ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

金正恩の核兵器 井上智太郎 データは豊富だが内容は未整理なのが残念

2023年08月28日 | 読書日記
金正恩の核兵器 井上智太郎 北朝鮮通の共同通信記者による網羅的な解説


 著者は共同通信でソウル、ワシントン、北京特派員を務め、現在は外信部副部長をしている。北京特派員時代の2018~21年には平壌支局長を兼務したといい、北朝鮮事情に詳しい。2017年度には特派員の優れた業績に贈られるボーン・上田記念国際記者賞を受賞している。データは豊富で読みごたえがあるものの、評者はやや期待を裏切られた印象を持った。あれも入れたい、これも入れたいとデータを詰め込み過ぎた結果、現状はある程度理解できても、本書の意図や方向がぼやけてしまった印象を受けた。副題は「北朝鮮のミサイル戦略と日本」だ。

 序章は「世界最速のミサイル開発」。「世界192カ国中115位の経済力で世界の構図を一変させた。北朝鮮は地球上のどの国よりも速く新たなミサイル、新たな能力、新たな兵器をつくっている」。これは米軍制服組ナンバー2の統合参謀本部副議長を務めたジョン・ハイテンの言葉だという。ハイテンは米空軍の技術将校出身だ。父親はアポロ計画に使われた巨大ロケットであるサターンVロケット開発に参加した親子2代のロケット専門家だ。「もしミサイル開発を早く進めたいのなら、早くテストし、早く実際に飛ばし、早く学ぶことだ」。これは電気自動車世界最大手のテスラを創業した起業家のイーロン・マスクがやっていることと同じだという。マスクが創設した宇宙ベンチャー企業「スペースX」は大型ロケットの発射と打ち上げ失敗を繰り返したが、そこから素早く教訓を読み取って、異例の早さでロケットのスピード開発に成功している。ハイテンはこの状況を引き合いに出したうえで、「北朝鮮はまさに同じことをやっている」と指摘したという。

 「防衛省の集計によると、金正恩体制下での弾道ミサイル発射は2012~22年の11年で150発を越えた。18年間で16発の金正日体制と比べて段違いに増えた。核実験も弾道ミサイル発射実験も行わなかったのは初の米朝首脳会談が開かれた2018年だけだ。とりわけ22年の弾道ミサイル発射は59発に上り、このうちICBM級が7発。いずれも過去最多で、世界を見回してもこれをしのぐ規模で発射実験や発射訓練を行っているのは中国以外にない」「北朝鮮のような貧しく孤立した国が核兵器をつくれるわけがない。水爆も衛星打ち上げも大言壮語だ――。国際社会は常に核への執着を過小評価し、甘い見積もりをことごとく裏切られてきた」。これはまったくその通りだと思う。国際社会が北朝鮮の意図や実力をことごとく見誤ってきたことは間違いない。誤解を恐れずにいえば、核兵器は第二次大戦中のマンハッタン計画のようにトップクラスの科学者を集め、湯水のように開発資金をつぎ込まなければできないというものではないようだ。一定の純度の核物質を確保できれば、爆弾そのものは比較的簡単につくれる。それが広く知られるようになった結果、北朝鮮をはじめ、世界でも相対的に貧しいと考えられている国が核開発に躍起になり、それなりに成功をおさめている理由なのかという気もする。

 北朝鮮は一方的に核保有を宣言した2005年から計6回の核実験を強行し、このうち4回は現在の金正恩体制下で行われている。「今世紀に入って爆発を伴う核実験を行ったのは北朝鮮のほかになく、国際社会はいつからか北朝鮮を事実上の核保有国として対処するようになった」。北はなぜ、これほどのスピードで核開発やミサイル開発を進め、一定の成果を得たのか。これは未だに大きな謎だ。国際社会は度重なる安保理決議をもとに、厳しい経済制裁を課している。だが、安保理でも北を擁護する中ロがさらなる安保理決議を阻み、制裁自体が実質的に抜け穴だらけになっていることも事実だ。国際社会が一致して実効性ある制裁を課せないことは腹立たしい限りだが、こうした現実から目を背けるわけにもいかない。評者は本書を手に取った時、こうした現実への何らかの処方箋か対応へのヒントがあるのではないか、と期待したが、残念ながらそれは少し甘かった。序章の最後に本書の情報源が上げられている。「①北朝鮮の公式報道や政府発表、②各国政府や国際機関、シンクタンクの報告書などのオープンソース、③北朝鮮政府関係者や各国政府当局者、脱北者への直接取材や独自に入手した資料ーーの三つを基に執筆した」と書かれている。①は専門家ならだれでもアクセスできるはずなので、違いが出るのは②と③、とくに③だろう。だが、評者が見る限り、本書は主に②から構成されているように思える。それも米国でのメディア報道の内容が中心という気がする。米国のメディア報道に優れたものが多いことは無論だ。とくに大手メディアの敏腕記者は政権中枢に深く食い込んで、政権からのリーク(漏洩)情報をもとに、思いもかけない特ダネを報じることがある。政権側は、こうしてトップクラスの情報を差し支えない範囲でメディアに流し、世論操作に利用していることもよく知られている。

