アルツハイマー病研究、失敗の構造 カール・ヘラップ 梶山あゆみ訳 優秀な研究者、豊富な研究資金がなぜ成果を生まないのか
一読してその内容に愕然とした。世界のアルツハイマー病研究に真向から挑戦状を突きつける衝撃の書だ。著者はアメリカ・ピッツバーグ大医学校神経生物学教授で、香港科技大学生命科学教授を兼任している。アメリカ・スタンフォード大やイエール大、スイス・バーゼル大など各地の有名大学での研究歴を持つ細胞生物学者で神経科学の専門家。1999年から2005年まではオハイオ州クリーブランドにあるケース・ウエスタン・リザーブ大アルツハイマー病研究センターのディレクターを務めていた。そうした練達の科学者が世界のアルツハイマー病研究に関して、方向性が間違っていると言い放ったのだから、学界では大騒ぎになったのではないだろうか。
その方向性とは現在、アルツハイマー病研究の主流となっているアミロイド・カスケード説だ。死後に患者の脳を調べると、アミロイドβ(ベータ)と呼ばれるたんぱく質が脳に沈着していることが多い。そのため、アルツハイマー病研究はこのアミロイドを患者の脳から取り除くことを目指して主に研究が進められてきた。日本のエーザイとアメリカの製薬企業バイオジェンがアルツハイマー病治療薬として開発した「レカマネブ」は患者の脳からアミロイドβを取り除くために開発された。すでに医薬品として認可されているが、臨床試験による効果は18カ月間の間にプラセボ(偽薬)を使った対照群に比べ、認知症のスコアで27%進行を遅らせる効果があった、というものだ。新薬認可の記事を見て、評者はこの程度の効果でも認可されるのか、と疑問に思った。素人の疑問なので、有効な治療薬のないところに登場した新薬は患者や家族にとって福音に違いない。ただこの薬の効能は患者や家族が目に見えて実感できるほど大きなものではないらしい。そうした状況を反映してか新薬認可を伝えた記事はややわかりにくいものだった。数百億円単位で投じられた(これよりはるかに多いはずの)研究開発費に比べると成果に乏しいのではないかという気がした。
そうした疑問は本書を読んで、かなり晴れた。本書は、その原因が、現在のアルツハイマー病研究が「アミロイド・カスケード仮説」に偏した形で行われ、研究の方向性自体が正しくないからだと説く。全世界では数千の研究者が関わり、年間数百億円をはるかに上回る巨費が投じられている大掛かりな研究だ。だが、この仮説がアルツハイマー病研究のセントラル・ドグマ(中心命題)になったのは1990年代のことだ。アミロイドは脳にたまり、脳神経に沈着して異常を引き起こすタンパク質だ。カスケードは英語で、何段にもつながった滝を意味する。つまり、アミロイドが脳にたまり始めることをきっかけに、何段かの過程を経てアルツハイマー病が発症すると考えられてきた仮説だ。もちろん、最初は仮説のひとつにすぎなかったが、この仮説を裏付けるような発見が相次ぎ、今では多くの研究者がこの仮説をもとに研究を進めている。今では、アミロイドが脳に沈着するようになった人間の患者を模したマウスの実験モデルも確立され、精力的な研究が進んでいる。
ところが、ここで大きな問題が明らかになった。アミロイドβが沈着するマウスは脳の機能異常と見られる症状を時に発症するものの、すべてのマウスが異常な症状を発症するわけではない。次の段階に進むために、研究者は脳の組織からアミロイドβを除去する薬を開発し、沈着したアミロイドβの除去にも成功したが、あまり神経症状に変化のないマウスが見られることもわかった。人間も同様で、脳に大量のアミロイドβが沈着していても、アルツハイマー病の症状を呈さない人がいる。逆に、アミロイドβが沈着していないのに、アルツハイマー病の症状を発症している患者もいる。こうなると、アミロイドβはアルツハイマー病の原因のひとつではないかと推定されても、唯一の原因と考えることには無理があるのではないかという議論も出てくる。ただ今でも、アルツハイマー病研究者の多くはこの仮説を立証するために全力を挙げている。著者はそれに真っ向から挑戦状を突きつけているわけだ。
著者の展開する議論は、評者のような門外漢にはわかりやすい。それはアルツハイマー病の研究コミュニティから距離をおき、研究の現状を中立的に見ているからだろう。コミュニティのなかにすっぽり身をおくと、全体状況が見えにくくなるというのはどういった研究の世界でも起きうる事象だ。
