ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

ペスト アルベール・カミュ 宮崎嶺雄訳 新型コロナウイルスの世界的流行のさなかに読む20世紀の古典

2020年05月23日 | 読書日記
ペスト カミュ 宮崎嶺雄訳 半世紀ぶりに読んで改めて知る古典の尽きせぬ魅力


 カミュの「ペスト」が世界的に売れているそうだ。もちろん新型コロナウイルスのパンデミックのために欧米などで都市の完全封鎖や外出のきわめて厳しい制限が課されているからだ。ペストの流行で都市住民が長期間閉じ込められる極端な不条理の世界を描いたこの小説が改めて読み直されている。評者の遠い学生時代、実存主義や不条理文学の代表とされたカミュやサルトルの作品を読むことが若い世代にはやった。その当時、「異邦人」を読んだ記憶はあったが、「ペスト」はどうだったか、最初は思い出せなかった。だが、読み進むうちにおぼろげながら、半世紀も前の記憶が少しづつよみがえってきた。

 カミュは1913年、当時フランス植民地だったアルジェリアに生まれた。父がアルジェリアに入植し、そこで生まれ育った。幼時に父が戦死し、貧しい子ども時代を送ったという。アルジェ大学を卒業して新聞記者となり、反戦記事を書いていたこともある。1942年の「異邦人」で一躍注目され、1947年に発表された小説二作目の「ペスト」で世界的な小説家としての地位を確立した。1957年、44歳という若さでノーベル文学賞を受賞したが、60年に事故で早世している。評者も含め、若いころは小説の中味よりもカミュの生き方に憧れていたようだ。20歳で死んだ天才数学者ガロアに憧れるようなものだったのかもしれない。だが、半世紀ぶりに読み返してみると、カフカと並ぶ不条理小説の古典に違いない、と深い感銘を受けた。

 舞台はアルジェリアのオラン。首都アルジェに次ぐ大都市だ。地中海をはさんでフランスの真南に位置している。夏は暑さが厳しいだろうが、アフリカながら四季のはっきりした気候のようだ。表紙の写真(下)はオラン市街だと思うが、白や薄青など明るい色を基調とした箱形の住宅が丘の上までびっしりと連なっている。地中海沿岸の多くの都市がそうであるように、市の周囲は外敵を寄せ付けないよう高い城壁で囲まれている。表紙の写真(上)は住民が城壁から地中海か市街の外に広がる砂漠を望んでいるところだろうか。

 物語は比較的単純だ。194*年4月16日の朝、医師のリウーは「診療室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠につまづいた」。最初は誰も気に留めなかったが、ねずみの死骸は翌朝には3匹に。リウーが往診のさいに街を見回ると、ねずみの死骸は増え続けていた。この日は、1年以上病んでいる妻が山の療養所に発つ日で、入れ替わりに彼の母親が手伝いに来る。その日午後、リウーは若い新聞記者の来訪を受ける。ランペールといい、パリのある大新聞社に頼まれてアラビア人の生活条件の取材のため、この街を訪れているという。次いでタルーというちょっと謎めいた男が登場する。18日頃から、鼠の死骸はさらに増え続け、市民は何か異変が起きているのではないかと不安にかられる。市の鼠害対策課は毎朝、鼠の死骸を集めてごみ焼却場で処分することになった。事態はさらに深刻化していく。「四日目からは、鼠は外へ出て群れをなして死にはじめた」。鼠はペストを媒介する病原動物として知られている。

 街の通信社がラジオ放送で、「二十五日の一日だけで六千二百三十一匹の鼠が拾集され焼き捨てられたと報ずるに至った。この数字は、市が眼前に見ている毎日の光景に一個の明瞭な意味を与えるものであり、これがさらに混乱を増大させた。(中略)今や、人々は、まだその全容を明確にすることも、原因をつきとめることもできぬこの現象が、何かしら由々しいものをはらんでいることに気づいたのである」。