 第1章は「核武装の動機と秘密ネットワーク」。北は世界で9番目の核保有国だとされている。世界的に有名なシンクタンク・ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)2022年版の推定によると、各国の保有核弾頭数の推計は米国5428、ロシア5977、英国225、フランス290、中国350、インド160、パキスタン165、イスラエル90、北朝鮮20となっている。米国もトランプ政権末期の2021年1月、北が45個程度の核兵器を持っている可能性があると推定している。これは核物質の保有量から推計したものだ。正確な数はわからないが、北が数十個程度の核兵器を保有するかその能力を持っていることは確実だ。米国は、プルトニウム5キロで核弾頭1個が製造可能という計算で核兵器の個数を推定している。

 核兵器の運搬手段となるのがミサイルだ。米国やロシア、中国は大陸間弾道ミサイル(ICBM)、戦略原潜、戦略爆撃機を核兵器運搬の3本柱にしている。フランスは原潜と戦闘機、イギリスも原潜を保有している。米国などに比べ、北は航空戦力に圧倒的に劣るため、「核の運搬手段として地上発射の弾道ミサイル開発に注力してきた。SIPRIは北朝鮮が既にコンパクトな核弾頭を製造できるとみており、搭載可能性が最も高いミサイルとして、ノドン(火星7)、スカッドER(火星9)、北極星2の3種類の準中距離弾道ミサイルを挙げている。防衛省も同様の分析だ。いずれも配備済みで、射程は1000~1500キロ、在日米軍や日本を狙うミサイルだ」。北は原潜開発計画も持っていると伝えられるが、技術的なハードルが高く、まだ開発には成功していないと考えられている。

 北同様、秘密裏に核開発をしていたことが知られているのは南アフリカだ。93年に当時のデクラーク大統領が、74年に原爆製造に着手し、広島型とほぼ同等の原爆6個を製造したが、90年までにすべて自主廃棄した、と明らかにしている。自主廃棄を決めた南アと異なり、北が核開発に猛進したのはイラクとリビアの独裁者の悲惨な末路に学んだからだという説が有力だ。イラクはクウエート侵攻後の03年3月、米英軍の大規模な侵攻を受けた。フセイン大統領はこの年12月、潜伏先の北部で発見され、後に処刑された。リビアの独裁者カダフィ大佐は2011年、「アラブの春」のうねりの中で政権が崩壊し、10月には潜伏先で拘束され、死亡した。この二つの事件を教訓に、北が核を持たなければ指導者が抹殺される可能性が高いと判断し、核開発にまい進したことは広く知られている。

 これとはまったく事情が異なるものの、一時は大量の核兵器が国内に配備されていたものの、今はすべてが撤去され、隣国ロシアからの侵略の憂き目に遭っているのがウクライナだ。1991年のロシア崩壊で独立したが、この段階ではロシアが配備していたICBM約180基と核弾頭約1800個があった。これはその後、すべてロシア国内に搬出された。「1994年1月、ウクライナと米ロ首脳は、ウクライナ配備のすべての核兵器を搬出、全面廃棄することで合意。同年12月には米ロ英ウクライナの4カ国首脳がブダペストでウクライナの安全保障に関する覚書(ブダペスト覚書)に署名した。米英ロはウクライナに対して独立と主権、現状の国境を尊重するとし、領土の一体性や政治的独立を損なう力による威嚇や行使を控え、核兵器は決して使わないと保障する内容だ」。その後の2014年、ロシアはウクライナ領だったクリミアを突然、一方的に併合した。米英を含め、国際社会はロシアの暴挙を強く非難したものの、行動に移すことはしなかった。当時を知るウクライナの人々は、ロシアが配備した核兵器が一基でも国内に残っていたら、ロシアによる侵略はなかった、と考えているかもしれない。北の指導部はこの出来事を反面教師として脳裏に刻み付けているに違いない。

