じぇいあーるなんば - JR-Namba
◄今宮 (1.3km)
所在地 大阪市浪速区湊町一丁目4-1
北緯34度39分59.1秒 東経135度29分43.2秒 / 北緯34.666417度 東経135.495333度
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 ■関西本線(大和路線)
キロ程 174.9km(名古屋起点)
加茂から54.0km
電報略号 ナハ
駅構造 地下駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 26,348人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1889年(明治22年)5月14日
乗換 難波駅
- 南海電気鉄道
- 大阪市交通局
大阪難波駅
- 近畿日本鉄道
- 阪神電気鉄道
備考 直営駅
みどりの窓口 有
大阪市内駅
* 1994年に湊町駅から改称。
概要
大阪ミナミの繁華街に含まれる難波に位置し、南海電気鉄道(南海)・大阪市営地下鉄の難波駅、近畿日本鉄道(近鉄)・阪神電気鉄道(阪神)の大阪難波駅にも近接している。
かつては関西本線の始発駅として、東京・名古屋・伊勢方面の優等列車が当駅始発で運転されていたが、東海道新幹線や東海道本線経由の優等列車および近鉄特急と競合した結果、1973年に全廃された。以後、当駅発着の列車で加茂駅以東の区間に直通する列車の設定はない。
駅名の由来
1889年から1994年までは湊町駅(みなとまちえき)と称しており、道頓堀川八丁のひとつである道頓堀湊町(駅開業時は大阪市南区湊町)に開業したことによる。1989年の移転によって道頓堀川に面する江戸期以来の湊町から離れ、難波のみに位置するようになった(1980年実施の住居表示により湊町となっているが、旧町名の東円手町はもと難波村)。また、地下駅化して難波駅や大阪難波駅(当時は近鉄難波駅)と連絡する計画もあったため、1994年の関西国際空港開港を機にJR難波駅に改称された。
駅名に「JR」を冠したのはJRグループ各社を通して初めてで、正式駅名にラテン文字が入ったのも日本国内では初めてである。
構内図
駅構造
新今宮駅が管理する直営駅で、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属している。ICカード乗車券「ICOCA」の利用も可能である(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。
今宮駅から続いた地下線の「なにわトンネル」による島式ホーム2面4線を持ち、大阪シティエアターミナル (OCAT) の真下にある地下駅である。終着駅ではあるが頭端式ホームではなく、将来のなにわ筋線延伸を見越して通過構造となっているほか、1番のりばと4番のりばの奥に引き上げ線がある。
ホームは主に、1・2番ホームには普通電車が、3・4番ホームには快速電車がそれぞれ発着する。
ホーム 路線 行先
1・2・3・4 ■大和路線 天王寺・王寺・奈良・加茂方面
※上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
地上駅時代
1996年3月に地下化される前は地上駅で、櫛形ホームを設置していた。ホームの表示は2・3・5・6番線(のちに2・3・4・5番線、さらに1・2・4・5番線、そして0・1・2・3・4番線に変更)となっていて、欠番となっている番号は蒸気機関車付け替えのための機回し線にあてられていた(のちに撤去)。国鉄時代は、急行「かすが」は2番線、夜行寝台急行「大和」は3番線から発車していた。
西側に貨車入れ替え用の線路が広がり、駅操車場内の南端には蒸気機関車の転車台が設けられていた(現在は振興局詰所)。また、南側には車両留置用の線路が広がり、夜間滞泊の車両が留置されていた。
駅には町の東西を結ぶ歩行者用の跨線橋(地元の人は「たかばし」と呼んでいた)がかけられていた。駅の東側の跨線橋上り口付近には、駅職員のための厚生施設(理髪室、浴場)も設けられており、地元の人も利用できた。
また、車両が通行できる踏切は、現在の大浪通よりも南にある道路だった。それも貨車入換線内の幅50m近い踏切だったため、時々「開かずの踏み切り」となっていた。地元の人は降車時に、北端の改札まで行かずに車掌に切符を渡し、ホームの南端から跨線橋下の通用門を通って出るようなこともあった。
