ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

南海トラフ地震の真実 小沢慧一 南海トラフ地震の異様に高い発生確率は本当に信用できるのか?

2024年03月15日 | 読書日記
南海トラフ地震の真実 小沢慧一 南海トラフ地震の発生確率はどこから導き出されたのか?



 著者は1985年生まれの中日新聞(東京新聞)記者。社会部科学班に所属している。
今後30年以内の南海トラフ地震の発生確率は70~80%と予想され、きわめて高いが、それに疑問を持つ研究者の発言に関心を持って取材を始めた。その数字が科学的には根拠が薄弱なことを突き止め、この数字をもとに国の予算がえこひいきされている状況を明らかにした。上司からの指示ではなく、独自判断での取材だった。中日新聞での連載は2020年に日本科学技術ジャーナリスト会議の科学ジャーナリスト賞を受賞、その後出版された本書には2023年に菊池寛賞が贈られている。表現は平明で読みやすい。大手の新聞社だとこうしたテーマには通常、数人のチームを組むが、著者は独力で取材を完結した。その熱意と持続力にも感嘆する。

 それにしてもいつも、狼少年のように、南海トラフ地震が起きれば関東から九州までの太平洋沿岸の広大な地域で、大津波などで何十万人もの人が犠牲になる、被災者の数だろうか。現時点で予想される南海トラフ地震の発生確率が下がっても、そうした地震が起きないというわけでは決してなく、切迫度が多少下がったにすぎない。今から13年前の2011年3月11日午後発生し、約2万2000人の死者・行方不明者と福島第一原発事故を引き起こした東日本大震災以降、多くの犠牲者を出したのは2016年4月14日の熊本地震、2018年9月6日の北海道胆振東部地震、2024年1月1日の能登半島地震などがある。地表を覆う大きなプレートの境界にある日本列島周辺ではこれからも被害地震が起きる。その意味で日常的な防災対策や防災意識はきわめて重要だ。だが、南海トラフの巨大地震が切迫していることばかりが叫ばれると、他の地域は「相対的に安全だ」と誤認される可能性もある。1995年1月に起きた阪神・淡路大震災(M7.3)は兵庫県を中心に6000人以上の犠牲者を出したが、関西は大地震が起きないという妙な安全信仰が広がり、油断が被害を広げる結果につながったとも言われる。南海トラフ一辺倒の報道が他地域での警戒を弱め、対応や対策に遅れを取るようなことがあってはならない。

 著者がこの取材を始めたのは2018年2月。名古屋で防災分野を担当していて、政府の地震調査委員会が南海トラフ地震の30年以内の発生確率を「70%程度」から「70~80%」に変更すると聞きつけ、旧知の名古屋大鷺谷威教授(地殻変動学)に電話を入れたときからだ。だが、教授の返答は意外なものだった。「南海トラフ地震の確率だけ『えこひいき』されていて、水増しがされています。そこには裏の意図が隠れているんです」「個人的には非常にミスリーディングだと思っている。80%という数字を出せば、次に来る大地震が南海トラフ地震だと考え、対策も焦点がそこに絞られる。実際の危険度が数値通りならいいが、そうではない、まったくの誤解なんです。数値は危機感をあおるだけ。問題だと私は思う」。この言葉に著者は困惑する。「南海トラフだけ、予測の数値を出す方法が違う。あれを科学と言ってはいけない。地震学者たちは『信頼できない』と考えています。他の地域と同じ方法にすれば20%程度にまで落ちる。同じ方法にするべきだという声は地震学者の中では多いんです。だが、防災対策を専門にする人たちが、今さら数値を下げるのはけしからん、と主張しています」。これをデスクに報告すると、「(発生確率の変更は)そんなにでかでかと書かない方がいいな。粛々と報じよう」と理解してくれた。

 2018年時点での「70~80%」への変更は、2013年の評価(70%程度)が発表されてから5年も経っている。著者が「どれくらい知られている話なんですか」と聞くと、鷺谷教授は「確率の決定の経緯は、当初マスコミに知られることを恐れて、表に出されていない話なんです。過去に別の新聞の科学部の記者さんにお話したことはありますが、記事にはなりませんでした」と教えてくれた。教授はこれを決めた委員会の議事録が残っているはずだ、とヒントをくれた。所管の文部科学省に情報公開請求すれば出てくるかもしれないという。そこで著者は初めて情報公開請求に取り組む。これは情報公開法に沿って、誰でも行政機関が持つ資料を請求できる制度だ。請求方法は各行政機関のホームページに出ている。数百円程度の手数料が必要だが、「行政文書開示請求書」に必要事項を記入し、送付すると30日以内に開示、不開示の決定がされて通知される。著者の場合は名古屋から文科省に請求書を送り、開示の決定を受けて手数料を支払い、ほどなく文書のコピーが送られてきた。議事録には2012~13年に政府の地震本部の専門機関で、地震学者が中心になって構成された「海溝型分科会」での発言がそのまま掲載されていた。開催日時や参加者は記されているが、発言者の名前は伏せられて記号になっている。これは情報公開法で、個人に関する情報は不開示にできると定められているからだ。議事録の内容は興味をそそるものだった。