 北はプルトニウム型原爆(長崎に投下)を自主開発しただけでなく、高濃縮ウラン型原爆(広島に投下)をパキスタンの闇市場から入手している。パキスタンの原爆開発は、核の父と呼ばれるA・Q・カーンが主導したが、彼は2004年にリビアや北朝鮮、イランに核関連資機材を拡散させたことを認め、公式に謝罪している。北とパキスタンの間では、北がミサイル技術をパキスタンに、パキスタンはその見返りに核技術を供与するバーター取引をしていた、と考えられている。「北朝鮮が他国の製品を分解して研究し、国産化するリバースエンジニアリングを得意とすることはよく知られている。国営メディアは兵器実験の際に『完全国産』を強調するが、海外からの技術や物資調達は現在も北朝鮮の兵器開発、生産にとっては不可欠だ。1991年のソ連崩壊後の混乱期には多くの科学者や技術者をリクルートしたとされる」。

 1990年代、北が食糧不足や経済の混乱から国内で大量の餓死者を出しながら、兵器開発にまい進したこともよく知られている。公式統計はないが、ある報告書によると3年間で100万人近い国民が餓死したという推定があるほどだ。北は、いったいどの程度の予算を軍事費にあてているのだろうか。「米国務省は北朝鮮が2009年から2019年、GDPの21.9%~26.4%(30~43億ドル)を軍事支出に充てたと推計。額はともかくGDPに占める割合では世界トップで突出している」。日本が長らく防衛費をGDPの1%以内に収める抑制策を取っていたことからも、経済が不振で国民に十分な食料も供給できないほど貧しい北の軍事費の巨大さが理解できる。

 第2章は「『前線』となる日本--米朝危機の内幕」。2017年、前任のオバマから政権を引き継いだトランプはすぐに米朝関係の緊張に対応せざるを得なかった。当時、北は核実験とともに、異例のハイペースでミサイルを発射していた。これに対し、米国は2017年11月、ロナルド・レーガン、ニミッツ、セオドア・ルーズベルトという3隻の原子力空母をそろって日本海に展開する異例の強硬措置に踏み切り、北に強い圧力をかけ続けた。

 こうした中、北はいったんは対話路線に転じ、活発な外交を展開し始める。2018年3月には、金正恩が初外遊で訪中し、中国の習近平と会談したほか、4月には韓国の文大統領と板門店で初会談した。その結果、6月にはシンガポールで史上初の米朝首脳会談が実施される。翌19年2月にはハノイで2度目の米朝首脳会談、6月には板門店で3度目の米朝首脳会談が開催される。しかし、北は譲歩を小出しにしただけで、核廃棄には応じず、北が悲願とする国際社会の経済制裁解除は実現しなかった。本書では、米朝首脳会談を通じて制裁解除を狙った北の思惑、それに応じなかった米側の事情が詳述されている。もちろん北の核の脅威に重大な影響を受ける日本や、北の隣国である中国は事態の推移を重大な関心をもって見守ってきた。

 ただ金正恩をロケットマンと呼びながらも、交渉相手とみなしていたトランプとは異なり、バイデン政権では外交における北の比重は一気に下がっている。政権発足後の2022年10月、新たな「国家安全保障戦略」を発表したが、そこでは中国を「国際秩序を変える意思、そのための経済力、軍事力、技術力を兼ね備えた唯一の競争相手」と初めて明記した。ウクライナ侵攻を受け、ロシアを欧州の地域安保秩序に対する目下の脅威としながらも、「中国のような領域横断的能力に欠ける」と分析した。この中ロより小さいが独裁的な体制があるとし、イラン、次いで北朝鮮を挙げ、「北朝鮮は『不法な核兵器とミサイル計画を拡大し続けている』と指摘した。「北朝鮮は既に『核兵器』へと進んでいるが、米国にとって気になるのは中東の大国イランの方だ」と分析している。これは米政権だけでなく、メディアにも共通する見方だろう。