駅周辺
難波駅および大阪難波駅とは地下道や地下街で結ばれている。大阪市営地下鉄四つ橋線の難波駅とは比較的近いが、同局千日前線・御堂筋線の難波駅および近鉄や阪神の大阪難波駅とはやや離れ、南海の難波駅とはかなり離れている(最低でも徒歩10分程度はかかる)。これは地下道の経路だと千日前通を難波交差点(御堂筋)まで迂回する形になるためで、地上に出れば南海の難波駅へはそれほど歩かずに済む経路もある(ただし、信号待ち等により所要時間はあまり変わらない場合が多い[要出典])。JR大和路線と南海との乗り換えはこの駅よりもむしろ2駅先の新今宮駅の方が便利である。
難波新地(現・中央区難波)およびミナミの南北基軸となる心斎橋筋・戎橋筋からはやや西へ外れてしまう反面、南堀江へのアクセスが良く、最寄駅のひとつとなっている。また、地下鉄千日前線の桜川駅へも徒歩数分で行ける。
なにわトンネルの地上部(地下化以前の線路跡)は難波塩草敷津公園と称する都市公園となっており、南北に細長い区画を有する。
◼︎大阪シティエアターミナル (OCAT)
◼︎湊町リバープレイス
◼︎なんばHatch
◼︎エフエム大阪
◼︎難波塩草敷津公園
◼︎産業経済新聞社大阪本社
◼︎マルイト難波ビル
◼︎ライフ なんば店
◼︎ダイキ なんば店
◼︎ジュンク堂書店難波店
◼︎駿台予備学校大阪南校
◼︎代々木ゼミナール大阪南校
◼︎富永病院
◼︎大野記念病院
◼︎マックスバリュ難波湊町店
◼︎浪速消防署
◼︎千日前通・阪神高速15号堺線
◼︎なんばウォーク
路線バス
大阪シティエアターミナル (OCAT) の2階に「湊町バスターミナル」(呼称は乗り入れ各社により異なる)があり、関西国際空港や大阪国際空港行きのリムジンバスや、日本各地への高速バスが発着している。
また、千日前通沿いに大阪市営バスのJR難波駅前バス停がある。
大阪市営バス(JR難波駅前バス停 千日前通のりば)
西行
29号系統 芦原橋駅前経由 地下鉄住之江公園 行
52号系統 長橋二丁目経由 あべの橋 行
60号系統 地下鉄桜川経由 天保山 行
71号系統 大正橋・大正区役所前経由 鶴町四丁目 行
75号系統 なにわ筋経由 大阪駅前 行
108号系統 大正橋・千歳橋経由 鶴町四丁目 行
東行
29・52・71・75・108号系統 なんば 行
60号系統 なんば(高島屋前) 行
大阪市営バス(JR難波駅前バス停 四つ橋筋のりば)
北行
84号系統 地下鉄西長堀経由 弁天町バスターミナル 行
85号系統 玉造経由 杭全 行
103号系統 四つ橋筋経由 大阪駅前 行
歴史
1889年(明治22年)5月14日 - 大阪鉄道の湊町駅(みなとまちえき、一般駅)として開業し、同社の創業路線である湊町駅 - 柏原駅間の起点となる。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継し、同社の駅となる。
1907年(明治40年)10月1日 - 国有化により国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、関西本線所属となる。
1973年(昭和48年)9月20日 - 当駅を発着する優等列車が消滅する。
1985年(昭和60年)3月14日 - 貨物営業を廃止する(旅客駅となる)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
1989年(平成元年)12月28日 - 南西へ約100m移転する。
元の駅舎があったところは、北方を迂回していた千日前通を西へ直進させ、元の千日前通と駅舎跡の一部に湊町リバープレイスが建設された。
1994年(平成6年)9月4日 - JR難波駅に改称する。関西空港へのアクセス列車として、阪和線・関西空港線へ直通する関空快速の運行を開始する。
1996年(平成8年)3月22日 - 関西圏のJRでは初の地下駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の供用を開始する。
2008年(平成20年)3月15日 - 当駅を発着する関空快速が廃止される。
◀︎今宮(大和路線)
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