 「%%委員 『確率計算を以前のやり方で今やれば、70%か80%という30年確率が出てくると思うが、やり方一つ変えれば20%にもなる数字だということは、どこかに含ませておくべきではないか』」。別の委員は「全国地震動予測地図で南海トラフだけ時間予測モデルを使っていることはおかしい。確かにそこだけ赤くなる(=高確率を示す)が、本当にそれが科学的に正しいのかということをきちんと見直す必要がある。時間予測モデルを使っているのは南海トラフだけである」「%%委員 2002年にパークフィールド(米国)の地震をもって時間予測モデルが破綻しているという論文がネイチャーに出ていた。時間予測モデルに対する批判や検証が必要だということは研究面からいろいろ出ている」。

 著者は2018年にこの議事録を見て、こうした議論が6年前に行われていたにもかかわらず、「なぜそうした経緯を説明することなく(高い発生確率を)公表したのか。全てのメディアがそのまま報じたことに、怒りと悔しさ、情けなさを感じずにいられなかった」と憤る。このモデルは実は、高知県室戸岬近くにある室津港1か所のデータで計算されていた。南海トラフ地震は静岡県から九州までの広い範囲で起きると考えられている。それがなぜ1か所のデータで計算するのか。このデータを採用しなければ、高い確率にはならず、20%ほどの低い確率しか弾き出されない。事務局はそこを心配していた。同じ議事録によると、事務局の担当者は、「問題はこれ(時間予測モデル)を否定してしまうかということである。否定してしまうと、今までの60%という数字は消える」と正直だ。これについて、「ΘΘ委員 『サイエンスの議論をさせてもらうのであれば、やはり残すのは妥当ではないと思う。少なくとも、この委員会では時間予測モデルは妥当ではないという意見があるわけで、それを出すのは納得できない』」。このモデルは01年の評価の時に採用された。分科会では、「前回の経緯はよく知らないので、どうして時間予測モデルを敢えて採用したのか知りたい」という意見も出た。これは地震学者の島崎邦彦氏が提唱したモデルだ。地震本部長期評価部会の部会長のほか、海溝型分科会の主査も務めた地震学界の重鎮だ。福島第一原発事故を受け、2012年に発足した原子力規制委員会の委員長代理に就任したのを機に地震本部の役職は辞任している。

 すぐに取材を申し込んだが、多忙を理由に断られ、メールでやりとりする。時間予測モデル導入の経緯を聞くと、01年評価検討時の議事録を調べるようアドバイスがあった。早速、文科省に議事録の情報公開請求をする。だが、この時の議事録は海溝型分科会の議事録と違って発言内容の逐次記録ではなく、発言の要約だった。ここでも時間予測モデルの導入に少数ながら批判的意見があったことがわかった。島崎氏はメールでのやりとりで、「防災の観点で、現在の防災対策としては時間予測モデルでやれば2040年ごろ、つまり今世紀前半、単純平均モデルにすると今世紀後半になってしまう。低い値にすると、今すぐ何もすることはないと受け取られる」と答えてきた。「(この言いぶりは)科学的観点というよりは、確率を高く出しておいた方が防災対策を進めるうえで都合がいいという行政的な理由を優先したと受け取れる」と著者は書く。この点を詰めると、こんどは別の委員の名前を出して時間予測モデルを使った理由の説明にしてきた。モデルの採用に関してはさまざまな議論があった。著者がさらに取材したところ、最終的に時間予測モデル採用を決めたのは2001年当時、地震調査委員長だった津村建四朗氏とわかった。津村氏にも取材したところ、導入を決めたことを認めたうえで、「元々私のところに上がってきた確率の原案が『21世紀中に地震が起こる可能性が高い』という程度の表現だったんです。それを見て、私は『この程度じゃ防災につながらないだろう』と、もっと切迫性があるものを考えるべきだと思ったんです」。津村氏も今では時間予測モデルに批判が多いことを考慮し、このモデルの採用には懐疑的になっている。この間の研究者とのやりとりは迫力がある。関心のある方は是非、本書で経緯を知っていただきたい。学界の重鎮を相手に、突っ込んだやりとりを続けるのはベテラン記者でも簡単なことではない。

