ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

護憲派に問う。「平和」とはどういう状態か?

2009年05月05日 | 憲法9条
憲法記念日で街頭活動や集会(中国新聞) - goo ニュース

 憲法記念日の3日、広島市内で憲法をテーマにした街頭活動や集会があった。
 市民団体「第九条の会ヒロシマ」(岡本三夫世話人代表)は中区の原爆ドーム前で、九条改正の賛否を問うシール投票を実施。444人が参加し、86.9%にあたる386人が改正反対にシールを張った。
 安芸区矢野町の主婦西塔文子さん(50)は「戦争の歯止めになる九条は平和を守るのに有効だ」と主張した。
 


 戦争がない状態すなわち平和、という理解が、この記事にあるコメントからも、そして護憲派の発想からも受け取れる。しかし、彼らのテクストの中では、戦争とは日本が一方的に仕掛け、そして平和とは日本が戦争をしない状態ということに理解されているきらいがある。よって、このテクストでは「平和を回復するための戦争」というケースを想定することができない。

 しかし、本当の意味の「平和」とは、「生命・身体・財産の危機がない状態」のことを言うのではないか。銃声が響かず、ミサイルが飛んでいない状態が平和というよりも。日本に対しミサイルを撃ち込んだり、特殊部隊を潜入させる程度の能力を持つ国なら複数存在する。北朝鮮、中国などがそうだ。

 仮に上記のような事態になったら、日本は「平和」を回復するため(=目の前にある脅威を排除するために)に戦争(戦闘行為)を起こすことは、果たして「平和」に背くことなのだうか。これさえも否定し、座して死を待つのが平和なのか。



 戦争と平和を対立する概念として把握(戦争か平和)するよりも、平和を脅かされたらどうするのか、戦争と一口に言っても、平和を取り戻すための戦争もあるのではないか。こう考える必要がある。

 これは国内治安の問題に置き換えてみれば、すぐにわかる。どんなに凶悪犯が跋扈しても、それに対する実力行使を否定するのが「治安のよい状態」だという人は、まずいない。護憲派は、「警察が存在しなければ他人を罪人視することもないし、犯罪もおきない」と考えるだろうか。だがもちろん「治安回復のための実力行使」という名分を使えば何をしても許されるということはない。軍事力もそれは同じことだ。

 つまり、こちらが武器を棄てたとしても、相手もそれに倣って武器を捨てるということは必ずしも成立しないし、武器を棄てることが平和かというと、決してそうではない。そのことは、9条を持っていながら、その日本に向かってミサイルを発射して憚らない国が存在していることからして、明らかなはずなのだが。



 では、軍備がなければ他国から敵視されることもないし戦争することもない、ということになるのか。そしてこれこそが真の平和なのか。

 しかしながら、軍備がなければ敵視されないというのは、完全に因果関係を間違えた考え方である。たとえば中国や韓国は、「日本に軍備があるから」という理由で、尖閣諸島や竹島の領有権を主張しているわけではない。軍備の有無とは関係なく、利害の対立が生じることが戦争の原因なのである。

 そして、この発想を敷衍すれば、それではどうして社民党や共産党には警備員がいるのか、ということになる。彼らの発想からしてみれば、これは紛れもなく相手から敵視され、危険な行為のはずである。言っていることとやっていることがまるで矛盾しているではないか。



 こうして論理矛盾が露呈してくると彼らはこう言ってくる。「それならお前は戦争に行く用意があるのか」と。

 これに対しては、「それならお前は一方的な殺戮行為を受忍する覚悟があるのか」と問いたい。

 確かに中には、「殺すより殺される方がマシだ」と、本多勝一のようなことを言い放つ者もいるだろうが、そんなことをいう者でも、私が殴りつければおそらく怒るだろう(笑)。一方的に殴られる覚悟はなくても、一方的に殺される覚悟はあるらしい。護憲派とは不思議な人種である。

 もし仮に「殺すより殺される方がマシだ」という信念を確固として持っていても、その信念を他人(他の日本人)に押し付ける権利を、彼らがどこから引っ張り出してきたのかという問題は残る。彼らだけが嬲り殺されるだけであるなら勝手にどうぞということになるが、これを憲法9条の求める姿として、他の者に押し付けることに結果としてなっているのだから、黙っているわけにはいかない。

 彼らが自分のイデオロギーに殉じることを他者に強いるのであれば、彼らが嫌う「昭和の軍部」と何が違うのというのか。そんな「平和」を私は求めたくない。平和を得るには、それが侵害されたときには断固として武力をもって排除するという姿勢がなければならない。



 今回も、私叔する思想家である神名龍子さんのご意見を参考(というかほぼ引用!?。神名さんすみません・・・)にさせていただきました。神名さんの論考にはいつも感心しております。これからもどうかその健筆と鋭い洞察力を如何なく発揮されることを楽しみにしています。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (名無し)
2009-05-06 02:38:16
憲法は手段であって、目的ではない。

憲法が原因で国民の安全が守れないのなら、本末転倒ですね。
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名無しさん (管理人)
2009-05-07 02:09:04
コメントありがとうございます。

まさにご指摘の通り、憲法はあくまでも国家統治(国家と国民との関係の規律)のための手段であって、目的ではありません。

憲法はあくまでも国家あっての存在ですので、その国家の存在を脅かす憲法というのは、実際のところ形容矛盾をきたしてますね。
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