ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

アルツハイマー病研究、失敗の構造 カール・ヘラップ 梶山あゆみ訳 アルツハイマー病研究に衝撃的な告発の書

2024年03月29日 | 読書日記
アルツハイマー病研究、失敗の構造 カール・ヘラップ 梶山あゆみ訳 優秀な研究者、豊富な研究資金がなぜ成果を生まないのか 


 一読してその内容に愕然とした。世界のアルツハイマー病研究に真向から挑戦状を突きつける衝撃の書だ。著者はアメリカ・ピッツバーグ大医学校神経生物学教授で、香港科技大学生命科学教授を兼任している。アメリカ・スタンフォード大やイエール大、スイス・バーゼル大など各地の有名大学での研究歴を持つ細胞生物学者で神経科学の専門家。1999年から2005年まではオハイオ州クリーブランドにあるケース・ウエスタン・リザーブ大アルツハイマー病研究センターのディレクターを務めていた。そうした練達の科学者が世界のアルツハイマー病研究に関して、方向性が間違っていると言い放ったのだから、学界では大騒ぎになったのではないだろうか。

 その方向性とは現在、アルツハイマー病研究の主流となっているアミロイド・カスケード説だ。死後に患者の脳を調べると、アミロイドβ(ベータ)と呼ばれるたんぱく質が脳に沈着していることが多い。そのため、アルツハイマー病研究はこのアミロイドを患者の脳から取り除くことを目指して主に研究が進められてきた。日本のエーザイとアメリカの製薬企業バイオジェンがアルツハイマー病治療薬として開発した「レカマネブ」は患者の脳からアミロイドβを取り除くために開発された。すでに医薬品として認可されているが、臨床試験による効果は18カ月間の間にプラセボ(偽薬)を使った対照群に比べ、認知症のスコアで27%進行を遅らせる効果があった、というものだ。新薬認可の記事を見て、評者はこの程度の効果でも認可されるのか、と疑問に思った。素人の疑問なので、有効な治療薬のないところに登場した新薬は患者や家族にとって福音に違いない。ただこの薬の効能は患者や家族が目に見えて実感できるほど大きなものではないらしい。そうした状況を反映してか新薬認可を伝えた記事はややわかりにくいものだった。数百億円単位で投じられた(これよりはるかに多いはずの)研究開発費に比べると成果に乏しいのではないかという気がした。

 そうした疑問は本書を読んで、かなり晴れた。本書は、その原因が、現在のアルツハイマー病研究が「アミロイド・カスケード仮説」に偏した形で行われ、研究の方向性自体が正しくないからだと説く。全世界では数千の研究者が関わり、年間数百億円をはるかに上回る巨費が投じられている大掛かりな研究だ。だが、この仮説がアルツハイマー病研究のセントラル・ドグマ(中心命題)になったのは1990年代のことだ。アミロイドは脳にたまり、脳神経に沈着して異常を引き起こすタンパク質だ。カスケードは英語で、何段にもつながった滝を意味する。つまり、アミロイドが脳にたまり始めることをきっかけに、何段かの過程を経てアルツハイマー病が発症すると考えられてきた仮説だ。もちろん、最初は仮説のひとつにすぎなかったが、この仮説を裏付けるような発見が相次ぎ、今では多くの研究者がこの仮説をもとに研究を進めている。今では、アミロイドが脳に沈着するようになった人間の患者を模したマウスの実験モデルも確立され、精力的な研究が進んでいる。

 ところが、ここで大きな問題が明らかになった。アミロイドβが沈着するマウスは脳の機能異常と見られる症状を時に発症するものの、すべてのマウスが異常な症状を発症するわけではない。次の段階に進むために、研究者は脳の組織からアミロイドβを除去する薬を開発し、沈着したアミロイドβの除去にも成功したが、あまり神経症状に変化のないマウスが見られることもわかった。人間も同様で、脳に大量のアミロイドβが沈着していても、アルツハイマー病の症状を呈さない人がいる。逆に、アミロイドβが沈着していないのに、アルツハイマー病の症状を発症している患者もいる。こうなると、アミロイドβはアルツハイマー病の原因のひとつではないかと推定されても、唯一の原因と考えることには無理があるのではないかという議論も出てくる。ただ今でも、アルツハイマー病研究者の多くはこの仮説を立証するために全力を挙げている。著者はそれに真っ向から挑戦状を突きつけているわけだ。

 著者の展開する議論は、評者のような門外漢にはわかりやすい。それはアルツハイマー病の研究コミュニティから距離をおき、研究の現状を中立的に見ているからだろう。コミュニティのなかにすっぽり身をおくと、全体状況が見えにくくなるというのはどういった研究の世界でも起きうる事象だ。

 ここでアルツハイマー病研究について少し整理しておきたい。この病気が発見、記録されたのは1901年11月26日、ドイツ・フランクフルトの病院でだった。アウグステという女性が物忘れがひどく、性格も突然攻撃的になり、何から何まで夫が世話をしなければならなくなった。農業を営む夫は困り果てて病院を訪ねた。このとき診察したのが解剖学者から精神科医になったばかりの若き医師アロイス・アルツハイマー。彼は、顕微鏡で脳の組織や細胞構造を研究した経験がある。アルツハイマーは問診の記録を詳細に残した。アウグステは自分の名前を答えられたものの、入院した日(本当は前日)を3週間前と言ってみたり、昼食に何を食べたかと聞くと、カリフラワーと豚肉だったのにホウレンソウと答えたりするなど混乱していた。明らかに認知症の進行した人の姿であると判断された。アウグステはそのまま入院し、知的能力を取り戻せないまま1906年4月に同じ病院で亡くなった。そのころアルツハイマーは別の病院に移っていたが、アウグステを担当した医師から、患者が亡くなったと連絡が入り、脳を解剖することができた。解剖結果には「大脳皮質全体に……粟粒(ぞくりゅう)状の病巣がいくつも見られ、その原因は奇妙な物質が皮質内に堆積していることにある」と書かれていた。今では、この物質はアミロイドというねばねばした凝集タンパク質だということがわかっている。この堆積物がアミロイドβである。さらに脳の神経原線維も異常に変化してもつれていた。この発見はその年の精神科医の会合で発表されたが、あまり注目を浴びなかった。この発見を後押ししたのはアルツハイマーを指導し、当時のドイツ精神医学界で名声を確立していたクレペリンで、彼は精神医学総論という教科書の最新版にこの事実を書き込んだ。クレペリンはこの症例にアルツハイマー病という名前をつけ、新しい病気として紹介している。

