随所随縁

所に随(したが)い、縁に随い、時に随い、想いに随い、書き留めていきたい。

全国城下町シンポジウムについて

2006-05-23 23:38:02 | Weblog

毎年、この時期になると、「全国城下町シンポジウム」というのが開催されます。
「城下町」、つまり領主が住み、政治の拠点であるお城を中心として、その周りにさまざまな身分の住民が集まった町は、一説によると戦国時代の豊臣秀吉の長浜城下がはじまりと言われています。なので、城下町は400年以上の歴史を持っていることになります。江戸時代には領主(いわゆる大名)が300ほどありましたから、300の城下町が存在したことになります。そして、例外はありますが、現在の日本の主要都市のほとんどが城下町(東京、大阪、名古屋・・・から我が町松本まで)から発展した町であることを考えると、「城下町」は日本の社会に馴染みやすい形態であると言えます。

しかし、現在では、城下町のシンボルであるお城も高層ビルに埋もれ、城下町の名残である地名(丸の内、大手町、御徒町、鷹匠町、桶屋町・・・)も中央一丁目とか、東町三丁目などといった地名に代わりつつあります。そんななかで、城下町特有の環境をいかしたまちづくりをめざし、全国の城下町に住む青年会議所が主催しているシンポジウムが「全国城下町シンポジウム」です。

豊臣秀吉のころの城下町は、当時は「楽市楽座」などと同様に非常に斬新なシステムであったかと思いますが、江戸時代になると、300もの城下町が誕生し、町そのもの(ハードウェア)としては規模の大小はあるにせよ、ほとんどが長浜のコピーでパターン化されたものであろうと思われます。それは城下町の地名がほとんど全国共通であることからもわかります。現在でいえば、大手私鉄の沿線の町が私鉄の駅を中心に、その私鉄系列のスーパーがあり、駅前商店街があり、マンション・住宅があり・・・とパターン化されているのと似ています。

一方で300の城下町の多様性を生んだのが、その土地の気候風土もありますが、そこの領主の個性や政策、そして地域住民の努力や知恵であったと思います。たとえば、お城の規模としては小さいものの、赤穂の塩、忠臣蔵は全国的なブランドですし、領主の(あるいは藩の)方針で、特産品を作ったり、学問を振興したりといった「村おこし」も盛んに行われました。島国で、わりと単一的な社会の中で、「城下町」はさまざまな「村おこし」の知恵と経験を持っていると言えます。

「全国城下町シンポジウム」は、1982年に第一回目がわが松本で開催され、今年で25回目となります。今年は愛媛県の今治市にて開催されます。「城下町」をキーワードにして、全国から人が集まり、まちづくりの知恵を共有する、というのは確かにおもしろそうです。そして、日本だけでなく、世界の城下町(世界には「城下町」という形態はないそうですが)とも交流してみたい、と夢もふくらみます。ただし、まだ「城下町」の歴史を維持しつつ、発展していく方策は見つかっていないような気がしています。