。カンブリア紀には尾索動物という原始的生物がいたが、近縁だった脊椎動物は活動的で、生息域を大きく広げた。活動には多くの酸素が必要で、尾索動物に太古からある咽頭孔は鰓(えら)に変わった。海で発生し、進化した動物は陸に上がる。

 生命誕生の物語は続く。最初の樹木が誕生したのは約4億7000万年前のオルドビス紀の中ごろ。古代魚として有名なシーラカンスもこのころ登場した。絶滅したと考えられていたが、1938年に死後間もない個体が発見された。だが、陸上に進出していた動物たちはペルム紀末期、地球の奥深くから上昇してきた、流動化したマグマの流れであるマントル・プルームの地獄と遭遇する。地殻変動や気候変動が原因で、「海では30種につき19種、陸上では10種につき7種以上の動物が絶滅に追い込まれた」。

 ペルム紀終焉という大災厄のあと、数千万年かけて生命は復興した。三畳紀になると、両生類やは虫類が繁栄し始める。恐竜の仲間、翼竜も空を飛び始める。ティラノサウルス・レックスも時代を代表する肉食恐竜だ。鳥の祖先とされる始祖鳥も登場する。白亜紀には花を咲かせる植物(顕花植物)もあらわれる。

 だが、恐竜全盛期の約6600万年前、地上を悲劇が襲う。直径1キロほどの天体がメキシコ・ユカタン半島沖に秒速約20キロで激突し、地殻を突き破った。「結果として生じたクレーターの大きさは直径160キロ㍍にもおよんだ。しかし、生命は不死鳥のごとくよみがえった。全生物種の4分の3が絶滅に追いやられたが、生物はすぐにグラウンドゼロの爆心地に戻った」。恐竜の後を継いだのがほ乳類だった。「三畳紀の終わりごろには、すべての重要な点において、ほ乳類と区別のつかない動物たちがあらわれている。(中略)現代のトガリネズミほどの大きさで、体長はせいぜい10センチ㍍程度だった。完全に形成された中耳を持ち、歯もはっきりと切歯、犬歯、小臼歯、粉砕する大臼歯へと進化していた」。

 「恐竜はすべて卵から孵化する。かつてはほ乳類もそうだった。(中略)卵は親の投資をほとんど必要とせず、非常に迅速に数多くの子孫を産むことができるため、よい習性だった」「しかし、ある変化が訪れようとしていた。この変化とは脳内の変化だった。初期のほ乳類は、より大きな脳を発達させていった」「ほ乳類はたくさん卵を産むのではなく、卵の数をしぼり、孵化したそれぞれの子供の世話に時間をかけることにした。また、メスは汗腺を改良して、脂肪とタンパク質が豊富な物質を分泌し、子供の急速な成長に必要な栄養素がすべて含まれた餌を与えるようになった。この物質を『乳』と呼ぶ。歴史的にも語源的にも、母乳を出す器官である乳房を備えていることが、ほ乳類をほ乳類たらしめている」。

 9章の扉は「ほ乳類の時代」の年表だ。現代型ほ乳類が誕生したのは約5500万年前。約4000万年前には「インド大陸がアジア大陸と衝突、チベット高原が隆起する。その後、南極大陸が南極に移動し、新世代の氷河期が始まる。最古のヒト属が出現するのはそこからさらに2000万年以上も後だ。南極大陸が(注:超大陸の)パンゲア大陸から抜け出したことが地球の気候に与えた影響は甚大だった。はじめて、海流がこの大陸のまわりを途切れずに渦巻くことができるようになった。この海流は、熱帯で暖められた海水が、当時は温暖だった南極大陸の海岸にたどり着くのを阻んだ」「そうこうしているうちにある年、冬のあいだに降った雪が次の春までに完全に融けきらず、一年中、地面に積もったままになった。(中略)何世紀にもわたって雪が降り積もってゆき、圧し潰され、融けることのない永続的な氷になった」。同時に北極にも氷の極地ができる。「その影響は世界中におよんだ。かつて世界は、ほぼどこでもほどよく暖かったが、両極地と熱帯地方のあいだで気候の差が激しくなっていった」。植生も大きく変わった。それまでのジャングルが分断された森林地帯に、「新しい種類の植物、草で覆われた大平野が出現しはじめた」。

 霊長類も新たな環境に適応した。「中新世になるころには、旧世界は『(類人)猿の惑星』になっていた」「このような類人猿の一部は、大きすぎて、かつて彼らの主要な道だった枝づたいに走ることができなくなった。その代わり、長い腕で枝にぶら下がったり、手足を使ってよじ登ったりするなど、さまざまな身のこなしを工夫した」「最古のヒト族は、およそ700万年前の中新世後期に出現した」「私たちにとって、立ったり歩いたりはあまりにも簡単で自然なので、あたりまえと思いがちだ。多くのほ乳類は、短い時間なら、直立して歩くことができる。しかし、それには努力が必要で、すぐに体勢が崩れて四足に戻ってしまうのが、ほ乳類の典型的な状態だ」「二足歩行による体全体への影響も、同じように大きかった。5億年前に進化したときの背骨は、水平にひっぱられる構造だった。ヒト族では、90度回転して垂直に圧縮されるかたちになった。(中略)そして、今日の人類にとって、腰痛が大きな悩みの種であることを考えれば、この変更に、人類は十分に適応できていないといわざるをえない」。10章の扉は「人類があらわれる」の年表だ。最古の石器が見つかっているのは300万年以上前で、人類はこのころ道具を使い始めた。アフリカ以外に最古のヒト族が確認されたのは約200万年前。ネアンデルタール人の出現は数十万年前と考えられている。

