ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

恐竜まみれ 小林快次 恐竜化石を求めて世界を駆け回る研究者の奮闘記

2023年06月17日 | 読書日記
恐竜まみれ 小林快次 日本初の恐竜全身骨格を発掘した専門家の痛快きわまる研究生活



 面白いタイトルだ。副題は「発掘現場は今日も命がけ」。命がけというのはやや大げさな気もしたが、冒頭に登場するアラスカでの発掘体験記を読むと、それほど誇張ではないことがわかる。その発掘現場には体重500キロはあろうかという巨大なグリズリー(ハイイログマ)が数メートルという至近距離に登場した。クマと対峙する人間が持つのは散弾銃とクマよけスプレーだけ。人間にとっては危機的な瞬間だが、現場はもともと野生生物が多く生息するアラスカの自然公園のど真ん中。クマの縄張りに人間が侵入しているわけで、ある意味では当然ともいえる事態なのかもしれない。著者は北大総合博物館教授の恐竜学者で、日本初の恐竜の全身骨格「むかわ竜」を発見した研究者として知られている。本書を読むまで、恐竜学者がこれほどエネルギッシュに世界をまたにかけた活動をしているとは知らなかった。恐竜の化石が多く発見される福井県の出身で、小さいころから化石に魅せられ、一時はアンモナイトの化石に夢中だった。恐竜学者を志して日本の大学に進んだものの、一時期しか在籍せず、渡米してワイオミング大地質学地球物理学科を卒業、やはりアメリカにあるサザンメソジスト大で博士号を取った。ワイオミング州も恐竜化石が多く出ることで知られる。当時からのつながりをもとに、アメリカ、カナダの恐竜研究者と年中、アラスカ、カナダ、モンゴルなどで発掘調査に飛び回っている。

 評者も恐竜には関心がある。ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館やワシントンのスミソニアン自然史博物館の巨大な恐竜骨格標本を最初に見たとき、その巨大さや精緻さに圧倒された。科学記者としてワシントンにいた時には、カナダ西部のアルバータ州にある、世界的に有名なロイヤル・ティレル古生物学博物館を取材し、恐竜学の奥深さと近年の研究の進展ぶりに驚かされた。

 その時、取材で出会ったアルバータ大教授のフィリップ・カリー博士が著者の研究の同僚と知って驚いた。アルバータ大は州都エドモントンにあるが、同州最大の都市カルガリーから200キロほど離れたドラムヘラーという小さな町にロイヤル・ティレル古生物学博物館がある。ここにはバッドランドと呼ばれる恐竜化石が多数発掘されている地層の近くだ。この地域はユネスコの世界遺産に指定され、これまでに700体もの恐竜化石が発掘されている。なぜこんなに恐竜化石が多く見つかるのかと聞くと、恐竜の大生息地が近かったうえ、恐竜たちが生息していた地域で、大洪水が発生し、洪水から逃げようとした恐竜たちが大量におぼれ死んだ痕跡ではないかという推測だった。近くの地層は7500万年から7600万年前の恐竜全盛期の白亜紀後期のものだ。恐竜についてほとんど知らなかった評者は、これほどの恐竜化石が狭い地域で発見され、原因について大胆きわまる仮説が提示されていることに文字通り仰天した。

 カナダの(あるいは北米の)恐竜研究は実に盛んで、大量の恐竜化石や恐竜の生態を知ることのできる関連化石などの資料や調査をもとに、恐竜の生態や生活にまで研究が及んでいる。たとえば地面に残された恐竜の足跡化石をもとに、恐竜の歩行速度を推定したり、多数の足跡化石や足跡の分布から、恐竜の親子や家族(?)が群れをつくって旅をしていたりしたのではないかという大胆な推測が出されていた。「渡り鳥」ならぬ「渡り恐竜」説には、驚くと同時に想像力をかきたてられた。たとえば本書にはアメリカ・アラスカ州にある北米最高峰のデナリ山(旧名マッキンリー)の近くで、グリズリーと呼ばれる大きなヒグマの出現に怯えながら恐竜化石を探す著者らの化石発掘の様子が詳しく書かれている。こうした冒険譚は良質なノンフィクションを読むようで、スリリングだ。白亜紀末期のアラスカにも多くの恐竜が生息していたことは間違いない。極北のアラスカも、現代より気候はかなり温暖だったと考えられているが、餌になる植物や動物を求め、大勢の恐竜の群れが季節ごとに北米大陸を南北に何千キロも移動していたのだろうか。