 その後、この病気は長く忘れられていた。2003年にアルツハイマーの生涯と研究成果について言及した論文では「この疾患--異常な組織構造上の兆候を備えた若年性痴呆--は非常に稀だったため、アロイス・アルツハイマーの名は50年あまりにわたって忘れられていた。状況が著しく変化したのは過去数十年のことである」と書かれている。アルツハイマーの記述した疾患は若年性痴呆の一種で、非常に稀なものだった。だが、それがどうして世界的に関心が広がっていくのだろうか。アルツハイマー病は65歳以降に発症するケースがほとんどだ。これより早く発症するのは早発型といわれ、急速に進行し、同じ症状が患者の家系に見られる。つまり遺伝性の強い疾患だ。これに対し、遅発型のほうは孤発性アルツハイマー病と呼ばれている。孤発性は医学用語で、「原因の見当がつかない」ということを意味している。むろん、原因遺伝子や原因物質はさまざまに探索されているが、その後、大きな前進はなかった。

 病気の発見から90年ほど経った1995年ごろ、研究に大きな変化が出た。高名な研究者が「治療薬が5年以内に手に入ると自信を持って断言できます」と学会の場で述べた。アミロイドと呼ばれるたんぱく質の正体が突き止められたのだ。しかもこれはダウン症の患者の脳に沈着するアミロイドとも構造がかなりよく似ていた。多くの研究者が治療薬や治療法の開発に大きく近づいた、と考えたのも無理はない。

 関連する研究からもアミロイドがアルツハイマー病の主因らしいことをうかがわせる証拠がいくつも上がってきた。「その考え方を始めて統合して詳述したのがアミロイドカスケード仮説であり、今日に至るまでそれがアルツハイマー病研究における主流の疾患モデルとなっている。不幸なのは、その支配的な立場がほかの仮説を抑圧するのに利用されたことである。価値ある仮説はいくつもあり、そのいずれもがアミロイドカスケード仮説の核となる考え方と程度の差はあれ親和性をもっていた。にもかかわらず抑え込まれたことで、私たちの研究の守備範囲から多様性が根こそぎ奪われた。アミロイド以外の研究論文の発表も妨げられ、ほかの仮説を研究しようとするグループへの研究資金も減らされた。(中略)想像にかたくないだろうが、このようにドグマを押しつける姿勢で研究に臨んだことが悲惨な結果をもたらし、悲しいかなその余波はいまなお消えていない。こんなやり方で人間の疾患を研究できるはずがない」。

 評者はこうした事実を知らなかった。アミロイドカスケード仮説については聞いていたが、アルツハイマー病研究の中で中心仮説となり、他の説をもとにした研究に圧力がかかったり、不利益がもたらされていることなど知らなかった。こうした事実を著者はさまざまなデータをもとに詳しく明らかにしていく。第6章「国による基礎生物学への支援」では、連邦政府による研究資金の支援が著しくアミロイドカスケード説に偏っている現状が明らかにされる。アメリカでは連邦政府の研究資金は保健社会福祉省傘下の国立衛生研究所(NIH)を通じて行われている。NIH予算は年々増え続け、2020年には410億ドルに達した。円換算では5兆円を超える大きな金額だ。NIHが抱える研究所のひとつ、国立老化研究所(NIA)は1974年に設立された比較的若い研究所で、設立当初は十分な予算を確保するのに苦労していた。当時の所長は、予算獲得の手立てとしてアルツハイマー病研究を前面に押し出すことを思いつく。学界の権威とともにアルツハイマー病をできるだけ邪悪なものとして売り出し、病気の定義を大幅に拡充し、高齢期の痴呆のできるだけ広い部分を表すことにも奔走する。「この目論見はものの見事に当たった。それまでの認知度は低かったにせよ、これほどの恐ろしい病気を相手にするには予算もほかの資源もいるという理屈で、アルツハイマー病研究への連邦予算は大幅に増え始めた。現在のNIAは全予算26億ドルの3分の2近くをアルツハイマー病研究に費やしている。著者は、NIAがアルツハイマー病研究に対象を絞りすぎた結果、ほかの研究がおろそかになったと批判する。NIAは本来、人体の老化全般を研究するために設立されたが、度を越してアルツハイマー病関連研究に予算がつぎこまれている、と現状を告発する。

 問題は連邦機関に限らない。次の章では製薬・バイオ産業の実態が明らかにされる。製薬産業もアミロイドカスケード仮説に賭けて莫大な資金を投じて、新薬を開発している。新薬開発はハイリスク・ハイリターンのビジネスだが、著者は「短期的な損得ばかりに頭がいって成果を挙げられなくなっている」と指摘する。通常、新薬の臨床試験は3相に分けて実施されるが、第2層と呼ばれる薬の効果を調べる試験で、はかばかしい効果が得られないにもかかわらず、多大な費用がかかる第3層試験に突き進んでしまう企業が少なくない。なぜ製薬企業はやみくもに第3相試験に突き進んでしまうのか。著者はこれを「科学ではなく企業の論理に基づくものだ」とみる。膨大な資金をつぎ込んだ新薬開発が失敗したとなれば、その企業の株価は大幅に下がり、法外な代償を支払わされる。中には大した成果が出ていないのに、「第3相ではひょっとするとうまくいくかもしれない」と、先に希望をつなごうとする研究者もいるそうだ。実際、バイオジェンの株価は臨床治験が一時、中止されたことで大幅に下がったが、会社が「データを見直し、その再分析の結果に基づいてアデュカヌマブ(治療薬の名前)のFDA承認を申請することを決定した」と発表すると、こんどは一気に上昇した。著者は製薬企業が企業利益を追求するかたわらで、「私たちは時間と金を空しく費やし、命を無駄にしている」と慨嘆する。