 こうした中で、韓国国内で核武装への肯定論が高まってきているのはちょっと不気味だ。「シカゴ・グローバル協議会などが韓国で行った世論調査(2021年12月、18歳以上の1500人)では、韓国独自の核保有について71%が支持、米国の核兵器配備についても56%が支持した。さらに核武装オプションが二者択一の場合は独自の核保有(67%)が、米国の核配備(9%)より圧倒的に多かった」。われわれにとっても興味深い調査結果だが、調査主体のシカゴ・グローバル評議会に関する説明は出ていない。本書は随所にさまざまな調査結果や米国の新聞記事などからの引用をしているが、著名記者の記事や著書からの引用は多くあっても、その人やその著書がどういったものかの説明はほとんどない。これは明らかに不親切だ。著者は共同通信記者なので、記事は簡潔に、わかりやすくと言われているはずだが、どうなのだろうか。たとえばワシントン・ポストのシニア記者で、「大統領の陰謀」という著書があるボブ・ウッドワードや、北朝鮮通のジャーナリストで、「二つのコリア」という古典的名著が有名なオーバードーファーについてもどういう記者なのかの説明がない。評者はこうした不親切さには共感できない。

 終章は「終末時計の残り時間」だ。終末時計というのは、シカゴに本拠を置く「ブレティン・オブ・アトミック・サイエンティスツ」という科学者組織が毎年、人類滅亡に至る終末まで、あとどれくらいの時間的な余裕があるかを発表することから来ている。2023年1月には「あと90秒」と発表された。終末に近づいているという強い警告だが、本書では終末時計は終章のタイトルに使われたままで、章の最後まで読み進まないと言葉の説明が出てこない。本書を読む人なら自明という判断かもしれないが、これも親切さに欠ける。著者は、内容のわかりやすさよりも出版を早めることの方を優先したのだろうか?

 終章の最後は、「北朝鮮の非核化もいまは考えられないことのように思えるが、そこで思考停止すれば東アジア情勢が時計の針を進めてしまう。日米韓の安保協力が真に抑止力として機能し、外交の余地をもたらすにはどうしたらよいのか。今後の論考の課題としたい」と結ばれている。それを知りたい、あるいはそれを考える手がかりを得たいと思って、本書を手に取った人が多いのではないのだろうか。「今後の論考の課題としたい」と投げ出してしまうのは、評者にはやや無責任な態度だという気がする。これでは「新聞記者は気楽な商売だよね」と言われて、おしまいになる。議論を進めるためのデータや方向性を詳しく提示して読者の判断をサポートしていくべきではないだろうか。評者も長く新聞記者をしていたので幾度もそうした経験をした。取材を進めていくと、なかには明らかに、「聞いたことを適当に書いて責任を取らないでいられるのは気楽だよね」と言いたい顔をしている人がいた。そういう性格の仕事だからこそ、難題には真摯にしかも誠実に向き合っていくべきではないのだろうか。著者からそしりを受けることは承知のうえで、本書を読んで、そう感じたことを付け加えておく。豊富なデータを活用するのにはいいが、自分の頭の中を整理するためにはもう少し丁寧な説明をする別の著作と合わせて読み進めた方がいいだろう。北朝鮮問題には、メディアだけでなく、大学や研究機関にいる専門家も少なくない。この問題に関心の深い人は、そうした著作や海外の専門家の著作と読み比べて進む方がいいと思う。まえがきのところに「筆者はソウル、ワシントンでの勤務を経て2018年から21年秋まで3年3か月、共同通信平壌支局長として北京に駐在した。いろんな事情があって北京時代に訪朝することはなかった。その代わり、中国で北朝鮮人や朝鮮族と酒を酌み交わし、中朝国境を歩いた」とある。冒頭の記述なので、なぜ北に入れなかったのだろうかと疑問に思ったが、2020年以降は世界的なコロナの蔓延で、北が厳格な国境封鎖をしたことが原因ではないだろうか、と気が付いた。そうなら、もう少しストレートに書いた方が共感を得やすい。もってまわった書き方が好きな人のようだという印象を受けたのはやや残念だった。

 









 





 
 










調べる技術 小林昌樹 業界人が伝えるかなりマニアックなレファレンス術

2023年08月09日 | 読書日記
調べる技術 小林昌樹 やや読みにくいのが残念だが、マニア向けで内容は豊富



 どこかのメディアで好意的に紹介されていたので、図書館で探してみた。副題は「国会図書館秘伝のレファレンス・チップス」。この副題に誘われて読んでみた人も多かったのだろうか? 2022年12月23日に第1刷りだが、手にしているのは2023年1月9日付けの4刷り。年末年始でこんなに版を重ねるのだろうか、と本当に驚いた。版元も晧星社という聞きなれない出版社。読んでみて、やや読みにくいのにはちょっと閉口したが、業界人が書いただけあって、内容がないわけではない。あとがきによると本書は晧星社のメルマガ連載「在野研究者のレファレンス・チップス」(2021年6月~2022年7月)をまとめたものだ。