 このころ、市民にも異変が起きる。高熱を出してリンパ腺を炎症で大きくはらす患者が目立ちはじめた。リウーは市内の有力な先輩医師に連絡をとるが、「とくべつ、変ったことは目につかなかったが」と言うばかり。だが、事態はさらに悪化し、奇怪な病気で死ぬ人も出始める。ここで、タルーという数週間前からオランのホテルに住んでいるよそものが登場する。この人物は裕福らしいが素性はわからない。ただ、この小説はリウーの回想とタルーが几帳面に書き留めた手帳の記述をもとに展開していく。タルーの手帳によると、リウーは、「一見三十五歳ぐらい。中背。がっしりした肩つき。ほとんど長方形の顔。まっすぐな暗い目つき」などと記されている。

 リウーは同僚の医師たちと連絡をとり、類似例がないか問い合わせる。「二、三日の間に二十名ばかりの類似の症例がえられた。ほとんど全部が死亡であった」。そこで彼は医師会の会長であるリシャールに新たな患者の隔離を要請する。だが、リシャールは。それは自治体の権限で、「僕にはどうにもできない」と断る。この段階で早くから流行病(感染症)を疑っているリウーとそう考えていない他の医師との差が出ている。だが、ほどなくして、「県庁と市庁は不審をいだきはじめていた」「わずか数日の間に、死亡例は累増し、この奇怪な病を手がけている人々にとっては、それがまぎれもない流行病であることは明白となった」からだ。

 このとき、カステルという年輩の医師がリウーのもとを訪れる。カステルに問われ、「分析の結果を待ってるんです」と答えるリウーに、「僕は知ってるんだよ、それを。だから、分析なんぞ必要としない。僕は生涯の一部をシナで過ごしたし、パリでいくつかの症例も見た、二十年ばかり前にね。しかし、ただ、世間はそいつに病名をつける勇気がなかったのさ、即座にはね。(中略)ある同僚がいったことだが、『そんなことはありえない。誰でも知ってるとおり、それは西洋からは姿を消してしまったのだ』というわけだ」「まったく、ほとんど信じられないことです。しかし、どうもこれはペストのようですね」とリウーは答える。

 「筆者はこの医師のたゆたいと驚きとを釈明することを許していただけると思う。(中略)彼の示した反応は、すなわちわが市民の大部分が示したそれであったのである。天災というものは、事実、ざらにあることであるが、しかし、そいつがこっちの頭上に降りかかってきたときは、容易に天災とは信じられない。この世には、戦争と同じくらいの数のペストがあった。しかも、ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった」「戦争が勃発すると、人々はいうーー『こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから』(中略)しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気づくはずである」「天災というものは人間の尺度とは一致しない。したがって、天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうが過ぎ去っていくことになり、それも(中略)彼らは自分で用心というものをしなかったからである。わが市民たちも人並以上に不心得だったわけでなく、謙譲な心構えを忘れていたというだけのことであって、(中略)それはつまり天災は起こりえないと見なすことであった。(中略)ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられたであろうか」。こうしたくだりを新型コロナウイルスの緊急事態宣言のさなかに読むと何とも言えない気分になる。

 リウーは過去のペストの犠牲について思い出してみる。「歴史に残された約三十回の大きなペストは、一億近い死亡者を出していると、彼は胸につぶやいた」。過去のペスト禍の悲惨さを思い起こし、医師らしくペストの具体的な症状を思い浮かべる。「麻痺および虚脱、眼の充血、口腔の汚染、頭痛、リンパ腺腫脹、猛烈な渇き、精神錯乱、(中略)『脈拍は極微となり、些細な動作の際に突然死の転帰をとる』」。

 「翌日、県庁にしきりに主張した結果」、リウーはようやく保健委員会を招集してもらうことができた。知事や数人の医師らが出席した。リウーは「事態はまさに躊躇を許さないのです。伝染の中心は刻刻拡大しつつあります。(中略)もしこれが阻止されないとすると、二カ月以内に全市民の半数が死滅させられる危険があります。(中略)重要なことは、ただ、それによって市民の半数を死滅させられることを防ぎとめることです」。先輩医師からはペストと断定することに慎重論が出たものの、知事は最終的に、「たといこれがペストでなくても、ペストの際に指定される予防措置をやはり適用すべきだ、というわけですね」と述べ、医師会長は「つまりわれわれは、この病があたかもペストであるかのごとくふるまうという責任を負わねばならぬわけです」と結論づけた。

