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Maeda Niina BLOG

レナード衛藤 ブレンドラムス「Treasure」終演

2019年06月21日 21時37分26秒 | Performance2019
レナード衛藤 ブレンドラムス「Treasure」終演しました。

ものすごいリズムの嵐、身体は操られるように踊り、筋肉ぶらぶらになりました。
ジャンルなどということばは野暮に聞こえる、洗練されたスキルと経験と、そして何より果てしない自由の領域をお持ちの素晴らしいミュージシャンの方々とのライブ。
想像以上でした。

音に踊らされ勝手にダンスしている自分の身体、そしてそれを少し遠巻きに見るもう一人の自分。
そんな瞬間が訪れるとこの上ない喜びが湧き上がる。
その時しかないこと、なぞっても意味がないこと。

今年に入ってから一回一回のライブに必ず、ほんの瞬間ですが、その体験が訪れています。
なんと貴重な体験でしょう。一生の中できっと忘れない瞬間になっていると思います。

この素晴らしい時間を共有してくださった皆さま、ありがとうございました!!


↑山内利一さん、中里たかしさん、芳垣安洋さん、Izponさん、レナード衛藤さん、
 水谷彩乃さん、田所いおりさん、私。 


脚本家の高階 經啓さんがレビューを書いてくださっています。
こちらFacebookページより。


【Treasure! Treasure! Treasure!/レナード衛藤ブレンドラムス体験記】

踊りとは視覚楽器による演奏である。
演奏とは聴覚肉体による踊りである。
 
レナード衛藤ブレンドラムス "Treasure”の観客席で音楽と踊りに身を委ねながらそんなことを考えていた。
 
   *   *   *
 
舞台上には演奏家としてレナード衛藤(太鼓)、芳垣安洋(ドラムス)、中里たかし、Izpon(パーカッション)、山内利一(太鼓)が代わる代わる登場し、レナード衛藤のソロを除いては、そのうちの2組、または3組、そして全員が共演する形で音楽が鳴り響いていた。見ての通り、ここにはいわゆるメロディー楽器はなく全て打楽器である。聞いたことがない人は「全て打楽器じゃ単調になるのでは」と思うかもしれないが、そんな心配は無用だ。一度でも聞けばわかる。
 
オープニングは、ブレンドラムスではおなじみのチャッパ(シンバルに似た小さな銅製の楽器)によるレナード衛藤のソロ。和太鼓に移るとやがて3人のダンサー(田所いおり、前田新奈、水谷彩乃)が登場する。ダンサーというよりもミューズと呼ぶべきかもしれない。音楽の女神たちが姿を現し音楽をビジュアライズ(見える化)していくのだ。
 
言葉にすれば「和太鼓とコンテンポラリーダンスの異色の顔合わせ」という表現になりがちだが、そういう言い方はまったく馴染まない。
 
レナード衛藤にとって、使い慣れた和太鼓は身体の一部であって、それをどう演奏する「べき」か、など全くとらわれない。自由なのだ。ぼくらが自分の声を使ってどこの国のどんな曲を歌おうと自由であるように、たったいまつくった自作の曲を歌うのも自由であるように、レナード衛藤の演奏は既存のジャンルから完全に自由なのだ。なにしろ50カ国以上渡り歩いて各地のミュージシャンやダンサーと共同創作を行ってきたのだから当然といえば当然だ。ダンサーたちも同様だ。バレエの肉体や所作という「楽器」を使って「踊りという音楽」を奏でる。空間を切り裂き、抱きしめ、歪ませ、整えて、「目に見える音楽」を演奏する。
 
和太鼓ソロ演奏のバリエーションを一通り聞かせたところでもう一人の和太鼓奏者が加わり、二人してカラフルな音の粒をばらまき始める。まるでざくざくという音が聞こえるようだ。まさしくあふれんばかりに積み上げられた宝石が宙に舞い天空から降り注ぐように感じる。「ああこれが公演タイトルのTreasureか」と思う。でもすぐにわかる。そんなのは序の口に過ぎなかったと。
 
ドラムスとパーカッションの二人組が出てきたあたりでなぜかやたら幸福感が伝わってきた。彼らが登場した直後にトーキングドラムのように打楽器たちが「おしゃべり」する場面があり、これには思わず頬がほころんでしまう。
 
パーカッションデュオはキューバの現地仕込みのパーカッションを聞かせてくれるのだが「現地」の意味が半端なく深い。地元の呪術的な儀式の場で人々を次々にトランス状態に送り込むためのパーカッションを身につけてきたのだ。これはレナード衛藤のアフリカでの原体験とつながるし、もちろんアフリカとキューバの音が通底しているのは当然といえば当然だ。
 
そしてドラムスも変幻自在に囁き、笑い、吠え、高らかに歌う。ドラムスといえばビートを刻む楽器というイメージがあるが、軽々とそのイメージを超えていく。「ドラムスってこんな楽器だっけ?」と驚かされることになる。そして気づく。パーカッションも、ドラムスも、和太鼓たちと同様、楽器への先入観など関係なく遥かに自由に音楽を奏で、そしてその場にいながらにして華麗に踊り出すのだ。
 
だから、舞台上にダンサーたちがいない場面でもダンスが見える気がするはずだ。自分自身の中で踊る者の存在を感じ、その小さな踊り手が嬉々として踊る様子をほとんど実際に目にしているように感じるはずだ。実際には踊れるような身体を持っていなくても大丈夫。あなたの中のその小さな踊り手は、先ほどまで舞台上で鍛え抜かれた肉体で踊りを披露していたダンサーの真似をしてくるくると回旋し、軽々とジャンプし、どすどすと足を踏み鳴らすだろう。楽しい!楽しい!楽しい!
 
そう。Treasureは舞台上から受け取るだけではない。聞いているうちに自分の中からも溢れ出してくるのだ。どんどんざくざくぽんぽんだんだんきらきら金塊銀塊色とりどりの宝石が噴き上げ飛び散り降り注いでくるのだ。120分もそんなとんでもないマンダラが展開されるのだ。
 
終演後「100分のつもりが120分やっちまって足がつっちった」と笑うレナードさんは気のいい兄さんキャラのいつものレナードさんだったが、ブレンドラムスでTreasureをまき散らしていた時のレナード衛藤は人々をトランス状態に送り込む大呪術師そのものだった。