 次の章で、著者はアミロイドカスケード仮説の検証に挑む。これはもちろん科学的で専門的な内容になる。結論を紹介すると、①ヒトでもマウスでも、健康な脳にアミロイドを加えたからといってアミロイドカスケードが始動することはない、 ②ヒトの場合、アルツハイマー病患者の脳からアミロイドを除去しても病気の進行は止まらない、③前駆体であるAPP(アミロイド前駆体タンパク質)からアミロイドを切り出せないようにしても、病気を食い止められないばかりか、ヒトでもマウスでも健康状態を損なう、という。「これだけの欠陥がある以上、私たちはアミロイドカスケード仮説を退けるべきである。アルツハイマー病へと至るカスケードがアミロイドβによって始動することはない。アミロイドに何の役割もないといっているのではない。仮説が検証に耐えずに落第したからといって、アミロイドが身体にいいことにはならない」。これが著者の導き出した明快な結論だ。

 第9章は「アルツハイマー病とは何だろうか?」。ここで著者は、アルツハイマー病の定義に戻って考察する。実は病気の定義が拡張し続けているのだ。「一個の症例研究として出発したものが100年あまりのあいだにふくらんで、いまや加齢に伴うあらゆる認知症の大きな部分を指す呼称となった」。アルツハイマー病の診断基準を策定するたびに、定義の拡張が続けられてきた。それは基準を策定する研究者にとって、自説に有利な定義の拡張だった、と著者は喝破する。アルツハイマー病は感染症などとは違い、患者の病像がそれほど明確ではない。このため、あいまいな診断基準でも、それほど問題にならずに臨床で通用してきたこととも関係がありそうだ。

 アルツハイマー病研究のあり方を鋭く批判する著者だが、第3部「では、ここからどうする?」で、やや明るい展望を指し示してくれる。著者はここで、老化の生物学に議論を戻す。老化は細胞ががん化していくこととも関係が深いが、細胞が持つDNAが長年の間に損傷を受け、修復しにくくなることとも関係すると考えられている。

 第11章では著者が「アルツハイマー病の新しいモデル」を提示する。だが、これはかなり難しい専門的な議論なので、評者の手には余る。その次の研究戦略の多様化のほうが腑に落ちた。要はアルツハイマー病だけでなく、基本的な老化の研究を積極的に進めるべきだという提言だ。研究をアミロイドカスケード仮説に絞ってしまったため、老化全般の生物学的な研究が脇に置かれ、アルツハイマー病に関連する生物学的な研究課題は多くが手つかずのままに残ってしまった。それを再度、基本から進めて行こうという趣旨の提言だ。異論は多くないようにも思えるが、アミロイドカスケード仮説に沿って研究を進めきた研究者にとっては、研究途上での突然の路線変更は耐えがたいものがあるだろう。また研究予算の配分見直しの提言も、すでに潤沢な研究費の配分を受けていて既得権益を守りたいと考える研究者には大きな痛手となるだろう。著者は研究の方向性だけでなく、それに関連する機関や製薬企業の役割の見直しにも踏み込んで提言しようとする。

 終章で著者は、「アルツハイマー病研究の歴史にはさまざまな要素が複雑に絡み合っている。そういう意味では、人類のどんな大掛かりな企てともたぶん何ら変わるところはない」。「そうはいっても、自分たちの犯した過ちについては、いくら楽しくないからといって目を背けてはいけない。それもまた成功と同じように私たちの物語の一部である。(中略)アルツハイマー病研究の歴史は、急いで治療薬を求めるあまりに袋小路に入り込み、道を見失った物語でもある。私たちはあまりにも長いあいだ――何を隠そう何十年も――学問より商売に重きを置いてきた。アミロイドに偏ったバランスを正し、この病気の本質に関する数々の注目すべき考え方を組み込むことは、少なくとも40年前になされていてもよかった。にもかかわらず、アミロイド以外の仮説は抑え込まれ続けてきた。どうしてもわからないのはその理由である。アミロイドカスケードというたったひとつの仮説になぜここまでの勢いがついて、当時議論にのぼっていたさまざまな代替モデルをロードローラーのようにことごとく押しつぶすまでになったのか。(中略)いくつもの仮説をつなぎあわせ、もっと詳細で、より広範囲をカバーできる包括的モデルをつくりあげる機会はいくらでもあったのに、私たちはその機会を逃してきた」。

 評者から見ると、著者のこの発言は正しいように思える。科学をめぐり、産業界や政治が不当な動きをした結果が今日を招いたという指摘は腑に落ちるものがある。しかし、なぜここまで事態は「誤った」方向に進んでしまったのだろうか。本書は翻訳もわかりやすく素晴らしいが、残念ながら訳者あとがきや専門家による解説がない。それと似た役割をしているのが、みすず書房のPR誌「みすず」2023年9月号に掲載された「科学研究における『選択と集中』の罠」という書評だ。評者の仲野徹氏は大阪大医学部教授の病理学者だ。「アミロイドカスケード以外の仮説に基づいた研究はほとんどおこなわれていないのが現状だという。なぜか? 答えはシンプル、アミロイドカスケード仮説があまりに主流になりすぎて、それ以外の研究には十分な研究費が与えられないためだ。いわゆる『選択と集中』である」「選択と集中の問題はアルツハイマー病に限ったものではない。日本の研究費配分においても大きな問題だ。研究費は限られているのだから、ある程度の選択は必要かもしれない。しかし、それが小さな特定の領域に集中しすぎると、そこから漏れた研究がおこなわれなくなる。科学の歴史は、予期しなかった大発見に満ちている。過度の選択と集中は、そういった大発見を阻害する危険性が極めて高い」。本書に対する優れた解説ともなっている。本書に関心を持つ人は是非、この書評も読んでほしい。今もみすず書房のHPに掲載されている。










 





 








 



疲労とはなにか 近藤一博 疲労やうつ病にヘルペスウイルスが関係するという大胆な仮説

2024年03月22日 | 読書日記
疲労とはなにか 近藤一博 疲労のメカニズム研究が生み出した新説は信頼できるのか


 著者は東京慈恵会医科大学ウイルス学講座教授。1958年生まれで大阪大医学部出身だ。母校の助教授を経て2003年から現職。2021年から慈恵医大疲労医科学研究センター長を兼務する。ウイルス研究者だが、疲労がどうやって起きるのか、世界的にも未解明とされる疲労のメカニズム研究に取り組み、ヒトヘルペスウイルスの一種が「関与」しているとみられることや、うつ病の原因遺伝子SITH-1(シスワン)を「発見」したことなどが主な業績だ。本書では、新型コロナウイルス感染後の長引く後遺症にもこのウイルスが関係していると指摘するなど、大胆な新説を発表して注目されている。ただこうした新説が講談社のブルーバックスという科学啓蒙を目的にした新書で紹介されているので、関連する学界で、どの程度支持、理解されているのかは疑問だ。主要な業績がiScienceという、あまり有名ではない学術誌で発表されているのも気がかりなところだ。

