WHAT IS LIFE? ポール・ナース 竹内 薫訳 5段階で考える「生物とは何か」

著者は2001年にノーベル生理学・医学賞を受賞した細胞生物学者。イギリスのノーベル賞受賞者というと圧倒的に上流階級出身者が多いが、両親とも労働者階級だ。バーミンガム大出身で、オックスフォードやケンブリッジのような超有名大学出身でもない。本書は労働者階級出身の若者が生物学者を志し、大成功をおさめたかという成功物語として読んでもいいのかもしれない。しかも本書は、著者にとって最初の啓蒙書で今後、こうした本を書く気はないと宣言している。内容は平明で、わかりやすいうえ、さまざまな示唆に富み、自伝的な部分では著者の人生を追体験することもできる。訳者は著名なサイエンス作家だが、「私は数々の科学書を翻訳してきたが、これだけ心を打たれた本は、初めてだ。それほど、ポール・ナースという科学者の家族、友人、先輩、同僚、部下、人類そして生き物への愛情を感じた」と絶賛している。評者もまったく同感だった。
まえがきから引き込まれる。「一羽の蝶がきっかけで、私は生物学を真面目に考えるようになった。ある早春の日、たぶん12歳か13歳だったと思う。庭に座っていたら、黄色い蝶がひらひらと垣根をこえて飛んできた。その蝶は向きを変え、ほんのちょっとのあいだ、羽ばたきしながらその場に留まった。羽の上に、精緻に浮かび上がる血管や模様が見えた。次の瞬間、影がさすと、蝶はふたたび飛びたち、反対側の垣根のほうへと消えていった」「その複雑で完璧に作られた蝶の姿を見て、私は思った。自分とはまったく違うけれど、どことなく似ている。私と同じように、蝶はまぎれもなく生きている。動くことも感じることも反応することもできて、『目的』に向かっているように思われた」。
少年時代の体験をもとに、「生命ってなんなんだろう?」と考え始める。それが今も続く。子ども時代に似た経験をした人は少なくないのかもしれない。それが70歳を過ぎても続き、その思いを天職として実現している人は稀だろう。
「WHAT IS LIFE」という書名はイギリスの物理学者エルヴィン・シュレディンガーが1944年に出版した著書へのオマージュだという。「生き物たちが、どうやって、こんなにも見事な秩序と均一性を何世代にもわたって保っていられるのか、これが大問題であることをシュレディンガーは的確に捉えていた。彼は、世代間で忠実に受け継がれてゆく『遺伝』を理解することが鍵だと考えたのだ」。
著者のアプローチはこれとは異なる。生物学の5つの重要な考え方をとりあげ、それを手がかりに階段をひとつずつ上って行く。5つの考え方とは、①細胞、②遺伝子、③自然淘汰による進化、④化学としての生命、⑤情報としての生命、だ。著者は「この5つの考え方は別に私が考え出したものじゃない。生命体がどう機能するかを説明するものとして、むかしから一般的に受け入れられているものだ」と断っている。「でも、私は、この5つの考え方を新たな形で結びつけ、そこから生命を定義する『統一原理』を導き出すつもりだ」。
著者は、専攻分野による自然科学の学問の性質の違いにも言及する。「初めに言っておきたいのだが、われわれ生物学者は、偉大なひらめきや大理論を口にするのをためらう傾向がある。物理学者とは正反対だ」「生物学者が、単純明快な理論や統一的な考え方を避けがちなのは、自然の見事な多様性に圧倒されるからかもしれない」。これはまったくその通りだ。理論物理学者は宇宙を含めた世界の成り立ちを統一的に説明できる壮大な理論を組み立てようとする。生物学者のアプローチはこれとは異なる。だが、生物学の世界でも、DNA二重らせんモデルの発見以来、統一的な生物理論を打ち立てようとしている人もいる。
本書は、ステップごとの章立てになっている。ステップ1は「細胞」。著者が最初に細胞を見たのは、黄色い蝶を見て間もなくのこと。学校の授業で発芽した玉ねぎの種子が配られ、その根を顕微鏡スライドの下に押しつぶし、何でできているかを見た。先生は、「生命の基本単位である細胞が見えるんだよ」と生徒たちに言った。玉ねぎの根の細胞は箱状の細胞が縦に積み重なって整然と並んでいた。これは小さくて肉眼では見えない。だが、大きな細胞もある。卵の場合、黄身全体がたった一つの細胞だ。身体のなかにも「背骨のつけねから、はるか足の爪先まで届く神経細胞。たった一個なのに、この細胞は長さが1メートルもあるんだ!」。