 恐竜の生態に関する研究は、発見される化石の数が北米やモンゴルなどに比べて圧倒的に少ない日本では難しい。だが、恐竜は日本でも圧倒的な人気を誇り、夏休みシーズンともなると各地の科学館や博物館では毎年、大型の「恐竜展」が開催され、大にぎわいしている。だが、残念なことに、展示の目玉となる大型の骨格標本はすべてが外国から借りたり、譲ってもらったりしたものだ。評者がロイヤル・ティレル古生物学博物館に行ったのも、同館が計画し、世界を巡回した大型の恐竜展が日本に巡回することが決まり、その事前取材だった。おかげで数日間は完全に恐竜漬けの毎日を過ごした。

 当時の取材で今も鮮明に覚えているのは、恐竜が群れとして行動し、時には北米大陸の南北を数千キロも「渡り」をしていたらしい、恐竜が近縁の家族や群れとともに、産卵や抱卵をしていたらしいという社会生活についての新発見についてだ。当時のほ乳類は、ねずみの遠い祖先が木の茂みなどに隠れていただけで、地上で全盛を誇る恐竜とは比べ物にならないささやかな存在だった。

 そのとき、博物館でお会いしたカリー博士には、展示物やその科学的意味を丁寧に教えていただき、評者もにわか恐竜ファンとなった。だが、本書に戻ると、著者はカリー博士のチームの一員として、今もバッドランドでの発掘調査に従事しているようだ。日本ではほとんど考えられないことだが、バッドランドでは恐竜化石が見つかりすぎるため、どの化石を捨てるのかの判断が重要になるという。「この公園からは、ひと夏だけでいくつもの恐竜骨格化石が発見される。見つけ出すのも課題だけど、その中からどれを掘り出すかを決めるのも重要なんだ。時間も資材も限られているからね」。これはカリー博士の言葉だ。著者は率直に、「骨が一つ出ればニュースになる日本の状況からすると、贅沢な悩みではないか」と記している。恐竜化石の発見は日本でも大々的に報じられるが、読んでみると、恐竜の歯の一部と見られる化石が見つかったとか、足や腕の小さな断片が見つかったといった発表がほとんどで、読んでみてやや気落ちすることもある。そうした発掘や研究にかかわる人々の努力や熱意に水を差す気はないが、これは著者も同様の気分なのだろう。

 本書の白眉は、著者がかかわった「むかわ竜」の全身骨格の発掘物語だ。福井県出身の著者は、県が県立博物館の自然部門を独立させ、恐竜専門の博物館をつくると聞いて2000年に帰国、建設プロジェクトのメンバーになり、学芸員として就職する。この年7月に県立恐竜博物館がオープンし、その後はフクイサウルスと命名される新種の恐竜の研究に打ち込む。だが、恐竜学の後進を育てたいという思いから2005年に北大に移る。北海道ではこのころまでに夕張市など3か所で恐竜化石が発見されていた。「いずれも素晴らしい化石だが、残念ながら断片に留まっていた」「ただ、私はこれが発表された通りだとは思っていなかった。元は、完全に近い骨格であったのが、発見される過程で一部しか見つからなかったのだろうと考えていた」。これには転石が関係しているという。転石とは耳慣れないが、恐竜の化石を含んだ崖が浸食で削られていくと、ある部分が川の増水などで流れ出てしまうことがある。こうなると、恐竜化石の一部しか見つからず、全体像は謎のままということになる。