 書き出しからしてやや挑戦的だ。「疲労についての研究は日本が世界で最も進んでいる。その証拠に『過労死』は英語でも”Karoshi"のままで通用する、という話が、疲労に関する本にはよく書かれています。これは本当の話なのですが、だからといって決して、日本の疲労研究が非常に進歩しているというわけではありません。世界の疲労研究がとても遅れているのです」。その理由のひとつに疲労のとらえ方が日本と欧米では根本的に違うことがある、と指摘する。日本では、「疲れているのに頑張って働く」のはよいことと思われがちだが、欧米では疲れているのに無理をして働く人は、「自己管理のできないだらしない人」だと解釈されているという。これは確かにそうかもしれない。自己犠牲を美徳と見がちな日本と、そうではない欧米との間には大きな受け止め方のギャップが存在する。だから、欧米では疲労の問題は「自己管理」や「労働管理」の問題とされ、軽視されてきたという。「これが、世界的に疲労の研究が遅れている理由です」と解説する。納得する人もいるかもしれないが、長年の科学記者経験で、やや疑り深くなった評者は果たしてそうだろうか、とも思ってしまう。著者は、疲労が怖いのはそれが「過労死」につながることで、「過労死の原因の1番目に挙げられるのは、うつ病による自殺です」とたたみかける。さらに新型コロナウイルス感染が落ち着いた今も、感染者の長引く後遺症が問題になっていると指摘し、それにも「疲労」が関係していると大胆な自説を披露する。それならもう少し研究が進展してから紹介してもいいのではとも思うが、「本書では、いままさに疲労についての『生(なま)の研究』が進行しているさまを皆さんにお伝えしたいと思っています」と研究の生きの良さを売り込む。

 序章では「疲労」を科学することの難しさが語られる。まず「疲労」という言葉には「疲労感」と疲労感の原因となる「体の障害や機能低下」がある、と指摘する。機能低下はいろいろな形で測定できるはずだが、疲労感は簡単には測定できそうにない。痛みの感覚が人によって違うように、疲労感も客観的な測定は難しそうだ。ここで疲労感を測定する物差し、日本疲労学会の「VIsual Analogue Scale(VAS)」が紹介される。これはVASを0から10まで被験者が自分で記録する方式だ。もちろん、これだと自分の相対的疲労感は記録できても、他人との比較はできそうにない。

 ここでも気になったのは日本疲労学会という学会だ。医学関係の学会は無数といえるほど多いが、疲労学会はこれまで聞いたことがなかった。調べてみると、最近発足した小規模な学会で、著者はこの学会の理事をしている。ウイルスや労働衛生、精神衛生の分野でも学会はいくつも存在するので、著者の業績がこうした分野の主要な学会でどう受け止められているかも是非、知りたいところだ。

 ウイルス学者の著者はここで突然、ヘルペスウイルスを登場させてくる。著者が注目しているのはその中でも6番目に発見されたヒトヘルペスウイルス6(HHV-6)だ。「HHV-6は、ほぼすべての赤ちゃんに親や兄弟から感染し、突発性発疹を起こしたあと、ほぼ100%の人の体内で一生涯、潜伏感染を続けます。われわれは、この潜伏しているHHV-6が、残業がしばらく続いた、といった中程度の疲労によって再活性化することを見出しました。再活性化したHHV-6は唾液中に放出されるので、唾液中のHHV-6の量を測定することで、人がどのくらい疲労しているかがわかる可能性があることに気づいたのです」。

 ヘルペスウイルスは小さいころに感染した後、長年にわたって人体に潜伏し、中高年になって免疫力が低下すると突然暴れ出し、帯状疱疹の原因になることが知られている。評者も身近に、突然、帯状疱疹の症状が出て非常に困った人を何人も知っている。こうした事実に触れられていないのは少し残念だった。

 第2章は「慢性疲労症候群」。著者は慢性疲労症候群が、HHV-6と関係していると見立てている。この病気は30年ほど前、アメリカや日本で患者が相次いで発見され、にわかに注目された。今では日本だけでも8万人以上の患者がいるという。6か月以上の持続的な疲労感のほか、免疫系、内分泌系など多系統の病態が関与する慢性疾患だ。この病気は、初期に流行性疲労病ともいわれたそうだ。著者が、患者とみられる人のHHV-6感染を調べたところ、100%感染していたことがわかった。だが、問題はこのとき、健康な人を調べていなかったことだ。このウイルスはほとんどすべての人が子どものときにかかるので、健康な人もほとんどが感染している。つまり健康な人も同様に感染している。これだとウイルスが慢性疲労症候群とどう関係するのかどうかはわからない。慢性疲労症候群いう言葉も最近はあまり聞かれなくなったが、これは名称へのクレームが相次いだことも原因のようだ。今では筋痛性脳脊髄炎と呼ばれているそうだ。英語での略称は「ME/CFS」。これも原因はさまざまに考えられ、何らかのウイルス(エプシュタイン・バーウイルス、ヒトヘルペスウイルス6など)、自己免疫説などいくつもの原因が提唱されている。著者はこの病気の患者には脳内で炎症が発生している、と指摘している。生きている人の脳内を調べるのはきわめて難しいので、これもまだ研究途上にあるのだろう。

 この次が最近、患者が増えて職場や家庭で大きな問題になっているうつ病との関係だ。「われわれは最近、うつ病を引き起こす危険因子であると考えられる遺伝子が、HHV-6が宿主の体内で潜伏感染しているときに産生されているのを発見することができました。この遺伝子をわれわれは『SITH-1』(シスワン)と名づけました」「SITH-1がつくるタンパク質に反応して派生される抗体をうつ病患者が持っているかを調べたところ、約80%のうつ病患者が陽性でした。そして陽性の場合のうつ病になりやすさは、陰性の場合の12.2倍にものぼることがわかりました」。