ここでアルツハイマー病研究について少し整理しておきたい。この病気が発見、記録されたのは1901年11月26日、ドイツ・フランクフルトの病院でだった。アウグステという女性が物忘れがひどく、性格も突然攻撃的になり、何から何まで夫が世話をしなければならなくなった。農業を営む夫は困り果てて病院を訪ねた。このとき診察したのが解剖学者から精神科医になったばかりの若き医師アロイス・アルツハイマー。彼は、顕微鏡で脳の組織や細胞構造を研究した経験がある。アルツハイマーは問診の記録を詳細に残した。アウグステは自分の名前を答えられたものの、入院した日(本当は前日)を3週間前と言ってみたり、昼食に何を食べたかと聞くと、カリフラワーと豚肉だったのにホウレンソウと答えたりするなど混乱していた。明らかに認知症の進行した人の姿であると判断された。アウグステはそのまま入院し、知的能力を取り戻せないまま1906年4月に同じ病院で亡くなった。そのころアルツハイマーは別の病院に移っていたが、アウグステを担当した医師から、患者が亡くなったと連絡が入り、脳を解剖することができた。解剖結果には「大脳皮質全体に……粟粒(ぞくりゅう)状の病巣がいくつも見られ、その原因は奇妙な物質が皮質内に堆積していることにある」と書かれていた。今では、この物質はアミロイドというねばねばした凝集タンパク質だということがわかっている。この堆積物がアミロイドβである。さらに脳の神経原線維も異常に変化してもつれていた。この発見はその年の精神科医の会合で発表されたが、あまり注目を浴びなかった。この発見を後押ししたのはアルツハイマーを指導し、当時のドイツ精神医学界で名声を確立していたクレペリンで、彼は精神医学総論という教科書の最新版にこの事実を書き込んだ。クレペリンはこの症例にアルツハイマー病という名前をつけ、新しい病気として紹介している。
その後、この病気は長く忘れられていた。2003年にアルツハイマーの生涯と研究成果について言及した論文では「この疾患--異常な組織構造上の兆候を備えた若年性痴呆--は非常に稀だったため、アロイス・アルツハイマーの名は50年あまりにわたって忘れられていた。状況が著しく変化したのは過去数十年のことである」と書かれている。アルツハイマーの記述した疾患は若年性痴呆の一種で、非常に稀なものだった。だが、それがどうして世界的に関心が広がっていくのだろうか。アルツハイマー病は65歳以降に発症するケースがほとんどだ。これより早く発症するのは早発型といわれ、急速に進行し、同じ症状が患者の家系に見られる。つまり遺伝性の強い疾患だ。これに対し、遅発型のほうは孤発性アルツハイマー病と呼ばれている。孤発性は医学用語で、「原因の見当がつかない」ということを意味している。むろん、原因遺伝子や原因物質はさまざまに探索されているが、その後、大きな前進はなかった。
病気の発見から90年ほど経った1995年ごろ、研究に大きな変化が出た。高名な研究者が「治療薬が5年以内に手に入ると自信を持って断言できます」と学会の場で述べた。アミロイドと呼ばれるたんぱく質の正体が突き止められたのだ。しかもこれはダウン症の患者の脳に沈着するアミロイドとも構造がかなりよく似ていた。多くの研究者が治療薬や治療法の開発に大きく近づいた、と考えたのも無理はない。
関連する研究からもアミロイドがアルツハイマー病の主因らしいことをうかがわせる証拠がいくつも上がってきた。「その考え方を始めて統合して詳述したのがアミロイドカスケード仮説であり、今日に至るまでそれがアルツハイマー病研究における主流の疾患モデルとなっている。不幸なのは、その支配的な立場がほかの仮説を抑圧するのに利用されたことである。価値ある仮説はいくつもあり、そのいずれもがアミロイドカスケード仮説の核となる考え方と程度の差はあれ親和性をもっていた。にもかかわらず抑え込まれたことで、私たちの研究の守備範囲から多様性が根こそぎ奪われた。アミロイド以外の研究論文の発表も妨げられ、ほかの仮説を研究しようとするグループへの研究資金も減らされた。(中略)想像にかたくないだろうが、このようにドグマを押しつける姿勢で研究に臨んだことが悲惨な結果をもたらし、悲しいかなその余波はいまなお消えていない。こんなやり方で人間の疾患を研究できるはずがない」。
