愛犬くんとのゆったりライフ

温厚な愛犬くんとの日常を気ままに綴ります。
郷土の武将・武石胤盛さんに関するレポートもございます。

芝山仁王尊(観音教寺)に参詣しました!

2009年12月19日 | 千葉氏について(郷土史)

本日は、祖父の故郷である山武郡の古刹・芝山仁王尊に参詣しました。

三ヶ月に一度くらい訪ねています。

お袋様によると、参道(今は空き地)は昔、旅館やお店で賑わっていたそうです。


<芝山仁王尊(観音教寺)>

観音教寺は、781年(奈良時代末期)に建てられた天台宗の寺院です。

室町時代頃からは、千葉氏の信仰を集め祈願所となったそうです。

また、江戸時代に入ると「火事・泥棒除けの仁王様」の通称で親しまれて、かなり賑わっていたようです。

本日は、年末&冬晴れということで、普段より参詣の人が多かったです!

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↓仁王門です。左右には仁王様が祀られています。

大きな草鞋は、仁王様の体に合わせて作られているそうです。

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↓かなりの大きさです!

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↓仁王様のお部屋?の脇の木彫です。

あちこちに、こういった彫り物がありました。

仁王門の彫り物は、彫刻大工・左甚五郎氏の再来といわれる、11代島村俊明さんの作だそうです。

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↓仁王門への階段を駆け上がる愛犬くん

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↓走る時は、こんな感じの姿勢になる愛犬くんです。

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本堂のお隣には、「芝山ミューゼアム」(芝山はにわ博物館)があります。

県指定文化財の埴輪などが、沢山展示されています。

(海を渡り、フランスで展示されたこともあるようです)

埴輪は、お袋様が中学生の時に、早稲田大学教授の発掘調査によって芝山古墳群から大量に出土したそうです。

葬列埴輪だそうです。

埴輪が出土した「殿塚・姫塚」は、隣接する横芝光町にあります。

古墳にご興味をお持ちの方は、こちらも一見の価値ありです!

古墳時代後期、山武郡一帯に強大な勢力を誇った首領がいたようです。

↓埴輪のレプリカです。

飼い主は、馬型埴輪がお気に入りです。

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こちらが本堂です。

本堂の彫刻は、彫刻大工・左甚五郎氏を始祖とする島村家2代円哲さんの作だそうです。

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↓視線を右に移すと、三重塔(千葉県指定文化財)があります。

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↓時折、飛行機が轟音を響かせ上空を飛行していきます。

(成田空港が近いのです)

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↓本堂側から、三重塔を撮影

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↓帰り道。仁王門付近から撮影

仁王様の目に映る光景は、こんな感じなのでしょうか?

かなり高台にあるので、視界が広々としています。

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↓参道脇の林です。

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↓本日も、ご機嫌の愛犬くんです

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「羽衣伝承の池」についての記事を発見!

2009年12月08日 | 千葉氏について(郷土史)

朝日新聞の千葉版に「羽衣伝承」についての記事が載っていましたので、ご紹介します!

朝日新聞 2009年12月8日朝刊 千葉版

記事の概略です。

  • 菅原孝標女さんの『更科日記』の記述から、千葉市中心街に大きな池があったと推測される。
  • 池は、千葉氏に伝わる『羽衣伝承』に出てくる「池田の池」ではないか?(かなり大きな池だったそうです。千葉氏が埋め立てをして、水田にしたそうです)
  • 地質調査によって、池田の池があったのは、県庁から知事公舎の一帯ではないか?ということが分かったきた。
  • 地質調査の過程で、当時の千葉市中心街では「オーロラ」が見える条件が整っていたことが分かってきた。

つまり、オーロラと羽衣伝承に何らかの関係があるのではないか?ということです。

シンポジウムも開かれるそうです。

日時:2009年12月12日(日)

   10時~16時

場所:千葉県立中央博物館

内容:「更級日記」と池田の池 ー菅原孝標女は見たか!千葉の天女をー


<池田の池について>『下総国千葉郷妙見寺大縁起絵巻』に描かれていること

千葉氏が信仰した妙見様の御神体が隠されてしまった際、妙見菩薩が僧の夢に現れて「池田の田の中に隠された」とお告げをされた。

僧たちが池田に行ってみると、田の中に光るご神体を発見した。

※僧と一緒に「武士」が描かれているのですが、その武士は千葉常胤公の父・常重公ではないか?とのことです。

※ブログの筆者・飼い主が本で読んだ範囲ですと、「池田に当たる地域がどこかは特定されていない」ということでした。


<ブログの筆者・飼い主の感想>

『更科日記』の冒頭の時期…寛仁四年(1020年)

武石胤盛さんの生年…久安二年(1146年)

時代は126年下りますが、千葉市中心街から北に10キロほどの武石郷でも、オーロラは見えたのでしょうか?