 著者は1967年生まれ、1992年に慶應義塾大学文学部を卒業して国立国会図書館に就職した。これは入館というらしい。これも業界用語の類だろう。ちなみに東京都に就職することを入都という。国会図書館では2005年からレファレンス業務に従事し、2021年に退職した。その後は母校でレファレンスサービス論を講義するほか、近代出版研究所を設立して所長を務め、年刊研究誌「近代出版研究」を創刊した。専門は図書館史、近代出版史、読書史というからその世界ではよく知られた人なのだろう。「近代出版研究」も晧星社から出ている。ご本人か知人がやっている出版社なのだろうか。という具合に業界臭がぷんぷんしている。

 前書きに「本書はどんな人に向くか」が書かれている。「本書は、調べ物のノウハウ(レファランス・チップス)を一般の人にいくつか例示するものである。レファレンスという文脈では類書がほとんどないのと、意外と初めて言語化される知識があるため、ここでいくつか前提を説明しておくが、なんと言ってもこの本は実務マニュアルなので、この章を読まずに目次を見て、各章から読み進んでいて全く構わない」。

 著者は続いて、「次のような人に本書は向いていると思う」と想定読者を示す。「仕事でちょっとした調べ物をする人」「趣味で好きなことを調べる人」「理系的なことを調べるのではなく人文社会的なことを調べる人」「専門以外のことも調べようと思い立った専門家、学者」「日本の風俗/習慣や社会に興味がある人」「引っ込み思案で質問をしづらい人」「調べ物をしたいのに図書館に出かけづらい人」「閲覧系の司書」となっている。おそらく著者の頭にあったのは図書館で閲覧系の司書をしている人だったのだろう。その意味では業界人向けに書かれたものということになる。だが、最初の「仕事でちょとした調べ物をする人」には「編集者、翻訳家、校正者、記者という例示がある。長年、大手新聞社で記者をしていた評者も調べ物でさまざまな図書館を利用させてもらった。国会図書館は残念ながら利用した記憶がないが、都道府県立の図書館、区や市立の図書館などさまざまだが、業界団体や学会が設立したり運営したりする図書館もよく利用した。専門的な雑誌は公共図書館で収蔵しているところは少ないので、専門図書館は必然的によく利用した。大学図書館も利用したが、学内者や研究者に開かれていても新聞記者に利用させてくれるところはわりあい少ない。

 科学記者として医療を担当していた何年かは大学医学部の図書館をよく利用させてもらった。とくに慶応医学部の図書館にはずいぶんお世話になった。コピーサービスで何十枚もの資料を懸命にコピーしたのは懐かしい思い出だ。小銭が足りなくなるので、何度も両替してもらったものだ。今、思い出してもありがたい。大学病院だと各診療科や専門科ごとに何種類も発行されている医学関係の雑誌は医学図書専門の書店に行くと手に入るが値段も張り、販路も限られているので、そう簡単には手に入らない。

 そうした図書館にレファレンス担当の司書がいると大いに助かった。不案内の分野では調べたいことはあっても、具体的に何をどうやって調べたらいいのかは見当がつかない。そのときこうした雑誌がありますよとか、こういう事項索引がありますよと助言してもらうと、調べる手間が大いに節約できた。

 今なら、最初に「ググる」ということだろうが、本書によればググるのが一般的になったのは2006年ごろのことという。それまでは自分の足で直接、文献を探しにいくしか方法がなかった。業界団体が設立した専門図書館にもずいぶん通ったが、これも探し方やどういう資料があるかの知識がないとほとんど役に立たない。

 本書の第1講は「『ググる』ことで、我々がやっていること」。グーグル以前の時代、図書館のレファレンス司書が「いちばん最初にやっていたことは、ココロの中で質問事項のアタリをつけることだった。質問者にインタビューしながらいつ頃のどこの話でどの程度有名/無名なことなのか、という調べる事柄の重みや現在からの遠さを、半ば無意識的に測っていたのである」「昔のある職人的レファレンサ―は『新聞の全ページを広告も含めて右上から左下まで全部読む』ということを毎朝やっていた(もちろん仕事の一環として)」。これはグーグルなど検索ロボット(自動検索ソフト)が定期的にいろいろな電子媒体を定期的に訪問し、どこのサイトにどういう内容の情報があるかをチェックしているのとよく似ている。検索ロボットは人間ではないので、決められた時間間隔で、自動的に訪問しているだけなのだが。