 太陽をまわる地球の軌道は完全な円ではなく、ごくわずかに楕円を描いている。「地軸の傾きも、太陽をまわる地球の公転面に対してゆらいでいる」「地軸の傾きは21.8度から24.4度のあいだで変化し、その周期は約4万1000年。傾きの度合いは季節性に影響をおよぼす。現在の地軸の傾きは23.5度で、おおむね穏やかな気候だ。もうひとつ歳差運動という周期がある。傾いた地球の極軸そのものが旋回する現象で、コマが回転するときに軸が首振り運動するのと同じ感覚だ。この周期は一巡するのに約2万6000年かかる。

 「三つの周期がそれぞれ補完しあうことで、地球上のある地点での日照量は周期的に変化する。その結果、地球はおよそ10万年ごとに突然の寒波に見舞われる。(中略)直近の寒冷化でもっとも寒かったのは2万6000年前だ。山脈はアルプスからアンデスまで、氷河の下で呻(うめ)いていた」「氷のなかに海水が閉じ込められたおかげで、平均海水面は今日より120メートルも低かった。現在は、温暖期を迎えてから1万年経過しており、平均海水面は200万年前よりもかなり高くなっている」「氷河期によって強いられた気候の変化は、たいていはとても急激で、控えめにいっても破壊的だった」「気候の劇的な変化は、大陸の端や極地域へゆくほど激しかったが、その影響は熱帯地方にまでおよんだ。アフリカのサバンナや森林の片隅で、さまざまな種類のヒト族が、危険と隣り合わせではあるが、生息していた。(中略)彼らの当面の問題は、すでに乾燥していた気候がさらに乾いてゆくことだった。そしてそれは、およそ250万年前に突然やってきた」「しかし、そのとき、それまでのどれとも全く異なる、新しいヒト族があらわれた。これまでのどのヒト族よりも背筋を伸ばして立っていた。頭も冴えていた。数百万年前にヒト族が採用した二足歩行の姿勢をとり、それを完成させた」「この生き物の名前は『ホモ・エレクトゥス』。(中略)その名のとおり、もっと直立して、背筋をピンと伸ばして立っていた。腰は狭く、脚はそれに比例して長くなり、効率よく歩けるようになっていた」。ホモ・エレクトゥスは世界各地に進出していく。広まるにつれ、進化を遂げる。約43万年前には、ネアンデルタール人がスペイン北部の洞窟に住みついていた。

 11章「先史時代の終わり」の扉は、ホモ・サピエンスの年表だ。アフリカで生まれたホモ・サピエンスがアフリカから出て広がるのは約11万年前。約5万年前にはオーストラリアを発見し、約3万年前にアメリカを発見した。ホモ・サピエンスは各地でほかのホモ属と出会った。ネアンデルタール人と交配したことも知られている。「アフリカ人だけを祖先とする人々を除き、現代人は、多かれ、少なかれ、ネアンデルタール人のDNAを受け継いでいる」「ネアンデルタール人の人口はもともと少なかった。(人口が)小さくなるにつれ、近親交配や事故による影響が大きくなった。どんな人間社会にも、小さすぎて存続できなくなる時期がやってくる。人がいなくなることほど、集団を確実に絶滅へと導くものはない」。

 12章は「未来の歴史」だ。「今後数千万年にわたり、幾度も氷河時代が到来する。現在、私たちは、その入口にわずか250万年ほど入ったばかりのところにいる。すでに氷は20回以上も増減を繰り返し、始新世以来の気候の擾乱を引き起こしてきた。そして、それはまだはじまったばかりなのだ。氷に覆われた場所が広がるたび、そして後退するたびに、状況は変わる。ある種は死に絶える。ある種は繁栄する。ある周期で繁栄した種は、次の周期で滅びるかもしれない。そして、現在進行中の氷河時代が終焉を迎えるまでには、さらに100回近い氷期と間氷期の周期がくり返される」「ホモ・サピエンスは、現在の周期の恩恵を受けている。およそ12万5000年前の温暖な時期が終わり、長期にわたる寒冷期に入ったとき、ホモ・サピエンスは自己意識に目覚めた。海面が低いことを利用して移動し、孤立した島々のあいだを行き来した」。

