今回は、祖父から新たに聞いた情報をもとに、ご先祖にまつわる伝承?を再検討したいと思います。
これまでのところ、「千葉一族や東六郎胤頼さん(或いは地域的に考えて上総一族)の子孫の方に、何らかの形でお仕えしていたのではないか?」と考えているのですが…
さて、再度、ご先祖についての伝承をご紹介します。
- ご先祖は、千葉常胤公の六男・東六郎胤頼(東胤頼)さん
- 室町時代の末期に、一族の内紛に巻き込まれて、山武郡(現在も本家が住んでいる土地)に落ち延びた
- 周辺の荒れ地を開墾して、帰農した
それでは、詳しくみていくことにします。
1.ご先祖は、千葉常胤公の六男・東六郎胤頼(東胤頼)さん
この話は「語り継ぐもの」として、祖父が曾祖母から聞いたそうです。
大正生まれの祖父が子どもの頃、千葉一族に関する研究は今ほど進んでいなかったと思われますが、祖父が曾祖母から聞いた話は史実に近いものでした。
「千葉六党」と呼ばれる六人のご子息のうち、東六郎胤頼さんに関する情報だけが、祖父の生家には伝わっています。
具体的には、次のような感じです。
- 若い頃、朝廷に仕えていた
- 源頼朝を「有能な人物」だと一族に伝えていた
- 東六郎胤頼さんの子孫に、和歌の上手な人がいた
祖父は「学校で千葉一族の歴史を学んだ記憶はないなぁ」と言っています。
…とすると、情報源は「家族・親戚・地域」ということになると思います。
前回と同じ見解なのですが、「子孫」「末裔」ということではなくとも、何らかの縁で東六郎胤頼さん(或いは東胤頼さんの子孫の方など、東氏と縁のある方)を尊敬していたと思われます。
2.室町時代の末期に、一族の内紛に巻き込まれて、山武郡(現在も本家が住んでいる土地)に落ち延びた
→「五男と六男が、落ち延びた」ということです。
3.周辺の荒れ地を開墾して、帰農した
「五男と六男が、落ち延びた」というのは、祖父から新たに聞いた情報です。
胤頼さんから数えて何代目の「五男と六男」なのかは不明…ということです。
「祖父の生家が五男で、お隣さん(親戚)が六男」ということらしいです
帰農した…というか、「開墾した」のは地名から確かなようです。
そして、飼い主のご先祖は代々、農業(自作農)を営んでいます。
また、地域にお寺があるのですが、宗派は「時宗」です(千葉氏は一時期、時宗を推奨していたことがあったそうです)
新たな情報として、祖父は次のようなことを言っています。
「東氏の主流派は北条方だったのに、ご先祖は畠山氏と連携していたので、土地を追われたのではないか?」
※「北条氏と畠山氏、どちらにつくかという一族の内紛」と「室町時代末期に…」という点が、時代的に一致しないのでは?と思うのですが、まぁ、その辺りは伝承なので真偽のほどは分かりません…
姓についても、新たに確認しました。
伝承は以下のとおりです。
新しく赴任した殿様と同姓だったため、「恐れ多いから」という理由で、今の姓に変えた
新しく赴任した殿様とは「土井利勝さん」ではないか?と予測していました。
祖父に確認したところ、やはり「土井利勝さん」でした。
…ということは、前の姓は「土井」ということになります。
しかし、千葉一族の末裔の方たちの姓を調べてみたところ、「土井姓」は見つけられませんでした
《今後の方針》
「土井姓」&「九枚笹の家紋」
この二点を今後、集中的に探っていきたいと思います。
落ち延びる前に住んでいたという東庄町や香取市周辺で何か分かれば良いのですが…
※東庄町・香取市周辺は、東氏(木内氏)の領地でした。
飼い主には、歴史に関する専門的な知識や情報収集の知識がなく(学生時代は社会学専攻でした)我流で進めております。
また、実地に「聞き込み」と言いますか調査に行きたいのですが、かなり不安です。
怪しい人だと思われる可能性が…
当面は、本を読んだり資料を集めていこうと考えています。
取材や調査には、真摯な姿勢が大事だと思われます。
台所を真剣に見つめる愛犬くんを見習いたいと思います!
【追記】2019年4月6日
文章の一部とレイアウトを変更しました。