 ここまでが第一章の「えこひいきの80%」。第二章は「地震学者たちの苦悩」。地震学者たちの時間予測モデル採用への懐疑や批判に対し、防災側の委員から猛反発が起きる。海溝型分科会の上部組織に当たる政策委員会からだ。政策委員会には防災専門家や行政担当者が多く入っている。海溝型分科会の委員が時間予測モデルの問題点を説明したところ、「防災側の人から確率を減らされては困るという発言が大分あった」とか、「確率を下げることによって、一般の人だけではなく、実際に防災をやっている人たちの取り組みが遅れることになるという意見も出ていた。厳しい意見が出ることは想像していたが、それ以上に強い意見が出ていた」「自治体や建設業界の委員は、(中略)とにかく確率が下がることは困るという意見だった」。

 「議事録の行間からは、委員が想定以上の反発に冷汗をかく姿や、専門家として提案した内容を足蹴にされたことに悔しさをかみしめる表情など、ぴりぴりとした雰囲気が想像された」。この議論の後、反発の強さを考慮し、報告書には時間予測モデルと単純平均モデルの結果を両論併記する方向になった。しかし、結果的には両論併記にならず、時間予測モデルだけが報告書の主文に残った。疑問を持った著者は当時の委員や文科省の担当者20人近くに総当たりで取材した。地震学が専門の産業技術総合研究所の宍倉正展氏は「『納得しているかと言われたら、しているとは言えないけれど、行政判断だから仕方がなかったんです』と苦々しく振り返った」。当時、海溝型分科会主査だった東大地震研教授の佐竹健治氏は上部機関である地震調査委員会の委員も務めていた。地震本部は調査委員会と政策委員会の二本立てになっている。佐竹氏は「政策委員会の意見を聞いたことは今までなかった。かなり特殊な案件でしたね」と話した。教授は時間予測モデルの採用には当時、地震調査委員長だった本蔵義守東工大特任教授の判断が大きかったと説明した。一方、時間予測モデルの採用に強い異論を述べたのは京大防災研教授の橋本学氏だった。橋本氏はメールでの取材に「『時間予測モデルには問題があり、このメンバーで議論した結果、確率は下がることになった』と正直に述べるべきだと思います」と答えている。著者は直接、防災研を訪ねて取材する。橋本氏は時間予測モデルの信ぴょう性を疑う理由に、「元データとしている室津港の海底の隆起量にどれだけ信ぴょう性があるかという問題もあるんですよ」とも教えてくれた。

 著者は地震調査委員会の政策委員会、総合部会の合同委員会の議事録を入手しようと試みる。これが役所側の執拗な抵抗に遭った。ようやく手に入れた合同部会の議事録では、防災側委員が地震学者を激しく追及したことが伝わってくる。「私たち、もうさんざん(高確率を導く)時間予測モデルで頭を洗脳されているんですよね。多分そういう人が世の中にはすごく多いはず」「ものすごい混乱を(社会に)引き起こす」。著者は最終的に両論併記を採用しなかった経緯も当時の事務局担当者に取材した。この間の取材の成果は中日新聞の「ニュースを問う」という特集面に、2019年10月20日から12月1日まで7回掲載された。これが翌年科学ジャーナリスト賞を受ける。

 読者からの後押しもあって著者は時間予測モデルの検証にも取り組む。その根拠になったのは東京帝大今村明恒教授(1870‐1948)の論文だ。今村氏は地震学の泰斗で、1905年の段階で、関東大震災(1923年)の発生を事前に警告した気鋭の学者として知られている。橋本教授に、1930年に地震学会誌に掲載された今村論文を教えてもらい、調べることにした。この論文には南海トラフ地震のひとつ宝永地震(1707年)の発生前、宝暦9(1759)年、その後(1765年)の3回にわたって室津港の水深を測量した記録が出ている。驚くべきことに、この90年以上前の論文が時間予測モデルの根拠になっていた。これは江戸時代に室津港の港役人だった久保野家に伝わる古文書の記録で、「久保野文書」と呼ばれている。