 うつ病の原因はわかっていないが、いくつかの仮説がある。①心因説(つまり病気とはいえない)、②モノアミン仮説、セロトニン仮説、③脳内炎症説などだ。モノアミン、セロトニンは脳内で作用する神経伝達物質の一種だ。今、もっとも有力視されているのが脳内炎症説だという。「うつ病の原因が脳の炎症であるという説は、死亡した患者の脳の調査や、うつ病患者のPET検査、実験的に脳に炎症を誘導した動物による実験結果など多くの検査から、ほぼ確かであると考えられています。すると、うつ病の原因はなにかという問題は、『うつ病患者での脳の炎症の原因はなにか』という問題に絞られてきます」。

 ここで著者が発見したというSITH-1が登場する。マウスでの動物実験をもとに、遺伝子の探索に着手する。HHV-6が潜伏感染中に発現する潜伏感染遺伝子を探索したところ、2種類の遺伝子を発見することに成功した。そのひとつが疲労を感知してHHV-6を再活性化させる機能を持つ遺伝子、もうひとつが著者がSITH-1と名づけた遺伝子だ。この遺伝子は最初、ORF159と呼ばれていたが、映画スターウォーズに登場する暗黒卿SITHの名前を借りることにしたという。スターウォーズなら英語で論文を書くのにも都合がいいという判断もあったようだ。この暗黒卿は「人をダークサイドに落とす」という枠割を担っていて、ぴったりの役名だと考えられた。SITH-1にうつ病を起こさせる環境要因にはストレスと疲労があるという。

 評者にとっては今もつらい経験だが、四半世紀前、優秀で将来を期待されていた同僚をうつ病で亡くした苦い思い出がある。仕事による過度のストレスから発症したようだが、ふだんは穏やかで何事にも丁寧な性格の人が、ある日、久しぶりに会った評者が声をかけても反応しなくなった。医師からはうつ病と診断され、抗うつ薬も処方されたようだが、自宅療養中、家人のすきを見て、家を抜け出し発作的に自殺を図った。発見が早く、いったんは命を取り留めたものの、残念なことに数日後、亡くなった。将来を嘱望されていた人で、今でも残念でならない。日本ではうつ病で自死する人が後を絶たない。うつ病の原因がはっきりして、薬だけでなく有効な対処法が確立すれば、患者や家族だけでなく、社会にとっても大きな福音になるはずだ。

 第4章は新型コロナの後遺症だ。著者は新型コロナの後遺症と慢性疲労症候群の類似性に着目している。新型コロナ後遺症は、急性症状が消えてからも2か月以上何らかの疾患が続く疾患と定義されている。頻度が高い症状としては倦怠感とうつ症状が挙げられている。一方、慢性疲労症候群は、倦怠感とうつ症状が6か月以上続く疾患なので、両者はよく似ている。著者はこの類似性に注目し、新型コロナ後遺症でも脳内に炎症が起きているのではないかと考えた。新型コロナウイルスは人の脳では増殖しないが、実験でマウスに脳内炎症を引き起こしたところ、うつ症状を発症した。このマウスにはアセチルコリンという神経伝達物質が不足していて、それが脳内炎症発症の原因とわかったという。

 著者はこのことからアセチルコリン分解酵素阻害薬のドネペジルがうつ病治療に効果があるのではないか、と考えている。ドネペジルはアリセプトという名称で薬として販売され、すでに認知症の治療に使われて一定の成果を上げている。著者によると、すでに新型コロナ後遺症の治療薬としても臨床試験が始まっているという。著者の期待通り、うつ病や新型コロナ後遺症の治療薬としても、効果が確認され、患者の治療に効果を挙げられるといのだが。

 第6章は「人類にとって疲労とはなにか」。ここではあまり科学的でなく、やや荒唐無稽とも思われるような議論も出てくる。そのひとつが「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の生存競争」だ。ネアンデルタール人は約30万年前には出現していて、主にヨーロッパに住んでいたと考えられている。このころアフリカを出たあと、ヨーロパに住んでいたホモ・サピエンスは一時、ネアンデルタール人と共存していた。その後なぜかネアンデルタール人は滅び、ホモサピエンスだけが生き残った。ネアンデルタール人が滅びた原因についてはいくつかの説があり、まだ解明されていない。著者はここにもSITH-1が関与しているのではないか、と大胆な自説を提示する。SITH-1は約7万年前にホモ・サピエンスの社会に入り込んだと考えられるという。元々はサルの持っていたウイルスで、それがホモ・サピエンスに入り込んだという。SITH-1を産生するのはHHV-6で、サルから入り込んだこのウイルスがホモ・サピエンスの間で広がり、ネアンデルタール人には入り込まなかったという。著者によると、SITH-1はうつ病の原因になるだけでなく、マウスによる動物実験の観察では「不安を亢進する」作用があることがわかった。この作用によって、体力で劣るホモ・サピエンスの集団がネアンデルタール人の集団を襲い、滅ぼしたのではないかと推測する。まだ到底、科学的な推測や推論とは言えないと思うが、著者は大まじめにこの仮説を説明する。ネアンデルタール人の骨のDNAの解析から、われわれも数パーセントはネアンデルタール人のDNAを持っていることが確かめられている。ただSITH-1との関係はまったく未解明で、これは著者の想像するサイエンス・フィクションでしかない。著者はこの種の空想や夢想が好きなのかもしれないが。

 「おわりに」のところで、著者は、本書の結論は「『疲労とは脳の炎症である』ということになると思います」と断言する。そのうえで、「脳の炎症は、うつ病、アルツハイマー病、慢性の疲労、そして新型コロナ後遺症など多くの疾患の原因となっています。今後は、発生のメカニズムとともに、脳の炎症による疾患発症のメカニズムについても、さらに解明を進めていかなければなりません」と述べる。この章のポイントとして著者は、「疲労そのものをなくそうとすることは危険である。SITH-1や、うつをなくそうとすることも得策ではない」「人類は疲労やうつとうまくつきあっていくしかない」と指摘している。これはごく常識的な結論で、拍子抜けするほどだ。確かにそれはその通りだろう。結論はまあこれでいいとしても、肩透かしされたなと感じる読者も少なくないだろう。ただ著者が、自分が発見したSITH-1にこだわりすぎのようにも思えるので、本当にそれで大丈夫なのかという気もしてしまう。いい例えではないが、たまたま歯科医院に行って、普段から困っている肩こりも腰痛も足の痛みもすべて、かみ合わせがよくないことから来ていますと言われ、本当かなとちょっと疑いたい気分になるのと似ているような気もする。