細胞は、17世紀初頭に顕微鏡を発明したイギリスのロバート・フックが見つけた。「あらゆる生命体は、本質的に似たパーツ、すなわち細胞でできている」という細胞説が誕生したのは1839年。だが、細胞説には欠点があった。新しい細胞がどのように発生するかが説明できていなかった。その後、「細胞は、すでにある細胞が二つに分裂することによってしか作られない」という結論が得られた。「細胞分裂は、あらゆる生物の成長と発達の基礎だ」「すべての生命は、大きさや複雑さに関係なく、たった一つの細胞から出現する。誰もが、かつては精子と卵子が結合して受胎した瞬間に形作られた、たった一つの細胞だったんだ」。著者はやさしく語りかけてくれる。
現代の顕微鏡は、細胞内の構造も詳しく明らかにしてくれる。「構造物の中でいちばん大きいのは『細胞小器官』で、それぞれ別々の細胞膜の層で覆われている。なかでも『核』は染色体に記された遺伝命令を含む、細胞の司令センターだ。一方、細胞によっては何百個も含まれている『ミトコンドリア』は、ミニチュアの発電所の役割を果たし、細胞が増殖して生き延びるために必要なエネルギーを供給してくれる」「もっとも、すべての生物が、こうした膜で包まれた細胞小器官や複雑な内部構造を備えているわけでじゃない。核があるかないかで、生命は二つの大きな枝に分けられる。細胞に核を含んでいる生命体、たとえば動物、植物、菌類などは『真核生物』と呼ばれる」。
ステップ2は「遺伝子」。遺伝というと、まず思い浮かぶのはメンデルだ。彼は今のチェコにあった修道院の院長をしていた。エンドウ豆を使い、遺伝的形質を研究した。彼は遺伝的形質の「比率」を数字で表した。「これをもとに、エンドウ豆の花の中にある雄の花粉と雌の胚株は、親植物のさまざまな特徴にかかわる『エレメント(要素)』を含んでいると唱えた」「メンデル説によれば、遺伝的特徴は、一対の物理的な粒子の存在によって決まる。この『粒子』はメンデルが『エレメント』と呼んだもので、現在では遺伝子と呼ばれている」「とりわけ重要なのは、こうした結論が、エンドウ豆だけではなく、酵母から人間にいたる、すべての有性生殖種にあてはまることが徐々に明らかになっていったことだ。あなたの遺伝子は一つ残らず一対で存在している。生物学上の両親から一つずつ受け継いだのだ。遺伝子は、あなたが受精した瞬間に結合した、精子と卵子によって伝えられた」。
1944年には遺伝子の正体がDNAであることが突き止められた。1953年にはDNAの構造も突き止められた。フランシス・クリックとジェームス・ワトソンが、実験結果をもとに「DNAは二重らせん構造」であると推測した。DNAは遺伝暗号をヌクレオチド塩基の形で持っている。この塩基は4つしかない。アデニン、チミン、グアニン、シトシンだ。「この4種の塩基の順序が、情報を含んだ暗号としての機能を果たす」「細胞は、この遺伝子の暗号を『読むこと』によってDNAからメッセージを手に入れ、その情報を目的通りに機能させる」「遺伝暗号を理解できるようになると、生物学の中心課題ともいうべき謎が解ける。遺伝子の静的な情報がどうやって、生きた細胞を構築して動作させるような活性化したタンパク質分子を作るのかが分かったんだ」「DNAの暗号を解読することで、生物学者が遺伝子の配列を容易に説明し、解釈し、変更することができる、現代社会への道が開かれた」。
著者は酵母細胞を用いて細胞周期を制御する方法を研究していた。1974年、細胞の分裂する周期を制御する遺伝子を特定することに成功し、cdc2(cell division cycle2)遺伝子と名づけた。こうした実験は、著者が当時所属していたエジンバラ大のマードック・ミッチソン教授の研究室で働いていたときに実施された。この成果を論文として発表したとき、教授は共同執筆者に名前をつらねようとしなかった。「『自分はさほど貢献していない』とお考えのようだったが、もちろんそんなことはない。こうした寛容さが、科学者として最も大切なことだったが、世の人々は、こういったことには案外無頓着なものだ」。
