日本の最も美しい赤レンガの名建築 歴史的建物研究会著 北海道から九州まで赤レンガ建築を網羅したガイドブック
表紙は2003年に重要文化財に指定された東京駅丸の内駅舎。「大正3(1914)年の開業以来、関東大震災や戦災に見舞われながらも壊滅的な破壊を受けることはなかった」。戦後間もなく、再建されたが、創建当時の姿ではなかったため、2007年から復元工事が始まり、2012年に完成した。皇居方向にある丸ビル側から見ると、全長335メートル、高さ35メートルの優美な姿を眺めることができる。評者も東京駅を訪れるたび、その美しさに感嘆する。
正面は皇室専用で、出入口として利用できるのは北口と南口。北口には東京ステーションギャラリーがあり、美術展が開かれている。中に入ると創建当時の赤レンガを直に見ることもできる。
日本初の鉄道は新橋ー横浜間で明治5(1872)年開業。明治22(1889)年には東海道線(新橋ー神戸)間が、明治24(1891)年には東北線(上野ー青森)が開業した。そのスピードに驚くが、中央停車場となる東京駅の完成は鉄道開業から40年以上も遅れていたことになる。「駅舎は行幸(ぎょうこう)通りにより皇居と直結され、皇室の専用口も設けられるなど、『国家の中心駅』『天皇の駅』としての色が打ち出された。この当時栄えていた日本橋、京橋に通じる八重洲側に出入口を設けなかったことに国の意志が表れている。ちなみに八重洲側に出入口が設けられたのは開業から15年後の昭和4(1929)年のことである」。
単なる美しい写真集ではなく、建築専門の出版社から出され、建築や建築史の専門家が編集しているだけあって、歴史にも詳しい。門外漢が「驚くような」トリビアに満ちていることも本書の魅力のひとつだろう。
東京駅の設計は「日本近代建築の父」といわれる辰野金吾。お雇い外国人のイギリス人建築家ジョサイア・コンドルに学んだ後、イギリスに留学。帰国後は工部大学校(東大工学部の前身)教授となって数多くの建築を設計したほか、後進の指導にもあたった。日本銀行本店や京都支店など公共建築のほか、奈良ホテルなど民間の建築も手がけている。そういえば南海電鉄浜寺公園駅駅舎(大阪府堺市)も彼の作品だという。
冒頭に「煉瓦建築・人物伝」という人物紹介があり、辰野のほか、明治建築界三大巨匠として、旧横浜正金銀行(現・神奈川県立博物館)を設計した妻木頼黄(つまきよりなか)や、三大巨匠ではないが、大工から独学で建築を勉強し、長崎・五島列島などに多くの教会堂を建てた鉄川与助の事績が紹介されている。「5分でわかる煉瓦建築物の見方」や、煉瓦の積み方についての簡単な解説もついていて知識が広がる。煉瓦の積み方にイギリス積み、フランス積み、アメリカ積み、ドイツ積みといった違いがあることはまったく知らなかった。
赤レンガ建築物の紹介は地域別になっていてわかりやすい。北海道から九州まで全部で75カ所。初めは関東編。東京が10カ所、神奈川が3カ所など全部で20カ所だ。
冒頭に登場するのが東京駅丸の内駅舎。2番目が丸の内南口にある三菱一号館美術館。三菱が政府から丸の内一帯の払い下げを受け、お雇い外国人だったコンドルを顧問に設計させた建物だ。コンドルは有名な鹿鳴館の設計にも当たっている。三菱一号館は明治27(1894)年に竣工したが、昭和43(1968)年、老朽化を理由に解体されてしまった。だが、丸の内一帯の再開発に伴い、当時の図面などをもとに2010年に復元された。創建当初はオフィスビルだったが、生まれ変わった現在は美術館。主要部はともかく、図面が残っていない細部はコンドルが設計した別の建築作品をもとに復元されたという。展示室は現代の感覚からするとやや狭く感じるが、当時のオフィスはこうだったのかと思うと納得できる。復元建築物の紹介はこの三菱一号館だけだ。