 本書を読み終えて、評者はこのテーマをさらに深く知りたい人向けの参考文献や参考資料が不可欠だ、と思った。大胆きわまる著者の新説が専門家の間で、どれくらい支持され、理解されているのか(あるいは理解されていないのか)も知りたい。こうした点にいっさい触れられておらず、何の情報もないのも、科学啓蒙書としては相当不親切だと思う。あるいはこれは編集者のほうの問題なのかもしれないが。専門家の間で、じっくり侃々諤々の議論をしてもらい、一般人にもわかるように整理して伝えてもらいたい。でないと新説というより、奇説、珍説まがいと見られて、熱烈な信奉者と、こうした考え方になじめない人に分かれて、その分断が加速してしまうことにつながる。こうした問題に関心のある人は少し批判的に読み進めていくと、興味深い論点や視点が次々に現れて尽きないはずだ。著者には是非、科学啓蒙的な視点だけでなく、こうした研究やその内容、成果には批判的な視点をも包摂した一般向けの書物を書いていただきたいと強く思う。












 





 


南海トラフ地震の真実 小沢慧一 南海トラフ地震の異様に高い発生確率は本当に信用できるのか?

2024年03月15日 | 読書日記
南海トラフ地震の真実 小沢慧一 南海トラフ地震の発生確率はどこから導き出されたのか?



 著者は1985年生まれの中日新聞(東京新聞)記者。社会部科学班に所属している。
今後30年以内の南海トラフ地震の発生確率は70~80%と予想され、きわめて高いが、それに疑問を持つ研究者の発言に関心を持って取材を始めた。その数字が科学的には根拠が薄弱なことを突き止め、この数字をもとに国の予算がえこひいきされている状況を明らかにした。上司からの指示ではなく、独自判断での取材だった。中日新聞での連載は2020年に日本科学技術ジャーナリスト会議の科学ジャーナリスト賞を受賞、その後出版された本書には2023年に菊池寛賞が贈られている。表現は平明で読みやすい。大手の新聞社だとこうしたテーマには通常、数人のチームを組むが、著者は独力で取材を完結した。その熱意と持続力にも感嘆する。

 それにしてもいつも、狼少年のように、南海トラフ地震が起きれば関東から九州までの太平洋沿岸の広大な地域で、大津波などで何十万人もの人が犠牲になる、被災者の数だろうか。現時点で予想される南海トラフ地震の発生確率が下がっても、そうした地震が起きないというわけでは決してなく、切迫度が多少下がったにすぎない。今から13年前の2011年3月11日午後発生し、約2万2000人の死者・行方不明者と福島第一原発事故を引き起こした東日本大震災以降、多くの犠牲者を出したのは2016年4月14日の熊本地震、2018年9月6日の北海道胆振東部地震、2024年1月1日の能登半島地震などがある。地表を覆う大きなプレートの境界にある日本列島周辺ではこれからも被害地震が起きる。その意味で日常的な防災対策や防災意識はきわめて重要だ。だが、南海トラフの巨大地震が切迫していることばかりが叫ばれると、他の地域は「相対的に安全だ」と誤認される可能性もある。1995年1月に起きた阪神・淡路大震災(M7.3)は兵庫県を中心に6000人以上の犠牲者を出したが、関西は大地震が起きないという妙な安全信仰が広がり、油断が被害を広げる結果につながったとも言われる。南海トラフ一辺倒の報道が他地域での警戒を弱め、対応や対策に遅れを取るようなことがあってはならない。

 著者がこの取材を始めたのは2018年2月。名古屋で防災分野を担当していて、政府の地震調査委員会が南海トラフ地震の30年以内の発生確率を「70%程度」から「70~80%」に変更すると聞きつけ、旧知の名古屋大鷺谷威教授(地殻変動学)に電話を入れたときからだ。だが、教授の返答は意外なものだった。「南海トラフ地震の確率だけ『えこひいき』されていて、水増しがされています。そこには裏の意図が隠れているんです」「個人的には非常にミスリーディングだと思っている。80%という数字を出せば、次に来る大地震が南海トラフ地震だと考え、対策も焦点がそこに絞られる。実際の危険度が数値通りならいいが、そうではない、まったくの誤解なんです。数値は危機感をあおるだけ。問題だと私は思う」。この言葉に著者は困惑する。「南海トラフだけ、予測の数値を出す方法が違う。あれを科学と言ってはいけない。地震学者たちは『信頼できない』と考えています。他の地域と同じ方法にすれば20%程度にまで落ちる。同じ方法にするべきだという声は地震学者の中では多いんです。だが、防災対策を専門にする人たちが、今さら数値を下げるのはけしからん、と主張しています」。これをデスクに報告すると、「(発生確率の変更は)そんなにでかでかと書かない方がいいな。粛々と報じよう」と理解してくれた。

 2018年時点での「70~80%」への変更は、2013年の評価(70%程度)が発表されてから5年も経っている。著者が「どれくらい知られている話なんですか」と聞くと、鷺谷教授は「確率の決定の経緯は、当初マスコミに知られることを恐れて、表に出されていない話なんです。過去に別の新聞の科学部の記者さんにお話したことはありますが、記事にはなりませんでした」と教えてくれた。教授はこれを決めた委員会の議事録が残っているはずだ、とヒントをくれた。所管の文部科学省に情報公開請求すれば出てくるかもしれないという。そこで著者は初めて情報公開請求に取り組む。これは情報公開法に沿って、誰でも行政機関が持つ資料を請求できる制度だ。請求方法は各行政機関のホームページに出ている。数百円程度の手数料が必要だが、「行政文書開示請求書」に必要事項を記入し、送付すると30日以内に開示、不開示の決定がされて通知される。著者の場合は名古屋から文科省に請求書を送り、開示の決定を受けて手数料を支払い、ほどなく文書のコピーが送られてきた。議事録には2012~13年に政府の地震本部の専門機関で、地震学者が中心になって構成された「海溝型分科会」での発言がそのまま掲載されていた。開催日時や参加者は記されているが、発言者の名前は伏せられて記号になっている。これは情報公開法で、個人に関する情報は不開示にできると定められているからだ。議事録の内容は興味をそそるものだった。