 「人類はその歴史のほとんどにおいて、狩猟民であり、採集民であり、ほかの懸命な採食者と同じように、狩猟や採集に最適な場所を知っていた。(中略)農業は1万年前の更新世末期に、世界のいくつかの地域で同時にはじまっている」「それ以来、人類の人口は劇的に増えた。現在、地球上の植物光合成による生産物のうち、四分の一を人類という一つの種が消費している。このような独り占めは、必然的にほかの数百万種の生き物にとって資源が減少することを意味し、その結果、絶滅が起きてしまう」「だが、人口が急激に増加し、このような事態に陥ったのは、ごく最近のこと。(中略)地質学的な時間の背景からすれば、人類の急激な増加は、無視できるほど一瞬の出来事なのだ」。

 「人類が地球に与えた影響のほとんどは、ホモ・サピエンスが石炭の力を大規模に利用しはじめた、約300年前の産業革命以降に発生している。(中略)農業によって増加しはじめた人口は、化石燃料を燃やすことで拍車がかかったが、この人口爆発は、わずか数世代のあいだに起きた」「ペルム紀がマントル・プルームの噴出によって苦渋の結末を迎えたのとは対照的に、今回の人類による擾乱はきわめて短時間で終わるだろう。すでに、二酸化炭素の排出を減らし、化石燃料以外のエネルギー源を見つけるための対策がとられている」。

 「人類が大量に存在したのは非常に短い期間であり、たとえば2億5000万年後には、ほとんど遺骨が存在していないはずだ」「今後、数千年のあいだに、ホモ・サピエンスは消滅するだろう。その原因のひとつは、長いあいだ、未払いになっていた『絶滅の負債』を返済しないといけないから。人類の生息域は地球全体だが、人類は積極的に生息に都合の悪い環境をつくってきた」「人類絶滅の最大の理由は、人口の移り変わりがうまくいかないことだ。人類の人口は今世紀中にピークを迎え、その後減少へと転じる。2100年には、現在の人口を下回るだろう。人類の活動によって地球が受けたダメージを回復させるために、さまざまな工夫がなされるだろうが、人類は、あと数千年から数万年以上は生き残れないだろう」。衝撃的な予言だが、著者はその理由をこう説明する。「人類は、もっとも近い親戚の類人猿と比べると、遺伝学的にすでに著しく同質だ。これは、人類史の初期に何度か、遺伝的ボトルネックが生じ、その後、人口が急増したことを示している。まさに、何度も絶滅の危機に瀕した過去の置き土産だ」「太古のむかしの出来事により、遺伝的な多様性が足りないこと、現在の生息地の喪失による絶滅負債、人間の行動や環境の変化による少子化、より局所的な、小さな集団が直面する、ほかの集団から孤立する問題などが組み合わさり、人類は絶滅するのだ」。

 最終章のエピローグでは、これがさらに説明される。「ある人が別の文脈で語った言葉を借りれば、すべての生き物のキャリアは絶滅で終わる。生命そのものも永遠にはつづかない。ホモ・サピエンスも例外ではない」「例外ではないかもしれないが、それでも特別ではある。ほとんどのほ乳類は100万年程度で絶滅する。ホモ・サピエンスは、まだその半分しか経過していないが、人類は特別な種だ。(中略)ホモ・サピエンスが特別な理由は何か。それは物事の仕組みのなかでの自分の位置を意識するようになった、唯一の種だと思われるから」。

 人類が食糧やエネルギーなどの課題を克服してきたと指摘したうえで、こう追加する。「過去一世紀のあいだに人類の状態を改善したもっとも重要な要因は。おそらく、特に発展途上国における女性の妊娠・出産、政治的、社会的地位の向上だ。女性が自らの体を管理し、人類の問題に対して、より発言権を持つようになったいま、人類は労働力を倍増させ、全体的なエネルギー効率を高め、人口増加を抑制している」。課題は山積しているが、多くの課題にはすでに適応しているという。「ホモ・サピエンスは、それでも、遅かれ早かれ絶滅するのだろうが」とも指摘する。最後に著者が紹介するのは20世紀前半に活躍したイギリスの小説家オラフ・ステープルドンだ。1937年の「スター・メイカー」は、4000億年以上の巨大なスケールの宇宙の歴史を描いたが、人類の歴史はわずか一段落だけ。ステープルドンは平和主義者ながら、第一次大戦の西部戦線で救急隊員として働いた。世界大戦の恐怖のなか、彼は「導きとなる二つの光」を提案している。「一つは『私たちの小さく輝く共同体』、もう一つは、一見相反するようだが、『星の冷たい光』であり、『世界大戦のようなものは、宇宙に比べれば無視できるのだという』」。本書の最後は「だから、絶望してはいけない。地球は存在し、生命はまだ生きている」と締めくくられている。

 「地球生物全史」がここで終わるとは想像していなかった。すっかり忘れていたが、以前、第四間氷期という言葉を聞いた。現代は四回目の間氷期にあるという意味だ。最近はなぜかまったく聞かなくない。終末論的な意味合いが敬遠されているのだろうか。だれにでも勧められる本ではないが、読み進めていく価値はある。翻訳はこなれていて読みやすい。訳者あとがきのタイトルは「地球生命史がわかると、世界の見え方が変わる」。是非、多くの人に読んでもらいたい。