 だが、死者はさらに増え続けていく。思いあまったリウーは知事に直接、電話をかける。「いまの措置では不十分です」「実際、憂慮すべき数字です」「憂慮どころじゃありません。もう明瞭ですよ」「総督府の命令を仰ぐことにしましょう」。植民地総督府への報告書はリウーが作成した。「同じ日に、約四十名の死亡者が数えられた」。

 気候の良い春の訪れとともに、街はいっとき、にぎわいを見せる。死者は数日の間に十名ほどに減少していた。「それから、突如として、それはまた鰻(うなぎ)のぼりに上昇した。死亡者の数が再び三十台に達した日」、知事はついに、「ペストチク(ペスト地区)タルコトヲセンゲンシ シヲヘイサ(市を閉鎖)セヨ」という公電を発した。

 オラン市街は市の外側との出入りができるいくつかの門に囲まれた城壁の内側にある。門には衛兵所があるが、ここには歩哨が立てられ、人や物の出入りが完全に禁止された。手紙も病毒の媒介となることを防ぐため、いっさいの信書の交換が禁止された。一時的に市外に出ていた人も家に戻ることを厳しく禁じられ、突然、肉親との生き別れになる状態が起きた。「そういうわけで、ペストがわが市民にもたらした最初のものは、つまり追放の状態であった。(中略)実際、まさにこの追放感こそ、われわれの心に常住宿されていたあの空虚であり、あの明確な感情の動きーー過去にさかのぼり、あるいは逆に時間の歩みを早めようとする不条理な願いであり、あの突き刺すような追憶の矢であった」

 「彼らはこのようにして、なんの役にも立たぬ記憶をいだいて生活するという、すべての囚人、すべての流刑者の深刻な苦しみを味わった」「わが市民たちがこの突然の流刑になんとか対処しようと試みている間に、ペストのほうは市の出入口に衛兵を配置し、オランに向って航行していた船舶に針路を転じさせていた。閉鎖以来、一台の乗り物も市内にはいって来なかった」「この見慣れない光景にもかかわらず、市民たちは明らかに彼らの身に起ったことを容易に理解しかねていた。(中略)誰もまだ病疫を真実には認めていなかったのである」。

 小説は突然の都市閉鎖に困惑したり、いら立ちを募らせたりする市民の姿を冷静な筆致で描き出す。たまたま取材のため、パリからオランを訪れていた新聞記者のランペール。彼は彼女をパリに残したままだった。しかし、閉鎖都市から脱出することは許されず、結局、方々の役所をまわって二時間も並んだあげく、電報を一通打っただけだった。何とか脱出を試みようと、手をつくして裏社会とつながる密輸業者とも接触する。衛兵を買収し、その当番の日に夜陰にまぎれて門から脱出するという計画だった。曲折のすえ、計画は成功しかけるが、ランペールが脱出を誘った人々には街を離れる気はなかった。リウーは患者の治療という大事な仕事があるし、病気の妻を山の療養所に預けている。

 ランペールは最終的に街を離れることをあきらめ、ボランティアでペストに苦しむ人々の手助けをする保健隊というグループに加わる。このころ町の教会はペストの災厄から人々を守ることを祈願する祈祷週間を計画する。ミサで、説教者に選ばれたのがイエズス会の博学で戦闘的なパヌルー神父だった。彼はすでにリウー医師らと面識があった。会場の中央聖堂には多くの市民が詰めかけた。神父は「皆さん、あなたがたは禍いのなかにいます。皆さん、それは当然の報いなのであります」と呼びかけた。雄弁な神父は「今日、ペストがあなたがたにかかわりをもつようになったとすれば、それはすなわち反省すべき時が来たのであります」「あなたがたは、日曜日に神の御もとを訪れさえすれば、あとの日は自由だと思っていた。(中略)しかし、神はなまぬるいかたではないのであります」と信仰の深化を求める。すべての聴衆が神父に同意したわけではなかったが、「この説教はある人々に、それまではおぼろげであった観念、すなわち自分たちは何か知らない罪を犯した罰として、想像を絶した監禁状態に服させられているのだという観念を、一層はっきりと感じさせたのである」。