 「%%委員 『確率計算を以前のやり方で今やれば、70%か80%という30年確率が出てくると思うが、やり方一つ変えれば20%にもなる数字だということは、どこかに含ませておくべきではないか』」。別の委員は「全国地震動予測地図で南海トラフだけ時間予測モデルを使っていることはおかしい。確かにそこだけ赤くなる(=高確率を示す)が、本当にそれが科学的に正しいのかということをきちんと見直す必要がある。時間予測モデルを使っているのは南海トラフだけである」「%%委員 2002年にパークフィールド(米国)の地震をもって時間予測モデルが破綻しているという論文がネイチャーに出ていた。時間予測モデルに対する批判や検証が必要だということは研究面からいろいろ出ている」。

 著者は2018年にこの議事録を見て、こうした議論が6年前に行われていたにもかかわらず、「なぜそうした経緯を説明することなく(高い発生確率を)公表したのか。全てのメディアがそのまま報じたことに、怒りと悔しさ、情けなさを感じずにいられなかった」と憤る。このモデルは実は、高知県室戸岬近くにある室津港1か所のデータで計算されていた。南海トラフ地震は静岡県から九州までの広い範囲で起きると考えられている。それがなぜ1か所のデータで計算するのか。このデータを採用しなければ、高い確率にはならず、20%ほどの低い確率しか弾き出されない。事務局はそこを心配していた。同じ議事録によると、事務局の担当者は、「問題はこれ(時間予測モデル)を否定してしまうかということである。否定してしまうと、今までの60%という数字は消える」と正直だ。これについて、「ΘΘ委員 『サイエンスの議論をさせてもらうのであれば、やはり残すのは妥当ではないと思う。少なくとも、この委員会では時間予測モデルは妥当ではないという意見があるわけで、それを出すのは納得できない』」。このモデルは01年の評価の時に採用された。分科会では、「前回の経緯はよく知らないので、どうして時間予測モデルを敢えて採用したのか知りたい」という意見も出た。これは地震学者の島崎邦彦氏が提唱したモデルだ。地震本部長期評価部会の部会長のほか、海溝型分科会の主査も務めた地震学界の重鎮だ。福島第一原発事故を受け、2012年に発足した原子力規制委員会の委員長代理に就任したのを機に地震本部の役職は辞任している。

 すぐに取材を申し込んだが、多忙を理由に断られ、メールでやりとりする。時間予測モデル導入の経緯を聞くと、01年評価検討時の議事録を調べるようアドバイスがあった。早速、文科省に議事録の情報公開請求をする。だが、この時の議事録は海溝型分科会の議事録と違って発言内容の逐次記録ではなく、発言の要約だった。ここでも時間予測モデルの導入に少数ながら批判的意見があったことがわかった。島崎氏はメールでのやりとりで、「防災の観点で、現在の防災対策としては時間予測モデルでやれば2040年ごろ、つまり今世紀前半、単純平均モデルにすると今世紀後半になってしまう。低い値にすると、今すぐ何もすることはないと受け取られる」と答えてきた。「(この言いぶりは)科学的観点というよりは、確率を高く出しておいた方が防災対策を進めるうえで都合がいいという行政的な理由を優先したと受け取れる」と著者は書く。この点を詰めると、こんどは別の委員の名前を出して時間予測モデルを使った理由の説明にしてきた。モデルの採用に関してはさまざまな議論があった。著者がさらに取材したところ、最終的に時間予測モデル採用を決めたのは2001年当時、地震調査委員長だった津村建四朗氏とわかった。津村氏にも取材したところ、導入を決めたことを認めたうえで、「元々私のところに上がってきた確率の原案が『21世紀中に地震が起こる可能性が高い』という程度の表現だったんです。それを見て、私は『この程度じゃ防災につながらないだろう』と、もっと切迫性があるものを考えるべきだと思ったんです」。津村氏も今では時間予測モデルに批判が多いことを考慮し、このモデルの採用には懐疑的になっている。この間の研究者とのやりとりは迫力がある。関心のある方は是非、本書で経緯を知っていただきたい。学界の重鎮を相手に、突っ込んだやりとりを続けるのはベテラン記者でも簡単なことではない。

 ここまでが第一章の「えこひいきの80%」。第二章は「地震学者たちの苦悩」。地震学者たちの時間予測モデル採用への懐疑や批判に対し、防災側の委員から猛反発が起きる。海溝型分科会の上部組織に当たる政策委員会からだ。政策委員会には防災専門家や行政担当者が多く入っている。海溝型分科会の委員が時間予測モデルの問題点を説明したところ、「防災側の人から確率を減らされては困るという発言が大分あった」とか、「確率を下げることによって、一般の人だけではなく、実際に防災をやっている人たちの取り組みが遅れることになるという意見も出ていた。厳しい意見が出ることは想像していたが、それ以上に強い意見が出ていた」「自治体や建設業界の委員は、(中略)とにかく確率が下がることは困るという意見だった」。

 「議事録の行間からは、委員が想定以上の反発に冷汗をかく姿や、専門家として提案した内容を足蹴にされたことに悔しさをかみしめる表情など、ぴりぴりとした雰囲気が想像された」。この議論の後、反発の強さを考慮し、報告書には時間予測モデルと単純平均モデルの結果を両論併記する方向になった。しかし、結果的には両論併記にならず、時間予測モデルだけが報告書の主文に残った。疑問を持った著者は当時の委員や文科省の担当者20人近くに総当たりで取材した。地震学が専門の産業技術総合研究所の宍倉正展氏は「『納得しているかと言われたら、しているとは言えないけれど、行政判断だから仕方がなかったんです』と苦々しく振り返った」。当時、海溝型分科会主査だった東大地震研教授の佐竹健治氏は上部機関である地震調査委員会の委員も務めていた。地震本部は調査委員会と政策委員会の二本立てになっている。佐竹氏は「政策委員会の意見を聞いたことは今までなかった。かなり特殊な案件でしたね」と話した。教授は時間予測モデルの採用には当時、地震調査委員長だった本蔵義守東工大特任教授の判断が大きかったと説明した。一方、時間予測モデルの採用に強い異論を述べたのは京大防災研教授の橋本学氏だった。橋本氏はメールでの取材に「『時間予測モデルには問題があり、このメンバーで議論した結果、確率は下がることになった』と正直に述べるべきだと思います」と答えている。著者は直接、防災研を訪ねて取材する。橋本氏は時間予測モデルの信ぴょう性を疑う理由に、「元データとしている室津港の海底の隆起量にどれだけ信ぴょう性があるかという問題もあるんですよ」とも教えてくれた。