3番目は霞が関にある法務省旧本館。ここは江戸時代、米沢藩上杉家の上屋敷だったところだ。現在は法務総合研究所などとして使われている。
4番目は池袋駅に近い立教大学本館・礼拝堂などが登場する。大正期の煉瓦建築群で米国聖公会の寄付で大正8(1919)年に落成した。写真を見ると蔦が絡まって、独特の雰囲気のある素晴らしい建物だ。科学記者だった評者は取材でいろいろな大学のキャンパスを訪れているが、残念ながら立教には行ったことがない。池袋駅から徒歩圏なので、一度訪ねてみたいものだ。
5番目は東京芸術大学赤レンガ1・2号館。6番目は東京国立近代美術館工芸館。いずれも訪れたことがある。工芸館は近代美術館の分館という扱いなので何度も訪ねている。北の丸公園にあり、旧近衛師団司令部があったところだ。
ここまではほとんどが知っているが、次の旧三河島汚水処分場施設は場所の見当もつかない。わが国初の近代汚水処理場で、20年前までは現役だったそうだ。現在は三河島水再生センターと名前を変えている。桜の名所だそうで、桜の季節に行くといいのかもしれない。「近代下水処理場の代表的遺構」として重要文化財に指定されているそうだ。
このあたりから知らない建物ばかりになる。10番目に登場するガスミュージアムは東京瓦斯旧本郷出張所などの建物が東京西郊の小平市に移築されたものだ。明治末期に建てられた美しい建物なので機会があれば行ってみたいものだ。
東京編の最後には「東京煉瓦散歩」という都内のレンガ建築の紹介がある。駒込にある六義園の煉瓦塀や慶應義塾大学の図書館旧館などが紹介されている。JR高架下という紹介もあって、「新橋ー有楽町」「有楽町ー東京」、神田、秋葉原周辺など高架下の煉瓦構造が簡単に紹介されている。そういえば幾度かこのあたりを歩いて、古い煉瓦構造がそのまま残っているのに気づいて懐かしい気がした。
神奈川県は横浜赤レンガ倉庫など3カ所。赤レンガ倉庫や横浜市開港記念会館には行ったことがあるが、横須賀市の猿島砲台跡は知らない。東京湾にあるので三笠桟橋から10分ほど船に乗らないと行けないようだ。
関東編で行かないといけない、と思ったのは群馬県富岡市にある旧富岡製糸場。2014年に世界文化遺産に登録されて一躍有名になったが、広い構内にはいくつもの建物がある。世界遺産に登録された年、繰糸所(そうししょ)と西置繭所(にしおきまゆしょ)、東置繭所の3棟が国宝に指定されたそうだ。繰糸所は全長140メートルの縦長の建物。2つの置繭所も同じ長さの建物で、全体がコの字形に配置されている。完成は明治5(1872)年というから日本の近代化の歩みそのものだ。当時のお雇いフランス人一家が暮らした首長館、やはりフランス人が暮らした検査人館、日本人の工女に技術を教えるためにフランスから招いた女性の住まいの女工館も残っているそうだ。フランス人の工女4人はいずれも任期を待たずに帰国してしまい、せっかくの女工館はすぐに空き家になってしまったそうだ。富岡製糸場を建物の歴史から振り返ることはまったく思いつかなかった。
中部編では、幕末に鉄製の大砲を鋳造した静岡県伊豆の国市の韮山反射炉も紹介されている。ここも訪れたことがある。高さ15.7メートルの立派な施設だった。
近畿編のトップは京都国立博物館の明治古都館。明治28(1895)年に竣工した赤煉瓦の美しい建物だ。設計は片山東熊。辰野、妻木と並ぶ明治の3大建築家の1人だ。現在は国宝に指定されている赤坂迎賓館(旧東宮御所)、奈良国立博物館なら仏像館(旧本館)。東京国立博物館表慶館などの設計で知られる。京博は正門や袖塀もきれいな煉瓦作りだが、すべて片山の設計になる。評者は京都で学生時代を過ごしたので、京博の建物はひときわ懐かしく感じる。
