これは3年前の自身のブログに書いたことばですが
時々読み返してみると・・・なかなか良いこと言うなぁ!?
と思ってまた書き起こしてしまいました。
2006年12月24日のコラム「再掲」
生きていれば誰にでも「青春」という時代はある。
その時代、一番乗ってる多感な時代を「時の象徴」と捉えるならば
僕はビートルズだった。
15歳の時初めてエレキギターを持ち、弾き、明け暮れた・・・
好奇心に何もかもが追いつかないくらいに先走りたかった時代である。
その「青春」と言う時代を過ぎたものにとって
人物に当てはめて時代を語る、その時代を対象(象徴)として
語られる人というのはすごいなぁと素直に尊敬したくなる。
当事者の生き様は客観的なものだから実態を知ることはできませんが
知らないからこそ人それぞれの生き様に合わせて目標となり
象徴となり得るものなのでしょう。
多分自分には持てなかった平凡すぎる人生。
妻や子供や孫はこの僕の人生をどう評価するのだろうか?
せめて、父が時代の象徴であった・・と子や孫が語ってくれることが
自分の人生の到達点でありたい。
時々読み返してみると・・・なかなか良いこと言うなぁ!?
と思ってまた書き起こしてしまいました。
2006年12月24日のコラム「再掲」
生きていれば誰にでも「青春」という時代はある。
その時代、一番乗ってる多感な時代を「時の象徴」と捉えるならば
僕はビートルズだった。
15歳の時初めてエレキギターを持ち、弾き、明け暮れた・・・
好奇心に何もかもが追いつかないくらいに先走りたかった時代である。
その「青春」と言う時代を過ぎたものにとって
人物に当てはめて時代を語る、その時代を対象(象徴)として
語られる人というのはすごいなぁと素直に尊敬したくなる。
当事者の生き様は客観的なものだから実態を知ることはできませんが
知らないからこそ人それぞれの生き様に合わせて目標となり
象徴となり得るものなのでしょう。
多分自分には持てなかった平凡すぎる人生。
妻や子供や孫はこの僕の人生をどう評価するのだろうか?
せめて、父が時代の象徴であった・・と子や孫が語ってくれることが
自分の人生の到達点でありたい。