 第2講、第3講は飛ばして、第4講は「ネット上で確からしい人物情報を拾うワザ」。人物には3つの類型があるという。有名人、限定的有名人(半有名人)、無名人の3種類だ。有名人なら人名辞典や紳士録などに情報が出ている。限定的有名人となると、専門人名事典や県別百科、政府職員録などに出ている可能性がある。無名人となると、職員名簿や同窓会名簿、住所がわかっていれば住宅地図で調べるという方法もある。ただ最近はプライバシー保護で、こうした名簿を関係者以外には非公開にしているところも多い。そもそも名簿をまったく作らなくなってしまった団体や組織が増えている。

 無料なら誰でも使えるはずだが、有料の契約データベースというものもある。勤務していた新聞社が契約していたので評者も時々、お世話になった日外アソシエーツが提供している「WhoPlus」という契約データベースだ。現在では総計83万人分もの情報が収録されているという。だが、これは個人で契約するにはハードルが高い。

 まったくの裏技だが、外国の日本人データベースを使うこともできるという。著者がアメリカ議会図書館で、自分の名前(Kobayashi Masaki)を調べると、生まれた年や卒業大学、その当時の職業が検索できた。これは2011年刊行の「雑誌新聞発行部数事典:昭和戦前期」の奥付の情報(日本語のはず)から得られたらしい。確かに日本語世界に比べ、英語世界では格段にデータベース情報が充実している。評者も90年代半ばのアメリカ在勤時には会社が契約している新聞や雑誌データベースが制限なく利用できたので、記事を書くヒントとしてずいぶん役に立った。キーワード検索するだけで、新聞の場合、全国的に読まれている主要紙だけでなく、地方紙の情報もほとんど収録されていて、取材先を選定するうえで、ずいぶん重宝した。アメリカにいればこの情報だけで、記事が書けるなと感心したくらいだ。そうして手間を減らしている省力化の得意な同僚もいたが、評者は可能な限り、遠方の相手でも直接アポを取って、インタビューするようにしていた。おかげで毎週のように遠方に出張したのでずいぶん旅費がかかった。だが、当時は新聞社の経営状況もそれほど悪くなく、それで文句を言われることはなかった。ただこのデータベースも個人で使うには高すぎるはずだ。

 第6講は「明治期からの新聞記事を『合理的に』ざっと調べる方法」。いわゆる朝日、毎日、読売の3大紙にはそれぞれネットで検索できるデータベースが存在する。読売は1874年から、朝日は1879年から、毎日は1945年からの記事データベースが存在する。これはいずれも2000年代に入って整備されたものだ。電子的なものなので、新聞によっては広告も記事として引けるようになったものがある。

 評者は1970年代半ばに日本海側の県で新聞記者生活をスタートさせた。当時の支局の資料室には数十年分のスクラップがあったが、特集記事などを書こうとすると、それ以前の記事を見る必要に迫られることがある。このとき助かったのが県立図書館にあったマイクロフィルム化された地方版の存在だった。かなり前の記事でも大体の日付が分かればマイクロフィルム・リーダーを使って記事を読み、それをプリントすることもできる。もちろん検索機能はついてないので、おおよその時期がわからないと調べようがない。大手紙は東京発行の最終版の紙面については、縮刷版と呼ばれる月別冊子を作っているが、これにも地方版や本社ごとに異なる各地域の社会面などは保存されていない。各県の県立図書館には今でもマイクロフィルム化された紙面が存在しているのだろうか。

 第9講は「Googleブックスの本当の使い方」。評者は存在は知っているものの、使ったことはない。Googleブックスに日本語の本が収録されるようになったのは2006年のことだ。それまでは英文が中心で、日本語でというわけにはいかなかった。日本研究という学問分野を持つアメリカ・ミシガン大学の蔵書のほか、2007年には慶応大から日本語書籍12万冊分が入った。ただ著者はこの日本語本は「まだ読むに堪えない」という。というのも著作権の関係から、全文が検索可能でも、Google自身は「あくまで索引だと言い張らなければならない」ので、「全文が検索できても全文を(ちゃんとは読めないように)なっていなくてはならないらしい。(中略)全ての本文は検索できるが、本文自体は『限定表示』になっている」。テキストの前後を勝手に入れ替えている場合もあるようで、「限定表示のテキストをそのままコピペして引用するのはちょっと危ない」と警告している。テキスト本文はOCRで読み込んでいるので、現在はともかく、初期の段階の読み取り精度は低く、誤変換もかなり多いのだという。そうしたクセを承知して使うということなのだろう。