この建物にもエピソードがある。最初は3階建ての予定だったが、明治24(1891)年の濃尾地震で煉瓦造り2階建ての建物に被害が多かったため、平屋建てに変更されたという。
関東大震災では当時の東京で唯一の高層建築物だった浅草の通称「十二階」(凌雲閣)に大きな被害が出たため、震災以後は煉瓦作りの高層建築物は見られなくなった。赤煉瓦建築の優美さと耐震性の両立は難しかったようだ。
京都では同志社大学キャンパスに赤煉瓦の美しい建物が多く残っている。隣接する同志社女子大ジェームズ館も含め、多くは文化財に指定されているが、そのまま利用されている。
評者がとりわけ懐かしかったのは南禅寺の境内にある水路閤。琵琶湖から京都に水を引く琵琶湖疏水分線の水路橋だ。南禅寺はいつも多くの観光客でにぎわっているので、境内の水路閣を目にした人も多いはずだ。明治23(1890)年に完成した琵琶湖疏水も赤煉瓦構造物の代表として詳しく紹介されている。
大阪の代表的な赤煉瓦建築といえば誰もが思い浮かべるのが中之島にある大阪市中央公会堂。日本初の設計コンペ方式で岡田信一郎の原案に決まり、大正7(1918)年に竣工した。この公会堂が1人の民間人の寄付でできたことは広く知られているが、その影に不幸な歴史があることは知らなかった。「義侠の相場師」と呼ばれた岩本栄之助は渡米して、彼の地の大富豪が慈善事業や公共事業への寄付を惜しまないことを知って感激、明治の末に100万円(現在の数十億円)を大阪市に寄付し、これが建設の原資となった。ところが岩本は寄付の後、第一次大戦の高騰相場で莫大な損失を出し、大正5(1916)年、拳銃自殺して39歳の若さで世を去る。公会堂が完成するのはその2年後のことである。
評者がかねてから行ってみたいと思っているのは広島県江田島市にある海上自衛隊第一術科学校・幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)。海軍兵学校は最初、東京・築地にあったが明治21(1888)年、江田島に移転。生徒館は同26(1893)年に建設された。広島宇品港から船とバスを乗り継ぐので、アクセスはあまり良くないが機会があれば是非、訪ねてみたいものだ。
赤煉瓦の建物を地域別に見ると、九州の建物にはほとんど行っていないのが残念だ。佐賀県唐津市の旧唐津銀行本店は唐津市出身の辰野金吾が愛弟子に設計させた建物だという。
長崎県では長崎造船所資料館と長崎の赤煉瓦教会群が紹介されている。教会群は、平戸市の田平(たびら)教会、佐世保市黒島にある黒島教会、五島列島の堂崎教会や青砂ケ浦教会など。このうちのいくつかは大工出身の建築家・鉄川与助の設計・施工になるもので、一部は2018年に世界文化遺産に指定されたキリシタン禁教期の貴重な遺産にも含まれている。
五島列島や黒島など交通不便な場所が多いので、評者も訪ねることができたのはわずかだ。だが、岬の最果てにある小さな教会を訪れると、教会が地域の信仰の象徴であることを知って深い感銘を受けた。東シナ海に面した静謐な墓地にある、十字架を形どった墓のいくつかが大戦の出征兵士のものだったことを知って、歴史の厳しい現実を思い知ったこともあった。
各地に残る赤煉瓦建築は明治以降の日本近代化の150年を象徴するものだ。赤煉瓦建築の優美さに触れるとともに、急速な近代化が忘れてきたもの、残して来たものなどに思いを致すのもいい機会かもしれない。本書は赤煉瓦建築の美しい写真集としてだけでなく、日本がイダテンのように駆け抜けてきた近現代の貴重な足跡や証言としてみることもできるはずだ。紹介された建物にはすべて簡単な地図と連絡先、アクセスの案内がついている。ガイドブックとしても親切で、よくできた構成だと思う。筆者の赤煉瓦建築物への深い愛情と尊敬が伝わってきて、感心した。