Mamiのひとりごと

楽しいことも、悲しいことも。

子供へ「がん」をどう伝えるか パート3

2007-06-21 | 私のつぶやき
natsuさんのコメントをきっかけに本棚から「talking to children」という冊子を手にとって再読してみた。

子供が何歳であろうとも、子供に何も知らせないということが、“ショックを受けることから守る”ということには必ずしもならない、とある。

たとえ、幼児であれ、“何か起こっている”と感じ取る。子供は自分たちに向けられる関心が希薄になることに気づく…。
読んでみると、改めて「そうだよな~」と思うことばかり。

人間(大人)不信になるキッカケを作ってしまうかもしれないので、「嘘は絶対に言わない」「守れないかも知れない約束はしない」
特にこういう大切な場面では、細心の注意が必要だろうと思うのでした。

「ママ(パパ)は絶対に治るよ」…などと、(そういいたい気持ちは山々だけど)安易な言葉は言ってはいけないのです。

これは、家族だけではなく周囲へ伝えて(お願いして)おかなければならない事なのかも知れません。
他人は(特に日本人は)、良かれと思って、こういう言葉を子供へ言うようですね。
これは…イカンのです(ーー;)


子供にもいろいろな子がいて(当たり前だけど)、悲しみや苦痛を怒りとして表出する子もいるので、周囲の大人は理解できずに困惑することもあるようです。
また「泣くことが悪いこと」だと思っている(「男の子は泣いちゃいけない…」などと教育されてきた)子供もいるでしょう。そういう子供は、非常に苦しい。。。

子供には繰り返し、繰り返し、なるべくスキンシップをしながら、事実を解りやすく話すことが大切なようです。

「死について」は9歳ごろからは、ほぼ大人と同じに考えるようになるようです。
「死は苦しくて怖ろしいもの」と考える子供は、大人ともっと「死について話をしたいと思っているようです。


難しいかもしれませんが、出来るだけオープンに話をすることが望ましいと思います。
アメリカでは、多くの家族が、「がんの闘病中に親子関係が改善された」と言っているそうです。
お互いが親密になって一緒の時を過ごす幸せを実感するのだそうです。困った行動に出る子供は3割程度で、自分に注目してほしい…とか自信を喪失してしまった子供達、大人の緊張に揺れる子供もいるし、また、大人の反応を試すために困った子供になろうとすることもあるようです。

子供なんだから真実を知らなくていいいはずはないのですよね。
大切な子供達なのだから。
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1 コメント

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語る術がまだ分からない (百軒)
2007-06-22 17:05:28
柳澤桂子氏の「死」に対する考えには,肯う処が多い。しかし、自分の言葉で語る自信はない。

4歳の幼女が居た。まもなく妹が生まれるのも近い日であった。父親が、予兆を与えることなく、投身自殺をした。騒然とした雰囲気の中で、幼女はひたすら父親の帰りのみを待っていた。

妹が生まれ、父親の事を聞く幼女に手を焼いた母親は、爺に幼女を託す日が増えた。婆は、幼女が胎児で居た時に、すでに肺がんで世を去っていた。幼女の父親の家系とは、葬儀以降は縁が切れて、幼女の頼れる身内は、この爺だけだったのである。よく懐いたが、父親の死は受け入れなかった。「いつ帰るの」「何処へ行ったの」と問う幼女に、爺は、「お空の星になった」と答えていた。

二年経ち三年たって、お空の星も受け入れたが、父親の死は受け入れない。異常な死であったのを、誰もタブーでとして話さないのに、幼女は何かを知っているのである。

三年過ぎた頃から、母親が、夫の死・親族との葛藤・出産育児の苦悩からやっと脱し始めた。学校生活もはじまっており、母親の受け入れを感じて、幼女は、明るさを取り戻してきた。しかし、墓域や救急車に父親を思い出すようであり、その死は、まだ受け入れていないところがある。爺は、説を変えず、母親はその死を絶対に口にしない。

四年目に、爺が脳梗塞で急死した。爺の親友としてよく知っていた幼女は、納棺の時に涙ぐんでいたが、しっかりと、「さようなら。大きなお星様になってね」
と語りかけていた。一周忌の時に、声を掛けたら「パパも爺もお空のお星様になっちゃた」と明るく話を返してきた。

この幼女の心にある『死』は、私の考えている死よりも重いと思う。私には、まだ、話せない。
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