

精神分析的精神療法を受ける際の、セラピストとクライエントのやり取りのことを「交渉」という表現で、その関係を端的に表現された専門家がいました。問題を抱えて、その解決の助けを求める場合、どうしても依頼者の方が、立場が下のように感じられてしまうことが多いのですが、本来は対等な関係であるべきです。

考えてみれば、コミュニケーション能力というものは、緊張感を伴わない、「井戸端会議」的なものや「仲良しこよし」風のものならば別ですが、物事を前進させるためのやり取りであるならば、それは相手との交渉能力の域に関わってくるものだろう…と思えます。

さらに一歩踏み込んで言えば、その交渉が、ある種、命がけの様相を呈してくる場合、攻防戦ともいえる雰囲気を持つものともなってくるでしょう。私も本気なら、相手も本気である場合には、畢竟、そのような成り行きになるはずです。

‘本気’が足りない時には、‘気’すなわち‘波動’が相手に伝わっていかないので、ゆるゆるとした、世間話や雑談の域を超えられません。

私は最近、気がつけば、命がけともいえる攻防戦を繰り広げている自分に直面しました。攻防戦の領域に足を踏み込んでいる時には、恥とか外聞というものが出る幕がないことも知りました。それは、いろいろな面で、相手に飲み込まれてはならないからです。ものすごい消耗感です。そんな攻防戦を潜り抜けても、それでも、その先に成功体験が待っているとは限らないのが人生と知りました。