評者はこうした事実を知らなかった。アミロイドカスケード仮説については聞いていたが、アルツハイマー病研究の中で中心仮説となり、他の説をもとにした研究に圧力がかかったり、不利益がもたらされていることなど知らなかった。こうした事実を著者はさまざまなデータをもとに詳しく明らかにしていく。第6章「国による基礎生物学への支援」では、連邦政府による研究資金の支援が著しくアミロイドカスケード説に偏っている現状が明らかにされる。アメリカでは連邦政府の研究資金は保健社会福祉省傘下の国立衛生研究所(NIH)を通じて行われている。NIH予算は年々増え続け、2020年には410億ドルに達した。円換算では5兆円を超える大きな金額だ。NIHが抱える研究所のひとつ、国立老化研究所(NIA)は1974年に設立された比較的若い研究所で、設立当初は十分な予算を確保するのに苦労していた。当時の所長は、予算獲得の手立てとしてアルツハイマー病研究を前面に押し出すことを思いつく。学界の権威とともにアルツハイマー病をできるだけ邪悪なものとして売り出し、病気の定義を大幅に拡充し、高齢期の痴呆のできるだけ広い部分を表すことにも奔走する。「この目論見はものの見事に当たった。それまでの認知度は低かったにせよ、これほどの恐ろしい病気を相手にするには予算もほかの資源もいるという理屈で、アルツハイマー病研究への連邦予算は大幅に増え始めた。現在のNIAは全予算26億ドルの3分の2近くをアルツハイマー病研究に費やしている。著者は、NIAがアルツハイマー病研究に対象を絞りすぎた結果、ほかの研究がおろそかになったと批判する。NIAは本来、人体の老化全般を研究するために設立されたが、度を越してアルツハイマー病関連研究に予算がつぎこまれている、と現状を告発する。
問題は連邦機関に限らない。次の章では製薬・バイオ産業の実態が明らかにされる。製薬産業もアミロイドカスケード仮説に賭けて莫大な資金を投じて、新薬を開発している。新薬開発はハイリスク・ハイリターンのビジネスだが、著者は「短期的な損得ばかりに頭がいって成果を挙げられなくなっている」と指摘する。通常、新薬の臨床試験は3相に分けて実施されるが、第2層と呼ばれる薬の効果を調べる試験で、はかばかしい効果が得られないにもかかわらず、多大な費用がかかる第3層試験に突き進んでしまう企業が少なくない。なぜ製薬企業はやみくもに第3相試験に突き進んでしまうのか。著者はこれを「科学ではなく企業の論理に基づくものだ」とみる。膨大な資金をつぎ込んだ新薬開発が失敗したとなれば、その企業の株価は大幅に下がり、法外な代償を支払わされる。中には大した成果が出ていないのに、「第3相ではひょっとするとうまくいくかもしれない」と、先に希望をつなごうとする研究者もいるそうだ。実際、バイオジェンの株価は臨床治験が一時、中止されたことで大幅に下がったが、会社が「データを見直し、その再分析の結果に基づいてアデュカヌマブ(治療薬の名前)のFDA承認を申請することを決定した」と発表すると、こんどは一気に上昇した。著者は製薬企業が企業利益を追求するかたわらで、「私たちは時間と金を空しく費やし、命を無駄にしている」と慨嘆する。
次の章で、著者はアミロイドカスケード仮説の検証に挑む。これはもちろん科学的で専門的な内容になる。結論を紹介すると、①ヒトでもマウスでも、健康な脳にアミロイドを加えたからといってアミロイドカスケードが始動することはない、 ②ヒトの場合、アルツハイマー病患者の脳からアミロイドを除去しても病気の進行は止まらない、③前駆体であるAPP(アミロイド前駆体タンパク質)からアミロイドを切り出せないようにしても、病気を食い止められないばかりか、ヒトでもマウスでも健康状態を損なう、という。「これだけの欠陥がある以上、私たちはアミロイドカスケード仮説を退けるべきである。アルツハイマー病へと至るカスケードがアミロイドβによって始動することはない。アミロイドに何の役割もないといっているのではない。仮説が検証に耐えずに落第したからといって、アミロイドが身体にいいことにはならない」。これが著者の導き出した明快な結論だ。
第9章は「アルツハイマー病とは何だろうか?」。ここで著者は、アルツハイマー病の定義に戻って考察する。実は病気の定義が拡張し続けているのだ。「一個の症例研究として出発したものが100年あまりのあいだにふくらんで、いまや加齢に伴うあらゆる認知症の大きな部分を指す呼称となった」。アルツハイマー病の診断基準を策定するたびに、定義の拡張が続けられてきた。それは基準を策定する研究者にとって、自説に有利な定義の拡張だった、と著者は喝破する。アルツハイマー病は感染症などとは違い、患者の病像がそれほど明確ではない。このため、あいまいな診断基準でも、それほど問題にならずに臨床で通用してきたこととも関係がありそうだ。