ここで著者の「驚くべき秘密」が明かされる。「私は労働者階級の家で育った。父は工場で働き、母は清掃員だった。兄や姉はみんな15歳で学校をやめた。大学まで進学したのは私ひとりだった。(中略)両親は友だちの親よりずいぶん年上だったので、よく、まるでおじいちゃん、おばあちゃんに育てられているみたいだねと冗談を言っていた」。長い年月が経って、著者はニューヨークにあるロックフェラー大学の学長に就任する。永住に必要なグリーンカードを申請したところ、米国政府から却下された。驚いて出生証明書の完全版を申請したところ、「新しい証明書が入った封筒を開けた瞬間、私は衝撃を受けた。なんと、私の両親は、実の両親ではなかったのだ。二人は実際には私の祖父母だった! 私の母親は、実は姉だった。彼女は17歳で身ごもったが、当時、シングルマザーになるのは恥ずべきことと見なされていたため、ノリッジにある叔母の家に送られ、そこで私が生まれたのだ」「祖母は娘を守るために、自分が母親のふりをして、私を育てた。(中略)経緯を知っていたであろう人たちは、みな亡くなってしまったため、自分の父親が誰なのかは未だに分からない。私の出生証明書の父親の欄には、ただ横棒が引かれているのみだ」。このくだりを読んでまさに絶句した。こうした出生の秘密は、墓場まで持っていってしまう人も少なくないだろうが、それを打ち明ける勇気に感動した。
ステップ3は「自然淘汰による進化」だ。「世界は生命の素晴らしい多様性に満ちあふれている」。創生神話は、ほとんどの文化にあふれているが、ユダヤ教とキリスト教に共通する創世記は、「生命がほんの数日間で創造された」と主張している。「今では、目的意識を与えられた複雑な生命体が、設計者なしで作られ、それは自然淘汰によるものだということを誰もが知っている」「自然淘汰の考えは、生命体の集団が変動を示し、そうした変異が遺伝子の変化によって起きるときには、世代から世代へと受け継がれるという事実に基づいている」「人間は実際に、何千年にもわたり、自然淘汰と同じプロセスを乗っ取り、利用し、特定の性質を持つ生き物を交配させてきた」「人為淘汰は劇的な結果をもたらすことができる。われわれは、野生のハイイロオオカミを人間の最高の友人に変え、小さなチワワから大きなグレートデーンにいたる犬種を作り出してきた」。
この章末に、著者を科学へと向かわせる印象的な話が紹介されている。蝶の神秘に魅せられていたころ、自然淘汰による進化を学んでいた。「生命の豊富な多様性を説明する科学理論は、聖書の教えと真っ向から対立していた」。所属していたバプテスト教会の牧師に、「創世記は神話として扱うべきではないでしょうか。なにしろ、神は自然淘汰による進化を発明することで、もっと素晴らしい創造の仕組みをお考えになったのですからと」話しに行った。「牧師はとりつくしまがなかった。『創世記は文字通りの真実として受け止めるべきです』。そう告げると、牧師は私のために祈ってくれた」「こうして、私の信仰心はじわじわと無神論、もっと正確に言えば、懐疑的な不可知論へと傾いていった。’(中略)科学は私に、世界をもっと論理的に理解する道を示してくれた。それは私に、いっそうの確実性、安定性、そして真実を追究するためのよりよい方法を教えてくれた。真実こそが科学の究極の目的だ」。これほど明確に宗教への幻滅、「科学への開眼」を公表した科学者はほとんどいないだろう。
ステップ4は化学としての生命だ。著者は当時、大学入学の必須資格とされた外国語(フランス語)の試験に6回、失敗し、17歳で高校を卒業しても大学に進学できなかった。このため、ある醸造所に併設された微生物学研究所で実験助手として働く。ある日、バーミング大学のある教授が面接で、外国語の弱点を大目に見るように大学とかけあってくれ、1967年から著者は大学で勉強できるようになった。35年後、著者はフランスのレジオン・ドヌール勲章を受章する。発酵の科学的研究は18世紀のフランスの貴族出身の科学者ラヴォアジェから始まった。だが、非常勤で収税官をしていたせいで、フランス革命のさなか、彼は断頭台に送られる。裁判官は「共和国には学者も化学者も必要ない」と断じた。「われわれ科学者は政治家によくよく気をつけねばならない! 残念ながら政治家、特に大衆に迎合しがちな政治家は裏づけに乏しい自分の見解に専門知識が真っ向から対立する場合、『専門家』をないがしろにする傾向がある」。ラヴォアジェはブドウジュースからワインができる発酵のプロセスを研究し、発酵素が中心的な役割を果たしていると考えた。その半世紀後、やはりフランス人生物学者で化学者のパスツールが発酵の仕組みを解明し、酵母が重要な役割を果たしていることを突き止めた。酵素の発見で、「生命のほとんどの現象は、『酵素が触媒する化学反応』の観点から理解するのがいちばん分かりやすい」ことがわかった。ここからは生命と化学の関係が紹介される。ほとんどの酵素がタンパク質でできている、ポリマー(重合体)と呼ばれる鎖状の長い分子になっていること。生体のポリマーは炭素、水素、酸素、窒素、そしてリンでできている。タンパク質は炭素を基にしたポリマーで、小さなアミノ酸分子が結合してできている。このあたりの記述は生化学の教科書を読んでいるような印象だ。説明はわかりやすいが、あらかじめ教科書や啓蒙書などで、内容を整理しておかないとやや理解しにくいかもしれない。