 むかわ竜との出会いは偶然だった。北大に移った2年後の2007年、むかわ町穂別博物館の学芸員だった櫻井和彦さんが恐竜の骨かどうか判定してほしいと持ち込んできた化石がきっかけだった。「これは恐竜の骨ではないですね」と判定すると、櫻井さんは、がっくりと肩を落とした。著者は恐竜ではなく、海生爬虫類の化石と判断していた。著者は、櫻井さんに、「可能性はあるかもしれませんが、もっといい状態でより完全な化石を見つける必要がありますね」と慰めもかねて声をかけた。

 その櫻井さんからメールが届いたのはその4年後、2011年9月のことだった。メールでは「標本は分割したノジュール(注;化石などを含んだ石の塊)に含まれており、本来は連続していたものと思われ、11から12個ほどの椎骨からなります。(中略)先日来館された佐藤たまきさんに見ていただいたところ、『ハドロサウルス類の尾椎ではないか』とご指摘をいただきました。(中略)本標本を見て頂くことは可能でしょうか。そしてその価値があると判断された場合に、研究をお願いすることはできますでしょうか」。メールには化石の写真が添付されていた。佐藤たまきさんは当時、東京学芸大准教授で、海生爬虫類のクビナガリュウを専門とする研究者だ。

 著者は写真を見て、「一気に身体中の血液が騒ぎ出した」。「どう見ても、恐竜の化石ではないか」。「すかさず櫻井さんにメールした。『すぐにそちらに行きます』」。2週間後、著者は車で約2時間かけてむかわ町に向かう。一つのしっぽの骨が6、7センチ程度。全部並べると80センチくらいの長さだ。「日本の恐竜化石の標準からいうと、これだけでも十分、大発見だ」。興奮した著者は「続きはどこですか」とたたみかける。面食らった櫻井さんは、「発見者の堀田さんによると、これだけしかなかったようです」と答える。翌々月、著者は発見者の化石愛好家・堀田良幸さんとともに現場に向かう。現場は北海道が所有する道有林。垂直に切り立った崖の上だった。堀田さんが掘り始めたが、骨の化石の続きは見つからない。だが、化石ハンターである著者はわずかな骨を見つける。幅は3ミリほどと小さく、みんなこれが骨かと疑わしそうだった。続きを掘ろうとする堀田さんを、「もうすぐ冬です。しっかりした発掘の装備もなく作業しても、化石にダメージを与えるだけです。また来年の春に掘り直しましょう」と制した。この日は十分な装備も準備もなかった。ここで新たな課題が生まれる。この場所はアンモナイトが採れ、アマチュアの化石ハンターも訪れるところ。化石を守るためには、秘密厳守が第一だ。化石はすぐに埋め戻された。

 翌年春、一行は化石が発見された場所を再訪する。幸い、盗掘の様子はみられない。だが、懸命に掘っても3ミリほどの小さな骨が出てくるだけで、全員が期待しているる大きな骨格が出てくる気配はない。一時間ほどすると、著者も少し焦り始める。そのとき、櫻井さんが「これは……?」と黒いしみを指差す。黒いしみは脊椎の骨だった。「『あ!出た!骨だ!!』一同で歓喜の声をあげた。『やった!やったね!!』」。この時、著者はさらに続きがある、と確信していた。

 全身の骨格を掘り出すためには崖を大きく崩す大規模な発掘が必要になる。「崖を切り崩すと一言で言っても、数千万円は費やすことになる。これまで見つかっているのは、尻尾の骨14個、そして崖に残された尻尾の脊椎骨1個、この骨を手がかりに何千万円というお金をかける決断をすることになる」。むかわ町は、この化石の価値、そして発掘の必要性を理解し、小さな町ながら6000万円もの発掘予算をつけてくれることになった。「私の『全身骨格はあります』という一言を信じて崖を切り崩すというのだ。私には自信があった。7割くらいの確率で全身骨格が出ると。もし残りの3割だったら?(中略)私は、恐竜研究者生命が絶たれる覚悟さえしていた」。


むかわ竜の骨格標本と著者(左)

