夕暮菜日記

私的日記、教育、社会、音楽、等々について

アーサー・ミラー著「137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯」

2012年03月24日 22時22分37秒 | 読書
本当言うと、原発とか消費税とかTPPとか、とかとかとか…そんなことより私は、科学とオカルト、宗教の関係など、実生活からは無縁なことばかり考えて生活していたい人なのだ。

ユングとパウリの『共著』である「自然現象と心の構造」は名著であることに疑いはないのだが、学生時代の私が読んだときに、本の構造自体に、ある大きな違和感を感じたものだ。
この本、前半がユングによる「共時性:非因果的連関の原理」、後半がパウリによる「元型的観念がケプラーの科学理論に与えた影響」、という構成になっている。
当時の私は、『共著』とは言うものの前半のユングのパートと後半のパウリのパートの間に、まるで分厚い鋼鉄の板がはさまっている、という印象を強く受けた。
得体の知れない何か共通の場所に向かっているのに二人の現在地があまりにかけ離れている、、、、或は、二人は直ぐ近くにいるのにお互いまったく相容れることができてない、、、一つの話題を論じているのに詩人と数学者で言葉が通じ合ってない、、、そんな感じ。
その後パウリの「物理学と哲学に関する随筆集」を読んだ私は、パウリの内面、精神生活に強い興味をもった。
パウリが東洋思想や哲学に並々ならぬ関心を抱いていたことを知ったためなのはもちろんだが、最初の妻が離婚後他の男性と結婚したことについて、「私と離婚した後フットボールの選手と結婚するならまだ納得できるが、あんな才能のない凡庸な化学者と結婚するなんて…」と嘆いたこと、さらにユングのセラピーを受けていたことを知ったからだ。
(パウリの嘆きに対する私の最初の感想は「そりゃパウリに比べたらほとんどの学者は「凡庸」ってことになるよf^^;」である。)
それで、この本。
137というのは、電気素量、真空中の光速、プランク定数などを関連付ける微細構造定数の逆数である。
ユングの提唱した集合的無意識の中に表れる元型の中には、基本的整数が含まれている。
それぞれの整数に、元型としての心理的意味があるというのである。
本書では137という数字を、その流れで、パウリは整数として思案していたように読める。
しかし実際はこの値、137.03599…という値であって、決して整数ではない。
例えば「明るさは光源からの距離の2乗に反比例する。」というときの「2」は、「約2」とか「統計とってみたら2.00だった」ということではなく、整数としての「2」である。
「137」がどうもそのように扱われていることがやや不満だったかな。

本書を読むときは、「137の謎」にこだわるよりも、ユング的側面から見たパウリの伝記、とした方が良いと思う。


137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯
アーサー・I・ミラー
草思社


自然現象と心の構造―非因果的連関の原理
クリエーター情報なし
海鳴社


物理学と哲学に関する随筆集
クリエーター情報なし
シュプリンガー・フェアラーク東京

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