 著者は「久保野文書」を探すことから始めた。室戸市役所に連絡すると、文書はわからないが、久保野家の末裔の人は見つかったと連絡がきた。久保野文書を保管し、今村教授が1930年に面会したという久保野繁馬氏の孫の久保野由紀子さんだった。史料は自宅のたんすの中にしまっているという。その後、地震研究者が原典を見に訪れたことはないようだ。時間予測モデルは南海トラフ地震が切迫していることの最大の根拠で、南海地震対策には2013年から23年までの間に約57兆円、2025年までに国土強靭化対策として、さらに15兆円の事業が実施される予定だ。地震調査関係でも毎年約100億円の予算がついている。2020年8月、著者は名古屋の中日新聞から東京新聞社会部に異動し、持ち場が東京地検特捜部になった。さらにコロナ禍で、出張取材はままならなくなった。上司からは「二足のわらじをはけ」と激励されたが、特捜部担当にそんな時間的余裕はない。

 文科省が議事録の開示を渋ったのには理由があった。政策委員会、総合部会の合同部会が大荒れになっていたのだ。防災側の委員が地震学者を手厳しく追及していた。「私たち、もうさんざん(高確率を導く)時間予測モデルで頭を洗脳されているんですよね。多分そういう人が世の中にはすごく多いはず」「ものすごい混乱を(社会に)引き起こす」。取材では、当時地震調査委員会の委員長を務めていた本蔵氏が独断で時間予測モデルの採用を決め、異論を押し切ったようだ。

 著者はその後、久保野文書に遭遇する。2022年4月のことだ。文書を自宅に保管していた久保野繁馬氏の孫の由紀子さんに会うことができた。だが、文書は散逸を恐れた由紀子さんの意向で高知市の高知城歴史博物館に寄託されていた。歴史博物館でようやく久保野文書と対面する。学芸員の助けを借りて文書を解読し、写真に撮って持ち帰った。東京では京大から東京電機大特任教授に転じていた橋本氏のチームの力を借りて文書の解読に挑む。そこで意外な発見があった。大地震が起きるたびに隆起する港の機能を維持するため、港は毎年、大規模な浚渫を繰り返していた。しかも久保野文書にある水深の記録は久保野家の測量結果ではなく、港役人の測量を転記したものだった。むろん測量時期や測量地点、測量方法など詳細は残っていない。さらに宝永地震の前後も含め、室津港は毎年、数千人の人出で浚渫が行われていたことがわかった。こうした問題点は今村論文には指摘されていない。

 このデータをもとに島崎氏に再取材する。島崎氏はむろん、久保野文書は初見で、データのあいまいさは認めたものの、時間予測モデルを撤回することはなかった。データの正確性が不明ならその部分を削除すればいいという判断だった。こうしたデータをもとに著者は地震調査委員会の幹部にも見解を求めるが、わかりやすい返答はなかった。著者はこの取材をもとに2022年9月11日の東京新聞1面トップに、「『南海トラフ地震』確率に疑義」の記事を書く。脇見出しに「根拠の地盤変化 工事原因の可能性」「70~80%→再検討を」とある。著者による「備え必要 変わりなく」という解説も出ている。評者は抑えと目配りの行き届いた優れた記事だと思った。

 著者はさらに取材を続ける。日本の地震予知を厳しく批判する東大のロバート・ゲラー名誉教授は、「前兆現象はオカルトみたいなものです。(中略)予知が可能と言っている学者は全員『詐欺師』のようなものだと思って差し支えないでしょう」とまで言い切った。ほかにも予知に批判的な学者はいるが、メディアで大きく扱われる機会は少ない。それは地震学者の大勢が予知を完全には否定せず、大規模に流れ続ける地震対策予算の恩恵に預かり続ける「地震ムラ」に属していることと関係していそうだ。さらに政治が極端な被害想定をもとに、予算獲得に利用しようとしている。2012年に与党に復帰した自民党は国土強靭化計画が看板の政策だ。この計画には公共インフラの整備に湯水のような予算がつぎ込まれている。だが、肝心の被害防止や軽減となるとはなはだ心もとない。評者は元日に発生した能登半島地震の惨害が気になってならないが、幹線道路など肝心のインフラが2か月以上経っても回復していないのを見ると、何のための国土強靭化だったのかと慨嘆せざるを得ない。

 本書を読んで、若手記者の探究がこれほど大きな成果を挙げたことに快哉を叫びたいが、同時に原発事故当時の原子力と同様、科学や技術の世界に今も強く残るボス支配やムラ体質に大きな失望を禁じ得ない。だが、一人の記者の取材がここまでの道のりに到達したのは大きな救いだ。若手記者に自由な取材を容認する中日新聞(東京新聞)の懐の深さにも感心した。第二、第三の小沢慧一記者の登場を強く期待したい。