 むかわ町は苫小牧市の東にある人口7000人ほどの小さな町だ。6000万円というのは町を揺るがすような大金だろう。幸い、町の理解を得て、大規模な発掘が始まったのは2013年9月。重機を使って、崖を崩していく。化石が見つかりそうになると、削岩機やハンマー、ツルハシで丁寧に作業を進めていく。見つかった骨は想像していたより少しバラバラで離れた状態になっていた。発掘から2週間ほど経って、そろそろ大腿骨が見つかってもいいころだと思い始めていたころ、隊員の一人が腰かけていた大きな石が実は大腿骨だったとわかるハプニングもあった。下半身の全体像が見えてきたころ、見学に来た町民から「頭はないのかい、先生?」と厳しい質問が飛んだ。町民の期待の強さの表れだが、著者は強いプレッシャーを感じる。翌2014年夏、2回目の発掘が始まる。深さは8メートルまで掘り下げた。前年の発掘では、歯の化石が発見されている。頭骨の一部で、上顎骨と見られるものも見つかった。2014年10月10日、町民センターで町長も交えた記者会見が開かれた。頭骨の発見を知らせるものだ。そこからさらに4年。化石のクリーニング作業や全身骨格の組み上げに時間がかかったが、全長8メートルの恐竜の頭から尻尾まで8割以上の骨がそろった。これほどの大型恐竜の全身骨格が発見されたのは、日本では初めてのことだ。むかわ竜は著者の研究で新種の恐竜とわかり、「カムイサウルス・ジャポニクス」と命名された。カムイは「アイヌ文化の神」を示す言葉。サウルスは「トカゲ=爬虫類」を意味している。ジャポニクスは日本の意味なので、著者はこの恐竜に、「日本の恐竜の神」という名前を与えたことになる。カムイサウルスは約7200万年前、この地域に生息していたと考えられている。この当時、アメリカ大陸では肉食恐竜のティラノサウルスやトリケラトプスが闊歩していた。まさに恐竜時代の全盛期にあたる。

 だが、その4年後の2018年9月6日、北海道胆振東部地震が発生する。むかわ町にも大きな被害が出た。モンゴルに調査に出ていた著者は地震を知って、すぐ町に連絡をとる。博物館スタッフからは「町は大変ですが、むかわ竜は無事です」という返答があった。その後の情報で、地震で北海道中の電気が消えたことを知り、心配は深まる。しかし、町長からは「町民のみんなで乗り越えていきます」というメッセージが届いた。当時、東京・上野の国立科学博物館では「恐竜博2019」が開催され、むかわ竜の全身骨格と復原組み立て骨格が展示されて来場者の人気を集めていた。

 恐竜学の進展は目覚ましいが、一方で、著者は「研究成果に驚きが少なくなっているようにも感じる」と率直に語る。論文の内容が細分化され過ぎて、「国際学会に参加しても衝撃を受けるような発表にはなかなか出会わない」。その中で、著者が近年の大発見だと太鼓判を押すのは羽毛恐竜の発見だ。1990年代中ごろから、羽毛の痕跡を残す化石が次々と見つかってきている。現在では鳥類の祖先は恐竜というのが定説となっている。恐竜の羽毛は、そのまま現代の空をはばたく鳥たちに受け継がれているのだろうか。

 読了して心地よい快感を覚えた。恐竜オタクでなくても、読んで楽しく、心がときめく一冊だ。なるほどこうして恐竜化石の発掘は行われるのか、が逐一紹介されている。ノンフィクション・スタイルのため、最新の恐竜学の成果は断片的にしか紹介されていないが、それは最新の成果をまとめた啓蒙書を読めばいいのだろう。著者は1971年生まれなのでまだ50代に入ったばかり。持ち前の気力と体力で世界各地の現場をまたにかけ、さらなる成果を上げ、恐竜学の発展に貢献してもらいたい。最後にひとこと。フィリップ・カリー博士の現在について調べたところ、彼がカナダのアルバータ州西部の小さな町にフィリップ・J・カリー恐竜博物館という個人博物館を設立しているのを知って驚いた。私財を投じて、恐竜学の最新の成果を広く知らせようとしているのだろう。著者の小林氏もその一人なのだと思うが、恐竜には人を虜にし、ある意味、その一生を「狂わせてしまう」ような魅力があるのだと感じた。