アルツハイマー病研究のあり方を鋭く批判する著者だが、第3部「では、ここからどうする?」で、やや明るい展望を指し示してくれる。著者はここで、老化の生物学に議論を戻す。老化は細胞ががん化していくこととも関係が深いが、細胞が持つDNAが長年の間に損傷を受け、修復しにくくなることとも関係すると考えられている。
第11章では著者が「アルツハイマー病の新しいモデル」を提示する。だが、これはかなり難しい専門的な議論なので、評者の手には余る。その次の研究戦略の多様化のほうが腑に落ちた。要はアルツハイマー病だけでなく、基本的な老化の研究を積極的に進めるべきだという提言だ。研究をアミロイドカスケード仮説に絞ってしまったため、老化全般の生物学的な研究が脇に置かれ、アルツハイマー病に関連する生物学的な研究課題は多くが手つかずのままに残ってしまった。それを再度、基本から進めて行こうという趣旨の提言だ。異論は多くないようにも思えるが、アミロイドカスケード仮説に沿って研究を進めきた研究者にとっては、研究途上での突然の路線変更は耐えがたいものがあるだろう。また研究予算の配分見直しの提言も、すでに潤沢な研究費の配分を受けていて既得権益を守りたいと考える研究者には大きな痛手となるだろう。著者は研究の方向性だけでなく、それに関連する機関や製薬企業の役割の見直しにも踏み込んで提言しようとする。
終章で著者は、「アルツハイマー病研究の歴史にはさまざまな要素が複雑に絡み合っている。そういう意味では、人類のどんな大掛かりな企てともたぶん何ら変わるところはない」。「そうはいっても、自分たちの犯した過ちについては、いくら楽しくないからといって目を背けてはいけない。それもまた成功と同じように私たちの物語の一部である。(中略)アルツハイマー病研究の歴史は、急いで治療薬を求めるあまりに袋小路に入り込み、道を見失った物語でもある。私たちはあまりにも長いあいだ――何を隠そう何十年も――学問より商売に重きを置いてきた。アミロイドに偏ったバランスを正し、この病気の本質に関する数々の注目すべき考え方を組み込むことは、少なくとも40年前になされていてもよかった。にもかかわらず、アミロイド以外の仮説は抑え込まれ続けてきた。どうしてもわからないのはその理由である。アミロイドカスケードというたったひとつの仮説になぜここまでの勢いがついて、当時議論にのぼっていたさまざまな代替モデルをロードローラーのようにことごとく押しつぶすまでになったのか。(中略)いくつもの仮説をつなぎあわせ、もっと詳細で、より広範囲をカバーできる包括的モデルをつくりあげる機会はいくらでもあったのに、私たちはその機会を逃してきた」。
評者から見ると、著者のこの発言は正しいように思える。科学をめぐり、産業界や政治が不当な動きをした結果が今日を招いたという指摘は腑に落ちるものがある。しかし、なぜここまで事態は「誤った」方向に進んでしまったのだろうか。本書は翻訳もわかりやすく素晴らしいが、残念ながら訳者あとがきや専門家による解説がない。それと似た役割をしているのが、みすず書房のPR誌「みすず」2023年9月号に掲載された「科学研究における『選択と集中』の罠」という書評だ。評者の仲野徹氏は大阪大医学部教授の病理学者だ。「アミロイドカスケード以外の仮説に基づいた研究はほとんどおこなわれていないのが現状だという。なぜか? 答えはシンプル、アミロイドカスケード仮説があまりに主流になりすぎて、それ以外の研究には十分な研究費が与えられないためだ。いわゆる『選択と集中』である」「選択と集中の問題はアルツハイマー病に限ったものではない。日本の研究費配分においても大きな問題だ。研究費は限られているのだから、ある程度の選択は必要かもしれない。しかし、それが小さな特定の領域に集中しすぎると、そこから漏れた研究がおこなわれなくなる。科学の歴史は、予期しなかった大発見に満ちている。過度の選択と集中は、そういった大発見を阻害する危険性が極めて高い」。本書に対する優れた解説ともなっている。本書に関心を持つ人は是非、この書評も読んでほしい。今もみすず書房のHPに掲載されている。