武石胤盛さんにまつわる「羽衣伝承」にも、オーロラが関係しているのでしょうか?(胤盛さんの菩提寺である真蔵院の敷地内に「羽衣神社」「羽衣の池」があります)

とても興味深いです。


高校時代、古典の授業で『更科日記』の冒頭の「東路の道の果てよりも なほ奥つ方に生ひ出でたる人~」の部分を学んでいた際に、担当の先生から「これは、あなたたちのことですよ!」と言われたのを、今でも覚えております

※菅原孝標女さんは、お父上が赴任していた上総国府周辺で育ったそうです。

※担当の先生は生まれも育ちも都内で、都内から通勤している方でした。

「先生だって『東路の道の果て』の生まれじゃん」とクラスメイトが言うと、「あなたたちは『なほ奥つ方』なのよ~」と仰っていました

ちょっと悲しいような、逆に誇らしいような?複雑な気持ちになりました~

↑地図の上でくつろぐ愛犬くんです!

【飼い主が読んだ新聞記事

朝日新聞 2009.12.8 朝刊 千葉版

【飼い主が勉強した本

◎千葉日報社 「千葉氏探訪 ~房総を駆け抜けた武士(もののふ)たち~」

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東胤頼氏ゆかりの地を訪ねて(芳泰寺)

2009年11月28日 | 千葉氏について(郷土史)

本日は、常胤公ご存命当時の「小見郷、立花庄周辺」と思われる地域を探索しました。

(詳しくは、「千葉氏について」「郷土の武将 武石胤盛」内の記事をご覧ください)

その締めくくりとして、常胤公の六男・東胤頼氏ゆかりの地を訪ねました。


<芳泰寺>香取市岡飯田(旧・小見川町岡飯田)

胤頼氏の居城跡地の麓にある寺院です。

(「森山城址」が見つけられませんでした。残念!)

東氏の菩提寺であり、敷地内には東胤頼夫妻のお墓がありました。

樹林寺と同様、約3年ぶりに訪ねました。


正面の写真です。

曲がってしまいました。スミマセン。

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東胤頼夫妻のお墓です。

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とても立派な山門です。

鐘もつかせていただきました。

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山門を脇から撮影しました。

屋根の一番高い所には月星紋がありました。

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山門のすぐ脇には六地蔵様がいらっしゃいます。

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後ろの丘陵が森山城址なのでしょうか。

次回は、是非、訪ねてみたいと思います!

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【飼い主が勉強した本

◎千葉日報社 『千葉氏探訪~房総を駆け抜けた武士(もののふ)たち~』

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平良文公ゆかりの地を訪ねて(樹林寺)

2009年11月28日 | 千葉氏について(郷土史)

本日は、常胤公の三男・武石胤盛さんが若い頃に住んでいたといわれる「神生館」を訪ねました。

【補足】胤盛さんが神生館に住んでいたかどうかは定かではありません。ご了承ください。


神生館は、香取市神生(旧・山田町)にあります。

(詳しくは「郷土の武将 武石胤盛」内の記事をご参照ください)

そこで、平良文公ゆかりの『樹林寺』にも、約3年ぶりに足を運びました。

 


<樹林寺>香取市五郷内(旧・小見川町五郷内)

↓こちらが樹林寺です。

良文公は亡くなる際「自分に会いたければ、畑の夕顔(干瓢)の実をあけなさい」と遺言をしたそうです。

子息が夕顔の実を見つけて割ってみると、中から観音像が現れました!

この像は「夕顔観音」と呼ばれ、千葉氏に信仰されたと伝わっているそうです。

常胤公の六男・東胤頼氏も、東氏の祈願所としたそうです。

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↓お寺の正面方向から撮影

見晴らしの良い高台にあります

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↓四季桜が咲いていました~

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↓左の石は、安産などにきくという「子持ち石」です。

飼い主も、お水をかけてきました。

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↓こちらは町指定の四季桜です。

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↓樹林寺の脇です。

豊かな自然が残っています

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【飼い主が勉強した本

◎千葉日報社 『千葉氏探訪~房総を駆け抜けた武士(もののふ)たち~』

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千葉寺に参詣しました!

2009年11月21日 | 千葉氏について(郷土史)

本日は青葉の森公園に出掛けたので、帰りに千葉寺に参詣しました。

「千葉寺」…正式には「センヨウジ」と読むそうです。

和銅2年(709年)に、行基が十一面観音像を刻んだそうです。

その話をお聞きになった聖武天皇の勅命により建立されたとのこと。

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↓お賽銭箱には、月星紋と九曜紋が!

(千葉氏の代表的な家紋です)

平安時代末期(常胤公の全盛期でしょうか?)から、千葉氏の信仰を集めたそうです。

(本拠地の猪鼻城の近くにあります)

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↓敷地内には「大銀杏」がありました!

開山(709年)の頃からあった…と伝えられているそうです。

鎌倉の鶴岡八幡宮のイチョウより大きいそうです。

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↓大銀杏のほかにも保存樹木がありました。

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千葉寺の周辺は、歴史を感じさせる佇まいでした。

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