 第7講の「その調べ物に最適の雑誌記事索引を選ぶには」で、大宅壮一文庫という名前を見つけて懐かしくなった。これは評論家の大宅壮一氏が集めた雑誌の記事の索引を目録にしたものだ。大宅文庫は現在も東京・世田谷にある。これも評者のいた新聞社が協賛会員だったせいで、時々利用させてもらった。週刊誌などに出ているスキャンダルを追いかけていたわけではないが、調べたい時期の事件や風俗を知るのに、週刊誌の記事は欠かせない。それを調べるために大宅文庫には何度も通った。記事のコピーサービスも利用させてもらった。索引から記事を調べ、この号を見たいというと、収蔵庫から雑誌の束が届く。もちろん、調べた情報をそのまま記事にするわけにはいかないが、その後の取材の当たりをつけたり、取材を進めたりするには大いに役立つ。大宅文庫の閲覧室で、雑誌記者とおぼしき取材者はよく見かけたが、新聞記者は比較的少なかった。大手紙で週刊誌まで調べていた記者は少なかったのだろうか。あるいはそこまで手を広げるのは邪道だという認識があったのだろうか。

 本書は全部で14講あり、終章が「同じ魔法が使えるようになるために」となっている。全15章ということだ。全体にもう少しこなれた書き方をしてもらえると読みやすいのだろうが、著者が自分で編み出した「調べる技術」を広く世に出したいという強い気持ちがあることはよくわかる。ただもう少し一般的な読者を想定して、レファレンスのやや特殊な用語もかみ砕いて説明すると、かなり読みやすくなるのではないだろうか。だが、日本ではまだ耳慣れないレファレンスという作業を図書館で担当しているスタッフが情熱をもってあたっていることはよくわかった。レファレンスそのものはかなり職人的なノウハウが必要なので、可能なら著者がいた国会図書館だけでなく、都道府県や自治体、あるいは大学や高校の図書館などレファレンスの第一線で日夜奮闘している人びとの「調べる技術」をまとめると、ずいぶん役立つのではないだろうか。

 読み終えて思い出したのだが、先年、急逝した優秀な後輩にインタビューを求められ、彼が遠方にいたのでZOOMでそれに答えていたとき、「驚きませんか? 今はコロナ禍の真っ最中なので、ZOOMでのインタビューが主流なんですが、出会えるはずの距離にいるのにZOOMでインタビューし、それをそのまま何の疑問も感じずに記事にしていることが多いんです。今はそうなってるんですよ」としきりに慨嘆していた。評者も「まったく、その通りだと思う」と全面的に同意した。彼の言いたかったことは、直接出会うことで得られる、出会った人の顔色、口調、身体の様子や仕草、出会った場所の雰囲気など目に見える、あるいは肌で感じられるすべてが取材なのだと言いたかったのではないのだろうか。評者も大学の研究者などに会う時、その研究室の雰囲気や部屋の蔵書など、失礼にならない範囲で観察させてもらっていた。ZOOMは確かに便利だが、旧知の人ならともかく、初対面の相手にZOOMだけでは伝わらない部分は間違いなく多いという気がする。

 本書を読み終えて、そういえば現役時代はいろいろな手立てを使って情報を得ようと努力していたのだな、と懐かしく思い出した。どこに調べたい情報があるのかを知るのも大事なノウハウなので、例えばコンピューター関係の情報だとここ、航空宇宙関係の情報だとここ、医学関係の情報だとここといった具合に、頭の中に情報のインデックスを作っていたように思う。取材先でそうした情報のありかを親切に教えてくれる人も少なからずいた。まず「ググる」が当たり前になってしまった現代、情報の取り方はどう変化していくのだろうか。著者には是非、親しいレファレンス司書の人たちと協力して、マニア向けではなく、ごくごく一般向けに新書程度の分量で、「調べる技術(必要な情報の取り方)」を書いてもらいたい。かなりの需要があるのではないかと思うが、どうだろうか。