ステップ5は情報としての生命だ。「目的行動は、生命の決定的な特徴の一つで、生命のシステム全体がまとまって稼働したときのみ可能となる」。生物のこうした特徴を最初に理解したのはドイツの哲学者カントだ。彼は「生きている身体の各部位は、全体のために存在している。そして全体は各部位のために存在している」と主張した。「この仕組みを理解するために、細胞が全体として機能する、化学的かつ物理的な機械であることを思い出そう。個々の構成要素を調べることで、細胞についてよく理解することができる」「遺伝子調節は細胞が遺伝子を『オン』や『オフ』にするために利用する一連の化学反応のこと。細胞は、いつでも必要になったときに、全遺伝子情報の中から、特定の部分だけを使うことができる」「それにより、たとえば形のない胚が、最終的に人間へと発達できる。あなたの腎臓や皮膚や脳の細胞は、みな、2万2000個の全遺伝子を含んでいる」。
イギリスのアラン・チューリングはコンピューター理論の創始者として著名だが、彼は1950年代、「胚がどのようにして自分の内部から空間的な情報を生み出すか」に取り組んでいた。「彼は、相互作用している化学物質のふるまいと、それらが構造的に拡散するときに起きる特定の化学反応を予測する、一組の微分方程式を編み出した。(中略)方程式のパラメーターを微調整することで、二つの物質は、たとえば、等間隔の斑点や縞模様や不均一な斑模様に自らを組織化することができた」「チューリングのモデルの魅力的な部分は、二つの物質の相互作用による、比較的単純な化学規則にしたがって、パターンが自然発生的にあらわれることだ。つまり、これは発達中の細胞や生命体が、形になるために必要な情報を生成する方法になりうる」。
次の章は「世界を変える」。2012年、著者は長年、念願だった南極への旅を実現しようとする。だが、その直前の健康診断で、重度の心臓疾患が見つかる。幸い、心臓手術は成功した。著者は医学の進歩に感謝し、感染症との長い戦いにも思いをはせる。と同時に「一部の先進国の政治家が、科学者や専門家の助言を無視して、このような疫病やパンデミックへの対策を弱めてしまったことに驚きを禁じえない」と厳しく批判する。「その上、充分な証拠もないのに、ワクチンの安全性や効果を意図的に批判する人々もいる。臨床的に承認された実証済みのワクチンを拒否するのは、倫理的な問題であることを肝に銘ずるべきだ」。これには評者もまったく同感だ。。
最終章は「生命とは何か?」。1966年、ノーベル賞受賞者で遺伝学者のハーマン・ミラーは「『進化する能力を有するもの』が生物だとする『ギリギリまで削ぎ落した』定義をくだした」。著者は「自然淘汰を通じて進化する能力」と「生命体が『境界』をもつ物理的存在であること、3つめは「生き物は化学的、物理的、情報的な機械である」ということが合わさって生命は定義されると考えている。著者は「なんと、今日地球上にある生命の始まりは『たった一回』だけだったのだ。もし異なる生命体が、それぞれ何回かにわたって別々に出現し、生き延びてきたとしたら、その全子孫が、これほどまで同じ基本機能で動いている可能性はきわねて低い」と主張する。驚くべき主張という気もするが、評価するだけの知識や知見を評者は持たない。
最後に著者はこう指摘する。「宇宙は想像を絶するほど広い。すべての時間と空間を見渡せば、意識を持つ生命体は言うまでもなく、生命がここ地球でだけ、たった一回しか花開いていない確率はきわめて低い。(中略)われわれの惑星は、生命の存在がはっきり確認されている、たった一つの宇宙の一角だ。この地球上の生命は驚異に満ちている。生命は常にわれわれを驚かせるが、途方に暮れるほどの多様性にも関わらず、科学者はそれを理解しつつあり、その理解は、われわれの文化や文明の礎となっている。生命とは何かを理解し続けることで、人類の運命は、より良き方向に向かうだろう」。
読み終えて、深い感動を禁じえなかった。生物学の教科書として、細胞生物学者の自伝として、さまざまな読み方があるだろう。だが、これほど誠実な科学者が世界にどれくらいいるのだろうとも思った。科学への絶対的な信頼、地球に生息する動物、植物などすべての生き物への限りない愛情と深い敬意、それを感じることができたのは最高の幸せだった。生命や生きることに関心のあるすべての人に一読を勧めたい。