朝日支局襲撃誤報、新潮が社長・前編集長ら減俸3か月(読売新聞) - goo ニュース
1987年5月の朝日新聞阪神支局襲撃事件などを巡って、「実行犯」を名乗った島村征憲氏(65)の手記を週刊新潮が掲載した問題で、出版元の新潮社(東京都新宿区)が1日、手記が誤報だったことに関する社内処分として、佐藤隆信・社長や、早川清・前週刊新潮編集長(4月20日付で交代)ら役員9人全員の役員報酬を1日付で減俸にしたことがわかった。
同社広報宣伝部によると、減俸はいずれも3か月間で、佐藤社長と早川前編集長は20%、残る7人は10%。
同社は、この処分について社内に掲示するなど社員に知らせただけで、誌上での公表や記者会見などでの発表をしていない。
これについて、広報宣伝部は、週刊新潮4月23日号に「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に 騙 ( だま ) された」とする記事を掲載したとして、「読者や関係者に対するけじめは済んでいる」としている。
「週刊新潮」の取材が裏付け作業を怠り、軽率だったというのは言うまでもないが、朝日は新潮を批判する資格はない。朝日は4月17付社説において、「週刊新潮―「騙された」ではすまぬ 」と、新潮側の軽率な行動を厳しく批判したが、では、朝日は新潮にそのように居丈高になって物言える立場なのだろうか。
私がそのように思うのは、かの有名な、「教科書誤報事件」である。これは、1982年6月26日、朝日をはじめとするマスコミ各社が、「文部省が教科書検定において、高等学校用の日本史教科書の記述を、“侵略”から“進出”へと改めさせた」と一斉に報じたという事件である。しかし、これはその後、発端となった実教出版の「世界史」の、「華北へ侵略」を「華北に進出」と書き換えた記述は存在せず、誤報であったことが判明し、マスコミはその対応に追われた。
そこで朝日がとった対応は以下のようなものだった。
「今回問題となった箇所については、当該教科書の『原稿本』が入手できなかったこと、関係者への確認取材の際に、相手が『侵略→進出』への書き換えがあったと証言したことなどから、表の一部に間違いを生じてしまいました。」(1982年9月19日付朝刊)
つまり、資料も手に入らなかったし、嘘の証言もあったので、それを鵜呑みにして報道してしまったのだから、誤報であっても仕方ない、と言いたいのだ。朝日は、裏を取るという、ジャーナリズムの基本中の基本を怠ったがために誤報を出す事態になったのに、そのことを悪びれることなく、さも「相手が悪い」と言わんばかりの言いわけをしていたのだ。
しかもこれだけでなく、「ことの本質は文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにある」と述べ、誤報の責任を、その被害者である相手方(文部省)に転嫁するようなことまで述べている。こんな朝日が新潮を批判できようか。
もし、新潮があのとき朝日が使った同じ言いわけを展開して、責任転嫁を図ったら、朝日は批判を強めたに違いない。だが、世間では、朝日のような人間を、ご都合主義、二枚舌、他人に厳しく自分に甘い、と言う。
自分たちも過去に大誤報をしでかしておきながら、そのときは責任を被害者になすりつけて逃げたのに、新潮に対しては、「騙された」ではすまぬ とは、朝日新聞というのは随分と顔の皮が厚い方が多いようで(嘲)。
1987年5月の朝日新聞阪神支局襲撃事件などを巡って、「実行犯」を名乗った島村征憲氏(65)の手記を週刊新潮が掲載した問題で、出版元の新潮社(東京都新宿区)が1日、手記が誤報だったことに関する社内処分として、佐藤隆信・社長や、早川清・前週刊新潮編集長(4月20日付で交代)ら役員9人全員の役員報酬を1日付で減俸にしたことがわかった。
同社広報宣伝部によると、減俸はいずれも3か月間で、佐藤社長と早川前編集長は20%、残る7人は10%。
同社は、この処分について社内に掲示するなど社員に知らせただけで、誌上での公表や記者会見などでの発表をしていない。
これについて、広報宣伝部は、週刊新潮4月23日号に「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に 騙 ( だま ) された」とする記事を掲載したとして、「読者や関係者に対するけじめは済んでいる」としている。
「週刊新潮」の取材が裏付け作業を怠り、軽率だったというのは言うまでもないが、朝日は新潮を批判する資格はない。朝日は4月17付社説において、「週刊新潮―「騙された」ではすまぬ 」と、新潮側の軽率な行動を厳しく批判したが、では、朝日は新潮にそのように居丈高になって物言える立場なのだろうか。
私がそのように思うのは、かの有名な、「教科書誤報事件」である。これは、1982年6月26日、朝日をはじめとするマスコミ各社が、「文部省が教科書検定において、高等学校用の日本史教科書の記述を、“侵略”から“進出”へと改めさせた」と一斉に報じたという事件である。しかし、これはその後、発端となった実教出版の「世界史」の、「華北へ侵略」を「華北に進出」と書き換えた記述は存在せず、誤報であったことが判明し、マスコミはその対応に追われた。
そこで朝日がとった対応は以下のようなものだった。
「今回問題となった箇所については、当該教科書の『原稿本』が入手できなかったこと、関係者への確認取材の際に、相手が『侵略→進出』への書き換えがあったと証言したことなどから、表の一部に間違いを生じてしまいました。」(1982年9月19日付朝刊)
つまり、資料も手に入らなかったし、嘘の証言もあったので、それを鵜呑みにして報道してしまったのだから、誤報であっても仕方ない、と言いたいのだ。朝日は、裏を取るという、ジャーナリズムの基本中の基本を怠ったがために誤報を出す事態になったのに、そのことを悪びれることなく、さも「相手が悪い」と言わんばかりの言いわけをしていたのだ。
しかもこれだけでなく、「ことの本質は文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにある」と述べ、誤報の責任を、その被害者である相手方(文部省)に転嫁するようなことまで述べている。こんな朝日が新潮を批判できようか。
もし、新潮があのとき朝日が使った同じ言いわけを展開して、責任転嫁を図ったら、朝日は批判を強めたに違いない。だが、世間では、朝日のような人間を、ご都合主義、二枚舌、他人に厳しく自分に甘い、と言う。
自分たちも過去に大誤報をしでかしておきながら、そのときは責任を被害者になすりつけて逃げたのに、新潮に対しては、「騙された」ではすまぬ とは、朝日新聞というのは随分と顔の皮が厚い方が多いようで(嘲)。