 著者は地震調査委員会の政策委員会、総合部会の合同委員会の議事録を入手しようと試みる。これが役所側の執拗な抵抗に遭った。ようやく手に入れた合同部会の議事録では、防災側委員が地震学者を激しく追及したことが伝わってくる。「私たち、もうさんざん(高確率を導く)時間予測モデルで頭を洗脳されているんですよね。多分そういう人が世の中にはすごく多いはず」「ものすごい混乱を(社会に)引き起こす」。著者は最終的に両論併記を採用しなかった経緯も当時の事務局担当者に取材した。この間の取材の成果は中日新聞の「ニュースを問う」という特集面に、2019年10月20日から12月1日まで7回掲載された。これが翌年科学ジャーナリスト賞を受ける。

 読者からの後押しもあって著者は時間予測モデルの検証にも取り組む。その根拠になったのは東京帝大今村明恒教授(1870‐1948)の論文だ。今村氏は地震学の泰斗で、1905年の段階で、関東大震災(1923年)の発生を事前に警告した気鋭の学者として知られている。橋本教授に、1930年に地震学会誌に掲載された今村論文を教えてもらい、調べることにした。この論文には南海トラフ地震のひとつ宝永地震(1707年)の発生前、宝暦9(1759)年、その後(1765年)の3回にわたって室津港の水深を測量した記録が出ている。驚くべきことに、この90年以上前の論文が時間予測モデルの根拠になっていた。これは江戸時代に室津港の港役人だった久保野家に伝わる古文書の記録で、「久保野文書」と呼ばれている。

 著者は「久保野文書」を探すことから始めた。室戸市役所に連絡すると、文書はわからないが、久保野家の末裔の人は見つかったと連絡がきた。久保野文書を保管し、今村教授が1930年に面会したという久保野繁馬氏の孫の久保野由紀子さんだった。史料は自宅のたんすの中にしまっているという。その後、地震研究者が原典を見に訪れたことはないようだ。時間予測モデルは南海トラフ地震が切迫していることの最大の根拠で、南海地震対策には2013年から23年までの間に約57兆円、2025年までに国土強靭化対策として、さらに15兆円の事業が実施される予定だ。地震調査関係でも毎年約100億円の予算がついている。2020年8月、著者は名古屋の中日新聞から東京新聞社会部に異動し、持ち場が東京地検特捜部になった。さらにコロナ禍で、出張取材はままならなくなった。上司からは「二足のわらじをはけ」と激励されたが、特捜部担当にそんな時間的余裕はない。

 文科省が議事録の開示を渋ったのには理由があった。政策委員会、総合部会の合同部会が大荒れになっていたのだ。防災側の委員が地震学者を手厳しく追及していた。「私たち、もうさんざん(高確率を導く)時間予測モデルで頭を洗脳されているんですよね。多分そういう人が世の中にはすごく多いはず」「ものすごい混乱を(社会に)引き起こす」。取材では、当時地震調査委員会の委員長を務めていた本蔵氏が独断で時間予測モデルの採用を決め、異論を押し切ったようだ。

 著者はその後、久保野文書に遭遇する。2022年4月のことだ。文書を自宅に保管していた久保野繁馬氏の孫の由紀子さんに会うことができた。だが、文書は散逸を恐れた由紀子さんの意向で高知市の高知城歴史博物館に寄託されていた。歴史博物館でようやく久保野文書と対面する。学芸員の助けを借りて文書を解読し、写真に撮って持ち帰った。東京では京大から東京電機大特任教授に転じていた橋本氏のチームの力を借りて文書の解読に挑む。そこで意外な発見があった。大地震が起きるたびに隆起する港の機能を維持するため、港は毎年、大規模な浚渫を繰り返していた。しかも久保野文書にある水深の記録は久保野家の測量結果ではなく、港役人の測量を転記したものだった。むろん測量時期や測量地点、測量方法など詳細は残っていない。さらに宝永地震の前後も含め、室津港は毎年、数千人の人出で浚渫が行われていたことがわかった。こうした問題点は今村論文には指摘されていない。

 このデータをもとに島崎氏に再取材する。島崎氏はむろん、久保野文書は初見で、データのあいまいさは認めたものの、時間予測モデルを撤回することはなかった。データの正確性が不明ならその部分を削除すればいいという判断だった。こうしたデータをもとに著者は地震調査委員会の幹部にも見解を求めるが、わかりやすい返答はなかった。著者はこの取材をもとに2022年9月11日の東京新聞1面トップに、「『南海トラフ地震』確率に疑義」の記事を書く。脇見出しに「根拠の地盤変化 工事原因の可能性」「70~80%→再検討を」とある。著者による「備え必要 変わりなく」という解説も出ている。評者は抑えと目配りの行き届いた優れた記事だと思った。

 著者はさらに取材を続ける。日本の地震予知を厳しく批判する東大のロバート・ゲラー名誉教授は、「前兆現象はオカルトみたいなものです。(中略)予知が可能と言っている学者は全員『詐欺師』のようなものだと思って差し支えないでしょう」とまで言い切った。ほかにも予知に批判的な学者はいるが、メディアで大きく扱われる機会は少ない。それは地震学者の大勢が予知を完全には否定せず、大規模に流れ続ける地震対策予算の恩恵に預かり続ける「地震ムラ」に属していることと関係していそうだ。さらに政治が極端な被害想定をもとに、予算獲得に利用しようとしている。2012年に与党に復帰した自民党は国土強靭化計画が看板の政策だ。この計画には公共インフラの整備に湯水のような予算がつぎ込まれている。だが、肝心の被害防止や軽減となるとはなはだ心もとない。評者は元日に発生した能登半島地震の惨害が気になってならないが、幹線道路など肝心のインフラが2か月以上経っても回復していないのを見ると、何のための国土強靭化だったのかと慨嘆せざるを得ない。

 本書を読んで、若手記者の探究がこれほど大きな成果を挙げたことに快哉を叫びたいが、同時に原発事故当時の原子力と同様、科学や技術の世界に今も強く残るボス支配やムラ体質に大きな失望を禁じ得ない。だが、一人の記者の取材がここまでの道のりに到達したのは大きな救いだ。若手記者に自由な取材を容認する中日新聞(東京新聞)の懐の深さにも感心した。第二、第三の小沢慧一記者の登場を強く期待したい。