 リウーはこの説教に違和感を感じていた。タルーとの会話で、彼は神を信じていないと明言したうえで、「パヌルーは書斎の人間です。人の死ぬところを十分見たことがないんです。だから、真理の名において語ったりするんですよ。しかし、どんなつまらない田舎の牧師でも、ちゃんと教区の人々に接触して、臨終の人間の息の音を聞いたことのあるものなら、私と同じように考えますよ。その悲惨のすぐれたゆえんを証明しようとしたりする前に、まずその手当をするでしょう」と厳しく批判している。

 夏を過ぎてもペスト禍はおさまる兆しを見せなかった。死者を埋葬する棺や墓穴も不足する悲惨な状況が詳しく描き出されている。これは過去のペスト禍の記録をもとに書かれたものだろうか。死亡率の高い感染症が社会を襲うとこうした悲劇が起きるのかと戦慄させられる。新型コロナによる肺炎でもそうだが、感染症患者の最期に肉親が立ち会うことは困難だ。集中治療室(ICU)のガラス越しに最期を見送ったという証言もあって、なんとも言えない気持ちにさせられる。

 患者が出るとその家族は予防隔離されてしまう。オランでは広い競技場のようなところに隔離されることになっていた。予審判事のオトンは幼い息子がペストを発症し、苦しみのうちに死んだが、死に目に立ち会うことはできず、治療に当たったリウーからその様子を聞くだけだった。神父のパヌルーもやがて保健隊の活動に加わることになる。ランペールやパヌルーの「回心」もこの小説のハイライトなのだろう。少年の死にうちひしがれるリウーはパヌルーとの間で口論に似た会話をする。「子どもたちが責めさいなまれるように作られたこんな世界を愛することなどは、死んでも肯(がえんじ)ません」と憤るリウーに、パヌルーは「私には今やっとわかりました。恩寵(おんちょう)といわれているのはどういうことか」と応える。二人の心が通い合った瞬間だった。

 パヌルーの二回目の説教はそのあとの大風の日に行われた。聴衆は一回目より減ったが、「神父は第一回のときよりももっと穏やかな考え深い調子で話し、そして幾度も、会衆はその話しぶりにある種のためらいがみられることに気がついた。さらに興味深いことには、彼はもう『あなたがたは』とはいわず、『私どもは』というのであった」。この説教から数日して神父は自分の居室からある老婦人の部屋に引っ越すが、突然の著しい身体の不調にさいなまれる。かけつけたリウーはすぐに入院の処置をとるが、彼もまたペストの犠牲者となる。

 そのころ、ペストの猛威は潮が引くように終息に向かう。ようやく城門の閉鎖が解かれ、ランペールはパリからかけつけた彼女と無事再会する。だが、手帳に詳細な記録を残していたタルーも病気で死ぬ。小説の主人公リウーも妻が療養所で死んでいたことを知らされる。最後に、この小説の語り部がリウー自身であることが明かされる。ペストの終息で、オランの街は喜びに包まれ、市がペスト勝利の記念碑を建てる計画であることも明かされる。

 だが、作者はこう書く。「しかし、彼はそれにしてもこの記録が決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた。それはただ、恐怖とその飽くなき武器に対して、やり遂げねばならなかったこと、そしておそらく、すべての人々ーー聖者たりえず、天災を受け入れることを拒みながら、しかも医者となろうと努めるすべての人々が、彼ら個々自身の分裂にもかかわらず、さらにまたやり遂げねばならなくなるであろうこと、についての証言でありえたにすぎないのである」「事実、市中から立ち上げる喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦が常に脅やかされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることを知っていたからであるーーペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、(中略)そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを」。

 物語はこれで終わる。まことに不幸なことだが、この予言が70年以上経ったいま、的中していることに戦慄させられる。人類はずっと以前から疫病(感染症)を克服したつもりでいたが、それは真実ではなかった。絶えず疫病への警戒を怠らないようにし、不幸にしてその端緒が見えたときは、すべての人々が全力で立ち向かわなければならない。「ペスト」と新型コロナウイルスのパンデミックは改めてそのことをわれわれに教えてくれる。